原発事故がなかなか収束の兆しを見せない。
発電所は電気を作るところだから、火をおこす所だという気がしてならない。
火力発電所だと、もろに「釜」という言葉を使う。
原子力発電所も、隠喩的には「釜」ということができるだろう。
そうすると、原子力発電所に対しても、「釜」への態度ということが大切になるのではないだろうか?
“鍋・釜”の類への、儀礼と敬意が必要なのではないだろうか?
釜による神事「釜鳴り神事」が行われたという新聞記事がありました。
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http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/article.aspx?id=20110503000308
「今年は「吉」/さぬき市で恒例の釜鳴り神事」
2011/05/03
釜の鳴動で今年の農作物の出来を占う恒例の「釜鳴り神事」が3日、香川県さぬき市造田是弘の造田神社(三好征太呂宮司)で営まれた。
厳かな雰囲気の中、斎場に並べられた釜が水蒸気によって鳴動しご託宣。
神事を見守った氏子や参拝客らに笑顔が広がった。
釜鳴り神事は、947年(天暦元年)、同神社を現在地に移す際、吉凶を占ったのが始まり、と伝えられる伝統行事。
毎年5月3日に催され、釜が鳴れば「吉祥」、鳴らなければ「凶事」とされている。
本殿脇の斎場には、大小三つの釜が据えられ、地元の造田小学校の女子児童4人が浦安の舞を優雅に奉納。
続いて三好宮司が沸いた釜の上に木製の甑(こしき)を乗せ、湯気が昇る釜のふたを少しずらすと「ブォーン、ブォーン」と霧笛(むてき)のような音が共鳴した。
鳴動を確認した別の神職が「冬枯れて 休みしときに 深山木(みやまぎ)は 花咲く春の 待たれけるかな」と和歌を詠み上げ、「吉」をご託宣した。
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新聞によると、今年は吉だということで、何よりです。
釜の音を聞く、というこの神事は、元来岡山の吉備津神社が発祥の地であるようです。
吉備津彦=桃太郎が退治した“鬼”は、退治してもうなり声を上げ続け、おまつりしても、うなり続けて、桃太郎を困らせたのだそうです。
“鬼”は、桃太郎に、「自分の妻に神撰を炊かせてほしい。
そうしたら、自分は、桃太郎の味方になる。」と言ったといいます。
釜の音は、その“鬼”のうなり声であるということです。
桃太郎は自分が征伐した“鬼”の妻の煮炊きで“鬼”の託宣を聞くことになった、ということになります。
原子力発電所というやっかいな「釜」では、どんな“鬼”がうなり声をあげているのでしょうか?
そして、どうしたら、その“鬼”の声を聞きだし、なだめることができるのでしょうか?
wikipedia「鳴釜神事」より
吉備津神社の鳴釜神事
同神社には御釜殿があり、古くは鋳物師の村である阿曽郷(現在の岡山県総社市阿曽地域)から阿曽女(あそめ。伝承では「阿曽の祝(ほふり)の娘」とされ、いわゆる阿曽地域に在する神社における神官の娘、即ち巫女とされる)を呼んで、神官と共に神事を執り行った。
まず、釜で水を沸かし、神官が祝詞を奏上、阿曽女が米を釜の蒸籠(せいろ)の上に入れ、混ぜると、大きな炊飯器やボイラーがうなる様な音がする。
この音は「おどうじ」と呼ばれる。
神官が祝詞を読み終える頃には音はしなくなる。
絶妙なバランスが不思議さをかもし出すが、音は、米と蒸気等の温度差により生じる振動によると考えられている。
吉備津神社には鳴釜神事の起源として以下の伝説が伝えられている。
吉備国に、温羅(うら)という名の百済の王子が来訪、土地の豪族となったが、鬼となり悪事を働いたため、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人、吉備津彦命に首を刎ねられた。
首は死んでもうなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしてもうなり続け、御釜殿の下に埋葬してもうなり続けた。
これに困った吉備津彦命に、ある日温羅が夢に現れ、温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げようと答え、神事が始まったという。
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