Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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ビバ!楽農大学(5)「牡蠣パーティー参加体験記」(3/5)

2007-02-24 12:15:00 | つれずれ紀行
<添付画像>:(楽農大学沖美町キャンパスにて「牡蠣パーティー」開催中の様子を切りとる・・)


宴たけなわ?いやいや、まだまだ、なにぶん、今からであるぞ、、、。
           パーティーは、始まったばかりである。。。

 参加者のみなさん、それぞれビール片手に海の幸and/or酒の肴を眺めつつ、焼き上がるのをお待まちかねである!!

 黙して酒を飲む「ムッツリ紳士」もいれば、四六時中喋り捲って漫談猥談途切れずして止む処ない「講談師」もどきの元銀行マンもいる。鍋奉行ならぬ「バーベキュー奉行」も存在し、熱々の牡蠣殻を皆の手元の皿に配るパーティー支配人や副支配人もいれば、学舎の台所で「牡蠣の炊き込みご飯」や「茹で蟹」など、忙しく調理するシェフもいる、、、。
 50歳代前半と見間違うほどに「若く見える御仁」もいれば、実年齢より10歳程度も老けて見える仙人心得もいるけれど、所詮全員間違いなく中学高校の同級生、、、。おそらく各々自分だけ、「中学や高校の時代」に逆戻りした気分であろう。仲間同士取交す会話は、生粋(きっすい)なる「広島弁」丸出しにて粛々と進行する。若しこの場所にて、赤の他人様等より傍耳立てられるなら、仲間同士大声で喧嘩していると勘違いされても仕方のないくらい「キツくて荒っぽい言葉使い」、戦場の十字砲火の如くに行き交いつつ、喧嘩もどきの喧騒騒音は周囲半径1キロに及ぶはずだ。何しろこの集落には人影見えず、時たま(半日に1回くらい)人と会ってもお年寄りばかりなり。さぞかし楽農大学の講義の或る日、その時間帯には、集落中の人々にご迷惑をおかけしているに違いない。しかし、万一、この喧騒が静かになったら、それこそ大問題である。このメンバーに於ける静寂とは、本当に仲間同士で揉め事の起きた証拠である?と、一番賑やかに「お喋り遊ばす」元銀行マン事務局長殿は断言する。
 「喧嘩しているように喋り捲っている時が、仲良くしている時である、云々・・・」
と、ご自身にて明言召さるるから、ォホ!おもしろい。


(上記掲載画像より、左から二番目の赤シャツ紳士こそ「事務局長」なり・・)


 さて、
     いよいよ焼きあがりつつある!?

 パーティー会場に、当日メンバー到着したのは午前10時30分頃。事務局長によるパーティー開催宣言、学長の挨拶、カンパイ音頭など、いかに仲間内と雖も儀礼的形式は守る。スタートしたのは、午前11時前か、、、。なんだかんだと理由を付け、諸事一般から開放され、週末から日曜日にかけて昼酒飲む「言い訳」を作っているに他ならないか。

 バーベキューセットは、前日より宿泊した選抜隊により早朝から「事前準備」されていた。何しろドラム缶を縦割りにした「バーベキュー缶」?(と、称すは「通称」か?)に適宜?シコタマ!炭を放り込み、いよいよ殻付牡蠣を中心とした「酒の肴」のバーベキュー?磯焼き?の、はじまり・・・



 もっと近くで「撮影」を試みたかった。しかし、危険であった。
 
 「パチ!パカァ~ン!」
             あるいは、
                 「ジュゥ~・・・ グツ・グツグツ・・・」
 
 猛烈な音をたて、牡蠣殻は突然口を空ける。すなわち炭火の強力な熱で、懸命に口を閉じていた牡蠣の筋肉が作用しなくなる。つまり熱地獄に耐え抜き頑張っていた牡蠣の命の絶えた瞬間の音である!
 牡蠣殻が口を空ければ、いよいよ準備完了。その時が一番の食べ頃。
 その点、サザエは非常におとなしく、巻貝の貝殻蓋から肉汁煮えてぐつぐつと、蒸気をたて始めれば食べごろのようだ。サザエの空きかけた殻をこじ開けるのには、それなりの道具と要領が必要である。メンバーの中には専門家の御仁!存在し、お願いすれば要領良くサザエの身を抜き出して下さるからありがたい。
 さらに、網の上には、ピチピチ跳ね跳ぶ生魚も置かれ「火あぶり」となる。牡蠣やサザエなど貝類のみならず、魚類も皆、生きたまま網に載せられるのである。
 傍で観ていて残酷この上ない。
 まずは、網に置かれた瞬間にピチピチと数回、身体をくねらす。網に置かれた片身が黒焦げになりつつも、まだ跳ね曲がる。跳ねとぶ活き魚を素早く火ばさみで掴み捕縛し、再度網に押付け焼き上げようと試みる手際の良さ。とくと見学しながら 「食べごろ」を待ちつつ、誰かが叫ぶ。 
 「おい!あそこの魚を、早く裏返しにせんかい!早く裏返しにして両面を焼いてしまえば、跳ねなくなるから・・・」
         (網焼き奉行は、忙しい・・・)
  「・・・!」
 そう云われれば、そうである。
 網の上で飛び跳ねる魚、みるにしのびない!
 上述のシーンを目撃していたK君は、隣に座っている我輩に向け、つぶやくように語りかける。
 「あれ!魚は、焼かれる時には熱いのだろうか?」
 我輩、答える。
 「いや、魚には『痛点』は存在しないと聞く。痛点無いということはつまり、魚は痛みを感じなく、熱さも感じないはず。だから釣り針が口に引っかかっていても痛くないそうだ。でもしかし、危険は感じるのだろうよ。炙り焼きにされる危険から逃れるために、跳ね跳んでるのか?・・・」
 等々、自問自答的?訳の解らぬ独り言風曖昧模糊なる返答をする・・・

 かくしてパーティーは始まった、、、。


 《・続く(明日連載記事)・・》