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映画:『硫黄島からの手紙』を、観終って・・・

2007-01-30 01:48:20 | 教養・文化・歴史
<添付画像>Yahoo映画情報〔硫黄島からの手紙:Letters from Iwo Jima〕より、画像転載



 本日(昨日:1月29日)午後、どうしても映画館で観ておきたい映画「硫黄島からの手紙」を見に行った。

 「・・・!」

 こんな映画、今まで観たことのない「質感」の映画であった・・・

 映画館に入る前、当然ながらブログ記事にする予定在ったけれど、鑑賞し終わってから後、とてもじゃないが「思い出したくない」映画となった・・・

 とにかくこの映画のこと、思い出したくない。

 話したくない!感想文なんて書けない、、、。

 どうしても観ておきたかった映画であるけれど、決して二度と観たくない映画なのです。

 しかし今、今夜は、どうしても眠れない。眠れないからブログに書きとめておくことにした・・・

 上映時間2時間31分の長い映画。とてもじゃないが、重く、暗い、無味乾燥な映画でした。尚、今にして想えば、いかにもクリントイーストウッド的映画か?

 最初は、ブログに「映画鑑賞感想記事、書いてやろうじゃないか!?」と張り切っていたのですが、観終へて映画館を出る時には、すでに、とてもじゃないが感想など書けない精神状態になって夜の巷に繰り出したりの居酒屋寄り道や不良中年的道草なるもの皆無にて、真直ぐ帰宅しました、、、。
 映画を観て、こういう状態になるなんて、過去に経験したことなく、珍しい!

 私の尊敬する作家のお一人「開高健」先生、何かのエッセイの片隅に書いていましたね、、、。
 「小説エッセイその他諸々文芸作品を読み終え、その後、まずは爽やか豊かな気分になり、後には感想も残らず心地よい泡と消える、そんな何も後に残らない文芸作品、これを秀作という?!(エセ男爵流の意訳)読書感想など残るはずもないものがベストである!」
 等と、、、。
 それとはまた、ずいぶん意味違うけれど、「硫黄島からの手紙」を鑑賞し終えて後、映画鑑賞感想文など書けない、書きたくない。画像も音声もストーリーも、二度と思い出したくない。思い出したくないけれど、しかし、とっくに夜深けになった今も尚、耳を劈(つんざ)かれんばかりの各種轟音、つまり、大砲(野砲・山砲・カノン砲)、軍艦の艦砲射撃の大口径大砲の轟音、大砲の弾丸が飛来してくる音、戦車砲の音、重機関銃や軽機関銃の連続発射音、ロケット砲(曲射砲)の音、ライフル銃発射時の鋭利鋭敏なる音、手榴弾の炸裂音、拳銃(ピストル)のひ弱な発射音、火炎放射器の放つ炎の音、兵士の叫び声(歓声か悲鳴か)、上官の怒鳴り声、等々等々、耳に付いて今も離れません・・・
 とてつもなく悲壮・無残・残酷・無常・無情なる水分枯渇飢餓地獄と化した「絶海の孤島・硫黄島」の戦場を直視するのみにて思想やイデオロギー抜きの描写はリアリズムそのもの、且つ無機質、、、。つまり、平和主義とか戦争反対とか、共産主義とか帝国主義とか独裁主義とか、民主主義とか全体主義とか、はたまた戦争で引き裂かれる男女の恋愛離別問題とか、お涙ちょうだい的な典型的戦争映画表現など、この映画には皆無、、、。(ま、無くも無いが、表現はほんの僅か・・・)
 映画をひたすら観ている私自身、何故か精神的にずいぶん乾いていて、パリパリのクリスピー(crispy)状態、加えて頭は空っぽ、気分としては素っ裸になって何もかもかなぐり捨て、ただひたすらこの映画の展開、「始まりと終わり」を空虚に見守っただけである。
 でも、映画のシーンの逐一、渡辺健さん扮する栗林中将の一挙手一投足を思い出すと、もうダメです、今にも大粒の涙が出てきそうで、堪りません。

 さて、
 監督クリントイーストウッドの描きたかったものは何か?
を、あらためて整理すると、たぶん、栗林中将か・・・?
 栗林中将を、イーストウッド監督の「描きたい円」の中心に置いて円を描くと、日本帝国陸軍の一兵卒から下士官へ、さらに将校に至るまで将兵全員、そのものを描きたかったに相違ない、と観る。日本陸海軍(陸軍将校栗林中将の云うことを聞かない?理解できない軍部の集団あり。つまり陸軍出身の栗林中将をコバカにしている海軍陸戦隊将兵も硫黄島に存在し、陸軍海軍の間で大きく命令系統統率系統を欠いたものであったらしく、その中でも栗林中将の指導力は卓越しつつも・・)将兵全員、硫黄島に留まって圧倒的な兵力をもつ米軍と戦(いくさ)した日本陸軍将兵と海軍陸戦隊の有体を、淡々冷徹に描きつつ、最後に云いたかったのは「栗林中将」の個性と人格であったか。
 クリントイーストウッドの描きたかった個性とは、当時の日本帝国陸軍軍人、栗林中将に内在する(あの当時、稀なる)真っ当な軍人精神、すなわち《武士道》を表現したかったに他ならないと考えます。

 それ以上も、以下も、この映画の中から抽出することは不可能、、、。もって、『武士道』を描きたかったモノなのか。と、留めたく、それ以上の思考は、完全停止する。私自身は「これ以上のこと」を、この映画から抽出し分析したり等々、(これ以上のことは)何も考えたくない。

 〆て、本投稿記事は映画鑑賞感想文にあらず!・・・



 PS:ブログに記事として認(したた)めた後、想うことあり。
 どうしても「父親達の星条旗」を観たくなった、、、。この映画「硫黄島からの手紙」とワンセットになっているので、必ずや観ておかねばならぬ映画となった、、、。


PS(平成19年2月9日、追記):計らずも、「硫黄島からの手紙」の第2弾!?関連記事!?書いてしまいました。是非にもご一読頂きたく、こちらからお入りください!

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