始まりに向かって

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死にゆく母との日々

2018-04-28 | 心理学と日々の想い




「チベットの死者の書」の資料は集めているのですが、実母の危篤にあり、分析・記述することができません。

実母の死にあたっては、自然死を選択しました。


今まで、何回も入院しては、老人ホームに戻るために、わたしは命をけずって努力してきました。

なぜなら、介助あり・無しありますが、口から食事をとれないと、老人ホームは受け入れてくれないからです。

胃ろうという選択もありますが。


娘が母に、なんとか、自分で食事をとれるよう、食べさせてあげ、自分で食べられるよう、心をくだいて協力する、ということは、人生のフィルムを逆回転させて見るようなものです。


かつて(前世)、わたしは、、おそらく、父母に、歓喜を持って誕生を受け入れいられ、この世に生を受けました。

そして、母の乳をふくみ、寝息をたてるわたしは、、おそらく、父母の間で、たいせつに見守られたのだとおもいます。


それ以上のことは、もう、人生で、いらない、とすら思います。


ただ、感謝ですし、無力なわたしをゆるしてほしいです。


もう10数年お世話になっている老人ホームでは、「看取り」を希望したら、「〇〇さんの最期なら喜んで看取らせていただきます」と、二つ返事でご了解をいただきました。

担当ドクターの了解も得ています。

ですから、わたしが、母ののどをしめて、殺そう、というわけではありません。


もう、水も飲めなくなって、8日になります。

夜が明けたら、9日目です。

救急搬送していただいて、息を吹き返した10日前に、母とは、ちゃんとお別れのご挨拶を、互いにしあいましたから、あとは、苦しまないで、その時をむかえてほしい、と思うだけです。


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