西方においてはミトラス神となった太陽神ミトラは、東方においては弥勒となったのか?ということについて、できるかぎり調べてみたいと思いました。
前回は「弥勒下生経」を紹介しました。
仏陀の後継者として、仏陀が指名したという「弥勒」なる未来仏。
この未来仏はいつ、どのような経緯で生まれたのか、という問題をめぐって再び、宮田登氏が編纂した「弥勒信仰」という論文集から、鈴木中正氏の「イラン的信仰と仏教の出会い」という論文を紹介したいと思います。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
また、弥勒とミトラ神、ミトラス神という問題は、マニ教が東方でどのような展開を遂げたのか、という問題とも重なってくると思っております。
*****
(引用ここから)
さて、上のような全体的構造の中で説かれる「弥勒下生説」を分析すると、次のように理解される。
第一に、ミロクは「転輪王」という人物によって統治される政治的物質的世界に出現して人々を救済する仏である。
第二に、そこに至るまでの正法、像法、末法という3つの時間帯を経過する。
第3には、その末法の末に「仏法の滅尽」という危機が訪れる。
第4には、末法の間に3回の大厄災が生じ、人間の生活は危機にひんする。
第5に、弥勒仏は現実に存在する山において釈迦仏の大弟子、大迦葉(マハーカーシャパ)と相愛し、仏の袈裟を受け取るとされる。
これによって弥勒下生の予言に具体性が与えられ、実感をもって聞く者にせまることができる。
また、久遠の過去において「燃燈仏」が釈迦仏の成道を予言した、とする教説も関連する。
明清時代の中国民間宗教運動において、過去を燃燈仏、現在を釈迦仏、未来を弥勒仏の掌教とする信仰は多くの宗教結社に共通し、すこぶる重要な意義を持つ。
弥勒仏に関する最古の仏教文献とみられるのは、パーリー文「スッタ=ニパータ」の「彼岸道品」における下記の所説である。
コーサラ国のバラモン、バーヴリーは悩み事を解決するために16人の弟子を釈迦仏のもとに派遣した。
その筆頭が、アジタ(無勝と訳され、勝たれざる者の意)、次が“チッサメッティヤ”で、16人の青年バラモンが釈迦仏に呈した質問とそれに対する応答が記録され、16人が仏の応答に満足して仏のもとに留まって梵行を修したとされる。
ここに見える「メッティヤ」が後の文献に出る未来仏・弥勒=マイトレーヤ(Metteya)であり、アジタは弥勒と同時に“転綸聖王”として出現するとされる人である。
弥勒仏信仰について掘り下げたE・ラモトは、アジタと弥勒の関係の変遷について次のようにまとめている。
第1は、バラモンの弟子であった弥勒とアジタ
第2は、釈迦仏より未来仏としての保証的予言を受ける弥勒
第3は、未来の転輪王となるアジタと未来仏となる弥勒の同時出現
第4は、アジタと弥勒との同一人物視
第一のものが最も早く、第4が最も遅いことは確かで、第3のアジタ・弥勒並存の形から第4の同一視の形への転換は、インド・西域地方において、仏教がギリシア、サカ、パルチア、クシャナなど諸民族と接触する中で起こったとする。
特にサカ人、パルチア人との出会いにおいてインド的仏教は大乗化にむけて多くの変貌をとげ、従来目立たなかったアジタと弥勒を未来仏・サオシャントの姿をもつ救い主に変形するにいたったと見る。
彼の結論の要点は、従来性格の明らかでなかった仏弟子アジタとマイトレーヤ―はイランのミトラ神との出会いによって、メシア的な神格と結びついたとする。
すなわちゾロアスター教のミトラ神は太陽神で、それがローマ領内に広まった場合、常に「無敵なる者」という形容詞を帯びて現れ、これはアジタすなわち“勝たれざる者”の語義と同じ意味である。
一方ミトラ神の個称はパーリー語で「メテーヤ」、ボン語の「マイトレーヤ」と共通の響きがある。
また、インド古典「マハーバータラ」の編纂された時代に、太陽をさす多くの個称の中にマイトレーヤという語がある。
これらを考え併せると、イラン世界のミトラ神と仏教との出会いの中でアジタとマイトレーヤが結びついたと見るべきで、マイトレーヤの漢訳語「弥勒」の発音は“マイトレーヤ”よりも“ミトラ”の方が、より近い音である、とされる。
(引用ここまで・続く)
*****
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マイトレーヤ 3件
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終末 12件
弥勒下生 3件
予言 15件
などあります。(重複しています)
前回は「弥勒下生経」を紹介しました。
仏陀の後継者として、仏陀が指名したという「弥勒」なる未来仏。
この未来仏はいつ、どのような経緯で生まれたのか、という問題をめぐって再び、宮田登氏が編纂した「弥勒信仰」という論文集から、鈴木中正氏の「イラン的信仰と仏教の出会い」という論文を紹介したいと思います。
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また、弥勒とミトラ神、ミトラス神という問題は、マニ教が東方でどのような展開を遂げたのか、という問題とも重なってくると思っております。
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(引用ここから)
さて、上のような全体的構造の中で説かれる「弥勒下生説」を分析すると、次のように理解される。
第一に、ミロクは「転輪王」という人物によって統治される政治的物質的世界に出現して人々を救済する仏である。
第二に、そこに至るまでの正法、像法、末法という3つの時間帯を経過する。
第3には、その末法の末に「仏法の滅尽」という危機が訪れる。
第4には、末法の間に3回の大厄災が生じ、人間の生活は危機にひんする。
第5に、弥勒仏は現実に存在する山において釈迦仏の大弟子、大迦葉(マハーカーシャパ)と相愛し、仏の袈裟を受け取るとされる。
これによって弥勒下生の予言に具体性が与えられ、実感をもって聞く者にせまることができる。
また、久遠の過去において「燃燈仏」が釈迦仏の成道を予言した、とする教説も関連する。
明清時代の中国民間宗教運動において、過去を燃燈仏、現在を釈迦仏、未来を弥勒仏の掌教とする信仰は多くの宗教結社に共通し、すこぶる重要な意義を持つ。
弥勒仏に関する最古の仏教文献とみられるのは、パーリー文「スッタ=ニパータ」の「彼岸道品」における下記の所説である。
コーサラ国のバラモン、バーヴリーは悩み事を解決するために16人の弟子を釈迦仏のもとに派遣した。
その筆頭が、アジタ(無勝と訳され、勝たれざる者の意)、次が“チッサメッティヤ”で、16人の青年バラモンが釈迦仏に呈した質問とそれに対する応答が記録され、16人が仏の応答に満足して仏のもとに留まって梵行を修したとされる。
ここに見える「メッティヤ」が後の文献に出る未来仏・弥勒=マイトレーヤ(Metteya)であり、アジタは弥勒と同時に“転綸聖王”として出現するとされる人である。
弥勒仏信仰について掘り下げたE・ラモトは、アジタと弥勒の関係の変遷について次のようにまとめている。
第1は、バラモンの弟子であった弥勒とアジタ
第2は、釈迦仏より未来仏としての保証的予言を受ける弥勒
第3は、未来の転輪王となるアジタと未来仏となる弥勒の同時出現
第4は、アジタと弥勒との同一人物視
第一のものが最も早く、第4が最も遅いことは確かで、第3のアジタ・弥勒並存の形から第4の同一視の形への転換は、インド・西域地方において、仏教がギリシア、サカ、パルチア、クシャナなど諸民族と接触する中で起こったとする。
特にサカ人、パルチア人との出会いにおいてインド的仏教は大乗化にむけて多くの変貌をとげ、従来目立たなかったアジタと弥勒を未来仏・サオシャントの姿をもつ救い主に変形するにいたったと見る。
彼の結論の要点は、従来性格の明らかでなかった仏弟子アジタとマイトレーヤ―はイランのミトラ神との出会いによって、メシア的な神格と結びついたとする。
すなわちゾロアスター教のミトラ神は太陽神で、それがローマ領内に広まった場合、常に「無敵なる者」という形容詞を帯びて現れ、これはアジタすなわち“勝たれざる者”の語義と同じ意味である。
一方ミトラ神の個称はパーリー語で「メテーヤ」、ボン語の「マイトレーヤ」と共通の響きがある。
また、インド古典「マハーバータラ」の編纂された時代に、太陽をさす多くの個称の中にマイトレーヤという語がある。
これらを考え併せると、イラン世界のミトラ神と仏教との出会いの中でアジタとマイトレーヤが結びついたと見るべきで、マイトレーヤの漢訳語「弥勒」の発音は“マイトレーヤ”よりも“ミトラ”の方が、より近い音である、とされる。
(引用ここまで・続く)
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