Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

田母神論文から回想される「三島由紀夫」の美学?

2008-12-13 14:50:45 | 教養・文化・歴史
 トーマス青木の盟友『ジェームス赤木君』から小論文が届いて3日になる。 一度は「書き直し」をお願いした。 その理由とは、まずもってテーマがでかすぎ、概ね時流は今流なれど、小論文の登場人物を辿っていけば半世紀もの長い架け橋が見え隠れしてくるし、政治&思想に限定の薀蓄か?と思いきや国際金融問題まで発展するからめまぐるしく、落着いて読めるしろものではなかった。 1日置いて再度メールが届き、再び論文が添付されていた。 書き直しの速さに驚いた。 生き方や政治的嗜好や思想等々、彼とトーマス青木はほぼ同一方向性と価値観を持った人種である。が、こともあろうに三島由紀夫先生を語った論文を書いてきたから驚いた。 我輩としても、未だ聖域として立ち入ってはならぬテーマが三島由紀夫割腹自殺に関連した神々しき論陣であり、さりとて耽美主義に浸りきった自己敬愛主義者として三島像は、是をアンバランスの真骨頂として我が思考回路からはみ出している。 『憂国の師』的側面は尊敬に値し、芸術家ならびに文学者としての三島は評価し切れず、未だ未解決の領域に存在する人物なのである。 正直言って下手に取り扱いたくない歴史上の人物なのである。 なのであるけれども、あろうことかジェームス君が(2度に亘り)書いてきたから掲載することにした。 ジェームス君の『本気さ加減』に動かされたが、さて、思いのたけをぶちまけて文章にし、一旦人目に晒したらどうなるか? 晒した其処には、まず責任が生ずるから、他人様の批判や攻撃を受け切れるだけの理論的根拠を踏まえた文面でなければならぬ。 その自信の程は如何か? 時に自信に満ち溢れ、時に劣等感に苛まれ、時に喩えようのないジレンマに陥り自己嫌悪の坩堝に嵌る。 口角泡を飛ばし、言いたい事を無責任に音声的言語にて発するはたやすい。が、いざ書き物にすると是がなかなか出来ない。 僅か一年間でもって、ここまで書けるようになったジェームス君の感性と能力に驚きつつ、昨日投稿『作家三島由紀夫の考察』を再び読み返してみることにする。
  (by えせだんしゃく)  

 PS:ジェームス赤木氏のこと、既にエセ男爵ブログにて掲載済み。(こちらをご参照下さい・・)