「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

没頭せねば…

2009年12月15日 04時29分49秒 | Weblog
 
教材研究Ⅱの課題が進まない

課題をこなして試験勉強に移らないと
卒業が危うくなる

没頭せねば…


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スターが消えた日

2009年12月14日 15時16分41秒 | Weblog
 
長いこと芸能畑で食ってきた
海外を含めいろいろな俳優や
歌手たちを取材してきた
その経験を知った若い人から
「どうすれば俳優になれるか」
「歌手になる方法は?」と聞かれる

普通の業界の人間なら
「才能次第」と答えるだろう
だが僕は、そうは答えない

俳優志望には
「まず、古今東西の本を読み、走ること
 そして、一日も欠かさず声を鍛えること」
歌手志望には
「とにかく本を読むこと
 そして一日も欠かさず声を鍛えること」

本を読むことは思考することだ
思考力の無い芸術家は大成しない
そして本を読むことは
本物の人間ドラマを体感することだ
古今東西の読者の心揺さぶった
本物の感動を知らずして
芸術家にはなりえない
つまり教養の裏打ちが必要なのだ
その裏打ちが演技にも歌にも現れる
その上で厳しい肉体の訓練を繰り返すのだ
そういった努力の末に
「食える」俳優・歌手になれるかは
その人の運と才能、そして魅力による

これは僕の持論だ

しかし、昨今は事情が違ってきているようだ

セリフの滑舌が悪く
何を言っているのか判らない人
ジム・キャリーのように
顔面筋肉ばかりを動かし
“演技”されている人
体を鍛えていない人
ホイットマンを諳んじたことがない人
そして、シェークスピアはおろか
ニール・サイモンさえ読んだ事の無い人

歌手ならば譜面の読めない人
音域が1オクターブしかない人
つぶやきしろう氏より声が出ない人

こんな人たちが「俳優」「歌手」を名乗り
工場で汗する熟練職人より高給を貰っている

釈然としない思いがあった

過日、評論家の山崎正和氏と
東大教授の姜尚中(カン・サンジョン)氏の
対談を読み合点がいった

“いまの群集は、憧れの存在や権威を拒否している
 絶対に辿り着けない存在を嫌い
 自分でも手が届きそう存在を求めるようになった
 訓練をつみ人並み外れた
 能力を持った人を認めたがらなくなった
 その結果、世界に通用するスターは皆無となり
 タレントだけが残った”(要旨)

もちろん、世界を相手にしている
アスリートの世界では
この論は当て嵌まらない
あくまでも国内の話だ

両氏の対談で思うことは
厳しい訓練を嫌い
その訓練に挑む人を
自分の低い次元に
引きずり落とそうとする
群集の心の傾向だ

少し飛躍するが
他人の幸福をうらやみ
他人の不幸を喜ぶ傾向と
何やら繋がっている気がする

こんなことでは
世界に通用する
日本人の本物のスターは
望むべくも無いと思うのは
僕だけか…


写真は、言わずと知れた
女優オードリー・ヘップバーン
(Audrey Hepburn)
1929年5月4日~1993年1月20日
映画出演は少なかったが
その作品で彼女は世界を魅了した
因みに、彼女のバレエの技術は
世界的レベルだったとか
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やっぱ ダサイ?

2009年12月13日 17時27分36秒 | Weblog


上のイラストは
女性から見た
ダサイ男の典型の格好とか
これらのアイテム一つでも
身に着けていれば
「ダサイ人」なんだそうだ

因みに僕も首から携帯を下げ
左の胸ポケットに仕舞っており
更に長年愛用の黒いウエストポシェットをしている

でもね

ダサくて結構なのだ!

別に若い子に
  好かれたいなんて
     思っていないのだ!


ハァハァハァ…

携帯下げるのよそうかな…ボソッ
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日本の教育&児童労働問題

2009年12月12日 00時03分37秒 | Weblog
 
貧困ゆえに学校へ行けず
幼い時から労働を余儀なくされ
そして賃金を搾取される子供が
世界には数億人もいるという
この子達が大人になると
搾取する側に廻るという悪循環が起こる

教育の無い彼らの理論は単純だ
「俺たちも搾取されてきたんだから
 今度は搾取するのは当然だ」

こんなことは許されない

更に、だ
子供の人身売買(臓器目的も含む)や
性の対象にする鬼畜もいる
吐き気がする
日本にも鬼畜は多い
個人的には死刑にしたいくらいだ



こんな悲惨は一刻も早く
解決しなければならない

子供たちを過酷な労働から解き放ち
宗教や一つの政治的思想に偏ることの無い
キチンとした教育を受けさせるべきだ
それが悪循環を断ち切る唯一の道だ

その財源として、大国の軍備予算のうち
ほんの数パーセント、否、1%でもいい
世界の子供たちのために使うべきだ
それが軍備の必要の無い平和社会に繋がる



原始時代と違うのだ
人類は成熟期に入ったはずだ
ならば、第一に子供の将来を
真剣に考える社会にならなければならない
そうしなければ自滅だ

  個人的に僕は
  大学を卒業した暁の4月以降
  子供の教育のため
  真剣に戦うつもりだ
    

さて、日本では児童労働問題はない…ように思える
教育に関しても、義務教育が整っている
だから最低限の教育は受けられる…
それゆえに日本の子供は幸せだ…?

しかし、実際はそうだろうか
本当に、最低限の義務教育だけでいいのだろうか
また、日本の教育は“正しい教育”なのだろうか


話は変わるが…
子供を見世物の商売道具にすることで有名な
某ジャニーなんだか事務所に所属していた
元タレントが、ネットカフェで窃盗容疑を起こした
逮捕されたのは、元のグループメンバーで
首都圏に住む17歳と18歳の無職少年2人
2人は「遊ぶ金欲しさに、10月以降
約20店のネットカフェで現金など
約50万円を盗んだ」と容疑を認めている

それ以前にも、ここの事務所に所属していた
子供タレントが大人になり薬物事件を起こしたり
詐欺事件を起こしたりと、問題が絶えない

その理由は何処にあるのか

日本には「芸事」に対する考えがある
“芸人は学校など行かなくても
 ただ芸事に一心になれば良い”…と

だが、現代において、それは正しくはない
芸人である前に“正しい人間”であるべきなのだ
これは、どんな世界にも言えることだ
「相撲取りである前に常識人であれ」
「法律家である前に正義の人になれ」
「政治家になる前に哲学を学べ」と…

事務所は、子供たちに対して
大人に気に入られる礼儀や
芸能人用の挨拶の仕方は教えても
これらの大切なことは教えていない
ましてや、大学へ行けなどとは決して言わない
そして、歌や踊り(それも低レベルの)に励むことを要求する

その子供たちが舞台に出て
「稚拙」な歌と踊りを披露すると
お姉ちゃんたちが、大丈夫かと思うくらい
異常に「キャーキャー」騒ぐ
中には40代のオバサンもいる
子供たちは「大人の世界」に入ったつもりになり
イッパシ気取りで肝心な勉強を怠る

それで…もし才能がないと判れば
事務所は容赦なく切る
その、切られた子供が
上記のような犯罪者になったとしたら
悪いのは子供だけだろうか

こういう体質を指摘する識者は少ない
ましてや芸能界や放送局には皆無だ
彼らは、それが“飯の種”だからだ

自分たちは国立大学を出て
放送局のブースから見下し
無学な若者を見世物にして
高給を取る…

子供のうちから過酷な労働を課せる
後進国の無学な大人たちと
行動と思考は全く同じだ

一体、日本の高等教育とは何だろう?

国立大学を出た人間が人殺しをしたり
体の不自由な人間は人間でないと言ったり
国民の血税を私腹する彼らは
一体どんな教育を受けたのだろう

自分だけがよければ良いという生き方は
無学・無教養の人間特有のものなのだが…
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俺が最高権力者だ 文句あっか!?

2009年12月11日 08時03分32秒 | Weblog
 
民主党の小沢一郎幹事長が
小沢ガールをはじめとする
新人国会議員143人を含む
総勢600人を越す訪中団を引き連れ
中国の胡錦濤国家主席と堂々の握手

力の誇示 最大限!

正に「我が世の春」

世界制覇も夢じゃない勢い

一方、その頃
インドネシアのバリ島では…



「会って戴けると有難い」と思っていた
オバマ大統領にも結局袖にされ
ゴルバチョフからも
「道を歩めるものは
 今の一歩を歩めるものだ」
なんてインドの諺で説教され
「不況は僕のせいじゃないのに」
なんて言ってヒンシュクをかい
お坊ちゃま育ちの自分の
力の無さ、不甲斐なさを呪いつつ
ついでに口の軽い弟にも怒りつつ
そんでもって絶対権力者の
小沢の偉そうな態度にもイラつきつつ
「聞いて聞いて、僕、総理なのよ」と言っても
誰も聞いてはくれず
ほんでもって
本当に聞いていなかった誰かのスピーチに
拍手する総理なのだった…

「…♪ ポッポッポ~…僕、総理~

        ハァ~」

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正しい「共食い」と間違った「共食い」

2009年12月11日 05時45分03秒 | Weblog
 
米国が率いる国際的な科学調査で
気候変動の影響か、ホッキョクグマが
狩りをする北極圏の氷原が溶け
エサが無いために共食いをするクマが現れたという
そのため、ホッキョクグマの生息数が減少している

写真は、オスのホッキョクグマが
子グマの頭部をくわえている写真だが
見るに耐えないので加工した

全く愚かなことだ
環境のせいといえばそれまでだが
どんな理由でも共食いは
その種を破滅させる
やはり愚かな畜生は
絶滅するしかないのか…

そんなことを考えていたら
ハッと気づいた

人間も同じことをやっている
同じ人間同士で殺しあっている
世界のあちこちで殺しあっている
どんな理由をつけても
共食いとなんら変わらないではないか
そこに「正しい共食い」と
「間違った共食い」なんてない

このホッキョクグマは
現代の人間の姿そのものだ
そう思ったら寒気がしてきた…
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対照言語学レポート完成!

2009年12月10日 15時27分52秒 | Weblog
 
ようやっと対照言語学の
課題レポート2通が完成した
後は 教材研究Ⅱの2通のみ
ゴールが見えてきた

しかし油断は禁物
1月にある社会言語学と
難関の文法Ⅲの試験に
なんとかパスしないと
晴れの卒業は迎えられない

頑張ろー!
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世界人権デー

2009年12月10日 05時25分00秒 | Weblog

 
今日は「世界人権デー」の日だ

これは、1948年12月10日の国連総会で
「世界人権宣言」が採択されたことに由来する
そこに謳われているのは
「すべての人民とすべての国民が
 達成すべき基本的人権」についてだ

前文には
「人権の無視及び軽侮が、
 人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、
 言論及び信仰の自由が受けられ、
 恐怖及び欠乏のない世界の到来が、
 一般の人々の最高の願望として宣言された」とある

そして
「すべて人は、人種、皮膚の色、
 性、言語、宗教、政治上その他の意見、
 国民的若しくは社会的出身、財産、
 門地その他の地位又はこれに類する
 いかなる事由による差別をも受けることなく、
 この宣言に掲げるすべての
 権利と自由とを享有することができる」と書かれているのだ

しかし、だ
あれから60年以上も経つというのに
この条文が守られているというのを聞いたことが無い

自分の、そして他人の「人権を守る」ことが
人間としての基本ではないのか
その基本のない者に
参政権や報道権を
与えるべきではない
聞いているかね、某市長!
そして売文屋&報道屋!

ウム…さて…怒りを抑えて…

上の写真は、有名なローザ・パークスさんだ
今から約55年前
そう、「世界人権宣言」が採択された7年後
それが発表された同じ米国で
当時43歳の彼女は逮捕されたのだ

理由は、バスの「白人専用席」に座ったから…

それは1955年12月1日
アラバマ州モントゴメリーで起こった
彼女は帰宅のためバスに乗り
人間として当然の権利として椅子に座った
するとバスの運転手は舌打ちして怒鳴った
「おい、お前。そこは白人専用席だ」

当時の米国には人種隔離法という
信じられないような法律があったのだ

だがパークスさんは拒否した
「嫌です。ここに座るのは
 私の当然の権利です」と

たったそれだけのことで
彼女は逮捕された



これを知ったアフリカ系米国人は怒る
白人を全員皆殺しにしようという男たちも現れた
しかし、これを制したのが
若きマーティン・ルーサー・キング牧師だ
「強く抗議しよう。ただし非暴力でだ」と…

そして、有名な「バス・ボイコット」運動が始まった

当時を知る人は語っている
「銃で脅されたり、
 ツバをはきかけられたりもした
 だが耐えた
 キング牧師の強いリーダーシップがあったし
 何よりローザがいたから」




この戦いは1年以上も続き
パークスさんは裁判所に訴えた
「人種隔離そのものが違法だ」と

当時の人種隔離法はヒドイものだった
例えば帽子を買う際にサイズを図るが
アフリカ系米国人だけ
頭からストッキングを被せられた
それは、白人の帽子職人が
彼らの肌に接触しないように、という理由からだ
レストランも入れない
エレベータも荷物用を使わされた
これが法律だったのだ
パークスさんはこれに抗議した

翌年に連邦最高裁が判決を出した
「人種隔離は違法である」と

この運動がきっかけとなり
64年に公民権法が制定されたのだ

それから45年後…
米国に初のアフリカ系の大統領が誕生した
パークスさんの勇気がなければ
オバマ大統領はいなかったに違いない

「公民権運動の母」といわれた
ローザ・パークスさんは
2005年10月24日
老衰のためデトロイトの自宅で
静かに息をひきとった
崇高な92年の生涯だった


人権は人間の基本だ
それを守ることを
最大に優先されねばならない
自分の、そして他人の人権を守ることを

皆が本気でそう思うようになったとき
人権は守られていると信じていいときだ
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竹原信一市長のこと

2009年12月09日 16時04分34秒 | Weblog
ブログ市長として話題になっている
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長
この方のことは以下を参照

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%8E%9F%E4%BF%A1%E4%B8%80

さて、この人、自身のブログで
「高度医療のおかげで
 以前は自然に淘汰された
 機能障害を持ったのを
 生き残らせている」と書いたという

この人権感覚
体の機能に障害がある人は
人間ではないと言っているのだ
まるで動物扱いだ

(こういう人を市長にした
 鹿児島の阿久根市民は
 どういう人たちなのだろう
 今度市に伺って見てみたい)

僕から言わせれば
「市長の人間としての機能障害」を疑ってしまい
昔なら、「この人でなし!」と
自然淘汰された人種なのだが
現代ニッポンの人権と正邪に甘い体質が
彼を生き残らせている…と

彼は僕と同じ50歳
情けない

心の中に正しく真っ直ぐな軸がないと
こんな風になってしまうのだ
こういう輩と戦うのも
僕らのなすべきことの
一つと思ったのだった


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師走 弟子も師の背中を追う

2009年12月08日 17時58分38秒 | Weblog


タイトルに
「弟子も師の背中を追う」
としたが、大それた感がする

師は巨大なるがゆえに
その背中は見えるのだが
遥か遠くを走っている
そして、そのスピードも尋常じゃない

本当に、大それた感はあるが
遅い足で懸命に追いかけよう
少しでも近づこう

年々、師匠が巨大に思えてくる
人間は行動だと教えてくれた師
偉大すぎる師の背中を
ただ懸命に追いかけようと決意す

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君の名は?

2009年12月08日 06時21分10秒 | Weblog


2009年の赤ちゃんの名前
ベスト10が発表された

まあ、時代なのね
男で「~郎」や
女で「~子」が入って無い

どれもこれも
マンガのキャラの名前みたい…
と思うのは僕だけか
来年は「竜馬」や「乙女」
「龍(りょう)」なんて名前が流行るかも

1位の「凛」ちゃんが
「珍竹」家に嫁いだら
「チンチクリン」…可哀想
「さくら」ちゃんが
「彼岸」家に嫁いだら「彼岸桜」
アフリカの「ウバ」家に嫁いだら「うば桜」
そんな姓はないか 笑

因みに、ダウンタウンの
松っちゃんの娘さんは
「てら」ちゃんとか
将来、外国人と結婚して
「テラ・ザルトビッチンゲ」や
「テラ・エンゲルト・フンパァ~ディング」
そんでもって珍名の
「テラ・ノルトザウルス」
なんて名になったら
恐竜と間違われないか?

ウチに子はないが
もし生まれたら
男なら「金吾」か「頼基」
女なら「月満(つきまろ)」か
「経王(きょうおう)」がいいと思うのだが…
古過ぎてイジメに遭う?
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日本語の音訓読みについて 備忘録

2009年12月07日 15時40分30秒 | Weblog


日本語は世界の言葉の中でも
取り分け難解で
習得が難しいとされている

特に漢字の読みは
留学生にとって
(それが中国からの留学生でも)
本当にヤッカイなものらしい

何故か
それは「読み」のせいだ

例えば「下」という漢字には
12も読み方がある

カ、ゲ、した、しも、もと、さげる、さがる
くだる、くだす、くださる、おろす、おりる
(常用漢字表より)

我が大学の留学生の殆どが
「漢字の読みさえなければ…」と
嘆くくらい、この「読み」は難しい
世界の基準は1字1音だ
1字多音は日本だけなのだ
(中国語は1字に4つの発音はあるが
 読みは1つで同じだ。
 例えば「ア」も「アー」(平坦)
 「アー?」(上)「アー」(下)
 もうひとつ「アー」(捻り上がり)等)

日本の漢字は
何故にこんなに読みが
複雑になってしまったのか

それは仏教伝来に由来する


さて、驚くべきことに
古来の日本には音声言語はあったが
それを書き表す文字が無かった

文字の基本は全て
中国から頂いたのである

(中国を見下したり馬鹿にする人たちは
 恩知らずと言われても仕方が無いのだ
 彼らの文化が入ってこなければ
 今日の日本語文化はない
 謝謝、中国 なのだ)

ある日、中国から
仏教を伝えに僧がやって来た
持ってきた仏典は当然、漢字で書かれている
日本人は思った
「なんじゃ この絵でもない
 線のグチャグチャは…」
僧は言う「これ、文字でっせ」
「モジー?」
僧は腰を抜かす
「アンタ…文字知らんのでっか?」
「知らんわ…」
「なら、どうやって
 考えや、教えを伝えるんや?」
「口移しや…喋って伝えるんや」
「はぁ…アフリカの口承文学ってやつと同じやな」
「アフリカって、何?」

と、まあ、こんな感じだったかどうかは不明だが
こうして日本人は漢字という文字を手に入れた
(因みに…日本最古の歴史書とされている
 「古事記」は、親から子、師匠から弟子に
 昔から口承で伝えられてきた“物語”を
 外来文字で書き表したものなのだ
 漢字が渡ってこなければ伝説は消えていたかも…)

昔から日本人は原理を考え
生み出すのは苦手だったが
基本となることを習うと
それを自分のものにし
更にアレンジを加えるのが得意だった
そして独自のものに変化させ
世界を驚かせるのだ

漢字も同じである
(日本で創作された漢字が
 中国に渡って使われているものもある
 例えば「働」だ)

さてさて、漢字は象形文字
(絵文字・いま若い女子の間で
 再び絵文字復興が図られているが…)
が変化したものだが
その画数の多い漢字を書くのが
スゲェー面倒と思った日本人は
次第に漢字を崩していった
例えば「安」を「あ」に
「衣」を「え」に
「女」を「め」にといった風に…
こうして、平安時代の初め頃に
「ひらがな」が誕生した

と…同じ頃、カタカナも生まれた
これは漢字を崩すという発想ではなく
漢字の一部を使い表したもの
例えば「利」の右だけを使った「リ」
「曽」の上の点々だけを頂いて「ソ」という風に
いわば漢字の省略版だ

こうして、漢字のほかに
平仮名とカタカナが生まれた
これが また日本語を
難しくさせる原因にもなるのだが
(因みに…平仮名が知識層に定着しても
 公的なものは全て漢文
 女性のみが平仮名を使った
 この平仮名に初めて市民権を与えたのが
 「古今和歌集」の選者、紀 貫之だ
 彼は「古今~」の序文を全て平仮名で書いた
 市民権を得た平仮名はその後急速に広まる
 紫式部の書いた世界最古の長編小説
 「源氏物語」は、全て平仮名で書かれている)

ほんでもって、問題の「読み」に戻ると…

漢字は一気に日本にやってきた訳ではない
いや、そう書くと誤解がある
漢字の全ては一気にやってきた…が
やって来た年代ごとに
「読み方」が変化しているのだ

最初の輸入期、5~6世紀頃は
中国では南方の揚子江下流近辺の
呉が栄えており、その時の発音を
「呉音」というのだ
例えば「呉音」では「行」を「ギョウ」と読む

次に7~9世紀頃
当時栄えていた長安や洛陽へ
遣唐使や留学生が大勢押しかけた
その当時の発音が「漢音」といい
「行」を「コウ」と読んだのだ

更に鎌倉時代以降
禅僧らが中国から持ち帰ったのが
「唐宋音」といわれるもので
「行」を「アン」と読んだのだ
「行脚」「提灯」「杏」「椅子」など
全て「唐宋音」である

時代と共に伝わった三代の「音読み」が
現代でも残り、更に「日本語読み」の「訓読み」も加わり
日本語の読みは複雑になってしまった…という訳


ところで…
「お経」は「音読み」が原則だ
例えば「ミョウホウレンゲキョウ…」
これを「訓読み」で言うと
何やら変なおまじないみたいになってしまう
「たえのりはすはなけい…」

お経だけは音読みオンリーが良いようだ

インド・釈迦が説いた仏教を
中国語に翻訳したのが鳩摩羅什だ
彼は聖なる経文を我見で汚すことなく
後世に伝えようと必死で翻訳した…

ん…?
もしかしたら

翻訳元のサンスクリット(梵語)の発音に
最も近いのが音読みなのでは…???

と、いうことは…
おーーー!
数千年前に
釈迦が説いた経文そのままの音を
日本語は伝えているのだ
こんなに複雑な言語の意味が判った
なるほど、繋がった!
意味があったのだ
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今年最後のスクーリング

2009年12月07日 12時53分30秒 | Weblog


今年最後のスクーリングに出席する
授業は「文字・表記」
実に興味深い内容だった
テストもまあまあ
この日の富士のように
気分も晴れ晴れであった

ところで昼間
ニューロアールで
美味しい(?)ランチを食べていたら
何処からか、躍動的な
沖縄ンチックな音楽が聞こえてきた
急ぎ食事を済ませ
音のする記念講堂近辺に向かう

と…



学内の沖縄舞踊サークル
の発表会のような催しが





素晴らしい躍動感
はちきれそうな生命力

見とれてしまったのであった

若いっていいなぁ~

その後、皆で学生歌の大合唱

僕は学生歌に弱い
イントロが聞こえただけで鳥肌が立ち
「♪く・れ・な~い」のフレーズで
胸の奥から感動がこみ上げ
1小節歌っただけで涙が溢れる

涙が溢れるのを見られたくなくて
僕はその場をソッと後にした
背後から感動の学生歌が追いかける
その歌を小さく口ずさみつつ
本部棟に向かったのだ

本当にこの大学に入って良かった
学生歌を歌いながら 心からそう思った

♪ 紅群れ咲く つつじの丘を
  白蝶あそこに 喜び舞いて…

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人権週間

2009年12月04日 16時13分43秒 | Weblog

 
レオナルド・ダ・ビンチ曰く
「人間の生命を奪うことこそ
 凶悪この上ないことだ」

「まことに、生命を尊重しないものは
 生命に値しない」

殺人は人権を最大に冒すものだ
戦争や紛争、そして巷に溢れる暴力
人権をないがしろにする人間に人権は無い

人権を守ることこそが
全ての焦点だ
後は枝葉なのだ

自分の人権ではなく
他人の人権を守る人になろう

人権週間に思う
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義妹、砧に舞い戻る! の巻

2009年12月03日 07時42分39秒 | Weblog
 
彼と別れたことで
一時実家に戻っていた義妹が
再び上京した…までは知っていたが

なんと!
いつの間にか!
姉にも内緒で砧に部屋を借り
ちゃっかり舞い戻っていたのだった

昨日、しばらく連絡がないので
カミサンが義妹に電話したところ
その事実が分かった

「何故に前もって言わなかったの?」
「お姉ちゃん 忙しそうだったから」
「(絶句)…」

新しい部屋は駅から近く
我が家とは自転車で数分の距離
お騒がせ義妹の
嵐のようなあのドタバタが
再び我が家を襲うのかと思うと
義兄としては頭を抱えるばかり

今年の年末は 
静かでは済まない…かも
カンベンしてね 涙
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