始まりに向かって

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南米クスコの地下トンネルはどこに続いているのだろうか?

2009-01-25 | その他先史文明
前回の続きです。

エハン・デラヴィの「太陽の暗号」という本に紹介してあるフランス・バスク地方の古い十字架の塔について考えます。

前回までをまとめると、以下のようになります。

錬金術師フルカネリは、「アンダイの周期十字架」のコードと、大カタストロフとが関係していると考えました。
またそのカタストロフは二つ重なって起きると解釈しました。
北半球は火によって浄化される、とも解釈しました。
そして「われわれは、この二つが重なり天変地異が起こる時でさえ、死が人間に達しない場所があることを知る」という意味を見出しました。

フルカネリの解釈をさらに研究したウェイドナーは、十字架に刻まれた文字から“死が人間に達しない場所”とはどこかを探り、「命はただ一つのところに逃れる。最後の審判、クスコの洞窟」という文字を読み説きました。

西洋のヘルメス学で、南米ペルーのクスコという地名が登場するのはなぜなのだろうかと不思議な気がしますが、エハン・デラヴィ氏は、

「たしかにわたしも、ペルーを訪れた際、クスコの周辺にとても古い巨大な洞窟システムが地下深く眠っていることに気付いた。
ここが最後の審判の時に、世界で唯一被害に遭わないと予言された場所なのだろうか。」
と感想を述べています。

ペルーのクスコといえば、かつてのインカ帝国の都であり、地下トンネルが張り巡らされている所だと聞いたことがありますが、それらの地下トンネルは今だにどこからどこにつながっているのか、またいつ、誰が何の目的で作ったのかも、はっきりとは分かっていないそうです。

HP「世界の不思議な遺跡たち」
http://phil.flet.keio.ac.jp/person/sakamoto/mirror/travel10.html
wikiインカ帝国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD

インカの伝説を見ると、地下トンネルにまつわる話がすぐにみつかりました。

「インカの太陽神“インティ”の伝説によると、太陽神は息子カパックとその兄弟たちをパカリタンボ (Pacaritambo) という洞窟からこの世に遣わした。

太陽神“インティ”は彼らに金の杖を与え、その杖が地面に沈む地に太陽の神殿を作るように指示した。

息子達はママ・オクリョたちとともに地下の道を通ってクスコに行き、父“インティ”を讃える神殿を建設した。
クスコへの旅の途中、何人かの兄弟は石になり、偶像になった。」

という伝説があります。

太陽神“インティ”の息子は洞窟からやってきて、地下道を通ってクスコの都に出たのです。

今もなお縦横に広がっているというクスコの地下トンネルは、彼らのやってきた道なのかもしれないとも思います。


地球には地底の世界があって、隠された智慧を護る秘密の賢人たちや超人的な種族が、秘密の地下都市あるいは空洞地球の内面に住んでいるという説が根強くあります。

それらの説によれば、南極、北極、チベット、ペルー、シャスタ山(カリフォルニア州)などはすべて、これらの地下の領域への入口となっており、互いに行き来できるのだとされています。

レイモンド・バーナードの「地球空洞説」には、インカの町は次のように描写されています。


        *****


地球の地殻は、大陸から大陸へと大洋の下をくぐりぬけて網の目のように張り巡らされたトンネルで、さながらハチの巣のようになっており、それが地球内部の大空洞に存在する地底都市群に通じていると言われている。

これらのトンネルは特に南米に多く、中でもブラジルに集まっている。

こうしたトンネルの中で最も有名なものはインカの道路で、ペルーのリマからクスコの地下を通り、チアワナコ湖からスリーピークスを過ぎて
アタカマ砂漠まで全長1000キロあまりに及ぶ。

チリのアリカからはもう一本枝道が通っていて、これはブラヴァツキー夫人(神智学協会創始者)も踏査している。

インカ人はスペインの征服者たちや宗教弾圧から逃れるためにこれらのトンネルを用いたと言われる。

彼らは敵の全軍が自分たちの国に入ってくると、スペイン人征服者たちが初めて現れた時にそうしたように、リャーマの背に金銀財宝を積んで逃げたというのである。

このときインカの民は忽然といずこかに姿を消してしまい、あとにはケチュア族のインディオだけが残っていた。

この不可解な現象も、これらのトンネルに入って行ったと考えれば謎が解ける。

このようなトンネルを作ったのは、インカ族がペルーに現れるはるか昔、チアワナコ文化を建設した民族(プレ・インカ)であったという。

スペイン人から逃れてこれらのトンネルに入っていったインカ人は、以来二度と姿を現さず、この地球の表面から消え失せた。


      *****


フルカネリたちが読み説いた十字架の文字
「二つが重なり天変地異が起こる時でさえ、死が人間に達しない場所がある」
「命はただ一つのところに逃れる。最後の審判、クスコの洞窟」
という文字の指す場所は、この地底世界へと続く洞窟と地下道のことを示しているのかもしれません。

この世界の地底に広がる地下道があるという伝説は、西洋人の神秘主義者、神智学協会創始者ブラヴァツキー夫人たちをも魅了した、この世界をめぐる大きな謎の一つであるのだと思われます。


Wikiインティ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
wiki地球空洞説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E7%A9%BA%E6%B4%9E%E8%AA%AC

wikiプレ・インカ文明

インカ帝国も含めて鉄器文明に到達せず、新石器時代[1]のまま過ごしたが、その一方で土器は独特の進歩を見せ、各々のプレ・インカ文化ごとに特徴ある土器が発見されている。

しかし後世の人間が副葬品として死者とともに埋められた土器を発掘、ワコと呼び習わし神聖視して祀る風習を持ったため、墓泥棒(職業的な盗掘人を「ワッケーロ」という)などにより遺跡が荒らされ、これら土器の多くもワコとして家庭に祭られたり土産物などとして販売されていたものが発見・保護され博物館に収蔵されることも珍しくなく、現在世界各地の博物館に展示されているナスカ文化の土器のほとんどがもとをただせば盗掘品といわれているなど、出土地域が不明な遺物が多い。

ナスカの地上絵で知られるナスカ文化もこのプレ・インカの一つではあるが、その多くが独自の高度な文化を築きながら遺跡だけ残して消滅していることにもちなみ、考古学者から好事家や神秘主義者またはオーパーツ信奉者の注目を集め、考古学的な調査から様々な憶説・空想・サブカルチャー的情報までもが乱れ飛んでおり、加えてラテンアメリカというイメージから、人種的にも連続しない中米の古代文化と混同する者までいる。

ただプレ・インカの文化・文明はヨーロッパ地域の文化・文明と完全に断絶して発展を遂げてきたこともあり、その独自性は中米の古代文化と並んで、21世紀初頭にあってなお考古学分野の重要で解明されきっていないテーマの一つである。


写真は太陽神“インティ”
コメント
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