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Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

Dinner Rush 「映画感想文」

2006-01-09 12:07:13 | 趣味の話&本と雑学メモ
 映画「ディナーラッシュ」を真面目に観た。

この映画、動かない動きが、実は動いていて面白い。つまり、同じレストランを定点観察し、レストラン以外からの観察は、皆無。

とにかくレストランというサービス業を背景にした良い映画なので、是非紹介しておきたい。

若手俳優「エドアルドヴァレリーニ」は、ニューヨークの新進気鋭の料理人の役柄を、見事にこなしている。父親の経営するイタリアンレストランのシェフ役で登場。けっこうイタリアンっぽいハンサム青年である。

この映画、一体全体誰が主役で誰が脇役かわからない。敢えて主役といえば、ニューヨークのど真ん中に存在するイタリアンレストランそのものである。

ディナーラッシュ ~スペシャル・エディション~

ハピネット・ピクチャーズ

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レストランの仕組み、キッチン(厨房)とホール(客席)その他倉庫やトイレに至るまで、レストラン内部の仕組みを描ききっており、レストランの仕組みそのものがこの映画の「舞台」。スピードも、音楽も、若手もヴェテランもひっくるめた俳優人の役割分担もしっかり構成されており、世代を超えた老若男女のあらゆるジャンルが楽しめる映画である。(若し、この映画を観て「面白くない!」というシニア諸氏がいたならば、それは老いた証拠である。と我輩は断言する・・・)
レストランという動かない「定点観察」で時間が推移する、一見味気なさそうなストーリーであるが、最終段階で一転二転。かなり奇想天外なシナリオ展開がなされており、レストラン従業員の人間関係はもちろんのこと、レストランの各種来客などの癖や下品さ上品さ、加えてレストランの楽しみ方、詳細な人間模様が描かれているからすばらしい。

1)厨房内部の動きが鮮やかに描かれている。
2)ゲストの注文にあわせた「料理と酒」がキッチンで出来上がりゲストホールで振舞われる様(さま)、画像を見ていて食したくなるくらい「リアル」なイタリアンディッシュが、洗練されたサービススタッフの配膳(サービス)にて我々「映画鑑賞者」の目の前を、みごとなリアルさで、動く。躍動する。
3)ホールスタッフの、来客への「あしらいと対応」が見事に表現されている。レストラン関係者には、多いに参考になる。
4)癖のある客を、そしてそんな顧客に対する対応を、上手く描ききっている。
5)レストラン従業員同士の恋愛描写が生々しく、よく在る出来事を面白く捕らえている。
6)中年男性であるレストランオーナーとその息子である厨房のシェフとの世代間の『ものの考え方』の違いを上手く表現し、その違いそのものがこの映画のストーリーを展開させているから面白い。
7)レストラン内部のWaiting-Barの機能を表現しているから、ウエイティングバーに不慣れな日本人には勉強になる。そのバーに勤務する優秀なバーテンダーの機知に富んだ顧客対応は(実際には不可能に近いであろうが)すばらしく、実務についているプロにも是非一見の価値あり。
8)レストランオーナーの仕掛けにより、同レストランの地下トイレで、町のヤクザが2人殺害される。が、物語はハッピーエンドである。ここら辺りのストーリー展開が実にスピーディーで面白い締めくくりなのである。

おおよそ2時間の映画は、同じ場所、即ち同じレストランの開店から閉店迄の時間帯を切り取り、ある夜の「レストラン内の出来事」のみで全ストーリーを表現しているのが新鮮である。同じホテル、同じ館、同じ場所でストーリーが展開していく手法は、過去の映画で幾度か観たことがある。しかしこの映画で使われた「表現の新鮮さ」と素晴らしさ、定点観察手法の素晴らしさを、あらためて実感した。

某国の「海外食べ歩き特集TV番組」等、下手な、センスのない、気合の入らない「特集」を数十本作ったって、この映画一本とは比べ物にならない。もちろん制作費も脚本も、センスもマネーも「レベル」が違うか、、、。

久しぶりに『胸のスカッ!』とする痛快な映画作品を観た。
求めていた、そして自分に必要な何かを?それに関わる感性に?、多いに影響を及ぼす「名作」である。と、受け取った。

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賀正:「かどまつ」(同期生UT氏からのお年玉)

2006-01-01 01:10:38 | 趣味の話&本と雑学メモ

まずは、

  ・・・・謹賀新年

 今年も宜しくお願いします。

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  <本文>
 
 新年にちなんで「かどまつ」の画像掲載した。

「・・・?」

いや、「した!」ではなく、「させていただいた・・・」
ご存知、旧友UT氏より、昨年末にうれしい画像が数点届いた。
何と、「かどまつ」ではないか・・・
小さな文字の(我輩の視力にて)見にくいメールをあらためて読んでみると、何と自分が創ったと書いてある。くわえてえ、どう観ても「ご近所の老人ホーム」の施設に設置された『本格的な角松』!
我輩、驚いた。
こんなこと、彼が出来るのだろうか?彼、経歴的には(けっして)玄人や本職でもないのに・・・
また、
ご近所の老人ホームへ「寄贈」したのではなかろうか?
(これは有り得る。彼なら寄贈しかねない・・・)
ここまでは納得・・・
しかしここで、我輩特有の好奇心が髣髴し始め、新たな疑問が湧きあがってきた。
彼が創ったなら、作り方に疑問がある。聞きたいことがある。
そしてつぶさに、聞いた。
応えてくれた・・・
うれしいなあ~
我輩のような不徳にして我儘者のシニア不良にとって、有難くも、こんな「優雅な友人」がいるなんて、、、。

まま、ささ、、、
・・・・読者の皆さん。
お正月早々、不肖・エセ男爵の誇りとする、奇特にして「優雅な友人」の『かどまつ製作』の件(くだり)、下記メールに目をお通しくだされ・・・

----------------------

<友人UT氏よりのメール>

日付:2005年12月30日午後(我輩、UT氏に対し、寄贈写真掲載許可を求め、了解していただいた返答メールより・・・)

<UT氏メール本文>
いよいよ迫ってきた感じ! 
毎年繰り返される年末、そして正月。
00年も過ぎると正直さしたる感動もなく、さりとてまんざら惰性だけでもなく。

門松は小生の戯れ技にて趣味の世界で・・・・結構喜ばれたりして・・・・。
最近の人は案外関心のない「門松さん」かも知れません。

ブログでもし使うのならこちらの写真も参考にしてみて選んでください。

では来年の3月8日には再会しましょう!

              2005.12.30.  T.U

   -------------

<かどまつ製作プロセスについて我輩の質問から、友人UT氏よりのメール回答・・・>

用件のみにて・・・・・。

気に入ってもらったようで感激です。
元旦の、オープニンーグブログに使用されるなんてこれは小生にとって歴史です。

お答えします。

竹は孟宗竹です。 
我が家の竹やぶで、私が門松用にまっすぐい肉厚の孟宗竹を切り採りました。 斜めの切り口がポイントです。この大きさの場合切り口の長さは約45センチにしています。写真ではよく見えませんが、顔のイメージを作り、口の表現として切り口にフシを一箇所入れます。見方によっては笑い顔(福顔)に見えます。切り口の45センチを揃えれば切り口の傾斜が揃います。のこで切るのですが、かんなをかけて仕上げます。
これは建て物が大きいので普通に見えますが、竹の太さは直径25センチ以上で3メーターに切り、担いでもかなり重かったよ。一番高い丈は210センチにしています。以後切り口分ずつずらして低くしています。

丸い台
ドラム缶を40センチに切断します。 日曜大工センターで檜皮はそれ用に売っています、本来庭木の固定用に、幹に巻きつけて杭に縛るとき紐で幹にキズがつかないように保護する目的で使われます。 門松を置き、片方で7袋の砂袋を押し込み固定しています。

飾り
梅・赤ナンテン・赤ヒイラギ・赤い千両すべて自前です。松、及び裏白(ウラジロ)は山に沢山生息しています。(徒歩10分)、葉牡丹だけはお金を出して購入。

以上材料を全部一人で準備し(まん丸3日かかります)組み立ては手伝ってもらいます。飲み仲間は呼べばすぐOKです、今回4人で2時間。

以上気の向くままに・・・作成裏舞台也。


-----------------
 
         <上記、ありがたくも友人の仔細解説なり・・・>   

  
     <本日の本文・完・・・>


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<追記>:
シリーズ・ダンディーはどうなっているか?(そろそろ始めねばなるまいぞ)
しかし、俳優著名人に限り、記事にすると言ったはであるが?・・・
「・・・?」
さあ~て、
UT氏の「ダンディー度」について、一言?
これ、
 (彼の場合は普通人だから対象外なり。いや、ひょっとすると普通人ではないかも?このBlogでは、すでに有名人かも?まいったなあ~)
そうなると、査定は厳しく、良い評価は難しいよ!
「・・・?」
「こんな『かどまつ創る男』の評価、不肖・エセ男爵は、いかに思っているのか?聞いておかねばならん!」(一部の読者の声・・・)
と、、、。
「では、あらためて申し上げよう」
彼は、
人付き合いよく、如才なく、意外と判断力に長け、すなわち頭脳明晰。くわえて子器用、小まめ、熱心、ハンサム(ちょっと日本人離れした濃厚な顔立ち)、見掛けに似合わず物腰柔らか、(我輩と違って)他人様とはめったに喧嘩しない、人から嫌われない、、、。
などなど、長所は数え上げればきりがなく、短所が見つからないから、困る・・・
この類の日本男子は、意外と、居そうで居ないのだ。
結果、評価は、まちがいなく「ダンディーな男」の範疇!
(彼をして、非ダンディー男には、どうしても出来ないのだから困っている・・・)
「だから最初から、論じたくないのである・・・」
「・・・?」
「なに、女に?もてていたか?って・・・」
「そんな基本的なこと、いまさら聞いてくだささるな!」
「・・・?!」
「よく解らんのだ・・・」
「・・・答えろ!逃げるな!」
だって、、、。
(読者の一部は、厳しいなあ~)=我輩のボヤキ!
「いや、結果的に、彼はもてました・・・」
「飛び切り頭の良い背の高い美人の奥様と結婚した。彼がどれほど口説いたか、口説かれたか、相思相愛だったのか、どうか知らないのだから・・・」

とかなんとか、
万事、青天の霹靂にして未だに五里霧中の我輩、いまなお見逃しているのである・・・
だから、だから、今頃になって、あらためて車寅次郎先生に師事したいのである・・・

<旧友UT殿、暴露記事、お許しくだされ!しかしもう時効だからごかんべんを・・・ これに懲りず、今年も宜しくお願いします!>

「日本の美」、OT先輩に捧ぐ(坂の上の雲<七変人の章>に寄せて)

2005-12-07 14:29:27 | 趣味の話&本と雑学メモ

お約束通り「七変人」のくだり、抜粋投稿する。

なにか、
 先輩OT氏の「風景写真」を拝見しつつ、感ずるところが多い。

 俳句を近代文芸にまで高めた明治の俳人「正岡子規」にあらためて敬意を表し、かつ親しみを込めて(実は、畏れながら)、司馬遼太郎先生の長編小説「坂の上の雲」から抜粋、記載する。
 若き頃はことごとく避けて通ったみちなれど、すわ必要!と、感じた時が旬ならば、今一度の挑戦を試みたく、年甲斐もなく好奇心にて深き造詣の迷宮に入りたくなった。

 あらためて我輩、ようやくここに至り(来年から)日本文芸の古典を紐解きたい。

嗚呼、良き先輩に恵まれることの幸せ、先輩からの感性を受け、我が若輩なる感性をも触発される。いかにも豊かな感性に接する機会ある事の「贅沢」さ加減、即ち、OT氏を先輩に持つ若輩者の我輩、贅沢な身分である。これ如何に素晴らしき環境か!
あれこれ、、、
こんな事、そんな事、
本日、あらためて想うのである・・・

坂の上の雲〈1〉

文藝春秋

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坂の上の雲(第一巻)

七変人(抜粋)P-186[文庫本]


― いったい、あしの頭はなににむいているのだろう。
ということが、子規の悩みであった。もっとも、苦手(ニガテ)なものはわかっている。学課の勉強であった。
「勉強せざるべからずとは絶えず思えり。されど学課はきらいなり」
と、子規は書く。語学ができないだけでなく、代数がどうしてもわからない。幾何は興味があった。しかし、その程度である。
生涯の大仕事としての哲学志望が、あきらめられなかった。しかしこの当時の大学予備門の若者たちの共通した性向として、日本一を欲した。哲学をやるからには、日本一の哲学者になりたい。
しかし子規の目から見れば、日本一はもうきまったようなものであった。同級の米山保三郎である。
が、あきらめられない。
秋が深み始めたある夜、子規は同宿の真之がその夜の勉強をおえたころを見はからって、
「相談があるんぞな」
と、もちかけた。その一件である。
「あしの頭は、哲学にむいとるか」
と真之にいった。
真之は、くびをかしげた。ものごとの追求力は、子規は常人よりすぐれている。
「しかし、考えを結晶させる力が乏しいようだな」
と、真之はいった。真之にいわせると、「考え」というものは液体か気体で、要するにとりとめがない。その液体か気体に理論という強力な触媒をあたえて固体にし、しかも結晶化する力が、思想家、哲学者といわれる者の力である。その力がなければその方面にはすすめない。
「それが弱そうじゃな」
と、真之はいった。
それをきいて子規はみるみる顔を赤くし、自己弁護をはじめた。
「弱いのではない。あしの胸中には、結晶化を妨げる邪魔者があるのじゃ」
「邪魔者とは、なんぞ」
「文芸じゃが」
と、子規はいった。
文芸とは、哲学とはおよそ両立しがたい精神の作用で、せっかく結晶しようという考えが、文芸によってさっさと流されてしまう。
「詩歌小説というものじゃ。もはやいまでは小説なくては夜もあけぬような気持ちになっている」
「されば、それをやればよかろうが」
と真之がいうと、子規はにがい顔をしてた。子規は旧藩主の好意でできた常盤会の給費を受けている。常盤会は、ゆくゆく大臣参議か博士になるような子弟のために金を出しているのであり、給費生が、詩人歌人あるいは小説家づれになることを好まないであろう。
子規がそれをいうと、真之が、
「俗なことをいうな」
と、大声を出した。子規もわれながら俗なことをいったとおもったのか、いよいよ顔を赤くした。

語り合っているうちに、子規が急に、
「淳さん、顔色のすぐれぬのはどうしたわけかねや」
と、伊予弁できいた。
真之は、苦笑し、
「じつは、あしもな」
なやんどるのよ、といった。
真之もよく似た悩みで、大学予備門にすすんだものの、このままでいいのか、ということであった。
ひとつは、兄好古のふところぐあいであった。まだ尉官の給料で弟を大学にやるというようなことは、不可能にちかい。
「くだらぬことを心配するな」
と好古はいうが、尉官の給料がやすいうえにあの大酒である。好古の酒は生理的な欲求で、それをやめるわけにはいかない。
さらに好古は、多数の将校から抜擢され陸軍大学校に入っており、戦術研究のためには外国の兵学書をとりよせねばならない。(p-186)
本来、ヨーロッパの文明国では、将校はふつう貴族の子弟がなる。給料をあてにせねばならぬような階層のものはすくなく、兵学研究のための書物購入にはかれらは湯水のように私費をつかうし、また尉官程度の者でも社交費は給料の数倍もつかうというのがふつうであった。いわば将校は、貴族の名誉職のようなものなのである。
ところが日本の陸海軍は貧乏士族の子弟が将校になった。
余談ながら、これは後年、ロシアの水兵たちをおどろかした。
― 日本はいい国だ。
とかれらはいったらしい。ロシアでは陸軍の兵隊や海軍の水兵は下層の農夫や農奴、牧夫のなるもので、その階級から将校になることは絶無といっていいほどまれであったが、日本にあってはいかなる階層でも一定の学校試験にさえ合格できれば平等に将校になれる道がひらかれている。
それはいい。
しかし書籍代までは国家がその費用を負担してくれないのである。好古はこの費用の捻出については、相当苦心をしているようであった。
(あしが大学へゆくというのは、やはりむりだな)
と、真之はおもうようになった。
― やめようか。
と、何度おもったかわからない。しかし兄には言いだしかねていた。言えばこの兄はいこじになって、
「金のことを考えるまに、少し利口なことでも考えろ」
というにきまっていた。
これが、真之の悩みの最大課題である。結局、学費無用の学校にゆきさえすれば即座に解決することであった。
学費無用の学校といえば、陸軍士官学校か、海軍兵学校である。
― ゆくとすれば、海軍だな。
とおもったりするのだが、かといって真之はいまのこの快適な学校生活をすてる気にはなれない。

「このまま大学へ行っても」
と、真之は急に話題をかえる気配を示したが、そのままだまってしまった。
子規はしばらく真之のつぎの言葉を待ったが、やがて問いかえした。
「なんのことだ、このまま大学へ行っても、とは?」
「いや、な。このまま大学へ行って学士になっても、たいしたことはないということさ」
「なにを言いだしたのだ」
「おれはな」(p-188)
と、真之はいった。
「升さんとおなじで、うまれたからには日本一になりたい」
「たれでもだ」
と子規はいった。それが国家草創期におけるえらばれた青年たちの共通のねがいであろう。この点、子規は哲学青年兼文学青年であっても、時代の子であるだけにその志向はひどく陽気で、懐疑も皮肉も屈折も感じていない。なにしろ「朝ニアッテハ太政大臣、野ニアッテハ国会議長」とおもって東京に出てきた青年なのである。
「年々学士がふえてくる」
と、真之がいった。
「そりゃふえるだろう」
「学士なんざ、めずらしがられていることでこそ、工科の学士は卒業早々に鉄橋を架けたり、医科の学士はすぐさま病院長になったりしたが、これからはそうはいかぬ」
「なるほど」
子規は、大まじめな顔でうなずいた。
そのとおりだとおもった。一つは学問を拓(ヒラ)くにしても、草創期の連中はとくであり、その学問を外国からもってかえるだけでそのまま日本一の権威になれる。
「たとえば加藤さんや山川さんでもそうだ」
と、真之はいった。
加藤さんとは、いま大学の総理に任じている加藤弘之のことである。但馬出石(タジマイズシ)藩の出身で、はじめ蘭学を学び、蘭学をもって幕府につかえ、蕃書(バンショ)取調所の教授になった。ところが、時勢をどう見ぬいたのか、幕末の騒乱期にドイツ語を独学した。当時、ドイツ語などをまなぶ者は加藤弘之ひとりであった。維新後蘭学がすたるや、わが国ドイツ学の唯一の権威として尊ばれ、新政府に召され、さらにドイツ哲学の最初の輸入者になった。
教授の山川健次郎にしてもそうであった。会津藩士の家にうまれ、会津若松の落城直後、のまず食わずで東京へ出、やがて渡米し、苦学して物理学をまなんだ。
「われわれは遅くうまれすぎたのだ」
と、子規はいった。
「しかし、かれら先人のやらぬ分野がまだあるはずだがな。それが学問でなかっても」
と、子規はいう。
真之も、それを考えている。
(海軍が、それに近いな)
と、真之はおもった。
しかしそのような方面に心を動かしているということは、真之はおくびにも出さなかった。出せば、なにやら子規に対して裏切るような、そういう後ろめたさがあった。
この時期から、友人間における真之の印象がにわかに冴えなくなっている。
― あの男、からだでもわるいのか。
と、ひとが同宿の子規にきいたりした。
「いや、あいかわらずの大めしだ」
子規はそう答えた。同宿の子規の目から見れば真之の様子はふだんのとおりであった。
以前とかわったといえば、子規の文芸趣味が伝染(ウツ)ってその種の書物をやたらに読みはじめたことであり、この点、子規は、
― あしと同病になった。
と、むしろよろこんでいる。
文芸趣味という点でいえば、子規は終生のこのみとして色恋をあつかったものを好まず、特にそれが卑猥に堕しているものを好まなかったが、真之はなんでも手あたりしだいに読んだ。とくに浄瑠璃本をこのんだ。
「おそらく浄瑠璃本のよみすぎだろう」
と、子規は、真之の様子がわりについて仲間にそう説明した。
が、真之にとってはそれどころではない。
(おれは本来、この世界にいる人間ではあるまいか)
と、自分の文芸趣味についてそう考えつつも、そうはできぬ自分の境遇との板ばさみについて悩んでいた。
子規は、気づかなかった。
ある夜、ふたりで古今東西の文学について論じあったあげく、子規は昂奮し、
「淳さん、栄達をすててこの道をふたりできわめようではないか」
といったとき、真之にもその昂奮がのりうつり、
「あしもそうおもっとった。富貴なにごとかあらん。功名なにごとかあらん」
と早口にいった。戯作小説のたぐいの世界に入るということは、官吏軍人学者といった世界を貴(とうと)しとするこの当時にあっては生娘が遊里に身をしずめるような勇気が要った。
「立身なにものぞ」
と、子規はいう。
「あしもな、淳さん、松山を出てくるときにはゆくゆくは太政大臣になろうとおもうたが、哲学に関心を持つにおよんで人間の急務はそのところにないようにおもえてきた。どうもあしにはまだよくわからんが、人間というのは蟹が甲羅(こうら)に似せて穴を掘るがように、おのれの生まれつき背負っている器量どおりの穴をふかぶかと掘ってゆくしかないものじゃとおもえてきた」
「升さんのこうらは文芸じゃな」
(となれば、あしはどうだろう)
とも、真之はおもわざるをえない。それほどの才があるか。
(ある)
ともおもえる。うぬぼれていえば子規以上のようにおもえる。しかしその戯作者や詩文の徒の生活を考えてみると、よくは知らぬながらともかくも書斎にこもり、明窓(めいそう)にむかい、浄机(じょうき)に硯(すずり)をのせて日常をすごしているとすれば、どうも自分の肌合とはちがうようであった。

ついに、兄の好古に相談してみることにした。ところが、兄の下宿への道がわからない。
好古は陸大に入ったあと、市ヶ谷から通うのが不便だったため、陸代の校舎に近いところに下宿を移していた。
結局、陸大にゆくことにした。
夕刻、門前で待っていると、陸軍騎兵隊大尉の服装をつけた好古が、騎馬で出てきた。
「兄(あに)さん」
といって駆けよると、好古は用件もきかずに、
「淳、くつわ(轡)をとれ」
と、命じた。陸大に入ると馬丁(ばてい)がつかないから好古はいつも徒歩でかよう。が、きょうはひさしぶりで馬に乗って騎兵連隊の営庭をひと駆けしようとおもい、門を出た。さいわい、門前に真之がいた。
「兄さん、馬はいやぞな」
と真之はしぶった。馬という動物にさわったこともないし、ましてくつわをとる技術も知らない。
「ええんじゃ。ただうしろから遅れぬようについてくればええ」
好古はそう言いすてると、馬を早めた。真之は駆けだした。
途中、息が切れた。馬場先門の陸軍用地のあき地のそばにたどりついたころには顎が前へ出ていた。
(天下の予備門の書生もこれでは台なしだ)
とおもい、友人にこの光景だけは見られたくないとおもった。
やがて八重洲一丁目の営庭までくると、好古はふりかえり、
「なあ、淳。その叢(ぼさ)でやすんでおれや」
と言い、拍車を入れて駆けだした。
真之は、兄の馬術を見ることができた。なるほどひとが評判するだけあってみごとなものであった。
小一時間ばかり見物していると、好古の姿が見えなくなった。程なく徒歩であらわれた。真之の想像するところ、あの馬はおそらくここの馬で好古はそれを返してきたのであろう。
好古は真之のかたわらの樹に近づくと、無意識のような動作で前をはずし、放尿しはじめた。
「兄さん、ここは兵営ぞな」
と、真之のほうが心配して注意した。
「なるほど」
好古もそれに気づいたらしい。が、やめるわけにもいかず、
「これは、秋山家の遺伝じゃな」
と、苦笑した。父もそうであり、このひとの立ち小便は松山でも有名であった。
やがて好古がやってきて、芝の上に腰を下ろした。軍服のそで口がすりきれている。
「用か」
「いいえ、相談です」
と、真之はいった。好古はうなずき、連れ立って門を出、町で酒を買った。

好古のこんどの下宿も、離れである。沓(くつ)ぬぎがあって、あがると三畳である。そのつぎの部屋に好古は起居していた。
あいかわらず、道具がない。たんすかもないから壁はむきだしであり、床ノ間には掛軸もかかっていない。将校行李がひとつ、床ノ間においてある。
好古は、手酌でのんでいる。徳利から湯のみに酒をつぎ、はじめのうちは三分もたつともうからになっている。
「大学予備門をやめたいというのか」
と、好古念を押し、あとは、炯々(けいけい)とまわりを見まわしながら酒を飲む。真之はこの、兄の一種の豪宕(ごうとう)な飲酒の気分がすきで、
― 人格の韻律を感じさせる。
などと子規にいっていたりしていたが、いまのばあい真之はだまってかしこまっているほかない。
「なぜやめたいのだ。みじかくいってみろ」
と、好古はいった。
― 授業料のことが心配で。
などとは、真之はいえなかった。いえば好古は一喝(いっかつ)するにちがいない。
「兄さん、うかがってもいいですか」
「なんだ」
「人間というものはどう生きれば」
よろしいのでしょう。と真之はおそるおそる、兄の心底をそんな質問でたたいてみた。人間はなぜ生きているのか。どう生きればよいか。
「人間?いや、これは」
好古は顔をなで、
「むずかしいことを言やがる」
下唇を突き上げた。おらァな、いままでどう自分を世の中で自立させてゆくか、そのことだけで精いっぱいで、土の底の根もとのことまでは考えがおよばんじゃった。
「いまやっと自立し、齢も二十台の半ばを数年すぎ、そのことをときに考えることがある。が、おれの得た思案は、お前の参考にはならぬ」
「なぜです」
「わしは日本陸軍の騎兵大尉秋山好古という者で、ざんねんながらばく然とした人間ではない」
「ばく然とした人間とは?」
「たとえば、書生よ」
書生の立場ならば、人間ということについての思案も根元まで掘り下げて考えることができるが、すでに社会に所属し、それも好古の場合陸軍将校として所属と身分が位置づけられてしまっている以上、「人間はどうあるべきか」という普遍的問題は考えられず、「陸軍騎兵大尉秋山好古はどうあるべきか」ということ以外考えられない。
「そうだろう?」
と、好古は湯のみをとりあげた。
「それでもいいんです。陸軍騎兵大尉秋山好古はどうあるべきか」
「書生の参考にはならないぜ」
「聞きようによります」
「なるほど」
と、好古は湯のみをおいた。

好古は考えている。途中、真之が、
― 兄さん。
といいかけたが、好古はちょっとにらみつけて黙殺した。ここはよく考えねばならない。好古は、この弟にとって教師だと自認してきた。だからいいかげんなことはいえないし、このばあいとくに真之の生涯にかかわるだけに、思慮をかさねねばならない。
やがて、
「おれは、単純であろうとしている」
と、好古はいった。さらに、
「人生や国家を複雑に考えてゆくことも大事だが、それは他人にまかせる。それをせねばならぬ天分や職分をもったひとがあるだろう。おれはそういう世界におらず、すでに軍人の道をえらんでしまっている。軍人というものは、おのれと兵を強くしていざ戦いの場合、この国家を敵国に勝たしめるのが職分だ」
― 負ければ軍人ではない。
と、好古はいう。
「だからいかにすれば勝つかということを考えてゆく。その一点だけを考えるのがおれの人生だ。それ以外のことは余事であり、余事というものを考えたりやったりすれば、思慮がそのぶんだけ曇り、みだれる」
― それで?
という顔を真之はしてみせた
「それだけさ。おれがこの世で自分について考えていることは。― 」
「あしのことは、どうなります」
「知らん」
好古は、にがい顔でいった。あしのことはあしが考えろと言いたい。
「それで、兄さんは軍人に適(む)いているとご自分でお考えですか」
「そう考えている。むいていなければさっさとやめる。人間は、自分の器量がともかくも発揮できる場所をえらばねばならない」
「それなんじゃが。兄さん」
と、真之はいった。
「あしは、いまのまま大学予備門にいれば結局は官吏か学者になりますぞな」
「なればよい」
「しかし第二等の官吏、第二等の学者ですぞな」
― ふむ?
と、好古は顔をあげ、それが癖で、唇だけで微笑した。
「なぜわかるのかね」
「わかります。兄さんの前であれですが、大学予備門は天下の秀才の巣窟です。まわりをながめてみれば、自分が何者であるかがわかってきます」
「何者かね」
「学問は、二流、学問をするに必要な根気が二流」
「根気が二流かね」
「おもしろかろうがおもしろくなかろうがとにかく耐え忍んで勉強してゆくという意味の根気です。学問にはそれが必要です。あしはどうも」
と、真之は自嘲した。
「要領がよすぎる」

― あしは要領がよすぎる。
ということばには、真之の自嘲と、それとは逆にひそかな誇りがこもっている。
一種天才的なかん(勘)があって、真之は学校の試験などの場合、やまをあてる名人であり、予備門のなかまから、
「試験の神様」
というあだながつていた。いざ試験勉強になると、その試験範囲のなかの要点を見きわめ、あとはすざましいほどの数夜の徹夜でやりあげてしまう。そのとき友人たちにも、「これとこれが出る」とおしえるのだが、それがかならずといっていいほど的中した。
― なぜ、そのようにあたるのだ。
と友人がきくと、真之は、自分が教師になったつもりで検討するのさ、といった。さらに教師にはすきこのみがある。それも参考にする。ついで過去の統計も必要だ。それは上級生にきけばわかる。
「そのあとは、かんだな」
と、真之はいう。そういうかんが、真之にはかくべつに発達しているらしく、そのことは自分でも気づいている。
(あしは、軍人になるほうが)
と、ひそかにおもったりした。
学者になるにはむかない。学問は根気とつみかさねであり、それだけで十分に学者になれる。一世紀に何人という天才的学者だけが、根気とつみかさねの上にするどい直観力をもち、巨大な仮説を設定してそれを裏付けする。真之は学問をするかぎりはそういう学者になりたかったが、しかし金がない。学問をするには右の条件のほかに金が要るのである。
「なるほど、要領がいいのか」
好古は、真之の自己分析をまじめにきいてやった。そのあと「学問には痴(こ)けの一念のようなねばりが必要だが、要領のいい者はそれができない。」といった。が、かといって好古はこの弟のことを、単に要領がいい男とはみていない。思慮が深いくせに頭の回転が早いという、およそ相反する性能が同一人物のなかで同居している。そのうえ体の中をどう屈折してとびだしてくるのか、不思議な直観力があることを知っていた。
(軍人にいい)
と、好古はおもった。
軍人とくに作戦家ほど才能を必要とする職業は、好古のみるとところ、他にないとおもうのだが、あるいはこの真之にはそういう稀有(けう)な適正があるかもしれぬとおもった。
「淳、軍人になるか」
と好古はいった。真之は、兄の手前いきおいよくうなずいた。が、よろこびは湧かなかった。軍人になることは、かれ自信がもっとも快適であるとおもっている大学予備門の生活をすてることであった。
子規の顔が、うかんだ。思わず涙がにじんだ。

(七変人の項、完)


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拝啓 ショーン・コネリー卿 : 映画「風とライオン」に寄せて

2005-11-23 00:55:31 | 趣味の話&本と雑学メモ
 
 本日、すこし肩の力を抜いて「好きな映画」をご紹介したい。
(まず、ご承知於きの方にはお詫びして、先に申し上げる事あり!添付写真に於ける現在の「コネリー卿」の右隣の女性は、まことに失礼ながら(我輩の)見知らぬ女性なり。ゆめゆめ、おとし召されたからとて、写真家<元女優?>キャンディスバーゲン女史の現在のお姿ではありませんので、見当違いなさらぬよう・・・)

さて本日、我輩の一昔前に戻り、サラリーマン時代の話・・・

 その昔、ロンドン滞在中に観た(日本封切前)ショーンコネリー主演キャンディスバーゲン共演の映画「風とライオン「A Lion and the Wind」を思い出しました。日本ではあまりヒットしなかった?(良くわかりません)映画です。
時代背景は第一次世界大戦前後?(いや、以前でしょう)、ジブラルタル海峡をはさんだ北アフリカの軍事的要衝の地、タンジールの港町を、ショーンコネリー扮するアラブ人の族長が突如として英国大使館を襲い、キャンディスバーゲン扮する2人の子連れのアメリカ人女性を誘拐するところから、この物語が始まります。
当時の米国大統領ルーズベルトは、未だ発展途上にあるアメリカの威信を賭け、わざわざアメリカ本土より海兵隊一個連隊をかの地に派兵し、誘拐された3人(内、子供2名)のアメリカ人救出に向かいますが、一向に埒が明きません。
アメリカ人女性とその子供を誘拐した族長は、彼らと同行の旅路にてあらゆる危険に晒されながらも断固として凛として、アメリカ人家族を守り抜きます。
結果として、ショーンコネリー族長は同イスラム教の他の部族に「騙され」、逆に拉致されます。さっそく人質交換というプロセスの中、アメリカ海兵隊に反してドイツ陸軍はショーンコネリーを開放しないという作戦を立て、この際一挙に反先進国部族を撃滅しようとします。が、誘拐されたアメリカ人家族の息子の機知に助けられ、ショーンコネリーは無事拘束された牢屋から自力で脱出し、あわせて無事にアメリカ人家族を解放し、米軍海兵隊に引き渡したのち、以前と変わらない砂漠の生活に戻ります。
称して、ショーンコネリーを「砂漠の風」、アメリカ大統領ルーズベルトを「ライオン」と称し、文章にて共に「エールを交換」を交換した、という最期のくだりがあります。
小生、役者も砂漠もストーリーも、大きく評価する大好きな映画です。
この映画を観たのはすでに27~8年も前の話です。
当時は未だ、対キリスト教ターゲット的国際テロ戦争は、予想だにしなかった時代。第二次世界大戦以降の、西側諸国とソ連の間の冷戦の延長線上にある中東内部の紛争多発の時代でした。そして、この映画を観た後、思いました。
「こりゃたいへんだ。産油諸国であるこの中東地域は一筋縄ではいかぬ。いまから大いに勉強すべし!知らなければならぬこと多いそ~」
昔観た「よき映画」のストーリーを思い起こさせ髣髴させられ、あらためて砂漠の民の末裔、イラク戦争後の諸問題、決して一筋縄には往かない対中東諸国外交の難しさと、それを取材されるジャーナリストの「命がけ」の仕事、理解できます。
さらに現在、もっとも近未来において、日本人ジャーナリスト達のモラルと錬度を高め、より高次元での活躍を期待するところであり、ゆめゆめBBCに至らなくとも、よりそれに接近すべき総合的包括的な高品質の報道を期待するものであります。(と、前置きしつつ・・・)
さて、日本政府および日本国外務省にもの申す。
北朝鮮拉致被害者ならびにご家族の哀れな心痛に同情の意を表すのみに止まらず、この映画に於けるが如く、誘拐された3人の米国人救出の為に艦隊を派遣した当時の米大統領の英断、あるいは遠く植民地の英国籍原住民1名の殺傷事件の報復のため、大英帝国国会にて論議し、丸一日以上もかけ議会を説得し英国艦隊を差し向け、敢えて戦争まで引き起こした一人の英国人外務大臣がいる。と、聞く。20世紀初頭と今では、時代は違う。日本国国民が某国に拉致されていると判明していながら、漫然と狸寝入りを装っている某国政府と議会あり。傍で取巻く報道関係者は、対岸の火事的報道のみ垂れ流し、拉致被害者とその家族を無視するはおろか、時として拉致当該国に対し、贔屓味方肩入れせんばかりの粗悪な報道を垂れ流す。この映画の時代背景と今日を比較すれば、20世紀の初頭と21世紀の初頭の違いのみ。3000年の人類文明文化発展の歴史から眺めれば、僅か1世紀のひらき、なんら違いはない。僅かに、あるいは大きく、世界を取巻く諸情勢の違いあれど、今一度、欧米アングロサクソン人のリーダーの執った故事にならい、且つ日本武士道精神に則り、強く潔く、かの北朝鮮独裁者に正義と力で対決し、一刻も早い国家的規模の誘拐事件解決を願う。自国民の生命財産を自国が守れなくて、誰が守るか!いい加減にせんかい!日本のマスコミも、一部政府役人も、一部国会議員も!皆こぞって、人の親であろうが!一刻も早く、「我が子(拉致被害者)」を救わんかい・・・
尚、
今、イラクに派遣されておられる日本陸上自衛隊の各隊員殿へ。いや失礼、間違った。将兵各位に申し上げる!
熱砂地獄の真っ只中、且つ昼は熱風吹きすさび夜は晩秋の如く冷え込む日々、本当にご苦労さまです。我国日本を代表される将兵各位に於かれましては、どうか精一杯、全力を尽くしてください。がんばって下さい!
イラクの民の自立、さらには中東地域且つ広く世界の安全と和平のため、日本国民を代表され平然且つ毅然と任務遂行にあたられるよう、ご健闘をお祈りします。

風とライオン

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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(掲載写真及び下記記事、Yahooムーヴィー映画情報より転記)
R・フォーブスの小説『リフ族の首長』の映画化。数々の大国の思惑が渦巻く1904年のモロッコを舞台に、米人未亡人とその子供たちを誘拐したリフ族の首長と、人質救出の名目で艦隊を派遣する米大統領ルーズベルトとの息づまる駆け引きを描いた大作。S・コネリー、B・キースの味のある演技が見もので戦闘シーンも迫力がある。この作品当時のJ・ミリアス監督は立派であった。

製作年度 1975年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 119分
監督 ジョン・ミリアス
製作総指揮 -
原作 -
脚本 ジョン・ミリアス
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演 ショーン・コネリー 、キャンディス・バーゲン 、ブライアン・キース 、ジョン・ヒューストン 、ジェフリー・ルイス

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PS:
仮称「イイ男シリーズ」or「世界のダンディーたち」と題し、世界の男優を中心にエセ男爵好みの「世界のDANDY連中」(とりあえず芸能人に限定。個人的噂、私生活の云々は一切評価対象に含まず、映画舞台に於ける演劇演技中での印象を評価対象とする)、我輩の偏見と独断的基準にて記事掲載しようと目論んでいます。
ショーンコネリーはもちろん、往年の名男優を記事にしたいのです。自己検討として、日本人男優をどう取り扱うか?試行錯誤しましたが、10人くらいは取り上げたいと考えます。(請うご期待・・・)

渡部昇一先生の名著:「英文法を撫でる」

2005-11-18 01:55:10 | 趣味の話&本と雑学メモ
 
 ひとまず、ケーキ&イタリアンコーヒーを召し上がれ・・・

<先に、不肖エセ男爵の私的なる広報記事なり!>
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  ・・・『本日の記事』の始まり・・・

 この名著に出会ったのは、かれこれ四十代も後半になってから、、、
本の題名になぞらえ、
「まぁ、チョイト子猫でも撫でてみるか」
等と、
気軽に買ってしまったのは、関西空港内の本屋さん(当時、丸善があったのだが、今は如何か?)だった。
その頃、ヨーロッパ長期出張が多く、たいてい2ヶ月以上にわたり、ロンドン・フランクフルト・ミュンヘン・ブダペストの間を行き来していた頃の話である。
12時間近く機上で過ごさねばならないから何か肩のこらない読み物を、、、。と思い、手にしたのがこの小さく薄っぺらな(B5判?且つ完全に300ページ以下)PHP出版本だから、たいしたことはなかろう。
「まあ、ロンドンに着くまでには読みきれるよな・・・」
と、ナメてかかり、飛行機が離陸するやいなや「読書開始」した。
ヨーロッパまで、空路10数時間。通常ならば酒でも飲んで最低でも5時間は眠っている。このときは一睡もしないで現地に着いてしまった。もちろん、好きなビールも一滴も飲まなかった。
完全に、この本に嵌ってしまった。
しかし、一両日で読破できると思ったのが大間違いであった。
英文法を撫でる

PHP研究所

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 結局、ほぼ毎日この本を開きページを読み進め、更に翌日読み進めるにあたって昨日読んだページを振り返りたくなり、又ページをバックさせて、読み進める。
日本語の図書はおおむね縦書きだから、普通縦に読む。この著も縦書きになっているのであるけれども、僅か1ページを読み進めるにあたり、縦にしたり横にしたり、忙しい。なぜならば、しょっちゅう英文のフレーズや文章が飛び出してくるので、その箇所にぶち当たると本を横にしないと読めない。英文も出れば、ドイツ語の単語や句も出てくる始末。
ようやく読み終えたのは、2ヵ月後であった。
「そんなに面倒な本ならば、読めないぜ!」
と思われる方、とんでもない。
一旦読み始めたら、途中で止めるのはもったいない。
少なくとも、自らがその気になって、
「いよいよ英会話を始めよう」
「英語をもっと深く勉強しよう」
「でも、その更なる勉強方法に迷っている・・・」
「上級英語に自ら再挑戦しよう。しかし何か、良い切っ掛が欲しい・・・」
などなど、英語独習再挑戦への意欲ある御仁には、うってつけの本である。
我輩が師事する「渡部昇一先生」は、この著書の中、どこを探しても渡部先生流政治経済向きの記事は一切書かれていない。
いかにも英語学者らしく、
構えてまじめに、一から英語の勉強方法を優しく解り易く書き記され、学生にも社会人も解読可能、且つ読破し得る内容である。
(いつもは口頭による叙述を秘書に書き取らせるという、いささか乱暴な方法で、政治歴史問題の本は著されているらしい。が、この著書は明らかに渡部先生御自らのペンで著されたものであること、明らかなり。理由は、その著を読めばわかる!)
さらに、渡部昇一先生ご自身の「若かりし頃」学生時代の環境や体験や経験にも触れられており、一昔前の秀才にしてまじめな学生の姿を想像回顧すると、いかにも愉快になる。
この著は、かならず最後まで読みきること。
そうすることにより、自分なりの英語学習の方法の間違いを見出せ、反省させられ、もっと深く学べる突破口なるものが見出せると思う。
締め括りに一言、
この書はけっして「教科書的」なものではなく、さりとて、そんじょそこらの経営?学習?英会話?などなどの「勉強法解説的ノウハウ本」ではない、と。

では、どんな本か?

渡部先生をして、英文法習得の重要性を起承転結且つ論拠正しく説かれている正真正銘の「論文」でる。この本は、最低でも2回は精読されたい。そのためには、(半年で大丈夫であるが)ほぼ、一~ニ年はかかるであろう。当著書を読めば、その後の英文の読解手順に変化が現れる事必定。まず、肩の力が抜けて、英文を読む角度が変わってくる。楽に英文を読み進めれるように、自分の内部の変化が感じられる。そのあと、突然に目から鱗が落ちる。英語の実力は一日にしてならず。ある日突然、自分の実力向上の軌跡に気付いたり、突然会話が聞こえ始めてくる。その時まで、砂を噛むような努力を積み重ねなければ、一念は達し得ない。

*独り言:こうして感想文を書いてみれば、もう一度この書を読みたくなった。

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「読む事の大切さ」ホモサピエンスとネアンデルタール人・・・

2005-11-15 10:59:54 | 趣味の話&本と雑学メモ
 再投稿記事<2004年5月4日より転記>
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思い出日記より:2004年11月中旬

確か一週間ほど前でした。
夕食抜きで、予定より早く仕事を終え、久しぶりにサントリーモルツの500ml缶ビールを抜き、あらかじめキッチンで作らせた夜食(仔牛頬肉のビーフシチュー)で一人宴会、すなわち一人で一杯やる事にしました。
そこで、平素あまり観ないテレビのスイッチを無意識にオンしたところ、興味深い番組に遭遇しました。番組はすでに進行途中でしたが、画像と音声が飛び込んできた瞬間、まさに自分の興味をそそるものと判断できました。
おそらく再放送番組なのでしょうが、我輩にとって初めての番組でした。
NHK・BS放送で「人類の起源?」らしき内容について放映している番組を約20分間集中し、その間、缶ビールも夜食も忘れていました。

人間誕生は?まず、地球上の生物の起源から進化し、なぜ?どのようにして現在の人間にまで至ったのか?こんなストーリーの最終段階を観たのです。
興味深く切り取った内容は下記の通りです。
1) 猿は、未だこの地球上に歴然と存在する。どこで人間と猿が分岐したか?
2) 大枠としての猿の類(たぐい)から枝が分かれ、さらに人類へと、すなわち「ホモサピエンス」が発生する過程で、同時進行的に「ネアンデルタール人」が主として現在のヨーロッパ地域に存在した。が、明らかに現在の人類=ホモサピエンスとの進化の過程に存在したものではない。(ホモサピエンスと時期を同じくして、別種類に区分されるネアンデルタール人が存在していた、と云う、、、)
3) 現在の人類より異なる種類のネアンデルタール人は既に過去の歴史の過程で滅び去り、現存しない種となっている。例えれば、現在の「象」と、化石として冷凍ミイラとして発見発掘される「マンモス」とは、異なる種類の生物である。象とマンモスが同類別種であるように、ネアンデルタール人と現代人の祖先(ホモサピエンス)は同類別種である、と云う。

ここでストーリーは、第二段階に移る。
* ネアンデルタール人は滅び去ったが、何故、ホモサピエンスは現存するか?現存して今日に至ったか?
という番組のあらたな問いに対し、番組が答える、、、。
おおよそ下記のような内容でした。
(A) ネアンデルタール人の咽喉部の化石と現存する猿のそれがほぼ同じであるが、
(B) 現人類の祖先=ホモサピエンスの咽喉部ならびに現存する人類の骨の咽喉部の形態と、上記(猿やネアンデルタール人)のそれを比較すれば大いに異なっており、
(C) ホモサピエンスの化石の咽喉部形態なればこそ、ホモサピエンスの末裔である現在の人類が、言葉を操れる形態になっている。結果、さかのぼって今の人類の祖先はおのずと咽喉部で発せられる音声により、言語表現可能となり、
(D) 言語を操るが故、以って比較的他の動物より体力攻撃力の少ない人類が生きていく為の「団体共同生活」を可能にし、今日まで生き残った。しかし、ホモサピエンスより体格がよく生存競争力が高いと思わるネアンデルタール人は、その咽喉部の不出来により、言語となりうる音声が発せられなかった。その事が原因で滅亡したとしか考えられないという。生き残った人類は、音声の相互交換を以って「経験・発明・知恵」を周囲に伝達し、且つ、次世代に先達のそれらを伝授し、さらにより高度の技術と知識を構築できたことにより、現在に至り、
(E) 加えて地球上のあらゆる「生物」に抜きんじて高度な生物に到達するを可能とした。

という内容になる。で、あろう。

そんなストーリーを勝手に想像しながら観ていたら、何と、わずか数十分の間にビールを飲み干しただけで夜食を食さず、うたた寝しまいました。肝心要の結論を見ずして、目が覚めた時には、すでにその番組が終わってしまっていたのです。

ここからは後日からの想像も加わります。が、お聞き下さい。
つまり、上述の人類起源から今日に至るまで、他の動植物と違う人類の特性は「音声言語」による相互伝達能力である事、あらためて認識しました。
人間の音声表現能力がさらなる発展進化を重ねることにより、音声を文字にあらわし後世に伝達可能としたのか。あるいはより遠距離に位置する近隣の人間集団から更なる情報の伝播を可能とし、地球世界に生存する同時代の人類に伝達可能となったのでありましょう。

すなわち、(我輩、言語学の専門分野における全くの素人ですが)音声言語イコール、人類同士の会話による意見交換と伝達=文字による伝達=文字による伝承、イコール、文字による自己表現(宗教・技術・科学・思想・政治・芸術などなど、、、)であるか、と。

さて、想いおこせば近年、特にこの十数年間、世の中が急速に様変わりしました。

知識経験体験の蓄積の努力無く、まともな言葉(日本語)がろくすっぽしゃべれない「人達」が五万といて、彼ら、ただ単に日常会話レベルの感覚で持って指先でワープロのキーを叩くことにより、簡単に「文字表現と伝達」が可能となりました。
これにより、
文字による安易安直な、暴言・失言・誤解・思い上がり・下種(ゲス)な感情表現・などなど、文字表記可能となりました。ことにIT技術の驚異的発明に次ぐ発明、進歩に次ぐ躍進のおかげで、国境を飛び越え地球表面のあらゆる地域へ文字情報があふれ返し、くわえて時間時差を超越し、瞬時に情報拡散してしまう状況下、超利便性を裏返せば、文字乱用による、予測していなかった弊害も数多く発生しているのではなかろうかと思います。

文字を使い切るには、
1) まず使う人間のレベル人生の知識蓄積、および経験的体験ありき、であり、その密度の違いが「文字使用結果のグレード」を左右するのは明らかであり、
2) 次に、確たる「証」を踏まえた言語表現あってこそ、それをより緻密に組立て、さらにより広範囲な世界に、あるいは次世代や異世代に継承伝達の目的で「文字表現」があり、
3) ために、他人の表現したものを、まず「読み」、健全で確かな解釈をおこない、
4) ようやく自らの「判断・志向」を文字に表すことが可能となり、
5) しかる後に、誠意と熱意をもって相手に「それ」を伝える、、、。これをくり返し、互いに切磋琢磨する。
6) 文字による伝達方法、その頂点?(いや、一番下か?)に立つものが「小説」かな?
等と、

整理してみました。

今、あらためて、
a) 仕事を通して現場を見る、
b) 書籍としての「先達の知識」を紐解き、自身の経験と体験にソレを織り込み、
c) 自身の通読努力の度に、先達の豊かで繊細にして鋭い「表現方法」に触れ、触り、消化したい。
d) 読書の繰り返しを以って、さらに精度と芸術性に秀でた自己表現可能となるよう、役立てる。

報告文書・稟議・専門的分野の小論文など、相手に分りやすい精緻にして理論構築の完璧な文章ができればそれ以上のものは無い、十分である、と考える。
しかし、文学となるとそれ以上のモノを求められる。が、好き嫌いもある。当然である。

結果、今、今から、
小説を書いてみたい!
という意欲に駆られています。

たたみ掛けますが、
語学としての英語の世界も同じことです。
巷で、よく取り交わされている日本の平均的一般常識人(知識人?)の会話の中に、
「うん、相手の話していることは聞き取れ、そうさな~・・・ 約7割程度は理解できる、が、喋り慣れていないので、喋れないよな~」
又は、
「いやいや、読み書きはできるが、会話は慣れていないからね~ 日本人だよな、俺は、、、。ま、今からでも遅くはねえさ。アメリカ駐在2~3年でもやってりゃ~、な、大丈夫さ、、、。何せ、俺たち日本人はな、大学卒業して、一応読み書きができるわけでさ、基礎は出来上てるからよ~」

こんな会社人間同士の会話、全て、英語力(語学力)に関する見栄の突っ張りあいでして、嘘八百です。今の学校教育では、基礎が全くできていないのです。今から文部省がどうするのか、知りません。好きにやっていただいてけっこうですが、お役人のセンスで一億?総日本国民の教育のみで「事態」に大きな変化は、まず無いと思います。

我輩、まだまだ未熟にして未熟ですが、経験上、

第一に:喋ること(会話ではなく)、自分が音声として英語を発すること。これが一番簡単です。相手に通ずるか?通じないか?は、別として、、、。
第二に:相手の話を聞き取ること、そうとう難しいです。狭い日本の端から端まで「方言だらけ」のように、また年齢によって、男女性別や職業の別など、棲む世界の違いによって、百人百色、人はそれぞれ話し方、テンポ、音質(高い声や低い声)の違いがあり、初めて会った人の会話は聞き取りにくく、慣れてしまえばどうって事はなくなります。
英語世界であっても、人それぞれ、喋り方に特徴があり、(小生の場合は特に)初めて会った人との会話の聞き取りは大変苦手であります。しかし慣れる。分らなければ聞き返し、こちらの伝えること、何度もリピートでき、表情や体のアクションで伝達をより緻密に行うこと可能です。
第三に:表紙が擦り切れるまでに辞書を気に引きまくり、読んで読んで読みまくること。これ、「砂を噛む」如くに苦行です。英文を読めば読むほど大変難しく、際限なく「読むこと」を継続し、文体を蓄積し、日本語と同じように(母国語ですら読めない御仁が多い中)過去に出てきた表現の形、語彙の蓄積のボリュームを基盤にもつ以外、何も解決方法はありません。すなわち読解は難解です。
第四に:加えて、自分が自分で「英文を書く」事、最も難題です。

これはすなわち、母国語である日本語に置き換えても、同じ『事象』が起きるのは、科学的に当然ではありませんか。

いま、小説を創作したく、小説を書けば(必ずや)他人様に読んでもらいたい。ソレが目的であるから、、、、。世の中の人間全員に読んでほしいとは、決して思っていません。確率的に全く不可能です。ですから、一部の人に読んでもらえば結構です。
なぜなら、
熟達したものも未熟者も「物書きになりたい人間」を嗜好した途端、「自己顕示欲」に駆られるわけであります。自己顕示欲がどこかに潜んでいるから、ソレを「自分の著作した物」で自己表現したいのです。

         <・・・完・・・>

今後いかなる時間がかかっても「物書きプロ」にならねば、、、
そのため、日々絶え間なく「修練」が必要であると確信します。

<以下、不肖エセ男爵の私的なる広報記事なり!>
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<添付画像>:ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔
THE LORD OF THE RINGS:THE TWO TOWERS
(ご承知のとおり、この物語は想像上の世界ですが、おおむかしのヨーロッパ世界の言語の違い、(日本人には同じに見える)ヨーロッパ人種の微細な違い、口頭伝承による「記述歴史」以前の「神話世界」に手を届かせて創作されたすばらしい「エンターテインメント文学」を原作とし、映画化するための脚本と演出は優秀で、さらにIT技術を駆使して創作された超優秀映画です。日本の業界も、それなりの人材がいるのですからもっとこういう文化芸術に投資し、さらにがんばって日本発の優秀作品を制作してほしいな。

Quadra Stangelini? (クラブ・デラ・バルケッタ会員の愛車より)

2005-11-12 01:50:40 | 趣味の話&本と雑学メモ
トラックに搭載するくらいの巨大なエンジンが、この鼻っ面に入っている?
しからば、直列12気筒4~8リッターエンジンが乗っかっているのか?
これ?
いったい何なの?
約5~60年前の(もっと前か?)、イタリアのスポーツカーですぞ。
つまり、
当時のGTカーなのよ・・・
マ、マ、詳細は明日(今日の午後か?)記事にするから、読んでください。
詳細はともかく、
(今買えば、4~5千万するらしいが、とにかく日本国内に1台有るか無いか、そんな車であるぞ!エンジンは僅か1リッター前後のものしか搭載されていないぞ。見掛け倒しの玩具よ・・・)
とにかく、ウン十年前のGTカーなのでありまして、人間が乗車していないと、そうとう大きな車に見えますが、情けないかな、結構これでちっちゃな車です。

「ハハハ~、犬で例えれば、まるでミニダックスフンドだよ・・・」
「?・・・」
(まずかったかなあ~・・・)
やっぱ、ますい!
このままでは、お叱りを受けそうだ。
そう、
「なんだって?読者を莫迦にするのか?いい加減にしろ!」
「・・・!」
「ちょっと待て!」
「?・・・?」
「これで記事になるのか?」
「まま、そうおっしゃらずに、不肖エセ男爵にして恥を覚悟の上、『日記ブログ村社会』すなわち莫迦競争社会で上位を占めるため、確認をしていただく為にも、下記のバーを「プチッ」とクリックして於いて下さいな・・・」

若輩者同士、思ったほどには競争精神薄弱にして、且つパッとしない。
その中においてして我輩は、不覚にも、かなり苦戦しています。
とにかく下記のバーをクリックしていただかないと、前に進みませんです・・・
(クリックしていただくやいなや、『大恥』をさらけ出します。(一昨日入会時時点にて207位、昨夜最終成績たるや27位でありました。村人の競争精神軟弱か。あるいは我輩の勢い少なし。読者各位のクリック時点にて、成績状況たるや再度確認願います!)
だから、
あらためて、
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撮影場所:東富士山麓にて
(撮影時期:2004年の晩秋)

「クラブデラバルケッタ会員の皆様」に(無断で)思い出を捧ぐ・・・
この手の「レトロ?スポーツカー」のPhoto、沢山あります。ご希望により(我輩の気分により)追加投稿掲載なり・・・

美しき道具(1/3) 「愛用のペティーナイフ」

2005-11-09 02:28:50 | 趣味の話&本と雑学メモ
 すでに12~3年間に亘り、愛蔵し愛用する我輩のペティーナイフを紹介する。

このぺティーナイフ、「男の道具」として旅人である我輩に終始従属し、外国各地を転戦し活躍した、歴戦の「つわもの」である。

刃の素材は「ダマスカス鋼」。
イスラム文化全盛時代、かの中東ダマスカスに於いて製錬鍛造されたという所以を聞いた聞きかじり耳学問情報がある。が、しかし、このナイフは純然たる国産すなわち日本製。たぶん、物好きな刃物職人様が(失礼!物好きは我輩の事なり!)、上述のダマスカス鋼による刀剣に魅せられ、物好きな刃物愛好家に対し趣向をもって鍛造された刃物であろう。
(ケースには「牛刀」と記されているが、実際の用途はペティーナイフである。と思う・・・)
見れば、細い糸屑を解きほぐし、刃の全面に貼り付けたような紋様が特徴である。何故こうなるか?こういう紋様が出るのか?専門的・理論的には良くわからないが、そもそも刃物とは堅い鋼(はがね)と、軟らかい軟鉄を合体させているからこそ、良い切れ味が出て、且つ折れ曲がらないと、聞く。このダマスカス鋼、もともと鋼(はがね)と軟鉄を幾重にも折り曲げ鍛えたのち、このような紋様が出来上がったのか?と、勝手に我輩判断している。(若し、願わくば、読者の中にご専門の方が居られれば、正解のご解答を賜りたく、あつかましくも当記事を通してお願い申し上げる次第であります)
尚、
画質がもっとよければ、紋様の仔細ご覧に入れること可能であるが、難しいか。我が愛用の旧式デジカメの性能がイマイチであるからして、刃の表面の紋様の確認が難しい事、お許しいただきたい。

 日本で購入して後、直ちにハンガリーで活躍。
朝食は週に2~3度、自分で作る。さらに月に2~3度、当時の下宿先の家族と共に夕食をとった。

朝食時は、(といっても、ほとんどブランチに近いものであった)
時に、ブロックのままの生ハムをスライスする・・・
ほぼ毎回、生ベーコンを一口分のブロックに切り分ける、
必ずや毎回、サラミを切り、口に運ぶ、
定番にて毎回、生パプリカを切る、
時々は、プチトマトまたはオニオンをスライスする、、、
(現地で云うオニオンとは親指大の小振りな玉葱に細ねぎが生えてしまったような珍奇なものであった)

たまに下宿先家族との夕食会を催した。
そんな時、このナイフの役割は重要であった。
ディナーの主催者(我輩)が、オーブンにて丸焼きにした「鴨肉」を、メンバーに切り分ける役目を仰せつかるのだ。下宿先の台所にもナイフはあった。がしかし、ブリキ板で作ったも同然のシロモノで、微細にモノを切るには決して役に立たなかった。下宿先家族達とて、自分達の調理にはほとんど自前の一番小さな刃物、すなわち果物ナイフ程度のペティーナイフを器用に使い、ほとんど「まな板」を使用せず、材料を左手に持ち、小さなナイフを右手で操り食材をひねり切り、切り取った食材はそのままナイフの刃先から、親指をひねり使って調理容器に落としていった。つまり、日本のようにまな板に食材を於き、菜切り包丁でトントンと切り刻む行為は、ついぞ見れなかった。調理方法も、お国変われば仕方が違う。食材と調理方法が違えば、鍋釜の造作種類も全く違っていた。
しかし、夕食時には概ね我輩専用の食事用のナイフとなる。なぜならば、食卓で使うフォークの良し悪しはあまり問わない。が、ナイフにはその違いが歴然と現れる。まともに普通に、ビーフステーキや鳥の胸肉、ポークチョップのたぐいの切り分けられるナイフは、その下宿先には一本も存在しなかったのである。地元の連中は、老若男女問わず、「力ずく」で押し切る。しかし我輩、すんなりと肩と両腕指先の力を抜いて、愛用のナイフを料理に当てがうだけで切り分け、ただ単に「優雅」に、ディナーを食したかったのである。(ゆめゆめ、こういう行為はレストランでは厳禁、と心得、ただただ下宿先フラット内での行為に留めておいたこと云うまでもない)

その後、インドネシアに渡り、
東ジャワ州マラン市の下宿先でも活躍した。
時たまオーストラリア産牛肉2~3kgの塊を購入し、(日本より持参の)牛刀で切り分け冷凍保存しておく。その日の嗜好により、朝から解凍。夕刻の早い時間から地元ビンタンビールをあおりながら、ステーキを焼く。ミディアムレアーとなったところで皿に移し、そのままこのぺティーナイフを使用して、ステーキを切り分け食す。しかし多くは、東ジャワ州マラン市郊外にて生産された良質の若地鶏の丸焼きをさばき、さらに食するのに使用した。

バリ島ではほとんど自炊をしなかったので、このナイフの活躍の場はキッチンから書斎へと、勤務場所を変えた。趣味と仕事の都合上、B~B3の鉛筆及び赤鉛筆を使用するから「鉛筆削り」専用ナイフへと役目が変わり、現在に至った。

このナイフの刃渡りは標準(10cm位か?)よりも、約1.5センチくらい長い。長いからいささか扱いにくい。しかし慣れればこの長さがちょうど良くなる。正直言って、果物の皮を剥くには少々長すぎるから要注意、うっかりしていると自分の指先または手の皮を剥く羽目になる。

本来、プロ仕様のペティーナイフらしいが、我輩プロの調理人ではない。そして若し、我輩がプロの調理人であったなら、このナイフの刃渡りは、もう少し短くなっている事、間違いない。なぜなら、刃物は適宜研がなければ道具としての用を成さない。したがってプロは、ほとんど毎日のように刃物を研ぐ。しかし我輩、この刃物の手入れを決して怠ったてはいないものの、今日に至るまでに「研いだ回数」は、いまだ4~5回にとどまっている。

  <・・・続く・・・>

次回は、自分流「刃物の研ぎ方」?を、ご紹介したい。

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久しぶりだぜ!「今宵は一杯いきますか・・・」

2005-10-28 14:55:22 | 趣味の話&本と雑学メモ
 
 「KIKAKU」・・・

    ようやく一区切り付きました。
    (ほんとうは今からがたいへんです・・・)

 さあ、今宵は一つ、早めに繰り出し、久しぶりに一献!交えませんか?

そう、
互いにグラスでも傾けますか?

我輩の流儀は、まず良く冷えた生ビールを一杯、あるいは二杯・・・
その後は、やはり呑み慣れたスコッチが良い。
その日その時の体調と雰囲気で、ストレートかロックである。
チェイサーは「水」でなく、ビールで宜しい。
水割りは最近、めったに飲まない、飲みたくない。
スコッチのシングルモルトで、深い香りを醸し出す「個性のあるスコッチ」が好い、、、。
久しぶりにパイプタバコでもやるか?
美味しい酒と、高級なタバコは、合う。
しかししかし、
アルコールとニコチンの相性があまりにも良過ぎるから、同時に血液にすんなりと吸収され、いっそう美味しい。だから、身体に良くない・・・

酒の肴は、あまり要らない。
何でも好い。美味しいチーズを少しかじり、合い間にナッツか干しぶどう、さらに生ハムでもあれば、云うことなし。もう最高。
ようやく飲み終わった後、たっぷりと生野菜の添えられた、中華風はたまたフレンチ風のコッテリ味のソースのかかった伊勢海老の料理を、少しだけ頂きたい。
あるいは、牛のほほ肉を煮込んだシチューを、少しだけ頂きたい。

「・・・」
「なに、活きのよい刺身が好い?鮨を召し上がりたい?」
「・・・?」
「御殿場に下りて、寿司屋に?」
「・・・!」
「今夜は私好みでいきましょう。付き合ってください」
「・・・」
「勘定?どうするかって?」
「・・・!」
「いや、我輩に今夜はお任せください」
「・・・!・・・?」
「だいじょうぶです。すでに先ほど予約しましたから、テーブルBookingオーダーいたしました。もう一時間、ここで待たなくてはいけませんぞ。レストランに入ったらさっそくワインに切り替えましょう。そして今夜は、フレンチのフルコースでいきましょうよ・・・」
「・・・」

<写真>:すでにamebloにて一度発表済み。
我が愛する、「オーベルジュブランシュ」のフレンチレストラン入口にあるウエイティングバー。(撮影日:2004年の晩秋)
この写真一度ご覧の方、いまだ記憶にある方、
ま、
本日は、未だ十分にKIKAKU疲れから開放されていない「我輩の手抜き」をお許し下され、、、
加えて、「飴風呂」から「寓」へのブログ移転すなわち「記事の引越」とご理解頂きたい・・・

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機を失せずに敬意を表す!そんな「心」であり続けたい・・・

2005-10-15 01:06:43 | 趣味の話&本と雑学メモ

この一週間は、早かった。
すでに週末、金曜日の真夜中(すでに土曜日になったか)・・・

実は本日、一週間来の宿題解決処理の為、朝っぱらから昼過ぎまで、いろいろと戦略展開しなければならぬことがありました。一昨日来考慮策定していた『提案書』を午前中に書き上げ、メールにて送信を済ませたのですが、さてその結果、来週末までに『どのような展開の結果』になるか?などなどと久方ぶりに、あまり立ち入りたくない俗世の駆引き処理文章作成に翻弄された一日でした。
云い難いこと、しかし云わねばならぬ事、それを分りやすく表現する事は、相手さまに対する誠意か、と、苦慮しつつ作成した「苦心多き提案書」を書き上げました。果たしてコレで良かったのか?今尚結論は出ません。来週半ばを待つまで。まして、どのような結論がでようと、我輩に後悔や悔い恨み辛みは残らぬよう、配慮は万全であります。
すなわち、敬意と礼節を尽くした上で、云わねばならぬ事を言い切ったわけであります。

それもさること、
情けないかな、このところ風邪気味微熱気味、この一週間というもの、身体と頭脳は朦朧とし、本来のペースからは、ほど遠い・・・

したがって、
他にしなければならない、やりたいことあっても、落ち着いて手につかない・・・

「こんな時は、早く休むに限る!もう寝よう・・」

一時間前から睡眠開始したものの、珍しく寝付けず、またPCを開きBLOGを開いてしまいました。
想えば、一昨日?
悠悠さまの許可を頂き、氏の撮影された「ポルトフィーノ」のすばらしい夜景写真を掲載したときに頂いたコメントのお返しの文面(我輩の悠悠さまへの返答コメント)、何故か?あらためて本文記事にて記載したくなり、以下に再投稿した次第であります。

さて、
先に申し上げておきます。
我輩、いまだ修行の身・・・

今夜あらためて想いますに、我が母国語文化たる日本語の表現の複雑さ以上に、英語世界においても、それなりの敬意語丁寧語尊敬語謙譲語は多く存在し、公の文章ならびに儀礼的背景をもった公式文章においては縦横無尽に駆使され、且つ、会話の中でも頻繁に敬意表現は出現しているのであります。
ひるがえって現在の日本の風潮たるや、目上・先輩・上司・上官・教師と生徒や学生の間の「その辺りの敬意表現」をあえて無視するか見逃すか、結果として非礼・失礼などなど、さも当たり前のように闊歩するは、我輩にして許しがたい低俗かつ世の中のマナーに反する「悪しき風潮」とし評価判断しています。
世の先輩、その道の先輩、尊敬する諸先輩、若くしても敬意を表さねばならぬ相手であるならば、そのような「対応と評価」を表現するのは人間として常識の範疇ではありませんか!
となれば、
我輩の尊敬に値する御仁をもってして、自ら尊敬敬意の対象となる事を「ご遠慮」され「ご謙遜」された上で、「さま呼ばわりをするな!」と、ご辞退なさる事があったにせよ、そういう謙虚な方にこちらが甘えつつ敬意的表現の言葉を使用しない「行為」を、我輩をして執ったとするならば、すなわち、我輩自身の相手さまに対する非礼というもの、、、。
可能な限り、そういう非礼の無きよう、今からも我が人生を渡って行きたいものです。

英語の敬意表現―Deferential English

大修館書店

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映像は「会議英語」、上記は「英語の敬意表現」。
両書とも大杉邦三先生著、我輩必携の名著です。
この著書、入門という意味ではそうとう役に立ちます。
それなりの場所で、それなりの方々と、まともな「会話」をするためには相手様にに敬意の表現がスマートに行なえなければ、大恥をかきます。そういう意味では、今も恥のかきっぱなしであります。
英語世界に於いてしても、そうとう微細で細緻な敬意のはらい方があります。
しかし、使い慣れていない語彙ならびに表現を文章且つ会話に差し挟むと、たいへんな違和感と不自然さを暴露する、すなわち、恥の上塗りになる事も確かです。
こんな調子で、今尚、英語の勉強中・・・

くわえて我輩この歳に至り、ようやく正しい日本語の勉強を始めたくなり、今までの悪文且つ無作法を矯正致したく、さりとて、自己表現の為の個性は失いたくなく、今、そのバランス感覚の調整実行中?であります。煎じ詰めれば、近年ようやく日本語の勉強を始めたばかりの若輩者です。

当ブログにお立ち寄りの読者の方々、いつもながら我が「わがまま」、非礼且つ悪文による自己主張にお目をお通しくださり、誠にありがとうございます。引き続き、あらゆるコメントをお寄せいただく中、あらためてご指導の程、何卒宜しくお願い申し上げます。


   +++以下コメント文面(10月12日付け)+++
      「ポルトフィーノの夜景に、思い出の想いをよせる・・・」


<以下悠悠さま宛コメント本文>

小生、ブログを始めてから、すでに半年余り経過しました。
不思議なもので、半年も継続的にブログを拝見していますと、さまざまなブロガー達が、それぞれのブログ記事を投稿していますが、その記事には「それなりの個性」が見えてくるのです。
小生自身、すでに隠そうとも隠せない「文章の悪癖」や、無駄な抵抗とも思える「自己主張」などなど、エセ男爵的な流儀があり、自分自身、この悪癖乃至自己流儀に逆らおうとて逆らえきれない実情を、ヒシヒシと感じる今日この頃です。
そこで、他人様のブログはどうか?
興味のある好きなブログ、興味ないもの、開くのもいや気がさすブログ記事もあるのです。
そんな中、悠悠さまのブログは(私にとって)面白い。という、好き嫌いの世界あるのみ。敢えて理由を纏めれば、これ、単純です。

ところで、
暫くの間、あるいは永久に、
小生の悠悠様に対する『様呼ばわり?』は、お許し下さい。
合わせて、この際、小生が『様』と申し上げる対象者は、以下の通りです。
(1)尊敬できる人物で、くわえて、若干の遠慮がある人物、まだ良く存じ上げない人たち。実際に、未だお会いしていない目上の人物。
(2)口頭では「さん」とお呼びするが、文面では「さま」と(文字にて)お呼びする人。この範疇の理由について?いや、理由は様々、いろいろありますよ。
(3)小生の「商売柄」、ついつい直接『様付け』でお呼びしても(双方とも)不自然でない方。

おおよそ悠悠様も、以上のカテゴリ-に分けられると思います。

尚、小生、
発しまするところ、生まれも育ちも下町で、過去(今も、そうか?)の職業たるや下賎なジャンルを渡り歩いてきた不良且つ出来損ない的股旅者でして、したがって『ペンネーム?』が、エセ男爵?!?と、なるのです。
以後、今後、
あらためまして、よろしくお見知りおき頂き、ご厚誼のほど願います。

なお、俳優・辰巳琢郎の著書、彼の生の文章を読んでみたくなったのですが、たいしたことはなさそうでして、お忘れ下さい。

ところで、愛機Nikonのその後の状況が気がかりです。また回復の兆し、お教え下さい。

PS:
どうしても「さま呼ばわり?」をお許しいただけないのであれば、「貴兄 and/or Yuu-Senpai」と、お呼びしてもよろしいでしょうか?小生には、どうしても悠悠さんを、「サン呼ばわり」するのは違和感があるのです。

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