まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

0506 心ここにあらざれば

2018-05-06 10:38:36 | 老後生活

大体、うちのカミさんは私のことを「怖がりだ」と言う。しかし私に言わせれば、壊れやすいモノへのいたわり心であって、カミさんは物の扱いが私から見れば「ゾンザイ」である。カミさんとよく似た息子も同じようだし、もっと言えば昭和20年代生まれの人間と違いバブル経験以降は物を粗末に扱うキライがありすぎる、と私は思う。

高価な物であろうがあるまいが、私は自分の性格が丁寧だとも思わないので、刃物は食器洗いでも別扱いだし、フライパンや鍋の把手が台の外に飛び出ているのも嫌う。体が当たれば中身がこぼれたり落下の危険際もある。いわゆる回転半径を思えば、テーブルに置いた自分の腕から手のひらが回転する範囲にガラスのコップを置くのも避ける。

梵天雲龍のような切れ味の鋭い鍛造品は、硬くて強いが粘りなく折れてしまうものだ。店を終う刃物屋の爺ちゃんから「これは大事に使えば一生ものだよ。」と言われたのだが、カミさんを見ていると、百均の包丁と良いモノと、扱い方は一緒だ。下手をすれば足を傷つける刃物の落下は、まあ、私は怖がる。

カミさんは包丁を、これまでも幾度となく落としてきた。台所の床は落下刺し傷が結構ある。その中のいくつかは私自身が傷つけたものだから何も言えた義理ではないが、カミさんは「目を離す 先を急ぐ (包丁や熱い飲物の入ったカップなど)軽いものを水平に動かすのに勢いをつける 」みたいなところがある。

若いときにやっていたバドミントンでも、山なりに来た何でもないシャトルを空振りする。この凡ミスで失点するのは、目が離れるからだと思っている。相手コートのどこを狙うか、次のアクションを繋げるのは良いとしても、捌く前の、まだ頭上にあるシャトルから目を離す。

カミさんがよく言うところの「今を大切に」というのと、忙しない(せわしない)動き方とはどう結びつくのだろうか。
「忙」という字を、老後生活でも背負っていくのかなぁ、なんて思った。

若々しくあるのと齢とったという自覚は、バッテイングするものであないと、私は考えているのだが・・・。

【刃欠け記念日/黄昏色マインドフルネス/】



+++++++++++++++++++心ここに+
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2019.10.24 "心此処に在らざれば"は、誰それの問題ではなく、一過的な状況として、万人に共通の問題だ。


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