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太陽・仏教・エネルギー革命・・中沢新一著「日本の大転換」の研究(2)

2011-12-14 | 野生の思考・社会・脱原発


先日、全国の寺院の組織である「全日本仏教会」が「脱原発宣言」を発表したという記事がありました。


         ・・・・・


「仏教会が脱原発宣言=避難民と菩提寺の連絡中継も」2011年12月1日
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201112010151.html


 全国の寺院などで組織する全日本仏教会は1日、東京電力福島第1原発の事故に関し、「いのちを脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電によらない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指す」との宣言文を発表した。

 宣言文は「私たちの利便性追求の陰には、原発立地の人々がいのちの不安に脅かされ、さらに処理不可能な放射性廃棄物を生み出しているという現実がある。

このような事態を招いたことを深く反省しなければならない」としている。

[時事通信社]

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中沢新一氏の「日本の大転換」を読んでみました。

引き続き、少しご紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



著者は、「一神教の文明」から「仏教的な文明」への転換を目指すべきである、と述べています。


          *****


          (引用ここから)


資本主義の「市場」は、自然や他者との交差(キアスム)の構造を通じて形成された社会とはまったく異なる原理で動くシステムなのである。

いったいなにが私たちの世界で破壊されているのか?

社会が、生態圏が、そして社会と生態圏が結びついたところに形成されてきた文明が、破壊されているのである。

文明を作り上げてきたのは「エネルゴロジー=エネルギーの存在論」の構造である。

その構造が今、土台の部分から突き崩され出している。

とりわけ日本文明は、西欧的な文明と違って、交差(キアスム)の構造を基礎として、生態圏との豊かな交通の上に成り立ってきた一種の「生態圏文明」である特質を備えている。


その日本文明が今、かつてないほどに深刻な危機に直面している。

津波と原発の事故は私たちが抱え続けてきた大きな矛盾を、これ以上のものはないと思えるほど激烈な形で、白日の下にさらした。

日本文明は「エネルゴロジー=エネルギーの存在論」的に破たんしかかっている。

がんばればなんとかなる、というレベルはとうに超えてしまった。

危機の本質を知り抜くことによって、文明の大転換を試みない限り、日本文明は衰退の道へと踏み込んでしまう。


            (引用ここまで)

  
           *****


日本の経済は地震と原発事故によって大きな痛手を受けた、というような話を、筆者はしているのではないようです。

では、“危機”とは、“衰退”とは、どのような事態を指しているのでしょうか。

原発によって成り立ってきた日本の経済とは、資本主義経済であり、日本の文明は資本主義経済との関連なしには成り立たないであろう、ということでしょうか。

原発が止まったら、現在の日本の文明は死に絶えるということでしょうか。

危機の本質とは、原発の危険性ということでしょうか。

日本の文明は、これから本当に衰退してゆくのでしょうか。



             *****


         (引用ここから)



私たちは世界に先駆けて自覚的に、コンピューターと原子力による第7次エネルギー革命を超えて、第8次エネルギー革命の道に踏み込んでいく、またとない機会を得た。

そしてそれを通して、袋小路に入り込んでいる現代の資本主義に大きな転換をもたらすのである。

そのように今日の事態を理解する時初めて、私たちには希望が生まれる。

         (引用ここまで)


         *****


著者は「第8次エネルギー革命」と名付けた改革によって、資本主義との対決姿勢を明らかにしているようです。

それは日本の経済を“日本文明の本来の姿”に戻す改革であるようです。

著者はなぜ確信を持ってそう言えるのでしょうか。


           *****


       (引用ここから)


「第8次エネルギー革命」がめざしているのは、よく言われているような「自然エネルギーの活用」という言い方でその本質が言いつくされるものではないことを強調しておこう。

来たるべきエネルギー革命は、原子力発電技術の過激さを否定して、「中庸」の技術を目指すのである。

誤解を恐れずに宗教思想とのアナロジーを用いてみよう。

すると「第8次エネルギー革命」は、「一神教から仏教へ」の転回として理解することができる。

仏教は一神教の思考を否定する。

一神教は人類の“思考の生態圏”にとっての外部を自立させて、そこに超越的な神を考え、その
神が無媒介的に“生態圏”に介入することによって、歴史が展開していくという考えを発達させた。

仏教はこのような思考法をラジカルに否定するのである。

仏教は“生態圏”の外部の超越者という考えを否定する。

そして思考における一切の極端と過激を排した「中庸」に、人類の生は営まれなければならないと考えた。


        (引用ここまで)


           *****


一神教は、人類にとってはあまり良くない宗教であると述べられています。

何か諸悪の元という感じです。



           *****


        (引用ここから)


現代の資本主義は、原子力発電による大量のエネルギーを利用しながら、かつてないほどの成長を続けてきた。

原発は、いわば「資本の炉」として、今日稼働を続けているのである。

その資本主義は、次のエネルギー革命が起こる時、ラジカルな変容を迫られることが予想される。

原発の「エネルゴロジー=エネルギーの存在論」の構造と、グローバル化する今日の資本主義との間に本質的なつながりが存在するからである。


第8次エネルギー革命はほとんど自動的に現代の資本主義が陥っている内閉性を打ち破っていく力を秘めている。

人類の経済活動は実のところ生態圏の内部に閉じ込められてさえいないのである。

それは太陽に向かって開かれているのでなければ、自分を維持することすらできない。

経済のもっとも深い基礎には「贈与」が据えられているのである。

太陽エネルギーと同じように「贈与」性がすべての経済活動を根底で支えている。


「脱原発」に始まる新しい「エネルゴロジー=エネルギーの存在論」革命を通過していくうちに、資本主義はもはや自己の原理に内閉していることは不可能になってくる。

そして資本主義はゆっくりとその深部から自己変容をはじめ、その変化はいずれ暮しと実存の全領域に及んでいくことになる。

資本主義が、人類の本性によりふさわしい形態へと変容していくのを、私たちは手助けするのである。


           (引用ここまで)


           *****


脱原発にはじまる「第8次エネルギー革命」は、資本主義を超えて、日本の未来を切り開く、と書かれています。

一神教的な文明から、仏教的な文明への転換である、とも書かれています。

太陽のように、取引による利益を目標としない、“与えること”を原理とする文明、仏教のように中庸の徳で成り立つ文明が、予見されているようです。

この理論は、どの程度妥当性があるのでしょうか。

この理論は、時代を切り開く鍵となるのでしょうか。

著者は、どうしても言いたいことがあり、この本を書いたのだと思います。

著者の心の目に見えている「世界」に、もう少し近づきたいと感じます。





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