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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

拝啓櫻井よしこ殿(続・々)読書感想「何があっても・・」(語学習得に於ける「自然体と必然性」・・)

2006-05-26 22:23:50 | 趣味の話&本と雑学メモ
<序論> 
前回投稿分に続き、我が「愛読の一冊」:櫻井よしこ女史の半生を綴った『何があっても大丈夫』の中から、女史の学歴並びに就職にいたる「くだり」につき、以下(想い付くまま勝手気儘に)、著書本文の丸写し以外の方法で「抜粋」してみた。
この抜粋には目的がある。英語学習の根本的な取組み方法と、義務教育に於ける英語教育について、一石を投じてみたい。と、いう目的である。

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* 前回関連記事[続・読書感想文)『何があっても大丈夫』に寄せて、(ジャーナリストの語学力?)]は、こちらから入れます・・

先の「前編」の締め括りに記している如く、櫻井女史のハイティーン時代から成人に、更には「就職」、社会人に至り、フリーのジャーナリストとして、女史の独立されるまで。

以下、「何があっても大丈夫」より、抜粋、、、。

1)『モーボサンセン』=孟母三遷<P-55>なる「よしこさんの母上の決断」により、
2)<P-58> 櫻井女史13歳の時、大分県中津市から急遽引越。母上の実家新潟県に転居される。千谷駅よりさらに山間の村真人町万年へ。真人中学に2学期より編入。その後、さらに母上の決断により、櫻井女史14歳の時、<P81>長岡市上田町に引越し。長岡市立東中学に編入。さらに旧帝国海軍の英雄・山本五十六元帥を生んだ名門長岡高校へ進学。当時、男子校の伝統を受け継ぎ、一学年あたりの女子生徒の比率は1割以下であった。
3)高校卒業時点で、すでに東京の私立大学受験合格。しかし、突然の経済的な問題の発生と、父上の要請により、単身ハワイへ渡米する。ホノルル空港到着の「その当日」から、父上の経営されていたレストランの手伝いを始める。(大学進学を思考される心のゆとりなるもの、当時は皆無なのであったろうか?)
4)約1年後、ハワイ大学入学。専攻は東洋史。と、紹介してある。
5)<P-234> ハワイ大学卒業の後、帰国(1971年早春)。帰国を目前にして、ハワイ大学教授の推薦紹介により、帰国後の就職先は決まる。そして帰国後、米国誌「クリスチャン・サイエンス・モニター東京支局」に勤務。支局長エリザベス・ボンド氏の秘書として、(ジャーナリスト実務を全うするという意味での日本語を、全く解せなかったボンド女史?の)初めて日本で活動されるボンド女史の、目と耳の役目をこなされる。
6)<P-226> 上述、米国系情報誌東京支局の閉鎖により、ボンド女史は本国へ引き上げる。同時に櫻井女史はフリージャーナリストの道を歩み始める(1973年)・・・・・
(以上、抜粋終了・・)
何があっても大丈夫

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 尚、本日本論に入る前にあらかじめ、読者に「おことわり」しておきたい事あり。(下記事項2個所より、いずれかお選びいただき、ランキング確認の為のクリック願います!)

一つ、
櫻井女史の敬意呼称は省略、以後(ただし本日投稿、以下の文面のみにて)「櫻井さん」と称すこと、!(問題あり!?我がブログの人気度に多大に影響するか!?こちらを開いて「ご確認」下さい・・)

二つ、
恥ずかしながら、不肖エセ男爵の歴史的背景なる素性を弱冠なりとも「明かす」こと、
(引き続き不肖・エセ男爵ブログの応援、宜しくお願いします!)



<第一章>

実は我輩、櫻井さんと同年代。数ヶ月先輩であるから、櫻井さんの辿ってこられた学生時代の時代背景は目の当たりに浮かんでくるし、よく心得ている。
さらに、櫻井さんが東京の大学進学を断念されハワイにて父上のレストラン経営現場に勤務。しかも、ただのウエイトレスとしてレストランのホールを走り回っておられた頃、我輩はのうのうと学生食堂でランチを食していた。加えて、高校時代から午後の授業をサボりつつ、当時洋画専門の映画館に入り浸り、(時代劇は別格として)故石原裕次郎小林明に代表される現代劇邦画には全く興味なし。ハリウッド映画とアメリカンサウンドにどっぷりと浸りこんでいた時代、高校生時代から大学時代なのである。当時、叔母から誕生日祝いで買ってもらった超小型の超高性能(当時)のソニートランジスターラジオをFEN(山口県岩国米軍基地からのラジオ放送)放送にチューニングし、英語で喋る米軍基地アナウンサーの英語の音に集中。そのうち、ヒットパレードの時間帯をキャッチ。夕方4時5時から始まる一時間番組「全米ヒットパレードの時間」、来る日も来る日もアメリカンポップスを聴きまくり、娯楽に必要であった英語に慣れ親しんでいた時期があった。ビートルズ時代の始まる以前、エルビスプレスリーから始まるアメリカンポップスに傾倒し、60年代のアメリカンポップスを愛し、そのうちモダンジャズに没頭し、崇め奉り、45回転ドーナツ版、さらには38回転LPレコードなるものを買いあさって、四六時中「英語の歌と音楽」を聴いた。
英語世界に憧れる切っ掛け、慣れ親しむ日々は、かして始まった。
大学受験の折、記憶を辿れば確か、英語の成績のみで大学受験合格した記憶あり。大学生活過程に於いて、講義の無い時にはジャズ喫茶店に入り浸り、タバコの煙パープルへイズ漂う中、コカコーラ一杯のみ注文し、喫茶店に長逗留する。モダンジャスの鑑賞にて数時間、時に半日も、喫茶店で過ごす。加えて映画館通いの連続。
映画ばかり観ていてもしかたなく(ある切っ掛けと動機あって)、他の活動を加える。クラブ活動はESS(英会話クラブ)に入部。恥ずかしながら、卒業するまで英語らしき英語は喋れなかった。
かくして、大学進学浪人なく就職浪人なく、エスカレーターに乗った如く卒業後の就職先は(好むと好まざるを考慮するまもなく)「旅行会社」であった。しかも配属先は、海外旅行部門。「こやつは弱冠、英語ができる!」と、会社の周囲及び先輩は大いなる誤解をしてしまい、未熟なる我輩を無作為に「海外旅行の添乗員」として入社一年目から起用(当時、稀な出来事であった)。こちら、さほど自信なく有難迷惑にて、渡航先にてサヴァイヴァル英語を駆使しつつ、何とか海外添乗員の業務をこなす日々。
かの地、櫻井よしこ様の居住先「ハワイ」にも、何度か旅する。現在とは大違い、当時のハワイはのどかそのもの。一年中現地の気候風土は良好にして、お金持ちしか逗留しないホテルの群がるワイキキビーチは安全にして平和そのもの、すべからく我輩にして平々凡々としたハワイ旅行の案内役、、、。そんな当時、間違いなく櫻井さんは汗水垂らし流し、家業の手伝いと学業に専念されていたはず。若し、縁あったならば現地ハワイのいずこかで、櫻井さんとの出会いは、あったかもしれない・・・
そんな年月を過ごしつつ、我が人生の転機あり(今にして想えば若気の至り・・・)
20年近くも安穏とした旅行屋の経験のみ。旅行業しか知っていない「遊びの案内」を本業とするヤクザな男、大企業的企業内温室育ちにして社会的発育未熟なる「モヤシ人間」、超若輩者の我輩。時は昭和の60云年、齢(よわい)40才にして、何を血迷ったか、順風満帆なる大手旅行会社を途中退社し、僅かな自己資金にて会社設立という暴挙をしでかす。自己満足的「粋な気分」にして且つ、早とちり。国際文化交流イヴェント業務を主たる業務として開業に至る。がしかし、当時さすがに国際感覚的発想貧弱なる典型の地方都市。そんな仕事は溢れていない!約3年にして(当時の金額にして1千2百万円也)不渡り手形をつかまされ、見事!倒産、、、。
縁あって、飲食業界に参入。しかし僅か2年間にて、飲食業界の3K的反復作業的物足りなさに閉口し、他人に任す。が、任した他人は、勝手気侭なやり放題にて経営は悪化。かくして飲食業界から撤退する。しかし他人に仕事を任せた当初、(43歳の時)あらためて英語の再学習に挑戦する。そして1年間、1300時間なる英語学習目標を設定するものの、最終的には1275時間にて投了。25時間の目標不達成時間を持ち且つ余し(無念かな)除夜の鐘を聞く。しかし、いずれ目標不達成と雖も、一年間1275時間に亘る英語特訓(聞く、話す、読むk、書くの繰り返し)を功を奏した。かくして我が目から「ウロコが数十枚」落ちる。確実に「我が英語の実力」は向上する。ここに至ってようやく「英語を道具」として、使いこなせる自信がつく。
そんなとき、縁あって東欧ハンガリーに赴く。現地にて気ままに仕事をこなしつつ生活し、適当に適当に、やっていくつもりが、またもや英語のお世話になる。英語圏でないハンガリーにて「英語の力」は、「生活のためのお金」を運んできた。さらにインドネシアとの縁ができる。全て観光産業関連のコンサルタント&コーディネーター業務として、、、。今尚、某インドネシア国立大学の客員教授として「不定期」にて経営学マスターコースのクラスを担当。その他現地企業関連のコンサルのため、はたまたセミナー開催に招聘されつつ、今尚、インドネシアに出没する。国内では、某レストランホテル関連産業の実務指導にもかかわりを持ちつつ現在に至る。
且つ、モノカキの真似事もスタートする。
「・・・?」
そして今、
我が若かりし頃の「失敗」に気がつき始めた。
あまりにも日本文学から遠すぎる位置に居ること、教養としての日本語をあまりにも無視してきたこと、取り返しのつかぬ事態に遭遇している。。。
つまり、
「振り返れば、まともに日本語を勉強していない!我おもうに、なんと、恥ずべき日本人であるか!」・・・・
本来、中学高校時代に読み漁っておかねばならなかった「日本文学」に飢えているから、今、恥ずかしきかな(すでに古典となりつつある)「有名小説家」の作品を読み漁り、あらためて日本語の「本来的な味」を味わおうと、時間の許す限り懐古風不良中年的文学青年に立ち返りたく、意識して、読書に費やす時間確保に努力している。以って「この3年間」。逆に今現在、「あまりにも英語から遠ざかり過ぎた」こと、反省する。たぶん6ヶ月間、英語から離れれば「ただの人」。英語の単語は刻一刻、我が脳の皺から蒸発し、単語記憶数量は激減していること、間違いなし。。。
かくして、
語学学習に関する「我が結論」あり、、、。
英語を学んだ後の、英語を使う「目的と目標」を持たなければ、英語は身に付かないと考える。
英語学習との目的は、まずは受験勉強の一科目としてではなく、「英語の語学力を身に付ける」こと自体が最終目的ではない。
もって語学学習の目標なるものは、英語の読解力とコミュニケーションの道具を以ってして、他の学問をより深める究めることにあるとする。
はたまた、英語を道具として使用し、エキスパートト的仕事あるいは生活の糧を得るための「道具=(one of Tools)」と位置付ける。ならば、いつ何時、必要に応じて試みる外国語学習の積み上げは、年齢に関係なく成立する。と、結論したい。
そして、
この英語学習と運用の話、もう少し、続けたい。。。

櫻井よしこさんのハワイに於ける実体験的語学習得の「流れ」をさかのぼり、航跡を読み取ってみたい。


    <・続く・・(5月28日日曜日投稿予定;投稿済みにて、こちらから入れます)・・>

ゆとり教育が日本を滅ぼす

ワック

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<表題イメージ画像>:ショーンコネリー卿「ホームページ」より(こちらから入れます・・)
画家:コネリー夫人の描くヨットハーバー風景。たぶん地中海の然る港を切り取ったもの、何故か今夜、ハワイのヨットハーヴァーと「かぶるもの」あり、、、
(そろそろダンディズムシリーズの投稿、復活したくなった・・・)

拝啓櫻井よしこ殿 (続・読書感想文)『何があっても大丈夫』に寄せて、(ジャーナリストの語学力?)

2006-05-24 16:07:55 | 趣味の話&本と雑学メモ
    読書感想「何があっても大丈夫」に寄せて(第二回)

 すでに「読書感想文」として数回のBlog記事投稿した「櫻井よしこ著・何があっても大丈夫」を読了して後、早くも3ヶ月(たぶん?)経過する。そして今この一冊は、我輩の手元にない。さる友人に貸出して数週間、いまだ手元に帰ってこない。電話にて友人曰く、「一度通読したが、もう一度読み直しているからもう暫く貸して欲しい」等と、あつかましいことを云ってきた。ならば「自分で本屋に出向き、自分自身の一冊を自分の経費で購入したまえ。その後、落ち着いて2度目を読み始めよ!」と、電話で怒鳴りたい気分である。が、ここは忍の一字、なぜか我慢している。我慢しつつ、今直ぐにでも読み返したい「何があっても大丈夫」のページが浮んで来てしまったのである。そのページとは、論客としての櫻井女史の強力な武器の一つとして、ジャーナリスト桜井女史の「情報収集基盤」として、櫻井女史の懐に秘められた強力な語学力の底知れぬ実力について、あらためて想像し始めてしまったのである。<注>(「第一回掲載「何があっても大丈夫」の読書感想文掲載記事は、こちらから入れます)

 女史の半生を綴った自伝ともいえる「何があっても大丈夫」の一節を、あらためて読み返したくなったから、今友人に貸し出し中の「この一冊」、手元にないことに苛立った次第である。


   (その-1)

 当書の中、女史の英語現場(すなわち生きた英語、コミュニケーションツールとして英語を使用する、という意味)の出会い、明確に記されている。今、そのくだりを読み返したい。しかし残念かな「その一冊」は現在手元にないのであるから、数ヶ月前の読書時点に立ち戻り、回想してみる。
(!櫻井さんの半生を知りたく、今からこの一冊を読んでみたい。と、思っておられる方、すでに読了された方、櫻井さんの半生に感銘受ける方に、同感・同意!<人気度ランキング>お開き下さい!

 話題は「何が会っても大丈夫」に戻る。
 「生きた英語」との出会いは、当時、櫻井女史の父上の要請により、ハワイで父上の経営されるレストランのウエイトレス兼秘書的事務員として渡米された時点であった。渡米時期は(逆算して)、昭和41~42年だったはず。現在のハワイと比較して、想像を絶する「ハワイらしき状態」のハワイであったはず。すなわち、日本国はハワイ県ともいえる、現在のハワイ。盆正月ゴールデンウイークともなれば、安物TV番組を賑す小者タレントの遊園地に成り変わるか、はたまた一億2千万人総日本国民挙って疲れる為の休暇を楽しむ「親しき米国リゾート地」となったハワイ州ホノルル街。公立高校大学受験用英語のみを引っさげて、父上経営のレストランの「お手伝いさん」として、櫻井女史は渡米されたのである。そしてその時点から、女史の「生きる為の仕事の道具」としての「語学習得」はスタートしたはず。高校を卒業してまもなく、すでに日本の大学入試に受かり、東京へ上京される予定を立てておられた女史は、仕送り及び学費の算段が途絶え(詳細、この一冊に書かれているから省略する)、当時すでにハワイに進出されレストラン経営で成功されていた父上の「家事手伝い」とも云える「役目」を(仕方なく)引き受けられた「高卒のうら若き女性、櫻井よしこ」。レストラン業という家事手伝いをしながら、(日本の一流私立大学進学を断念された、その替わりに)ハワイ大学に進学された。ハワイ大学に於ける学生生活の始まってまもなく、父上はレストラン業を閉鎖され、娘の櫻井さんを一人残して帰国。桜井女史の経済的貧窮はさらに深まり、学費生活費の捻出は女史自身で執り行われつつ無事卒業。卒業後、何故か日本に帰国され、女史を育て上げた大学教授の紹介で、新たに東京に進出した外国人ジャーナリストの秘書兼通訳兼翻訳者を主たる業務とした国際派ジャーナリストの卵として、社会人になられた。数年間、東京在住の外国人女性のもとで、日本の情報を世界に発信するための「ジャーナリズム世界」の修行をされた。しかし、しばらくの後(2~3年間か?詳細は「かの一冊」を参照されたし)、その外国人女性は(彼女の勤務先の転勤要請により)、本国に帰国される。したがって東京事務所は、閉鎖。当然ながらその瞬間、櫻井女史は職を失われた。大学との関連で、また当時の櫻井女史の語学の実力を発揮可能な職種は存在した。すなわち(一流の)通訳翻訳者になる道は開かれていたものの、その時点で、櫻井女史は一大決心をされ、フリーのジャーナリストとして「ひとり立ち(一匹女狼なのだ!)」される道を選択され、現在に至っておられるのである。

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    <Intermission(少し休憩)>

<添付画像>:(櫻井よしこ著「何があっても大丈夫」、著書の裏面。本書裏面、右上の写真は、櫻井女史の母上。台湾にて撮影とあるから、第二次世界大戦終戦を迎える以前、もちろん櫻井女史誕生以前、母上の独身時代か。したがって撮影当時、すでに母上は海外にて職業を持ちご活躍されている、その時代としては超モダンな女性・・・)
何があっても大丈夫

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   (その2)

 今、私自身の脳裏に、よぎるものあり。だから、もう一度繰り返す。

 櫻井女史をして、
  1) 堅固な意志を持ち、国際的バランス感覚は正確無比、日本という「国を愛する」心の基軸に立脚された上で、堂々と「櫻井的論拠」を持たれた上でのジャーナリズム活動を継続されているのが「櫻井女史」の魅力。
  2) 上述の、「堅固な意思」、国際バランス感覚から湧き出でる「国を愛する」心の持ち方、歴史認識の正常さ、
  3) 締め括れば、桜井女史の「猛烈にして強力な語学力」にして、女史の類い稀なる「情報収集能力」は成り立たち、鳥瞰図的高所高見に立脚した広く深い知識あり。もって、櫻井的常識なる「意志と意識」を背骨とした数十年間も決してブレない「論点・論旨」の存在は、櫻井よしこ的『現実正視正義』なる如何にも日常的常識的主張。と、(私的見解にて)評価する。

 上述のアイテムを基礎に、いかなる場面と状況に於いてしても、女史との「意見を異にする論客」相手との、いかなるディヴェートに於いてしても、一歩の引けもとらず縷々凛々と「櫻井的意見」を述べられるのか。

 と、我輩は想像する・・・・

 日本のTV局を始めとするマスメディア世界には、語学力を振りかざす「コメンテーター」や「ゲスト出演者」はゴマンといる中、私自身、未だに櫻井よしこ女史から、女史の生の声で流暢に優雅に自慢ったらしく「英語をおしゃべり遊ばす」お姿をお見受けしたことは、無い・・・・

 今、義務教育の一環として、「英語教育」を取り上げようとする動きあること、聞く。如何なるものか?
是か、否か?
私自身、いささか、日本教育世界から立案発想されている英語教育への「力の入れ方と手順」に、大いなる疑問を抱いている。

 櫻井女史の「半生の記録」と照らし合わせ、「日本の語学(英語)義務教育の若年化」について、いま少し、もの申してみたい・・・・

 <・・続く(掲載予定:5月26日金曜日)こちらから入れます・・>

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鈴蘭の記録(2/3)「咲きはじめたぞ・・・」

2006-04-22 13:58:55 | 趣味の話&本と雑学メモ
<写真>:(本日撮影、我家に自生するスズランを観る・・)


 今朝の気温はは3月上旬並、季節はずれの寒い朝を向かえた。ちなみに庭の温度計は7度示している。
 
 薄日差す曇り空は早朝で終わり、昼にかけて、晴れるどころか、ますます雲は厚く垂れ込めてきた。
 
 そして、午前11時頃より、小雨に変わった。この小雨、今にも氷雨になりそうな気配だ。
 
 書斎から雨音を聞いて、気が付いた。

 「そうなんだ!そろそろスブランが咲き始めるのではないか?」

 と、
思い立って庭に出たのは午後の1時前。気温は僅か11度。冬に舞い戻ったように冷たい雨がぱらついている。デジカメは小脇に抱えたまま、着ているセーターにくるみ込み、庭に出た。

 ウム、いよいよです。

 いかにも「鈴らん」の名の如く、直径4~5ミリ?程度の鈴の格好をした花が付いている。いまだ、花開く前の蕾状態のものも多い。次から次へ、茎と葉の間から、表面に出で、ささやかな鈴蘭の花が咲きはじめていた。

 4月16日との違い?
 そう、
 はっきり確認できるのは、先週日曜日(4月16日)に投稿した時よりも、茎が倍以上の長さになっている。

 こうして庭のスズランを観察するのは何年ぶりか?たぶん、30数年ぶりであろう。今日に至るまで、微細に観察したことはない。

 落ち着いて家庭に居つく間もなかった四半世紀。瞬く間に過ぎ去ったこの30年間。このスズランは毎年、この時期になると、茎吹き葉広げ、ひそかに花を咲かせ続けた。庭のなかでも日当たりの悪い場所、西北西の一画に陣取る。一言も不平不満を云わずして、静かに、忍び、強靭に、粘り強く、生き延び、庭の一角に鈴蘭の領域を広げ、現在に至ったのである。
 
 かくして、
  「スズラン殿に、敬礼!・・・」
 
 ウム、、
 ゴールデンウイークになる頃、もう一度「満開のスズラン」を見てみたい。

 そして、想う。
 スズランの忍耐力を、あらためて見習いたい。
 
(可憐ながらも、力強く生き延びていくスズランのバイタリティーに声援をお贈り頂ける方、是非、以下の緑色バーをクリックして下さい・・)

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PS:今年も順調にスズラン畑は、自らのテリトリーを拡張しようとする。すでに面積にして畳の2~3畳分はあろうか?
そう、
完全に一坪以上はある。
若し、読者の方で「スズランを分けてほしい」と想っていらっしゃる方には、喜んでお分けしたい。しかし、お送りするのが問題だ。せっかくお分けしても輸送費がかかってしまうので結構コスト高となるか。それとも、「宅配便の配送料くらいなら、負担しても構わない!」と、おっしゃって頂ければ、問題ないのであるが、、。
何かよい方法はないだろうか。
そう、、、
気持ちだけ、お贈りした事にするか・・・
そういえば、楽農大学に寄贈する手があった。
迷惑だろうか?  かくして躊躇する。。。。

拝啓櫻井よしこ様;(感想文、「何があっても大丈夫」に寄せて・・)

2006-03-27 21:55:28 | 趣味の話&本と雑学メモ
 どうも、なんだか、父上か?母上?のどちらか、外国人か。ウム?出生地=ベトナム。卒業大学=ハワイ州立大学。ならば、たぶん父上がベトナム国籍の華僑なのか?いや、母上が華僑のシナ人系ベトナム人であったか。そうえいば、何処となく日本人離れしたお顔立ちに、優雅にゆったりした(少々皮肉か)立ち居振る舞い。日本語の話し方も、少しスローテンポ。江戸弁でもなく大阪弁でもない・・・
何故、日本テレビ夜のニュース番組「今日の出来事」のキャスターに、このような女性を選んだのか?解らない。
でも、
なかなか感じの良い落ち着いた雰囲気のある女性だ。
好感が持てる。
でも、あの遅すぎる喋りは、けっしてうまくない。少し頼りないかなあ~・・・
等と、
「櫻井よしこ」と称するTVニュースキャスターとの最初の出会いは既に10数年前。いや、それ以上も前の話になるか。端正、まるで能面のような知的な美しさ容姿は、数年後、なぜかテレビで見かけなくなった。

それから暫くたって、本屋さんに立ち寄った際、政治社会関連本棚に、どこかで見た顔と名前「櫻井よしこ・著」なる本の表紙が、思わず目に入った。紛れもなく、数年前までTVキャスターをされていた櫻井よしこ女史の著作であった。タイトルは忘れた。が、その本を手にし、一夜にして通読。読破した後、我輩は思った。
「テレビでの女史は、すべからくスローモーション、、、。かったるい喋りをしていた能面顔の女性。社会論評を書かせると、何と、すばらしいではないか。こんなに毅然と理路整然とした意見の書ける人だとは、思いもしなかった。喋るよりは書く方が良い。ちゃらちゃらとテレビに出る人ではなく、しっかりと書く人なのだ・・・」

かくして我輩、一夜にして「櫻井よしこ」女史のフアンになった。

さて、櫻井よしこファンの方は是非とも下記のバーをクリック願いたい!
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そう、、、
最初に手にした本のブック・カヴァーの端に、「櫻井よしこ」の略歴が載っていた。生まれは「ベトナム」にして「ハワイ大学卒」という、女史の基本的プロファイルは、既に知っていた。

そんな経緯で、ジャーナリスト桜井女史の「最初の印象」を持ち、既に女史の著になる多くの「著書と論評」に目を通した。女史の著作からは、自分自身の思考方向の整理を可能にした。理路整然とした論陣で構成された女史の切り口には、賛同可能なるもの、多くあった。

そして一ヶ月前、
この一冊に、出合った。

何があっても大丈夫

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な、何と、本著「何があっても大丈夫」を通読して後、何故に出生地は「ヴェトナム・サイゴン」なのか?何故に「ハワイ州立大学」卒業なのか?これら、まず分かった。
そして、
よりいっそう「櫻井よしこ女史」ファンになった。
何故にそこまで、堅固な祖国愛に基く非共産主義志向の鷹派的論評をされるか。何故にそこまで、強い「意志表示」をなさるのか?
堅固な意思表示の根源は、何処から湧き出るのか!何処から発生するか?
女史の出生から大学進学、さらに社会人に育つまでの経緯を知れば、全てが理解できる。

本著は、いわゆる小説家の手になるような美文にして美辞麗句など、何処にも見当たらない。淡々と朴訥に「桜井女史の辿った半生」は書き連ねられ、いかにも単純にストーリーは進行する。感情の起伏少なき文章の流れは、逆に読者の想像力を書き立てる。読者は、文章の行間を読み取らねばならぬ。直接読者の判断に委ねられた修飾語の少ない文章構成は、見事である。

通読後、既に一ヶ月が経つ。が、いまだに本著に書き下された「ストーリー」は、ほとんど完全に思い出せる。しかし、この読書感想文を書くなか、本著のストーリーを思い出しながら「物語の集約」を行なうつもりはない。

以下、私的感度にて「行間を読んだ」ポイントとして3点。視点を箇条書きしておく。

1)母上の愛情と知性と経験を、「一身」に受け仰ぎならが成長された若き日の「櫻井よしこ像」が見え、現在の毅然とした女性論客の姿に納得できる。加えて、不幸にも父上との接点が、あまりにも薄かった事実がある。しかし、女史の現在には、プラスに作用している。いや、少なくとも女史の母上に於いてして、女史の面前にて絶対に「父親の悪口・批判・卑下」等、なさったことは無い。と、言い切ってある。優しく且つ気丈な母上と、家族を顧みずにビジネスに徹せられた父上の「わがまま」なる姿。父上をして、男の一生涯を賭け「ビジネスと戦う」姿を観てこられた櫻井女史。以って櫻井よしこ女史の現在は、ご両親に対する、言葉少なき敬意の表現となるのか。
母上の存在に、父上のとられた行動とは(女史にとっては)何ぞや。櫻井女史における、両親に対する愛情深き前向きの解釈に、圧倒される。

2)若き頃の貧乏のどん底生活。お金に縁のない生活の、連続に継ぐ連続。父親のいない家庭。お金では、けっして手に入らない「それ以上に価値あるもの」が、この世に存在する。と、母上から教わり続けた中高生時代。そんななか、父上のビジネスを手伝うこととなり、計らずもハワイに一人赴いた桜井女史は、当事、日本での大学入学を諦め、家業である父のレストランを手伝う目的にてハワイに向け、渡米する。日々、忙しくレストランを手伝う傍ら、ハワイ大学に進学。東洋史を専攻。東洋の文物に研究レベルの興味を持つ米国本土からの白人女子学生との交友はもちろん、広くアジア各国からの留学生などと直接交友可能であった女史の学生時代の活動は、現在の櫻井女史の発想の「大きさの土台」となっているに違いない。

3)大学卒業後は、直接日本に帰国された由。続いて、日本での就職活動の中、すでにハワイ大学教授の推薦状にて、アメリカから派遣された女性ジャーナリストの秘書として就職。最初の数年間は、日本語の全く出来ない米人女性ジャーナリストの活動を補佐する仕事の連続。すなわち、毎週は週刊誌。そして毎朝は、主だった日本の新聞の主だった記事と興味ある記事を、上司の米人記者に理解可能となるよう、報告するのが仕事。つまり通訳翻訳が彼女の最初の仕事であった。ほとんど和文英訳と取材通訳が女史の仕事であった。と、記してある。
櫻井女史の語学力は、大学を卒業後、そして就職し社会人となった後にも、ますますレベルが高まったはず。その後フリージャーナリストとして独立されるまでに、アジア系の優秀なジャーナリストたちとも仕事を通した交友があったと記されている。

以って、理解できる。
現在の櫻井女史の情報収集力は、アメリカはもとより広く全アジアに跨ってなされるもの。情報の分析力は、女史の「東洋史研究」の基礎と、欧米人ジャーナリストの中で研ぎ磨かれ鍛えられた揺るぎなき「ジャーナリズム正義」に基くもの。

櫻井女史から発信される論評の切り口と目的には、いずれをとっても、人間愛と自国を愛する基本軸が存在する。いずれの場合の論評も、同じ基本軸から外れておらず、断固として揺るぎない。
論旨の背骨となっている「信念」は、女史の辿った「起伏多き半生」の中から育まれたものか。堅固な信念を持ち、且つ日本人の立場にて世界に通用する言論人。高所高見から物事を捉え判断し、日本人の立場に立脚した論評発信可能な人物なり。この一冊から、「そんな人物」を育んできた基盤、基礎となっているものが確実に見えた。

そして「この一冊」、
読んでよかった・・・

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上深川紀行(回顧編)「孟宗竹の取り扱いについて 」

2006-03-16 02:07:02 | 趣味の話&本と雑学メモ

「・・?」

 完成度の低い画質、芸術感覚の悪い対象物と画角、さらには「目的不明瞭なる画像」の掲載、先ず以ってお許しいただきたい!

 実は、この画像、昨日午前中に撮影したもの。
いやその、たまたま太陽が顔をお出し遊ばしたので、日陰の場所に大切にしまっておいた貴重品、竹筒2本を、大急ぎで太陽光のあたる適当な場所に持ち出した。そして単純に「記録目的」で撮影した。

「一体全体、何をターゲットに、何をテーマに撮影したか?」

と、問われると、答えが無い。
とにかく、先日訪問した「友人宅」から貰ってきたものである。

 これ、孟宗竹の切り株か?

いや、違うのか?我輩、適切な「語彙」を持ち合わせていない。それほど竹に関する知識が無さ過ぎるのだ。
ならば、一節(二節)分の「竹の幹」?と、表現するのが正しいのか?
ま、画像をご覧頂ければ、ご理解いただけるであろう。ちなみに左下の二本の竹筒の間に置かれているのはマルボロ煙草の空箱。大きさ比較の目的にて、置いた・・
おっと、結果、画面を見れば、煙草の箱は、画面のほぼ中央に位置するではないか。野外で撮影する場合、デジカメの小さな「のぞき窓」の仔細は、近眼・乱視・乾き目、ほぼメクラ状態?
(めくら=使用禁止用語か?馬鹿な事よ、我輩、自分を称してメクらに近いといっているのが何故悪い!・・)
さて、その「めくら」状態?、その一歩手前の我輩の視力では、デジカメ画面内の小さな画像など有って無きが如し。被写体の計算などは、これ皆無。すべて手探り撮影の繰り返しである。(アイ・ファインダーのくっ付いている「普通のカメラ」が欲しい、買いたい、しかしここは、我慢!・・・)

 ご存知の通り、先週末から3日間、PCチェックの為に友人宅に赴いた。そのパソコン調整の合い間に「竹林見学」をした事、既に述べた。
加えて本年正月元旦、同じく友人UT氏から「正月用の立派な門松の写真」が送られて来たので掲載した。

 これ、この竹の切り株は、門松を作ったときに切り出したもの、その時の余り物である。が、言い換えれば、友人UT氏ににとっては廃材。我輩にとっては、生まれてこの方、初めて手に取る「貴重品=宝物」。そんな「珍品」を頂戴してきた次第であるからして、画像におさめた次第である。

 もう一つ、画像にしておいた理由がある。
この孟宗竹で「竹細工」を始めようか?いや、細工なんて「言葉」の使用は適確でなく、「竹の粗工」を始めようと試行錯誤中。どうやら「花瓶」にするか?いや、花瓶などありきたりであるからして、活花?差し花?の為?の、「お盆型なる花器」にできないか?
(いやはや情けなき冷や汗が出てくる。このジャンルの日本語語彙表現が解らない見当たらない・・・)

等々、
この画像一枚を、まず手にして「試行錯誤」開始したく撮影した。

「・・・?」

そう、、、
撮影時点では、全く気が付かなかったが「我家の愛犬」が、孟宗竹の「輪の中」を真剣な眼差しで覗いているではないか!我輩が庭に出るとき、一緒について部屋を出たのは知っていたが、この画像の中に納まっていること、全く気がつかなかった。なんだか、穴の中の野ウサギ等を追いかける習性本能を、思い起こしつつ、同じ孟宗竹を観察する目的が違うようにも思える。

ところで本日、木曜日。
小説「フォワイエ・ポウ」投稿日は、水曜と金曜日。
その間の木曜日は、そもそも記事投稿をお休みさせて頂く事にしている。でも、こうして「我が従者(ちびダックス)」が画像に収まったからには、ブログでご披露したくなってしまった・・・

さあ~、
四の五の御託を並べるのはここまで、、、。
ではまた明日、小説「フォワイエ・ポウ」の投稿に向け、準備に取り掛かることにしたい・・・

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拝啓 櫻井よしこ女史 : 著書「何があっても大丈夫」に寄せて・・

2006-03-06 13:46:20 | 趣味の話&本と雑学メモ
 最近になり、ますます敬愛してやまない櫻井よしこ女史。彼女の半生を描いた自伝=「何があっても大丈夫」、昨夜、読み終えた。今までに、桜井女史の著書は10数冊読んでいるが、あくまでも社会政治評論エッセイであり我輩にとっても常識、その常識を整理整頓する為に桜井女史のご意見を聞く。したがって読後感はあくまでも単調にして納得そのもの。それ以上も以下もなし!といったところであった。しかし、女史の自伝なる「著書」は、かなり面白い。桜井女史フアン必携必読の一冊であると我輩は豪語する。
あらためて「読書感想文」を書きたくなった。しかし、後日の記事としたい。
なぜならば、本日、
どうしても「抜粋」し記憶に留めたい個所がある。
女史の「ハワイ大学」における学生時代に専攻された「東洋史を学問する」入り口が記されている。
今叫ばれている、我国の歴史認識の重要性を鑑みれば、一体全体、何処から歴史の再学習に取組めばよいのか?一旦社会人となって久しい我々、互いに歴史再入門の学問的ゲートに迷い試行錯誤の繰り返しにて、今尚見えない路をさまよっているはず。そんな中、桜井女史の半生自伝の書の一節に、入り口の「見つけ方」を再確認した次第である。
そして、何故に「読書感想文」を後回しにしたいかという理由を、再度述べる。
すなわち、桜井女史的「理性と常識」は、日本の立場と位置を明確に掌握されており、その大きな基盤の中、日本を含む歴史認識と把握の仕方に正しさがあると考えるからだ。
過去から現在、そして今から取組むべき姿勢、そんな我々の学ぶべき歴史学習に関し、非常に興味深い切り口がある。先ず一番最初に、そこの個所を抜粋掲載したい。
総じて、殊に「社会学」たるもの、色眼鏡をかけずに「比較対照論」を学問的(教養的と言い換えてもいい・・)に、学習実行し、異なる「意見と論旨」に対し、真摯に耳を傾けるフィールドワークなくして「成立」しない研究分野であること、あらためて櫻井よしこ女史著の「何があっても大丈夫」の一節に、観た。
歴史学習研究の切り口と入り口を、再確認した。

以って、女史の著書の一節を(無断で)切り取り、本日記事掲載する。

何があっても大丈夫

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PS:
約10日前、同時に購入した「ビル・エモット著:日はまた昇る」はすでに読了。マイケル・L・ブッシュ著「貧乏貴族と金持ち貴族」は、今週中頃より読書開始する予定。翻訳本且つ歴史関係書であるから、経験上、この手合いの著書には自己満足的悪筆著書多く、いざ、内容に興味を失ったら最期、読み辛くて仕方のないジャンルである。と、想定するから読了は予測がつかない。本著購読の目的は、「ダンディズムの研究」に他ならない・・・ 

櫻井女史フアンの方、すでに本書を読み終えておられる方も、そうでない方も、本著に興味をお持ち頂き、「不肖・エセ男爵ブログ」のランクアップにお力添えを・・・
でもって、
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<以下:櫻井よしこ著:「何があっても大丈夫」より、抜粋引用・・>

第二章 私達は二番目なんだ ― 父からの自立
 (第7項・打ち上げ花火) (p-212~p-214)-抜粋

父に貰ったレミントンのタイプライターは大学卒業までずっと使った。父のように古めかしく、重々しく、年を重ねたタイプライターは、いつも私に、父が私に注ぎ込んでくれたプラスの要素を想いおこさせた。反発し父から離れてしまったけれど、人生の先輩として、父が教えてくれた幾つかのことは、紛れもなくきわめて重要な事だった。
 日本を含むアジア史を専攻した私は、中国の近代史が面白いと思った。日本で歴史を学ぶと、近現代はサッと表面をなぞるだけだが、ハワイ大学の歴史の講義はもっと面白かった。とはいっても、いま振り返ってみると、ずいぶん簡単なことしか学んでいない。それでも面白かったのは、当時の私がそれだけ、歴史を知らなかったからにすぎない。
 歴史は往々にして政治的な衣装を纏(まと)う。ハワイ大学でも、中国現代史は教授によって教える軸が異なっていた、と思う。
 “思う”というのは、私自身が異なる教授のクラスを全てとったわけではなく、学生仲間の情報交換でそのように感じたからである。
 大国清の衰亡と辛亥革命、日中戦争、国民党と共産党軍の面白くも複雑な関係などは、当時生存中の毛沢東や蒋介石も題材にしていたために、非常に臨場感があった。
 そして、アジア現代史の中での日本の描かれ方は往々にしてあまり好意的でないトーンで教えられていると感じた。米西戦争以降、外絵と勢力を広げ始めた米国が、アジアで英国に変わって覇権を握る事を目指し、その過程で日本を排斥していった歴史を考えれば、日本人学生としては日本が批判される立場に立たされるのは自然の流れかもしれない。けれど、日本人学生としては居心地はよくない。ただ、第二次世界大戦に関連する時代以降に目立つ傾向で、それ以前の日本の歴史は、日本人が日本で教わる内容よりは前向きの評価を与えられていた。日本人とは何かという問いを、さまざまな形で突きつけられていた私は、日本の明治以前、江戸時代の幕府の統治によって、豊かな文化的繁栄を築いていったとの指摘が、嬉しかった事を思い出す。
 人口の増減から歴史を評価する方法は、今では当然だと思うが、私がはじめて明確な形で、江戸時代に日本の人口はほぼ倍増し、それは士農工商すべての国民が豊かに暮らしていたことを示すと教わったのは、ハワイ大学でだった。秀吉の時代の日本の総人口は約1600万人といわれてきた。最近、1200万人説も出ているが、それが260年余りの江戸時代にほぼ倍増して、明治はじめまでには2600万人から3000万人になったのだ。
 日本史の教授は、日本が好きで日本研究を始めたに違いない。だから、鎖国時代の日本の繁栄や、明治政府の近代国家建設のための努力や、驚嘆すべき成功や、大正デモクラシーの花開いた時期のことなど、日本で詳しく学ばなかったことを、熱意を込めて教えてくれた。

(櫻井よしこ著:「何があっても大丈夫」引用抜粋・了)

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ウイスキーの話(1/2)

2006-02-18 05:20:58 | 趣味の話&本と雑学メモ
Photo: from "The Scotch Malt Wisky Society"

すでに1ヶ月も前になるか?
ブログ友達のTSさんから(なぜか)我輩に質問があった。
その質問とは、
「ウイスキーの話をせよ!スコッチウイスキーやバーボンの話もまとめてみろ!」
というリクエストが入った。
かなり厳しい質問である。
なぜかしかし、安易にこれをを引き受けた。
かくして難解な大宿題になってしまった。
我輩の知っている(つもりの)「ウイスキーの知識」など、あまりにも貧弱すぎるではないか!
知っているつもりが大したことはない。思っていたほどに自分の知識は多くなく、全くの不十分。
そう、
今はまっているWikipediaを紐解けば、なんとなんと、きちんと整理されているではないか?ここは一つ自分で翻訳。と、思ったものの、何てことはない。日本語のページは、すでに存在するのである。翻訳する必要もなく、すでにウイスキーの解説が詳しく載っているのである。
一週間考えた。
そして得た結論は、
「まずは、ウイキペディアから引用すべし!」
つまり、
知ったかぶりは、したくない。
ならば、
素直にWikipediaのお世話になろう!
「???・・・」

しかし、しょっちゅうWikipedia引用では面白くない。
でも、この度はそれでよいのだ。
あまりにも知識不足とわかった今、甘んじてウイキペディア百科事典のお世話になっても、けっして恥ずべきことでは無かろう・・・
しかし、もう一度、あらためてウイスキーの話を取り上げる。
そう、
本日第一回目は、ウイスキーの基礎知識を整理する。
第二回目にてウイスキーの歴史を取り上げ、あわせて、ウイスキーにまつわる「自分の体験と感性」をまとめておきたい。

スコッチウイスキーの歴史

国書刊行会

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ウイスキーに関しては、この本が読みたい・・・
ウイスキーの種類となるや、予想以上に多岐多種にわたり、奥が深すぎるくらい深い。この深き奥を究めるには、現場主義をモットーとする我輩にして、飲みながら味を利き分けながら研究するのが一番である。しかし、いかにも我が生涯をかけたとしても、すでに飲みきれないであろう。寿命を短めるのが落ちである。命を惜しむわけではないが、ウイスキーと心中するほどの酒キチガイではない。いや、事ここに至って、寿命と相談しながら飲みたくない。
さらに開き直れば、
出来上がったウイスキーを飲んでるだけでは面白くない!
これ、負け惜しみではないが、
寿命をちじめつつ、命を懸けた飲酒現場の実戦で探求する以外の方法をとらねば、、、。と、なれば、まずは書物にて、ウイスキーの歴史と育った背景を探りたくなった・・・

「まあ~ これもボツボツちびちびと、酒でも飲みながら、やりますか・・・」

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[下記、ウイキペディアより引用]

“WHISKY”
From Wikipedia, the free encyclopedia

Whiskey is also the letter W in the NATO phonetic alphabet.
Whiskey is also the international aviation word used to represent the letter "W."

Scotch whisky-Whisky (or whiskey) (from Irish uisce beatha and/or Scottish Gaelic uisge beatha, both meaning "water of life") is an alcoholic beverage distilled from grain, often including malt, which has then been aged in wooden barrels.

Contents: 1 Spelling 2 Characteristics 3 History 4 See also

1) “Spelling”
The spelling whisky (plural whiskies) is generally used for those distilled in Scotland, Canada, and Japan, while whiskey (with an e; plural whiskeys) is used for the spirits distilled in Ireland and the United States; however, there are exceptions. Kentucky, for example, usually spells its product "whisky". A mnemonic used to remember which spelling is used is that "Ireland" and "United States" have at least one "e" in their names, while "Scotland," "Canada" and "Japan" do not. International law reserves the term "Scotch whisky" to those whiskies produced in Scotland; whiskies produced in other countries in the Scotch style must use another name. Similar conventions exist for "Irish whiskey," "Canadian whisky," and "Bourbon Whiskey." In North America, as well as in Continental Europe the abbreviated term "Scotch" is usually used for "Scotch Whisky." In England, Scotland, and Wales, the term "Whisky" almost always refers to "Scotch Whisky", and the term "Scotch" is rarely used by itself. The Welsh version is wysgi.

Other countries also have their own "water of life": see the Scandinavian akvavit, whose name derives from the Latin aqua vitae, while vodka is sometimes referred to as zhizennia voda in Russian, with the same meaning.

Irish whiskey is typically distilled three times from a mash of several grains. Scotch whisky is typically distilled twice, either from barley malt alone (see single malt whisky), or from barley malts and other grain malts which are then mixed together. Kentucky whisky, called Bourbon, is normally only distilled once, as are most other American and Canadian whiskeys.


2) “Characteristics”
Bottles of whisky: Whisky is drunk straight, with water or ice, or mixed with other spirits or drinks (such as "Rye & Coke" or "Rye & Ginger"), including hot coffee (Irish coffee).
Malt whisky consists of whisky made from 100 percent malted barley; malt whisky from one distillery is called single malt to distinguish it from blended varieties. The grains used to make whisky include barley in Ireland, Scotland, Canada, and the United States, rye in Canada and the United States, and corn in the United States. Pure pot still whiskey is made in Ireland from a combination of malted and un-malted barley. Various types of straight whiskey, such as Rye whiskey, Tennessee whiskey, and Bourbon whiskey which are produced in the U.S. are aged in charred, oak barrels. Blended whisky is made from a combination of any of the above whiskies with the similar grain whisky or neutral grain spirits, which are much less expensive to produce than the other types of whisky. Blends will almost always identify the type of base whisky used, ie. blended Scotch, blended Canadian, or blended Bourbon. Light whiskey is a style of American whiskey made up almost entirely of neutral grain spirits, with small amounts (typically less than 5 - 10 percent total volume) of straight whiskey and sherry added for flavor and coloring.
At one time much of the whiskey produced in the U.S. was "Bottled-in-Bond" according to the dictates of an 1898 Act of Congress; this practice has been largely discontinued, because one of the requirements of the Act was that such whiskey be produced at 100 U.S. alcoholic proof (50% alcohol by volume). Whiskey this potent is currently rare in the U.S., partially because of changing public tastes but also because an alcoholic content so high is illegal in many countries, limiting the export market for it.

<ウイスキー>

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Scotch whiskyウイスキー (ウヰスキー)または ウィスキー (英: Whisky または Whiskey) は、蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽の酵素で糖化し、これを発酵、蒸留したものである。
そのままで(ストレート)、または氷を入れて(オン・ザ・ロック)、さらに水で割って( 水割り) 飲まれるほか、カクテルの材料とされることもある。
「ウイスキー」の名称は、ゲール語のuisce beatha(ウィシュケ・ベァハ 、「命の水」の意)に由来する。

『一般的な製法』
麦を発芽させ、その麦芽に含まれる酵素を利用してデンプンを糖化させる。この方法自体はビールの仕込みとほぼ同じである。これを濾過して麦汁(ばくじゅう)を得、これを酵母によって発酵させると、アルコール度数7~8%の「ウォッシュ」(Wash)と呼ばれる液体となる。これを単式蒸留器で蒸留する。一般に、複数回の蒸留を終えた際のアルコール度数は60~70%で、色は無色透明である。(これをニューポットと呼ぶ)蒸留液は木製の樽に詰められ、(スコッチ・モルト・ウイスキーでは通常、材木にオークが用いられるが、これに限らない)数年以上熟成させられることによって豊かな味わい、風味と色がつくようになる。最終的にはこの原酒を水で薄めたあと、瓶詰めされ出荷される。なお、ワインと異なり瓶詰め後に熟成が進むことはない。

『ウイスキーの種類』

材料による分類
「モルト・ウイスキー」
大麦麦芽(モルト)のみを原料とするもの。一般的に、単式蒸留釜で2回(ないし3回)蒸留する。少量生産に適合的で、伝統的な製法。もっとも、大量生産や品質の安定が難しい。
「グレーン・ウイスキー」
トウモロコシ、ライ麦、小麦などを主原料にするもの。連続式蒸留器で蒸留する。
「ブレンデッド・ウイスキー」
モルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンドしたもの。大量生産や品質の安定に適合的。
「ライ・ウイスキー」
主に北アメリカで生産される。ライ麦を主原料とする。

『産地による分類』
産地などによって原材料や製法に違いが見られ、そのため以下のように区別される。スコッチウイスキー、アイリッシュウイスキー、アメリカンウイスキー、カナディアンウイスキー、ジャパニーズウイスキーが世界の五大ウイスキーとされる。

「スコッチ・ウイスキー」
スコットランドで造られるウイスキーをスコッチ・ウイスキーまたは単にスコッチと呼ぶ。仕込みの際に、泥炭(ピート、Peat)で麦芽を燻蒸するため、独特の香気(スモーキー・フレーバー)があるのが特徴である。

「アイリッシュ・ウイスキー」
アイルランドで造られるウイスキーを アイリッシュ・ウイスキー と呼ぶ。大麦麦芽のほか、未発芽の大麦やライ麦、小麦なども原料として使用する。

「アメリカン・ウイスキー」
アメリカ合衆国で醸造されるウイスキーの総称。

「バーボン・ウイスキー」
ケンタッキー州バーボン郡を中心に造られるもので、単にバーボン(Bourbon)とも呼ばれる。トウモロコシを主原料(50%以上80%未満。80%以上はコーン・ウイスキー(en)に分類される)とし、内側を焼き焦がしたオーク樽で熟成させる。
テネシー・ウイスキー
テネシー州を中心に造られているウイスキー。広義のバーボン・ウイスキーに含まれることもある。バーボンとの違いは、蒸留したばかりの原酒を同州産のサトウカエデの炭で濾過した後に樽で熟成するところ。有名なブランドには「ジャック・ダニエル」などがある。

「カナディアン・ウイスキー」
カナダ原産。トウモロコシを主原料とするベース・ウイスキーとライ麦を主原料とするフレーバリング・ウイスキーをブレンドして作るのが特徴。

「ジャパニーズ・ウイスキー」(国産ウイスキー)
ジャパニーズ・ウイスキーの特徴
戦前、渡英した竹鶴政孝によってスコッチ・ウイスキーの伝統的製法が持ち帰られる。竹鶴は壽屋(現サントリー)に在籍し、次いでニッカウヰスキーを創業した人物であり、両社には竹鶴の影響が色濃く残っていると云える。その後、両社は独自の発展を遂げ、世界的にも最高級の品質のウヰスキーを創り出すようになった。ここ数年では国際的な品評会において、本場のスコッチを凌ぐ評価を得ることも多い。

主な製品としてはトリスウイスキー、BLACK NIKKAなどがある。

日本の主なウイスキー製造会社
主なメーカーとしては
サントリー
ニッカウヰスキー
キリンディスティラリー
メルシャン
などがある。

「その他の産地」
タイ・ウイスキー
タイでのみ生産されている。ウイスキーとは呼ばれているが、焼酎の仲間である。米と糖蜜を主原料とし、発酵させたものを蒸留し、ウイスキーの香りを付けている。他のウイスキーより甘みが強いのが特徴。代表銘柄はメコン・ウイスキー。日本で一般的な飲み方の外に、特殊なものとして、ストレートを半口とミネラルウォーターを交互に飲む方法と、タイ漢方薬などの薬草と混ぜて上記の方法で飲むヤードーンと呼ばれる方法とがある。

 <続く―(2回掲載予定)>

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Mnemonic:記憶術?

2006-02-12 00:03:30 | 趣味の話&本と雑学メモ
(image photo: Fountain-pen, by Wikipedia)

 調べものをしていたら、下記の英単語にぶつかった。

MNEMONIC:From Wikipedia, the free encyclopedia

できるだけ辞書を引きたくなかったけれど、引いた。引いて少し驚いた。最近の15年間にて、初めて出くわした単語であるから驚いた。なぜそれが判別できるか?念のために解説しておく。一度引いた英単語には必ず朱色の鉛筆でアンダーラインを引いており、それが二度目三度目になるとそれなりの回数がわかるよう、自分の記憶しにくい単語が判別できるよう、自分の辞書を管理し整理しているからだ。恥ずかしながら、どうしても覚えにくいジャンルの単語がある。引いた回数5~6回のマーク付きの単語があるが、覚えにくくてしょっちゅう忘れている。

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さて、
引っかかる単語だから、さらにしつこく英英辞典を引こうと思ったけれど、PCから操作できるウイキペディア事典(言語)を引いてみたら、下記の意味が出ていた。同じく日本語表記可能となっていたので『日本語』も引いてみたら結構詳細に意味が載っていた。
我輩、今日も脱帽である。パソコンから直接参照できるウイキペディア百科事典の便利さを、今日もまた再確認した次第である。
実は、
最近になって人物の名前、特に映画俳優や歌手などのど忘れが激しくなったので、いささか気になっている。元々記憶力に自信のない我輩、あえて今さら『記憶術』などどうでも宜しい事なのであるが、こうして百科事典を引いてみると、歴史的に科学的に?記憶する為の「技術」なり「工夫」がなされていたのだと感心する。
そして、自分自身の記憶にとどめておくためにも、本日参照したMnemonicの意味をブログ記事として記録しておきたい。

そして今からも尚、記憶力に自信のない我輩は、(特に英単語関連は)記憶しようと思わずに、ひたすら必要な英文を淡々と読み進めて行きたい。単語を忘れたていたら、ひたすら辞書を調べる。頭脳が記憶する必要性を感じていれば記憶しているであろうと、我が頭脳と気長に付き合っていきたく、記憶力の弱さを恥じることなく振舞うことにする。

以下、Wikipediaから、引用する。
A mnemonic (pronounced [nəˈmɑnɪk](発音記号明記できず) in American English, [nəˈmɒnɪk](発音記号文字化け) in British English) is a memory aid. Mnemonics are often verbal, something such as a very short poem or a special word used to help a person remember something. They are often used to remember lists. Mnemonics rely not only on repetition to remember facts, but also on associations between easy-to-remember constructs and lists of data, based on the principle that the human mind much more easily remembers data attached to spatial, personal or otherwise meaningful information than that occurring in meaningless sequences. The sequences must make sense though. If a random mnemonic is made up, it is not necessarily a memory aid.

The word mnemonic shares etymology with Mnemosyne, the name of the titan who personified Memory in Greek mythology. The first known reference to mnemonics is the method of loci described in Cicero's De Oratore.

The major assumption is that there are two sorts of memory: the "natural" memory and the "artificial" memory. The former is inborn, and is the one that everyone uses every day. The artificial memory is one that is trained through learning and practicing a variety of mnemonic techniques. The latter can be used to perform feats of memory that are quite extraordinary, impossible to carry out using the natural memory alone.

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 <以下、ウイキペディア日本語からの引用>

『記憶術』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

意味:記憶術(きおくじゅつ)とは、記憶しやすくするための技術。

目次
1 歴史的経過
2 内容
3 数字子音置換法(メジャー記憶術)
4 数字仮名置換法
5 語呂合わせ
6 場所法
6.1 片手指法
6.2 両手指法
6.3 時計法
7 物語法
8 頭文字法
9 音韻法
10 形態法
11 関連項目
12 外部リンク
13 関連書籍


歴史的経過
古代ギリシアのシモニデスが開祖といわれる。修辞学の一部門として扱われていた。 古代ローマの元老院などでは、メモを使用しての弁論が認められていなかったなどの理由により発達した。
現在では主に、入学試験対策や資格試験対策に活用されている。

内容
記憶術は、大きく2つの系統に分類できる。一つは、純粋に記憶のコツのようなものによって記憶の効率を上げる方法、もう一つは、人間の能力を向上させることによって記憶力を向上させる方法である。

シモニデスによってなされた、宴の座席とそこに座っていた人間とを対応させて記憶する「座の方法」や、そこから派生した、物を掛けるためのフック(鈎)を想像して、これに記憶すべきものを対応させる「フックの方法」などが前者の例として知られる。

後者の例としては、視野の拡大や、右脳の活性化などによる方法や、記憶力の向上によい食品や生活スタイルの追求などがある。

現在体系化されている記憶術は多くは、この両者を組み合わせたものである。

数字子音置換法(メジャー記憶術)
数字を子音に置き換える方法である。子音と子音の間に適当な母音を補う。 英語などのヨーロッパ系の言語で用いられる。

0 → s, c(サ行の音), z
1 → t, d, th
2 → n
3 → m
4 → r
5 → l
6 → sh, ch, j, g(ヂャ行の音)
7 → k, c(カ行の音), g(ガ行の音), ng
8 → f, v
9 → p, b

数字仮名置換法
数字を仮名に置き換える方法である。数字子音置換法を日本語用に改良したもの。

1 → あ行 → あ、い、う、え、お
2 → か行 → か、き、く、け、こ
3 → さ行 → さ、し、す、せ、そ
4 → た行 → た、ち、つ、て、と
5 → な行 → な、に、ぬ、ね、の
6 → は行 → は、ひ、ふ、へ、ほ
7 → ま行 → ま、み、む、め、も
8 → や行 → や、ゆ、よ
9 → ら行 → ら、り、る、れ、ろ
0 → わ行 → わ、ん

語呂合わせ
数字を仮名に置き換える方法である。数字子音置換法よりも簡単に習得できるが、数字に対応する文字が少ないので、適当な文を作るのが大変である。音読みとその変形をカタカナ、訓読みとその変形をひらがなで表す。

1 → イチ、イ、ひと、ひ
2 → ニ、ふた、ふ
3 → サン、サ、み
4 → シ、よ
5 → ゴ、コ、いつ
6 → ロク、ロ、む
7 → シチ、なな、な
8 → ハチ、ハ、パ、や
9 → キュウ、ク、ここの、ここ、こ
0 → レイ、レ、ゼロ、まる、わ、ん
10 → ジュウ、とお、と

場所法
場所(実際にある場所でも、架空の場所でも良い)を思い浮かべ、そこに記憶したい対象を置く方法である。記憶したい対象を空間的に配列する方法である。片手指法、両手指法、時計法などがある。

この方法は海馬にある場所ニューロンの特性を利用している。場所ニューロンは名前のとおり、場所の記憶を司る。場所の記憶は動物にとって重要なため、長期記憶に保存されやすい性質を持っている。


片手指法
5の項目を片手の指に対応させて覚える方法である。

左手小指 → 1
左手薬指 → 2
左手中指 → 3
左手人差し指 → 4
左手親指 → 5

両手指法
10の項目を両手の指に対応させて覚える方法である。

左手小指 → 1
左手薬指 → 2
左手中指 → 3
左手人差し指 → 4
左手親指 → 5
右手親指 → 6
右手人差し指 → 7
右手中指 → 8
右手薬指 → 9
右手小指 → 10

時計法
12の項目を時計の文字盤に対応させて覚える方法である。

1時 → 1
2時 → 2
3時 → 3
4時 → 4
5時 → 5
6時 → 6
7時 → 7
8時 → 8
9時 → 9
10時 → 10
11時 → 11
12時 → 12

物語法
物語を考え、その話に記憶したい対象を登場させる方法である。記憶したい項目を時間的に配列する方法である。


頭文字法
記憶したい対象の頭文字を取り出して覚える方法である。

音韻法
数字をその数字と韻を踏む単語に置き換える方法である。

1 → one → sun,fun,gun,nun
2 → two → shoe,Jew
3 → three → tree,bee,key,tea
4 → four → door,core
5 → five → live
6 → six → sticks
7 → seven → heaven
8 → eight → gate,date,fate,mate
9 → nine → line,sign,pine,wine
10 → ten → pen,men,hen

形態法
数字をその数字に似た形に置き換える方法である。

1 → 鉛筆、煙突
2 → アヒル
3 → 耳
4 → ヨット
5 → 鍵
6 → さくらんぼ
7 → がけ、鎌
8 → だるま
9 → オタマジャクシ
0 → 卵

関連項目
記憶
速読術

外部リンク
記憶術の技法
記憶術に優れた人の脳
記憶力を高めるトレーニングと10のポイント

関連書籍
『記憶術』フランシス・イエイツ 青木 信義 、 篠崎 実 、 玉泉 八州男 、 井出 新、 野崎 睦美 ISBN 4-89176-252-7
『記憶術と書物 中世ヨーロッパの情報文化』メアリー・カラザース 別宮貞徳訳 ISBN 4-87502-288-3
記憶術と書物
『 記憶術のススメ 近代日本と立身出世』岩井洋 青弓社 ISBN 4-7872-3132-4
記憶術のススメより作成

以上、ウイキペディアより引用、、。

以下、アマゾンドットコムより、参考のため検索し添付した。記憶術に関連する書物は、英単語の記憶方法から端を発し、かなりの種類に及ぶ多数が紹介されているから驚いた。
コリン・ローズの加速学習法実践テキスト―「学ぶ力」「考える力」「創造性」を最大限に飛躍させるノウハウ

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芸術家「ミシェル・コネリー夫人」 (3/5)

2006-01-30 17:14:17 | 趣味の話&本と雑学メモ
from Sir Sean Connery's web site

 Ms.ミシェル・コネリーのアトリエの写真である。

 ショーンコネリー卿のHPを飾る重要なリンクページである。サイトを開けば、自然にミシェル作品を紹介するギャラリーに誘(いざな)われる。

 彼女のこのポーズ、穏やかな表情は、さりげなさくも自信に満ち溢れている。人物の背中から差し込む光線に加え、間接ストロボをソフトに照射し、アトリエの空間と人物を浮き彫りにする表現は、見事なり。写真を構成する右手の作品群と、座っている脚長椅子の位置のバランスも良く、この写真を撮ったカメラマンの「感性」に、脱帽、、、。
 
 〆て一言! 惚れ惚れする商業写真である。
(彼女も、絵も、さることながら、計算されつくしたこの写真は、とにかく素晴らしいのだ・・・)

 となれば、明日はどうでも「ロートレックの商業絵画」を掲載しなければ、、、。

*なんだか支離滅裂? = 話の流れのツジツマが、何だかおかしい。ダンディズムからショーンコネリー卿へ、そして卿の奥方ミシェル夫人の話題、彼女の絵画、ロートレックと続くから「試行錯誤」にして「夢想」から「夢走」へと、しばし迷走する・・・

(暫しの迷走をお許しいただければ、下記のバーをクリックしていただきた
い・・・)

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戦艦大和・在りし日の雄姿・・・(軍艦シリーズ・連載1)

2006-01-22 10:21:04 | 趣味の話&本と雑学メモ
<写真>Wikipediaより引用:(宿毛湾沖標柱間にて公試中の大和・1941年10月30日撮影)

!! 「エセ男爵ブログ」の風評・批判・非難や下馬評・その他、こちらから入れます・・・


 またウイキペディアで素晴しい写真を見付けたので、引用掲載して紹介したい。子供の頃に幾度か見た「戦艦大和」の写真である。27ノットの最高速度で公式試運転中の撮影。大和の雄姿を撮影した写真は数多くなく、中でもこの写真はもっとも美しい。

 確たる理由もないが、なぜか今年は「世界の軍艦」の写真を見つけて来てはブログに掲載してみたい。本日、その第一回目で「戦艦大和」を取り上げた。

一日一回、クリックお願いします。人気blogランキングへ

(参考資料)ということで、ウイキペディアに記載された「戦艦大和」の仕様と沿革を添付。添付の意味合いとしては、自分自身の「知識の整理」とでも云ったところか。

    ---------------

<下記:ウイキペディア引用>

起工 1937年 11月4日
進水 1940年 8月8日
就役 1941年 12月16日
除籍 1945年 8月31日

性能諸元
基準排水量 65,000トン(完成時)
満載排水量 72,808トン(完成時)
全長 263.0m
全幅 38.9m
平均吃水 10.58m
最大速度 27.46ノット
乗員 3,300名
軸馬力 153,553馬力 (軸数4)
装甲 舷側 410mm
   甲板 200mm
主砲防盾 600mm

兵装
新造時
3連装45口径46cm砲 3基
3連装60口径15.5cm砲 4基
40口径12.7cm連装高角砲 6基
25mm3連装機銃 8基
13mm連装機銃 2基
最終時
3連装45口径46cm砲 3基
3連装60口径15.5cm砲 2基
40口径12.7cm連装高角砲 12基
25mm3連装機銃 52基
25mm単装機銃 6門
13mm連装機銃 2基


『沿 革』

「建造」
「大和(計画名A140F6)」は1937年11月4日、広島県呉市の呉海軍工廠の第4ドック(造船船渠)で起工された。そのドックは大和建造の為に拡張されて、長さが314m、幅45m、深さ11mとなった。米国に本型を超越する戦艦を作らせぬ為に、それは秘密裏に建造され、当初は海軍の中でも一部に知らされているだけだったと言われている。機密保持のため造船所を見下ろせる所には板塀が設けられ、ドックには艦の長さがわからないよう半分に屋根がかけられた。建造に携わる者は厳しい身元調査が行われ、造船所自体が厳しい機密保持のために管制下におかれた。

そして1940年8月8日進水、「天皇陛下進水式御臨席」の噂も飛び交う中、結局は海軍大臣代理より「大和」と発表される(なお艦首に菊の御紋章のある軍艦の艦名に関しては海軍省の提出した2つの候補から天皇が選定した一つをその艦に命名するのが慣例である)。もっとも、進水といっても、武蔵の様に陸の船台から文字通り進水させるのではなく、大和の場合はドックにただ、注水するだけであった。しかし、機密保持からその進水式は公表されることもなく世界一の戦艦の進水式としては非常に寂しいものに思われたという。 なお、「大和」とは奈良県の旧国名(大和)というばかりでなく、「日本」そのものを象徴する意味合いも含まれており、海軍の本艦にかける期待の度合いが見て取れる(同様の名称として扶桑がある)。1941年12月7日公試終了、同年12月16日就役。


「戦役」
1942年2月12日連合艦隊旗艦となる。同5月29日柱島出航ミッドウェー海戦に参加、同6月14日柱島帰投。1942年8月17日ソロモン作戦支援の為柱島出航、同8月28日トラック入港。1943年2月11日、連合艦隊旗艦を通信、旗艦施設の改良された「武蔵」に委譲。1943年5月8日トラック出航、柱島へ向かう。1943年12月25日トラック島西方180海里で米潜水艦「スケート」より攻撃を受け3番砲塔右舷に1本被雷した。破口はバルジのみであったにもかかわらず、爆発の衝撃で舷側鋼板の下端部が内側に押し込まれ、装甲鈑構造の支持ブラケットが内側に動いて弾片防御縦壁を突き破り、機械室と火薬庫に想定外の浸水被害を受けた。これは敵弾の命中の衝撃のみで浸水をきたす恐れがあるという致命的な欠陥であった。 1944年6月15日、マリアナ沖海戦に参加。同10月22日、レイテ沖海戦に参加。第二艦隊旗艦として米軍上陸船団の撃破を目指し出撃。25日サマール島沖海戦にて主砲弾を104発発射。大和に突入しようとした駆逐艦ジョンストンを副砲の射撃により撃沈。レイテ沖海戦では往復の航程で米軍の爆撃により前甲板に4発の爆弾が命中、損害は軽微であった。

レイテ湾の入り口まで来たが、第二艦隊司令栗田健男中将は何故か反転し、突入することなく引き返している。レイテ湾口ではキンケード中将の率いる米第7艦隊が待ち伏せしており、その中には戦艦6隻が含まれていたから、もし栗田中将が突入を命じていれば、史上最後の戦艦部隊同士の艦隊決戦になっていた可能性が高い。


「最期」
呉に帰港した後の翌1945年3月、呉軍港が空襲を受けた際、敵機と交戦した。目立った被害はなかった。

同年4月6日、沖縄に向けて出撃する。「光輝有ル帝国海軍海上部隊ノ伝統ヲ発揚スルト共ニ、其ノ栄光ヲ後昆ニ伝ヘ」る為にと神大佐の発案で唐突に実施された。大和に沖縄特攻の命令が下ったのは、4月5日、出撃の前日であった。

護衛艦隊(軽巡洋艦矢矧、41駆逐隊(冬月、涼月(防空駆逐艦))、17駆逐隊(磯風、浜風、雪風)、21駆逐隊(朝霜、初霜、霞)など)と共に山口県徳山湾沖より出撃(天一号作戦(菊水作戦))(先導の3隻、対潜掃討隊の花月、榧(カヤ)槙(マキ)は豊後水道で呉に引き返させた)。

菊水作戦の概要は、アメリカ軍に上陸された沖縄防衛の支援、つまり、その航程で主にアメリカ海軍の邀撃戦闘機を大和攻撃隊随伴に振り向けさせ、日本側特攻機への邀撃を緩和し、もし、沖縄にたどり着ければ東シナ海北西方向から沖縄島残波岬に突入、自力座礁し大量の砲弾を発射できる砲台として陸上戦を支援し乗員は陸戦隊として敵陣突入させるというものであった。アメリカ軍の制海権・制空権下を突破して沖縄に到達するのは不可能にちかく、作戦の意義はまさに、一億総特攻のさきがけであった。しかも戦争末期には日本軍の暗号はアメリカ軍にほとんど解読されており、出撃は通信諜報からも確認され、豊後水道付近では米潜水艦に行動を察知される。当初、米第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将は戦艦による迎撃を考えていたが「大和」が西進し続けたため日本海側に退避すると思い、航空攻撃を命じた。偽装進路をとらず、沖縄に直進していたら、あるいは、当時の雲の低いなかで大和以下が煙幕を展開して航空攻撃を回避する作戦をとっていれば、世界最後の戦艦同士の砲撃戦になっていた可能性はあった。

4月7日14時23分に、鹿児島県坊ノ岬沖90海里(1海里は1,852m)の地点で米軍航空隊386機(戦闘機180機・爆撃機75機・雷撃機131機)の猛攻を受ける。10本の魚雷と5発の直撃弾を受け、大火災をおこした大和は最後の魚雷が命中した3分後傾斜が6度から20度になり総員退艦命令が出された。しかし、艦内の大半のものにそれは知られず、総員退艦発令3分後大傾斜後横転(のちに転覆?)し海中で弾薬庫が大爆発(機関部が水蒸気爆発を起こしたという説もある)船体は折れて海に沈んだ。そのときに発した火柱は、遙か鹿児島でも確認できたという。

同型艦の「武蔵」が魚雷20本以上・爆弾20発近くを被弾し、炎上しながら9時間程耐えたのに比べ「大和」はいささか早く沈んだ印象があるが、これは被弾魚雷の内1本を除いては全て左舷に集中したためと、低い雲に視界を遮られて大和側から敵機の視認が困難を極めたからであり、大和の操艦や性能が武蔵に劣っていたわけではない。米軍航空隊は「武蔵」撃沈で手間取った点を重視し、大和型の攻略法を考えていた。その方法とは片舷の対空装備をなぎ払った後、魚雷を集中させると言う物で、実際に第一波攻撃では「大和」は魚雷を被弾していない。しかしながら、米軍側と日本側の戦闘記録による命中数と被弾数には大きな食い違いがあり、魚雷に至っては米軍側は30本以上を主張しており、その戦闘の激しさを物語っている。

なお、菊水作戦時、沖縄までの片道分の燃料しか積んでいなかったとされていたが、実際には約4,000(満載6,000)トンの重油を積んでいた。重油タンクの底にある計量不能の重油を各所からかき集めたためで、実際にはその量だと全速力でも三往復はできた。また、うまく沖縄本島に上陸できれば乗組員の給料なども必要とされるため現金もかなりの額を持っていったといわれている。

戦死、伊藤整一第2艦隊司令長官、有賀幸作艦長以下2,498名、生存276名。

「現在」
現在の大和は、北緯30度43分、東経128度04分、長崎県男女群島女島南方176キロ、水深345mの地点に於いて、艦首は北西(方位310度)に、艦尾部は東(方位90度)方向に、右舷を下にした艦首部より一番副砲までの原型をとどめた部分、転覆した状態の三番主砲塔基部付近より艦尾までの原型をとどめた後部が約170メートルの間に、中央部の原型をとどめぬ艦中央部は一つの起伏となり艦尾艦首の70メートル南に転覆した状態で、それぞれ半分泥に埋まった状態で沈んでいる(NHK特集『海底の大和、巨大戦艦四十年目の鎮魂』にて放送)。

「歴代艦長」
  宮里秀徳(大佐):1941年9月5日~
  高柳儀八(大佐):1941年11月1日~
  松田千秋(大佐):1942年12月17日~
  大野竹二(大佐):1943年9月7日~
  森下信衛(大佐):1944年1月25日~
  有賀幸作(大佐):1944年11月25日~1945年4月7日

「大和(初代)」
初代「大和」は葛城(初代)型の2番艦で1887年11月6日竣工しスループ→巡洋艦→海防艦→測量艦という経緯を辿る。また日本海中央部に大和堆を発見した。1936年4月1日除籍され刑務所の宿泊船になり、1950年解体された。


「主要参考文献」

通史
児島襄『戦艦大和』上、下(文春文庫、1986年)
上 ISBN 4167141051
下 ISBN 416714106X
平間洋一 編『戦艦大和』(講談社選書メチエ、2003年) ISBN 4062582694
原勝洋『戦艦大和のすべて』(インデックス・コミュニケーションズ、2005年) ISBN 4757302894

建造記録
原勝洋 編『戦艦大和建造秘録―完全復刻 資料・写真集』(KKベストセラーズ、1999年) ISBN 4584170762
松本喜太郎『戦艦大和・武蔵 設計と建造』(芳賀書房、1961年)
松本喜太郎 著・戸高一成 編『戦艦大和 設計と建造-大和型戦艦主要全写真+大型図面』(アテネ書房、2000年) ISBN 4871522091
御田重宝『戦艦「大和」の建造』(講談社文庫、1987年) ISBN 4061840592
御田重宝『戦艦大和の建造』(徳間文庫、1999年) ISBN 4198911525
前間孝則『戦艦大和誕生』上、下(講談社+α文庫、1999年)
上 西島技術大佐の未公開記録 ISBN 4062564017
下 「生産大国日本」の源流 ISBN 4062564025

図面集
岡本好司『スーパーイラストレーション 戦艦大和』(モデルアート社1993年9月号臨時増刊 No.414)
ヤヌス・シコルスキー 著\原勝洋 訳、監修『戦艦大和図面集』(光人社、1998年) ISBN 4769808453

写真集
呉市海事歴史科学館 編・戸高一成 監修『呉市海事歴史科学館図録-日本海軍艦艇写真集・別巻 戦艦大和・武蔵』(ダイヤモンド社、2005年) ISBN 4478950547
原勝洋 編『戦艦「大和」 永遠なれ!』(KKベストセラーズ、2005年) ISBN 45844170975

戦記
吉田満『戦艦大和』(角川文庫、1968年) ISBN 4041281016
吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫、1994年) ISBN 4061962876
ノンフィクション、戦争文学の古典と位置付けられている。
吉田満・原勝洋 編『ドキュメント戦艦大和』
(文春文庫、1986年)ISBN 4167349027
(文春文庫新装版、2005年)ISBN 4167349043
原勝洋『日米全調査 決戦戦艦大和の全貌』(アリアドネ企画、2004年) ISBN 4384033893
レイテ沖海戦における大和艦隊の実態、巻末付九四式四十糎砲塔兵器学教科書。
阿部三郎『特攻大和艦隊-帝国海軍の栄光をかけた十隻の明暗』
(霞出版社、1994年) ISBN 4876022119
(光人社NF文庫、2005年) ISBN 4769824580
原勝洋『真相・戦艦大和ノ最期-写真と新資料で解明!』(KKベストセラーズ、2003年) ISBN 4584187576
辺見じゅん『決定版 男たちの大和』上、下(角川春樹事務所ハルキ文庫、2004年)
上 ISBN 4758431248
下 ISBN 4758431256
証言集
原勝洋 編『伝承・戦艦大和』上、下(光人社、1993年)
上 ISBN 4769806663
下 ISBN 4769806671
海底探査記録
辺見じゅん・原勝洋 編『戦艦大和発見』(角川春樹事務所ハルキ文庫、2004年) ISBN 475843123X
テレビ朝日出版部 編『戦艦大和-海底探査全記録』(テレビ朝日事業局出版部、1999年) ISBN 4881312367

戦艦大和を描いた映画
『戦艦大和』(吉田満原作)
『連合艦隊』
『男たちの大和/YAMATO』(辺見じゅん原作。2005年12月17日公開)



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