Negative Space

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監督・田中絹代:『月は上りぬ』

2018-04-28 | 田中絹代




 田中絹代「月は上りぬ」(1955年、日活)


 『あにいもうと』で助監督として成瀬に演出の手ほどきを受けた田中絹代の監督第二作。脚本は小津安二郎と斎藤良輔(渋谷実作品で知られる)。奈良の唄いの師匠(笠智衆)の三人娘のトリプル婚を描くライトコメディー。“三人姉妹もの”という設定はいかにも成瀬的であるとどうじに笠が娘を嫁がせる小津映画のヴァリエーションといえる。

 映画の前半では三女(北原三枝)が次女(杉葉子)の結婚を後押しして成就させたかとおもうと、後半は三女自身の恋愛が長女(山根寿子)らの後押しで成就し、ラストでは父親が未亡人である長女の再婚を後押しするといういっしゅのロンド形式ともいえる三重構造の物語がしゃれている。ロマンティックな次女、感傷的で肉感的な三女、滋味あふれる長女の三姉妹がつぎつぎ奏でるトーンの変化がなんとも味わいふかい。まんなかのエピソードにもっともウェイトが置かれていて、グラマラスな北原三枝がその若さを弾けさせて全篇を引っ張る。

 三女はみずからが仕組んだ次女のための月夜の逢引をみずから反復することになる。おもいびとへのきもちをつたえられない次女を三女は責めるが、この非難は映画の後半で三女じしんに返ってくる。ラストでは父親が長女にたいしてやんわりとどうようの非難をする。人の言葉は信用できず目にこそ本心があらわれる(「目を見なきゃ」)との信条をもつ三女はさいごにみずからそれを身をもって証明してみせるに至る。

 ラストでは、次女ついで三女をあたふたと東京に送り出した笠が色づいた(モノクロだけど)山に面した座敷で長女に稽古の支度をさせている。「いいお天気」と長女。「当分秋晴れが続くぞ。これからの奈良はいいぞ」と父が応じる。唄いの稽古がはじまり、寺のロングショット、月景色のロングショットがインサートされて幕。さいごのセリフには『東京物語』の名セリフ「きれいな夜明けじゃった。きょうも暑うなるのう」と響きあうものがある。

 とはいえもっとも笑えるとどうじにもっとも驚くべき場面は、なんといっても田中じしんが“女優”を演じるプライヴェート・ジョークの傑作ともいうべき場面だろう。くだんの月夜の逢引に次女のおもいびとをさそいだすべく、三女は下働きの田中絹代に命じて次女になりかわって電話を入れさせる。芝居勘のない田中に三女がなんどもダメ出しをしてきびしい“演技指導”をつける。田中絹代が「演出家=三女」にして「女優=下働き」であるみずからを演出するという目の眩むようなバロック的状況(言うまでもなくこのとき三女のすがたにメガホンをとる田中のすがたとどうじに田中に演技をつける溝口健二のすがたをだれもがオーヴァーラップさせずにはいないだろう)。小津の仕掛けたささやかな悪戯だろう。

 いくつかのショットにおけるバロック的なライティングは小津に由来するものでも成瀬に由来するものでもない。強いて言えばサイレント時代の溝口に親近性が見出せるかもしれない。ちなみに美術は木村威夫である。

 寺院を見せる場面が多いこともあり、師匠の成瀬が滅多に使わないような大きく引いたショットが目立つ。夜間に逢引する次女と恋人を背後からゆるやかに追う仰角気味のトラッキングショットなどにみられる不思議なカメラワークがいくつか。

 溝口の反対にもかかわらず小津の強い後押しによって本作は撮られた。笠の現前に加えて斎藤高順の音楽も小津っぽさをつよめる。しかし田中の演出はともすると叙情や重厚さを志向し、小津の脚本の要求する(ハリウッド的な?)テンポについていけていない。ありていに言えば冗長。北原と恋人の繋がれた手のアップ、ラストシーンでの山根の横顔のアップは余計だろう。キャストはほかに佐野周二、小田切みき。