始まりに向かって

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ユダヤ教徒の祈りの生活・・「旧約聖書」とつながる

2014-01-14 | エジプト・イスラム・オリエント



紀元前後のイスラエルの建築物の遺構が発見されたという記事を、前回ご紹介しました。

ユダヤ教についてもう少し詳しく知りたく思い、ユダヤ教について書かれた本を探してみました。

「ユダヤ教の基本」という本をご紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

  
               *****


            (引用ここから)

日々の生活規則

典型的なユダヤ人の一日を紹介してみたい。

これは過去にはすべてのユダヤ人が、そして現在では正統的ユダヤ人が過ごす生き方で、伝統によってその輪郭が描かれてきた。

つまりこの宗教生活は主に、儀礼的律法の問題として、あらかじめ定められているものである。

朝目覚め、まだ体を動かさないうちにユダヤ人は、命を与え、意識を回復させてくださった神に感謝する。

「あなたの御前に感謝を捧げます。

永遠に生きたもう王よ、

あなたは慈悲深く、私の魂を取り戻させてくださいました。

あなたの信実は偉大です」

と祈る。

それから起き上がり、朝の一連の行動一つ一つの中に、決められた祝福の祈りを称える。

最初の勤めとして定められている、洗顔、手洗いの時、地に足を降ろす時、トイレ、トーラーの定めた房で飾られた下着を身に着ける時。

このように、ユダヤ人はすべてのしぐさについて神を思い、獅子のように力強く、鹿のように素早く、天にいます父なる神の御意を行うことができるように、との神の教えに従おうとするのである。


それから彼は、正式な礼拝の準備をする。

彼は、再び房のついた衣装で身を包む。

ただし今回はもっと大きい、外に羽織る祈祷用のショールであるが、これは宗教儀式や神聖な勉強の時にのみ身につけるものである。

次に彼は、小さな二つの小箱に聖書の言葉が収められたものを、それに付いている皮ひもで自分の身につける。

これは「あなたはこの言葉を腕につけてしるしとし、額につけて憶えとしなさい」という聖書の掟をまったく文字通り守っているのだ。

二つの箱のうち一つは左の腕、すなわち心臓の横に結びつけられ、心と手が神の御意に従うことを象徴する。

もう一つは目の上の額に付け、同様に知性が聖別される。

最後に彼は皮ひもで、神の名前を意味する不思議な結び目を作って左手に結びつける。

そしてこれら一つ一つのしぐさと並行して、ふさわしい祝祷を述べる。

そしてさらに指をからませる最後のしぐさと共に、「ホセア書」の格調高い魂の婚礼の言葉をもって神に誓う。

「私は永遠にあなたと契りを結ぶ

正義と公平と慈しみと憐みとをもって、あなたと契りを結ぶ

私は真実をもってあなたと契りを結ぶ

そして、あなたは主を知るようになる」

このように神に結び付けられ、神の御意と契りを交わしたところで、ユダヤ人の朝の礼拝の準備が整う。

礼拝は、詩編の朗読、個人的な事柄や集団的信仰、イスラエルの理想などに触れた祈り、そして宗教的学
習の目的で加えられた聖書やラビ文学の朗読などから構成される。

伝統はこの礼拝の式次第がシナゴーグにおいて会衆と共に執り行われることが望ましいとしているが、個人的に行われることも認められている。

どこでなされようと、礼拝は決して短くはない。

伝統的祈祷書の普及版に印刷されている祈祷は約90ページにも及び、すべて読むだけで1時間はかかるものである。

これが終了し、皮ひもが外されるまで、ユダヤ人は食べ物を口にすることができない。

しかも儀式はまだ続いており、朝食の間も、いや実際他の食事の時にもついてまわる。

手を洗い、パンを裂く前に短い祈りを称える。

食事の後には、長めの感謝の祈りをする。

さらに儀式はこの後も続く。

その後午後に1回、夕方に1回の合計2回、ユダヤ人は正式な礼拝を持つ。

その合間にもユダヤ人は神の名前をしょっちゅう思い出さなければならない。

なぜなら伝統は、生活のすべての節目に祈りを持つことを命じているからだ。

食事と食事の間に食べ物を口にしたり、新しい衣服を身に着けたり、旬の果物を味わったり、稲妻を見たり、雷を聞いたり、海や虹や春の木々の新芽を垣間見たり、トーラーや世俗の学問に卓越した人物に出会ったり、良い知らせを聞いたり、悪い知らせを聞いたり。。

これらの思いつく限りほとんどすべての出来事に、短いながら適切な祈りの言葉が存在するのである。

そしてさらに、ユダヤ人には個人的にあるいはグループの教室で、毎日ある程度の時間を伝統の学習に当てることが求められている。

そして夜、寝床に着く時にもまた、眠りを与えられる感謝と、自分の信仰の確認、そして神の御手に自分をゆだねることを祈る。

このようにして、ユダヤ人の一日は、始まりと同じように神を意識しながら終わるのである。


あるいは、仕事や遊びの時間がどれほど残るか心配する向きもあるかもしれない。

当然ながら宗教行為の少ない、または全くない人に比べれば、仕事や遊びの時間は減る。

しかし実際は思った以上に多いのだ。

ここで述べたほとんどの儀式はその都度行われる行為と並行して行われ、全く時間を取らない。

またその他の多くのことも、ほんの一瞬で終わる。

そして残りのことには、伝統は干渉しない。

何が人間存在の究極的なテーマなのか、と伝統は問う。

神そして善ある生活のことではないか?

ならば、それらを追求すること以上に有効な時間の使い道などあるはずがあろうか?


              (引用ここまで)

 
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