中沢新一氏の「日本の大転換」を読んでみました。
著者は、東日本大震災と福島の原発事故という出来ごとをきっかけに、生き方や考え方を変えようとしている人々は、著者の説く新しい思考による新しい文明の担い手になることができる、と述べ、人々に新しい生き方をするよう提唱しておられます。
*****
(引用ここから)
東日本大震災と福島第一原発の事故は、私たちに新しい思考の出現を促している。
それを「エネルギーの存在論=エネルゴロジー」と名付けた。
今回の未曾有の出来事をきっかけに生き方や考え方を変えようとしている人々は、誰でも「エネルゴロジスト」になれる。
「エネルゴロジスト」は、この危機があらわにした日本と日本人の抱える深刻な困難を見つめることの中から、次のような認識を持つにいたった。
1・原子力発電という技術体系は、致命的な欠陥を抱えている。
原子力発電からの脱出が、人類の選択すべき正しい道である。
2・太陽光発電、風力発電、バイオマス発電などのいわゆる自然エネルギーの開発と普及は、原子力発電が産んだ時代をゆっくりと終焉に向かわせ、
新しい秩序である「第8次エネルギー革命」の時代を開始させることになるだろう。
生態圏をただ収奪するのではなく、生態圏を蘇らせることによって、人類は初めて地球上で他の生き物を益する生き物となるであろう。
3・この構造転換は、社会と市場経済の間をつなぐインターフェイス構造の大規模な復活を誘発し、経済の構造も変えていくであろう。
4・「第8次エネルギー革命」の産み出すものは、人類の心の本性との親和性がきわめて高い。
「第8次エネルギー革命」は、科学に内在する過激な抽象主義をゆっくりと変質させていくだろう。
(引用ここまで)
*****
夢見られているのは、ユートピアであり、そこに到達するのは容易なことではないと思われます。
かつて人類が無垢であった頃の世界が、夢見られているのだと思います。
人類はこれから、原発を廃止して、自然エネルギーを用いて、生態圏を蘇らせ、他の生物と共存しよう。
そして社会と市場の間に生き生きとした関わりを作りだそう。
過度の科学偏重をやめて、人間の心の本性に基づいた社会と経済を作りだそう。
そのような社会を、どのようにして作るか、という方法論の部分がちょっと面白みに欠けているように思いました。
アジテーションの名手ならば、ここはもう少し力を入れているはずの部分でしょう。
著者の改革の具体策がぼんやりしているので、読後の印象が弱いのですが、それは多分、著者独特の品の良さなのだろうと思います。
つまり著者の心の中では、それはすでに成就しているものであり、はげしい渇望の気持で書いているわけではない、という印象を受けました。
続いて著者は、その改革は日本という場所でおこる必然があるのだと語ります。
*****
(引用ここから)
このような大きな転換は、日本でこそ起こらなければならない。
大転換は日本文明を、むしろ文明としての自分の本性への立ち帰りを実現することになる。
日本文明は、ユーラシア大陸が自らを太平洋に押し出して作りだした「リムランド(周縁のクニ)」の列島上に形成されてきた。
ユーラシア大陸の中心部からはずれた周縁のリムランドであったこと、プレートに内包された運動エネルギーのあやうい均衡の上に列島があることは、日本文明の本性にも大きな影響を及ぼしてきた。
リムランド型(周縁)文明はグローバル経済や原子力発電とは、もともと異質な本性を持っていたのである。
グローバル型の資本主義にせよ、原子力発電の設計思想にせよ、中心部の文明にはふさわしい発想であるかもしれないが、明らかにリムランドの文明には適合しない。
それを無理やりに適合させようとすれば日本文明は土台からの破壊にされされていくことになるだろう。
それゆえに、「第8次エネルギー革命」の可能性は、日本文明にとっては大きな僥倖なのである。
(引用ここまで)
*****
日本文明が崩壊しかかっているのは、日本人が日本人本来の性質になじまない資本主義経済に自分をゆだね、無理やり適合させようという力に圧迫されているためである、と書いてあります。
ですから、“原発事故により日本は危機に陥った”という風には考えられておらず、“日本は原発事故を契機に、原発や資本主義に無理やり適合させられることを拒否しよう”、と筆者は述べているのだと思います。
*****
(引用ここから)
どんな文明も、自分を作り成している大もとの原理に帰るのではなければ未来への可能性を自ら開いていくことはできない。
「第8次エネルギー革命」の原理は、おどろくほど日本文明の生成原理と似ている。
そのためエネルギー分野での方向転換によって、文明の深層部には新しい活力が注ぎ込まれ、さまざまな領域に新生の芽吹きがはじまる可能性が予見できる。
原発の開発と共に進んできた「第7次エネルギー革命」の時代はゆっくりと衰退への道に入っていく。
それに代わって、生態圏の生成の原理に立ち戻って、そこに別の豊かさを取り戻そうとする「第8次エネルギー革命」の時代が隆起する。
それに連動して、経済の思想が根底からの転換を始める。
社会は再生への運動を始める。
日本の進むべき道は、今やはっきりと前方に見えて来ているのではないか。
(引用ここまで・おわり)
*****
おそらくこの本は、著者から日本文明への、ラブレターなのでしょう。
著者は、日本の古代や、縄文時代や、周辺に存在するひそやかなものたちや、アジアに広がる仏教思想や、欲得ずくでない人々が作りだすユートピアを、熱烈に恋しているのだと思いました。
それにしても、「日本文明の生成原理」と著者が指摘している原理について、もう少し考えたいと思いました。
そこがはっきりしないと、著者が言いたいことがよく分からないからです。
著者の別の本を見ることで、少しでも著者の意図する所が明らかになるかどうかを試みてみたいと思います。
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などあります。(重複しています)
著者は、東日本大震災と福島の原発事故という出来ごとをきっかけに、生き方や考え方を変えようとしている人々は、著者の説く新しい思考による新しい文明の担い手になることができる、と述べ、人々に新しい生き方をするよう提唱しておられます。
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(引用ここから)
東日本大震災と福島第一原発の事故は、私たちに新しい思考の出現を促している。
それを「エネルギーの存在論=エネルゴロジー」と名付けた。
今回の未曾有の出来事をきっかけに生き方や考え方を変えようとしている人々は、誰でも「エネルゴロジスト」になれる。
「エネルゴロジスト」は、この危機があらわにした日本と日本人の抱える深刻な困難を見つめることの中から、次のような認識を持つにいたった。
1・原子力発電という技術体系は、致命的な欠陥を抱えている。
原子力発電からの脱出が、人類の選択すべき正しい道である。
2・太陽光発電、風力発電、バイオマス発電などのいわゆる自然エネルギーの開発と普及は、原子力発電が産んだ時代をゆっくりと終焉に向かわせ、
新しい秩序である「第8次エネルギー革命」の時代を開始させることになるだろう。
生態圏をただ収奪するのではなく、生態圏を蘇らせることによって、人類は初めて地球上で他の生き物を益する生き物となるであろう。
3・この構造転換は、社会と市場経済の間をつなぐインターフェイス構造の大規模な復活を誘発し、経済の構造も変えていくであろう。
4・「第8次エネルギー革命」の産み出すものは、人類の心の本性との親和性がきわめて高い。
「第8次エネルギー革命」は、科学に内在する過激な抽象主義をゆっくりと変質させていくだろう。
(引用ここまで)
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夢見られているのは、ユートピアであり、そこに到達するのは容易なことではないと思われます。
かつて人類が無垢であった頃の世界が、夢見られているのだと思います。
人類はこれから、原発を廃止して、自然エネルギーを用いて、生態圏を蘇らせ、他の生物と共存しよう。
そして社会と市場の間に生き生きとした関わりを作りだそう。
過度の科学偏重をやめて、人間の心の本性に基づいた社会と経済を作りだそう。
そのような社会を、どのようにして作るか、という方法論の部分がちょっと面白みに欠けているように思いました。
アジテーションの名手ならば、ここはもう少し力を入れているはずの部分でしょう。
著者の改革の具体策がぼんやりしているので、読後の印象が弱いのですが、それは多分、著者独特の品の良さなのだろうと思います。
つまり著者の心の中では、それはすでに成就しているものであり、はげしい渇望の気持で書いているわけではない、という印象を受けました。
続いて著者は、その改革は日本という場所でおこる必然があるのだと語ります。
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(引用ここから)
このような大きな転換は、日本でこそ起こらなければならない。
大転換は日本文明を、むしろ文明としての自分の本性への立ち帰りを実現することになる。
日本文明は、ユーラシア大陸が自らを太平洋に押し出して作りだした「リムランド(周縁のクニ)」の列島上に形成されてきた。
ユーラシア大陸の中心部からはずれた周縁のリムランドであったこと、プレートに内包された運動エネルギーのあやうい均衡の上に列島があることは、日本文明の本性にも大きな影響を及ぼしてきた。
リムランド型(周縁)文明はグローバル経済や原子力発電とは、もともと異質な本性を持っていたのである。
グローバル型の資本主義にせよ、原子力発電の設計思想にせよ、中心部の文明にはふさわしい発想であるかもしれないが、明らかにリムランドの文明には適合しない。
それを無理やりに適合させようとすれば日本文明は土台からの破壊にされされていくことになるだろう。
それゆえに、「第8次エネルギー革命」の可能性は、日本文明にとっては大きな僥倖なのである。
(引用ここまで)
*****
日本文明が崩壊しかかっているのは、日本人が日本人本来の性質になじまない資本主義経済に自分をゆだね、無理やり適合させようという力に圧迫されているためである、と書いてあります。
ですから、“原発事故により日本は危機に陥った”という風には考えられておらず、“日本は原発事故を契機に、原発や資本主義に無理やり適合させられることを拒否しよう”、と筆者は述べているのだと思います。
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(引用ここから)
どんな文明も、自分を作り成している大もとの原理に帰るのではなければ未来への可能性を自ら開いていくことはできない。
「第8次エネルギー革命」の原理は、おどろくほど日本文明の生成原理と似ている。
そのためエネルギー分野での方向転換によって、文明の深層部には新しい活力が注ぎ込まれ、さまざまな領域に新生の芽吹きがはじまる可能性が予見できる。
原発の開発と共に進んできた「第7次エネルギー革命」の時代はゆっくりと衰退への道に入っていく。
それに代わって、生態圏の生成の原理に立ち戻って、そこに別の豊かさを取り戻そうとする「第8次エネルギー革命」の時代が隆起する。
それに連動して、経済の思想が根底からの転換を始める。
社会は再生への運動を始める。
日本の進むべき道は、今やはっきりと前方に見えて来ているのではないか。
(引用ここまで・おわり)
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おそらくこの本は、著者から日本文明への、ラブレターなのでしょう。
著者は、日本の古代や、縄文時代や、周辺に存在するひそやかなものたちや、アジアに広がる仏教思想や、欲得ずくでない人々が作りだすユートピアを、熱烈に恋しているのだと思いました。
それにしても、「日本文明の生成原理」と著者が指摘している原理について、もう少し考えたいと思いました。
そこがはっきりしないと、著者が言いたいことがよく分からないからです。
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