キリスト教の世界に何人も登場する「マリア」についての考えの続きです。
なんと、聖母マリアの像の中には、「黒いマリア像」というものがたくさんあるということです。
上の写真は、わたしが購入した「黒い聖母像」です。
スペインの「モンセラ」という町で、12世紀に造られた「黒い聖母像」の写しです。
「黒い聖母」について書かれた本を何冊も読みましたが、非常に複雑で難解でした。
その中で、「黒い聖母と悪魔の謎」馬杉宗夫氏著をご紹介しようと思います。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
フランス中央高原に、ロカマドールという町がある。
ロカマドールは、変わった洞窟や荒々しい岩肌を露出する絶壁など、驚くべき自然現象を示している所である。
突出した岩や断崖に囲まれ、そこに中世の街が、なお存続している。
それがロカマドールの町である。
岩山を背にした道幅は狭い。
その岩山から張り出して重なり合う家並みや、左右の土産物商店に興をそそられながら進むと、やがて高地に至る石段が続いている。
石段を登りつめた所に、7つの聖堂が建つ広場があり、まさに宗教都市という面影がある。
これらの聖堂の中で、人々の信仰を集めているのが、「奇跡の礼拝堂」と呼ばれている「ノートルダム聖堂」である。
岩山をうがって造られたこの小さな礼拝堂こそが、この地に住み着いた聖者・アマドールが聖所にした場所と言われている。
この聖堂の前の岩肌には、ロマネスク時代の壁画がなお残されている。
この礼拝堂の祭壇に「奇跡の聖母」と呼ばれている木造彫刻がある。
これがなんと「黒い聖母」像なのである。
薄暗い聖堂の中で、ろうそくの光に照らし出されている1メートル足らずの聖母像。
それが我々の注目を引くのは、その怪異な外観である。
やせ細った胴体や腕。
それと対比をなすかのような、ふくよかな腹部と胸部。
こうした外観に、一層の異様さを与えているのは、体全体を覆う「黒い色彩」である。
聖母は、頭から足に至るまで、全身が「黒い色彩」で覆われているのである。
「聖母マリア」には「不吉な黒色」は似つかわしくない、と思いながらも、その異教的な、謎に満ちた姿は、我々を捉えて放さない。
逆に「黒色」だからこそ、神秘的な力を持って迫って来るのかもしれない。
小さな「聖母像」に迫力を与えているのは、確かに全身を覆う「黒色」である。
「黒」は不思議な力を持っているのである。
「奇跡の黒い聖母」を祀るロカマドールの地は、スペインの聖地サンチャゴ・デス・コンポステラに向かう巡礼路の一つに当たり、12世紀以来、多くの信者を集めてきた。
英国王ヘンリー2世やフランス王ルイ9世を始め、フランスの歴代の王は、この「聖母」に贈り物を捧げるためにやって来た。
「黒い聖母像」は、水夫や囚人の守護神として、また多産や幼児の「守護神」として崇拝され、キリスト教国で最も崇拝を集めた「聖母像」の一つになっていたのである。
我々は、特にフランスの中央高地を車で回る時、あちこちでこのように黒く塗られた「聖母像」に遭遇する。
1メートル足らずの「聖母マリア」は、座像として幼児キリストを膝の上に抱いている。
通常、「聖母マリア」は「黒く」表現されることはない。
しかし、「黒く」塗られたいわゆる「黒い聖母」は、特に中央高地を中心に多く存在しており、1972年「アトランティス」という考古学雑誌に掲載されたリストによると、フランスだけでも200体以上に及んでいたことが明らかにされている。
これらの像の多くは12世紀、いわゆるロマネスク時代に制作された。
12世紀を中心に、同時的に出現している「黒い聖母」は、それらが偶然の要因で「黒く」なったのではなく、なんらかの理由で、当初からにしろ、または後の時代にしろ、意図的に「黒く」塗られたことは確かなのである。
キリスト教がゴール(現在のフランス)の地に浸透するまで、ゴールの地は、ケルトの国々を支配していた「ドルイド教」で覆われていた。
この宗教はある種のアニミズム(霊魂崇拝)であり、「聖なるものは自然の中に宿る」とされた。
彼らが崇拝していたのは、自然の中に存在する聖なる樹・・樫、ぶな、宿り木。
聖水・・泉、源泉、川。
聖石・・メンヒル・ドルメンなどであった。
そして注目すべき点は「黒い聖母像」が在り、またその崇拝のあった地は、「ドルイド教」時代にそれらの崇拝が行われていた場所と一致していることである。
ロカマドールでは、岩山を穿って作られた聖堂の内に「黒い聖母像」が祀られている。
このように「黒い聖母像」は、「巨石」と結びついた場所にしばしば見出される。
中央高地の中でも、小高い丘の並ぶ「ル・ピュイ」の地は、キリスト教化される以前から「ドルイド教徒」達の間では、最も重要な場所の一つであった。
「ル・ピュイ」の街はフランスでは珍しい火山地帯で、鋭い角度を持つ巨大な丘が3つもそびえ、一種異様な景観を誇っている。
「ノートルダム大聖堂」が君臨する丘も、その岩山の一つである。
「大聖堂」の西正面はイスラム風の装飾やアーチで飾られているが、この西正面の入口を入ったところに「熱病の石」と呼ばれる「平らな巨石」が置かれている。
この「巨石」は「奇跡を呼ぶ石」として、古くから崇拝されていた。
伝説によれば、「聖母マリア」が、熱病にかかった女性を憐れみ、この「石」の上に寝るよう、指示したという。
そして「黒い聖母」が置かれていたのは、この「巨石」の前だったのである。
「ル・ピュイ」の「黒い聖母」は、伝説によれば、1254年に、聖ルイ王(ルイ9世)がエジプトから持ち帰り、「ル・ピュイ」に寄進したものとされている。
この像はもともと古代エジプト時代の「イシス神」であり、それを「聖母像」に作り替えたものと記されている。
しかし、この像の制作場所や年代は定かではない。
確かなのは、1096年以前に、「ル・ピュイ」の地にすでに「聖像」があったことである。
と言うのは、十字軍に出かける前に「自分が生きている限り、祭壇の尊敬すべき聖母像の前に、絶えることなくろうそくの火をともしておくこと」を要求した人の記録が残されているからである。
「ル・ピュイ大聖堂」の祭室外壁には、「ドルイド教」時代の浮き彫りと、それに面して「聖なる泉(井戸)」が置かれている。
この地が、いかに「巨石崇拝」や、「聖なる水の崇拝」の伝統の強い所であったのかが分かるのである。
「巨石(聖石)崇拝」と結びついた他の地は、ロカマドール、スペインのカタルーニャ地方のモンセラ、サンジェルヴァジィの台地などで、「巨石」が今なお存在している。
(引用ここまで)
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