Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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やはり、二度みてしまった!「硫黄島からの手紙」・・

2007-02-08 14:45:35 | 教養・文化・歴史
<添付画像>:映画「硫黄島からの手紙」、映画解説パンフレット表紙より・・


  実は、その日は絶対に「武士の一分」を観に行くつもりで自宅を出たけれど、市内に辿りついたら突如として気が変った。行きつけの喫茶店でモーニングを注文し新聞に目を通しつつ時間調整の後、朝の第一回目上映時間(午前10時30分)に間に合うよう、何か得体の知れない4次元世界のモノノケにとり付かれたかのごとく、さりとて平常心にて粛々と我が心臓の鼓動高まるを抑えつつ、前々日と同じ映画館に入ってしまった。先日(1月30日付)投稿記事「映画・硫黄島からの手紙を見終って」から、わずかに一日の間を置いてのち、今月2月1日のこと、かくして2時間21分間、性懲りもなく2回、「同じ映画」を観てしまった、、、。



(以下、本日記事の本文・・)
 
 何故に2度も同じ映画を観に行ったのか? 理由あり・・・

 栗林中将役の渡辺健さんのセリフの数箇所、どうしても確認しておきたい個所があったのだ。

 それらの確認は?

 完全に出来た!

 解った・・・

 先の記事投稿には、多くのコメントをお寄せ頂いている。

 先週金曜日2月2日から本日まで、書こうと思い思い続けてきた「硫黄島からの手紙」レヴュー記事・・・
 
 やはり書けない。
 
 そして、書きたくない。

 先記事にコメント頂いたTSさん始め、読者各位とのお約束をたがえるけれども、やはりココは、

 「この映画を、2度も観てしまった・・・」

 という『ご報告』だけに留め、本日投稿を終えたい・・・



 そこで一言、

     いや、どうしても、二言?付け加えて「締め括り」たい!!!

1)
 もう一度、我輩自身の問題として、近代史としての昭和史を「歴史の事実」として関連文献を読みこなしたい。もって「近代日本経済発展の歴史的考察」に切り口を求め、昭和史を考察したい。

 要点としては、明治維新以降の「日本近代経済発展の歴史」に焦点をあて、日清戦争日露戦争会戦に始まり、さらに日中戦争から大東亜戦争に至った経緯と戦争史歴史の稜線と谷間の「影の部分」を、国際経済の視点観点から紐解いてみたくなった。この日本国近代史の考察に欠かせないものは、第二次世界大戦における、日中戦争と大東亜戦争の仔細なる事実を見つめることか。日本帝国海軍に関わる著作はある程度満足のいく資料あれど、あまりにも日本帝国陸軍の史実を取り上げた著作が少なすぎる。その意味からすれば「硫黄島からの手紙」は、数少ない「陸軍将校」の観点視点からの史実を、思想的な偏りなく語った叙述誌的映画作品か。このあたりがクリントイーストウッド的である。
 我国近代史を「近代経済の発展史」の切り口にて捉えると、おのずと戦争の歴史を直視せざるを得ない。なぜならば、当時の戦争は、国家と国家の経済戦争のぶつかった極限であるからだ。すなわち、史実としての日中戦争と太平洋戦争から、論点視点を外すと、後は何も見えなくなり、近代史考察はその時点で感情と思想の彼方に追いやられるから始末が悪い。戦後60年間或いはそれ以上、近代史研究は封印されたままだから、この先我国の進路方針は今もって定まらない。歴史を無視する国家と民族は、非文化的にしてアイデンティティーすら持ち得ない「非発展的国家国民民族」と定義可能か。ならば我々日本民族は、将来の夢も希望も持とうとしない一哺乳類動物に逆戻りするを望むのか?感情論抜きに我国近代史を直視できず、国家観を無視し、さりとて持とうと自覚しない行為たるは、あまりにも馬鹿げているではないのか?
 かくして明治維新以降の我国日本に於いて、我国と我国を取巻く各国の経済的関りから切り込む「近代経済発展史と昭和戦争史」の考察!
 もって、お涙ちょうだい的感情の拘りなく、左右の思想介入なく、真っ当な日本近代史を考察を継続したい、、、。

 たぶん、これは我輩のライフワークになるであろう・・・

そして、
上述考察のための、大切な枝葉に及ぶと、

2)
 昨年の夏から始めた「東京裁判史観」分析を継続したい。引いては戦後憲法(現行憲法)の不合理性について、今以上に突っ込んで考察したい。

すなわち、
 第二次世界大戦戦勝国群(当時の連合国)の一方的な判断で、敗戦国日本の責任を片手落ちに「結論付け」した東京裁判判決の過去の現実と、今尚続く不条理な「結論付け」の踏襲こそが大問題なのだ。サンフランシスコ条約調印後も、何故か我国は自虐的に東京裁判判決の結果を受け、今尚それを周到しているから不合理である。東京裁判の判決を丸呑みした結果、昭和の歴史と戦前戦中戦後の歴史を日本国民自ら封じ込め、日本国の近代史観を自虐的に捻じ曲げているからたまらない・・・
 とにもかくにも、日本近代史分析の為に、戦前戦後の政治経済史に踏み込みたくなった。
 政治と思想の問題を突っつくと底知れぬ泥沼に嵌るから止めておくけれども、戦後政治のもっとも重大な問題で今も奥歯にモノの引っかかった様相を呈して止まない問題は、敗戦直後、当時のマッカーサー率いる占領軍指導のもと、にわかに制定された昭和憲法(現行憲法)の存在であり、戦後60数年経過した今も尚、存続していることから生ずる各種の不都合である。かくして、時代にそぐわなくなった現行憲法の不整備こそが、21世紀の我国社会発展と飛躍に及ぼす多大なる負の要因根源に他ならないか。引いては日本国の衰退国民の消滅に繋がることの証明、否、警報警告警鐘は、現実社会の不都合是正の為の必須条項か、、。法律や憲法を論ずるは、専門外ではあるけれど、引いては戦後制定された「憲法」の「改正」の是非を、今一度自問自答?問い質しつつ、早急なる「新憲法制定」の必要性を論立ててみたくなった・・・

 またもや、映画の感想文からほど遠い、五里霧中的記事になってしまった・・・



*「武士の一分」(山田洋次監督、藤沢周平原作)<Yahoo映画解説は、こちらから入れます>


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<追記>(2月9日 10:00a.m.)
なんと!
気高く、強く、美しくあれ―日本の復活は憲法改正からはじまる

小学館

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幸いにも、上記掲載紹介なる櫻井よしこ女史の著作あり、、、。
昨夜2月8日『ysBlog』にて発見!
是非にも一両日中に入手して縷々通読したい。読書感想はまた、あらためて後日記事投稿する。