親鸞をめぐって開かれた講演会の記録である「親鸞・不知火からのことづて」のご紹介を続けます。
吉本隆明・石牟礼道子・桶谷秀昭氏が話しておられますが、ここでは石牟礼道子さんのお話を取り上げたいと思います。
わたしには、この方のものの感じ方は非常に納得がいくように思います。
生きるためには、生きることのモラルが必要であるに違いなく、まさに“義を言わない”という、古い人々の智恵に則った彼女の言葉には、人の心の底まで沁み渡る性質があるように感じます。
唐突な物言いかもしれませんが、もし“日本の大転換”が目指されることがあるとしたら、それはきっとこのような感性が命を吹き返すことではなかろうか、とも思います。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
(水俣病患者の話になり)
よく水俣の患者さんが
「もう人間はいやじゃ、人間に生まれてきとうない」とおっしゃいます。
と申しますのは、現代社会はもう、自らを浄める力がなくなってしまったのではないかという、深い嘆きから出る言葉かと思います。
仏教の歴史は長いわけですが、その中には深い厭世観、末法思想が否みようもなくまつわりついております。
末世の世の中、もう世の中の終わりが来るというふうに、すぐれた宗教思想家たちは考えておりました。
仏教だけでなく、外国の宗教も同様、そう思っていました。
それでも人間の歴史というのは続いてきたわけで、なぜ続いてきたかと思うのですが、やはり私たちの生命は限られております。
命が限られていることも、歴史を保たせてきたのではないか。
(水俣病の)患者さんが死んでゆかれるのに立ち会うことになってしまいまして、こういう人たちが、チッソの社長たちと向き合う場所にたびたび居合わせたのですけれど、
自分たちは、あるいは死んだ者たちは、生きてあたりまえの人生を送りたかったのだ、ということをおっしゃりたいのですが、なかなか相手にも世間にもそれが伝わりません。
あたりまえに生きるとはどういうことか。
この世と心を通い合わせて生きてゆきたい、ということなのです。
先ほど、私どもの地方では心が深いことを「煩悩が深い」と言うのだと申しましたけれど、そのような生身の「煩悩」を、水俣病になってしまって、途中で断ち切られる。。
人様にも、畑にも、魚にもキツネやなんかにも、猫たちにも、生きているものことごとくと交わしたい「煩悩」に、本来自分らは満ち溢れている。。
その尽きせぬ思いをぶったぎられるのが辛い、、
そういう気持ちが大前提にあるのではないでしょうか。
わたしが見た限りでは、患者さんたちは、チッソの人たちに非常に深いまなざしで、一種の哀憐を、深い心を持って向き合っておりまして、それは大悲とか、大慈と言うのに近い姿だとわたしは感じております。
仏教では繰り返し、末世の到来を説きながら来たわけですが、わたしたちは「煩悩」・・非常にもどかしくて、言い得ないのですが、狩野芳崖が描きました「悲母観音」の図、、神秘的な、東洋の魂のもっとも深い世界を、日本人の宗教の意識のもっとも奥のところを描ききった名作だと思いますけれど、
わたしが申します時の「煩悩」の世界とは、あの絵のような世界を思い浮かべております。
わたしどもの命を無明の中で促しているエネルギーが、「煩悩」だと思うのです。
お互いにご先祖様の血をもらっていて、私どもは生まれ変わっていると思うのですが、実際に生きている実感を持てるのは一代限り。
今現在でしかありません。
そう思えば、この世というのはまことに名残り惜しい、
草木も風も雲も。
ほんとうに空ゆく雲の影も、見おさめかも知れません。
そう毎日は思わないですけれども、心づけば名残りが深いですよね。
いまは幸いこういうお寺さまがあって、自分の心の内側を深く差し覗ける日があって、遠い山の声、海の声、ご先祖様方の声を聞くことが出来ます。
「後生を拝みに行こうや」と誘い合わせていらっしゃるわけですが、「後生」とおっしゃる時は、未来に重ねておっしゃっていると思うんです。
わたしどもはみな、多かれ少なかれ、この世に尽きせぬ名残りを残してゆきますので、その自分への名残りが未来の方へ、鐘の余韻さながら、こうも生きたかった、ああも生きたかった、という気持ちが自分の内側へ響いてきます。
その自分の身から鳴る鐘の音のようなものに導かれて、仏様を拝む時は、そういう自分をも拝んでいるのではないでしょうか。
拝むことしか知らぬ衆生というものこそ、実はこの世界の一番奥をなす存在だと、わたしは思います。
衆生というものは、そのように生き代わり死に代わりしてきました。
(島原の乱で、島の人々を救うために切腹した代官の話をして)
先ほど来申しましたような意味での、深い情愛をもった人たち、全き「煩悩」をもって万物と共に在る人たちが、彼の身の回りにいたことでしょう。
その人たちの思いの残っている、あの「煩悩のかかっている土地」に来て、残された人々の声を聴き、顔つきを見て、その人たちと多分、魂も心も通うようになって、すうっと代官の心が変わっていったことでしょう。
深くなっていったろうと、わたしは思います。
この者たちのために死のうと。
そんな特別な人たちがおったわけは無くて、水俣の、先ほど申しましたような、「煩悩」をこの世にかけ足りなく思って、深い名残りを残して死んでゆかなければならなかった者たち、
それからここに今日お出でくださいましたような、ごく普通のお顔の人たちとどこが違っただろうと思います。
お互いに名残深い世を、今はまだ生きているな、と思うばかりでございます。
皆様方のようなお顔を、いつも思い浮かべていることでございます。
今日はお目にかからせていただいてありがとうございました。
(引用ここまで)
*****
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「ブログ内検索」で
親鸞 5件
念仏 11件
仏教 15件
石牟礼道子 3件
日本の大転換 6件
などあります。(重複しています)
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わたしには、この方のものの感じ方は非常に納得がいくように思います。
生きるためには、生きることのモラルが必要であるに違いなく、まさに“義を言わない”という、古い人々の智恵に則った彼女の言葉には、人の心の底まで沁み渡る性質があるように感じます。
唐突な物言いかもしれませんが、もし“日本の大転換”が目指されることがあるとしたら、それはきっとこのような感性が命を吹き返すことではなかろうか、とも思います。
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(引用ここから)
(水俣病患者の話になり)
よく水俣の患者さんが
「もう人間はいやじゃ、人間に生まれてきとうない」とおっしゃいます。
と申しますのは、現代社会はもう、自らを浄める力がなくなってしまったのではないかという、深い嘆きから出る言葉かと思います。
仏教の歴史は長いわけですが、その中には深い厭世観、末法思想が否みようもなくまつわりついております。
末世の世の中、もう世の中の終わりが来るというふうに、すぐれた宗教思想家たちは考えておりました。
仏教だけでなく、外国の宗教も同様、そう思っていました。
それでも人間の歴史というのは続いてきたわけで、なぜ続いてきたかと思うのですが、やはり私たちの生命は限られております。
命が限られていることも、歴史を保たせてきたのではないか。
(水俣病の)患者さんが死んでゆかれるのに立ち会うことになってしまいまして、こういう人たちが、チッソの社長たちと向き合う場所にたびたび居合わせたのですけれど、
自分たちは、あるいは死んだ者たちは、生きてあたりまえの人生を送りたかったのだ、ということをおっしゃりたいのですが、なかなか相手にも世間にもそれが伝わりません。
あたりまえに生きるとはどういうことか。
この世と心を通い合わせて生きてゆきたい、ということなのです。
先ほど、私どもの地方では心が深いことを「煩悩が深い」と言うのだと申しましたけれど、そのような生身の「煩悩」を、水俣病になってしまって、途中で断ち切られる。。
人様にも、畑にも、魚にもキツネやなんかにも、猫たちにも、生きているものことごとくと交わしたい「煩悩」に、本来自分らは満ち溢れている。。
その尽きせぬ思いをぶったぎられるのが辛い、、
そういう気持ちが大前提にあるのではないでしょうか。
わたしが見た限りでは、患者さんたちは、チッソの人たちに非常に深いまなざしで、一種の哀憐を、深い心を持って向き合っておりまして、それは大悲とか、大慈と言うのに近い姿だとわたしは感じております。
仏教では繰り返し、末世の到来を説きながら来たわけですが、わたしたちは「煩悩」・・非常にもどかしくて、言い得ないのですが、狩野芳崖が描きました「悲母観音」の図、、神秘的な、東洋の魂のもっとも深い世界を、日本人の宗教の意識のもっとも奥のところを描ききった名作だと思いますけれど、
わたしが申します時の「煩悩」の世界とは、あの絵のような世界を思い浮かべております。
わたしどもの命を無明の中で促しているエネルギーが、「煩悩」だと思うのです。
お互いにご先祖様の血をもらっていて、私どもは生まれ変わっていると思うのですが、実際に生きている実感を持てるのは一代限り。
今現在でしかありません。
そう思えば、この世というのはまことに名残り惜しい、
草木も風も雲も。
ほんとうに空ゆく雲の影も、見おさめかも知れません。
そう毎日は思わないですけれども、心づけば名残りが深いですよね。
いまは幸いこういうお寺さまがあって、自分の心の内側を深く差し覗ける日があって、遠い山の声、海の声、ご先祖様方の声を聞くことが出来ます。
「後生を拝みに行こうや」と誘い合わせていらっしゃるわけですが、「後生」とおっしゃる時は、未来に重ねておっしゃっていると思うんです。
わたしどもはみな、多かれ少なかれ、この世に尽きせぬ名残りを残してゆきますので、その自分への名残りが未来の方へ、鐘の余韻さながら、こうも生きたかった、ああも生きたかった、という気持ちが自分の内側へ響いてきます。
その自分の身から鳴る鐘の音のようなものに導かれて、仏様を拝む時は、そういう自分をも拝んでいるのではないでしょうか。
拝むことしか知らぬ衆生というものこそ、実はこの世界の一番奥をなす存在だと、わたしは思います。
衆生というものは、そのように生き代わり死に代わりしてきました。
(島原の乱で、島の人々を救うために切腹した代官の話をして)
先ほど来申しましたような意味での、深い情愛をもった人たち、全き「煩悩」をもって万物と共に在る人たちが、彼の身の回りにいたことでしょう。
その人たちの思いの残っている、あの「煩悩のかかっている土地」に来て、残された人々の声を聴き、顔つきを見て、その人たちと多分、魂も心も通うようになって、すうっと代官の心が変わっていったことでしょう。
深くなっていったろうと、わたしは思います。
この者たちのために死のうと。
そんな特別な人たちがおったわけは無くて、水俣の、先ほど申しましたような、「煩悩」をこの世にかけ足りなく思って、深い名残りを残して死んでゆかなければならなかった者たち、
それからここに今日お出でくださいましたような、ごく普通のお顔の人たちとどこが違っただろうと思います。
お互いに名残深い世を、今はまだ生きているな、と思うばかりでございます。
皆様方のようなお顔を、いつも思い浮かべていることでございます。
今日はお目にかからせていただいてありがとうございました。
(引用ここまで)
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