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前防衛省航空幕僚長空将・田母神敏雄氏論文のこと(2)

2008-12-09 10:55:30 | 教養・文化・歴史
  田母神論の文全文を読み終え、最初の感想がある。

 一言でいえば、論文として書かれた内容はいとも平易。 田母神氏はこの論文の中で粛々淡々と近代現代日本の歴史を述べておられるだけであって、何ら(当時)現職軍人のトップの立場に支障をきたすであろう内容は、この論文から一言一句も伺えない。

 だから、何も目くじら立てて日本全国TV放送ではやし立てたり、防衛大臣が見解を求められたり、国会の予算委員会で田母神氏ご本人を引っ張り出してまで証人喚問的質疑応答をやったりする必要性は全くない。 それほどまでにしなければならぬ現代日本の常識が非常識であって、ここまでくれば異常と思えるほど日本人社会の社会常識が幼児化したか、自分の国の歴史認識を忘却したとしか思えない『報道世界』及び『政治屋世界』の慌てぶりは、この田母神氏論文から出たものであった。
 この論文が問題として取り上げられて数週間、またまた日本人の幼稚さ加減が露呈した。 一度も論文に目を通していない(であろう)TVコメンテーターや、左翼系野党議員や与党自民党議員でさえ、この論文騒ぎに参加し、ひと悶着言わないと非常識人であると勘違いしたようだが、どっこい、そうはいかない。

 一億総日本人に目を覚ましていただきたい。

 しっかりと目を覚まし、自分の国家日本の近代史に目を通して欲しい。 そして今あらためて、田母神氏の論文に書かれている昭和史のいろはを学ぼうではないか!

 論文を読み砕いてみる。
 まずは時の政府(村山内閣を云う!)を挙げていとも簡単に『侵略国家日本』といいながら(何処かを侵略したと認めて周辺地域に詫びながら)、さて、侵略というコトバの意味は何か? 日本の世の中、侵略というコトバが解っていない。 まずは、『侵略の定義』をやっておられる。
 日米安全保障条約に基づき日本に駐留している米軍を『侵略軍』とは称さず、その軍隊を送り込んでいるアメリカ合衆国を『侵略国家』だと思っている日本人は誰もいない。 田母神氏は、この切り口から論文を書き始めておられる。 したがって「第①節」(拙ブログにて節①を設置し以後同類を使用す) さらに第②節に続く。 「第②節」はシナ事変当時の日本軍部とシナ大陸における蒋介石軍の日本軍に対する『テロ攻撃』の行為と、現在日本に駐留している米軍とを比較され理論構築されているから、解り易い。
 しかし、この第②節目こそ、我々日本人が歴史の教科書から抹殺されて久しい「シナ事変」(日中戦争)の歴史的事実が記されてあり、あらためてシナ大陸における日本政府の動きと当時のシナ大陸の為政者であった蒋介石及び毛沢東をめぐる政治的駆け引き、さらに田母神氏は、コミンテルンを背景に思想的な謀略がその時代を動かしていたことを述べられ解説されておられるに過ぎない。
 さて、
 田母神氏的歴史の史実認識が正しいかどうか?
 その認識とは、当時の日本軍がシナ大陸を侵略したかどうかについてではなく、当時のシナ大陸為政者権力者たちと日本軍の武力衝突の原因解明と状況掌握さらに結果について分析し、史実として、これを解明しなければならない。が、それは不可能に近いくらい難しい。 幸いにも、かの東京裁判資料が今も残っているはずであり、その資料を紐解けばおぼろげながらの答えは見つかるはずだ。 ご承知の通り、東京裁判は勝者が敗者を裁いた歴史上最も不当な国際的裁判であり、不公平に非人道的に日本の立場を裁いた結果に現在の日本国が存在し、そのために集約された資料の中には歴史の事実も収録されているはず。 不公平に収録された記録から、敢て、19世紀的欧米列強の狭間に在って国の存続を賭けた我国日本の辿った苦渋の政治的決断の数々を、昭和の近代史として、歴史的事実として捉え、詳細整理しなければならんと考える。 さらにGHQ編纂なる現行日本国憲法を改正しあらためて平成憲法制定に至るべし、、。と、田母神氏論文通読後の総括的感想としたい。

     <・続く・・

 (連載記事の前号「第1回」は、こちらから戻れます


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《参考資料》

 以下、『田母神氏論文より引用』した前半約1/5を切り取り、<その1>と題す。

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『日本は侵略国家であったのか』

 著: 前防衛省航空幕僚長空将 田母神敏雄

<その1>
 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われているが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは以外に知られていない。日本は十九世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追及されるが、我が国は日清戦争・日露戦争などによって国際法上合理的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配備したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、今も昔も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。①

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人やその家族などを暴行、惨殺するようなものであり、とても容認できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。一九三六年の第二次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発についに我慢しきなくなって一九三七年八月十五日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(乱暴で道理がない)を膺徴おうちょう(こらしめる)を以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。②


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