「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

NYの友人Kさんのこと

2011年09月15日 04時18分40秒 | Weblog
 
世界貿易センタービル(現在のグラウンド・ゼロ
“ground zero”)近くの最高級マンションの上階に
住んでいる友人のKさんは、前日が仕事で徹夜だ
ったため、10年前の“あの日”は少し寝坊した

腹に響く爆発音で目が覚めた。何が起こったのか
判らない。朦朧とした頭で窓の外を見た
ツインタワーの片方から火の手が上がっている
急いでテレビをつけた。「小型機が衝突したらし
い」との報道が流れている。小型機にしてはビル
の損傷が大きい。フロアーの半分以上が裂けたよ
うに傷つき、猛烈な火炎が噴出している

どのくらいの時間が経ったろうか。自室のベッド
に腰掛けたまま、彼は呆然と燃えさかるビルを見
ていた。すると…バッテリー・パークの海側(つ
まり南側)から爆音と共にジャンボ・ジェット機
が飛来し、もう片方のタワーに激突した

Kさんは声にならない声を発した
目の前で起こったことが信じられない
まるで映画の特撮を観ているようだったという
それから…彼は、もっと悲惨な光景を目の当たり
にする。火炎の暑さに耐えかねた人が、次々とビ
ルの各階から落下しているのだ
落下しながら、その絶望の視線と目が合ったよう
な気がしたという。彼は凍りつき、その状況から
目を離すことも出来ず、ベッドに腰掛けたまま
その“現場”を凝視続けた…


米国同時多発テロから半年後、僕は知人の安否確認と
テロの傷跡をこの目で見ようと、NYを再訪した
その際に、上記の話をKさん本人から聞いた
そしてKさんの案内で、グラウンド・ゼロに隣接する
彼の職場(日本でも有名な大企業だ)のビルに入れて
もらい、上階からあの現場を見下ろした。忙しくトラ
ックやブルトーザーが動き回り、多くの人々が遺体の
捜索に汗していた

つい9ヶ月前の年末、夫婦でNYを訪れたとき、セン
タービルの地下街で和食の店を見つけ、入り口にあっ
た「さんま定食」のメニューを見て「NYまで来てサン
マはないな」と笑ったり、少し迷ったので、掃除をして
いた中年のアフリカ系米国人に道を訊ね、その際に彼
が親切に案内をしてくれた事を思い出した
あの和食の店の人たちは無事だったろうか。あの掃除
の人は助かったろうか。そんな事を思いながら、階下
のグラウンド・ゼロを見下ろしたのだった

9ヶ月前、翌日のカウントダウンを控え、夫婦で世界
貿易センタービル最上階のレストランで夕食をとる予
定だった。だが、エレベーター前に中国系観光客の長
い列があったため、並ぶのが苦手な僕は「貿易センタ
ービルは無くならないよ。またNYに来たときに食べ
よう」と妻を説得して、別のレストランで食事をした
のだが、無くならない筈のビルが跡形も無く消え、深
い慟哭の暗いくぼみと化していた…


その夜、グラウンド・ゼロから少し離れた場所の一隅
に設置された、天に向かう巨大なサーチライトを見た

近くまで行き、その光を見上げたとき、お化けなど信
じない僕が、強い恐怖を覚えた。その巨大な光の柱が
無数の無念の魂が天に登った残像に思えたのだ


その半年後、つまりテロから1年後、僕は再びNYの
地を踏んだ。今度は妻と一緒だった。NY在住のミス
Tらと合流し、Kさんとも再会しようと思ったのだが
全く連絡がとれない。同じ日本人同士で交流もあるミ
スTも、この数ヶ月会っていないという。突然、極端
な人嫌いになり、職場の人間以外との交流は避けてい
るらしい。原因は、テロ事件のフラッシュ・バックだ
と思うとミスTは呟いた。落下する人と目が合った彼
の恐怖は、時と共に増大し、精神の安定が揺らぎ始め
ているらしいのだ。半年前は、その兆候は全くなかっ
たのに…
あれから9年の時が過ぎた。未だにKさんとは連絡が
とれない。早く、元の彼に戻ることを祈っている
コメント
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