Negative Space

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そして人生はつづく:成瀬巳喜男の『めし』三部作

2018-04-23 | 成瀬巳喜男





 成瀬巳喜男『めし』『夫婦』『妻』(1951〜53年、東宝)

 『夫婦』の冒頭はビルの外階段らしきところから鉄柵ごしの街を見下ろす不安定なショット。デパートの屋上へつうじる階段を杉葉子が降りてきてそれが杉のPOVショットであったらしきことがわかる。降りてくる杉を屋上で待ち受ける二人の同窓生がきびしくファッションチェックし、杉の生活の困窮ぶりが暗示される。つかのまの解放感をしばし味わった杉はふたたび“地上”の生活に戻っていく……。

 『めし』の成功に乗じた二番煎じ的作品にして漠然とした後日譚。脚本は『めし』の井出俊郎と水木洋子(『めし』の田中澄江からバトンタッチ)。原節子が病気のため成瀬の推薦によって『めし』で原の実妹を演じた杉葉子が上原の妻役に抜擢されるが、結婚五年目の[第一次]倦怠期を演じるにはいかにも若すぎて違和感がある。

 『めし』では夫の姪(島崎雪子)、『夫婦』では夫の同僚にして同居者(三国)および同僚の若い女性(常連の木匠久美子あらためマユリ)の存在が夫婦の亀裂を深める。いずれの作品においても報われぬ家事労働に疲れた妻が実家に帰る。妻の実兄に小林桂樹(『めし』では原の義弟)、実妹に岡田茉莉子(『舞姫』とはちがいほんらいのはつらつさを発揮)。

 阿部嘉昭によれば『夫婦』はその中途半端な結末を除けば「『めし』の崇高性をすべて喜劇文脈に脱構築し終えた意地悪な(ママ)傑作」たりえたかもしれない作品ということになる。果たしてそうか?

 未完の原作にくっつけられた『めし』の作為的な幕切れよりも、『稲妻』どうようの「青臭」い「『微妙な余韻』のハッピーエンド」こそ成瀬的というべきである。阿部じしんが付け足しのように指摘する「忘れがたい細部」の「ひしめ[き]」においてこそ本作は輝く。

 三部作の掉尾を飾る『妻』は『めし』どうよう林芙美子の原作を仰ぎ、井出俊郎の単独脚本による。冒頭と末尾に『めし』のような夫婦それぞれによるヴォイスオーヴァーが使われ、結婚十年目の破局寸前の夫婦関係を描く。上原の相手役はわれらが「たかみえ」こと高峰三枝子がつとめ、杉葉子の五年後の姿としては違和感があるが、れいの能面顔にものをいわせて心の冷たそうな妻を演じている。ただし本作のたかみえははっきり言ってあまりよくない。コメディーリリーフを引き受ける間借り人の三国(前作からの再登板)とのかけあいなどにおける軽みとテンポと蓮っ葉なディクションはわるくないが、せんべいを頬張りながら口を開けて話し、食卓で歯茎を剥き出して楊枝をつかい、お茶で口をゆすぎ、間借り人の目のまえで耳垢をほじってはなんども指で払い落とすといった“シェイムレスな倦怠期の妻”の演技はわざとらしくて見るに耐えない。残念ながら、こと“演技力”にかんしてはたかみえはデコの足元にも及ばないと言わざるを得ない。

 こんどは夫が元同僚の浮気相手(丹阿弥谷津子)と肉体関係を結ぶにいたったことが暗示され、たかみえが浮気相手のもとに単身のりこんでバトルをくりひろげる。本作でも妻は里へ帰るが、わりとあっさり戻ってくる。ただし関係が修復する兆しがまったく見えないまま、曖昧に幕を閉じる(ラストは無表情で—もともと表情がないが—黙々と部屋にはたきをかけるたかみえを窓の外からとらえたロングショットにフェイドアウト)。

 原作では二人は離婚することになっており、成瀬も井出もそのようなエンディングを望んでいたが、興行的配慮から映画では結末を曖昧にしたという。とはいえぎゃくに、結論を先送りしたエンディングこそがすぐれて成瀬的なそれであることはいうまでもない。成瀬の映画のなかで流れている時間はわれわれじしんの日常とおなじクライマックスのない平坦な時間であるから。映画が終わっても人生はつづいていくのだ。

 このいみで『めし』三部作をジャック・ベッケルの『幸福の設計』『エドワールとキャロリーヌ』『エストラパード街』の三部作、もしくはそれに倣ったフランソワ・トリュフォーのアントワーヌ・ドワネル三部作になぞらえることがゆるされよう。いずれにおいてもあとの作品になればなるほど夫婦の危機が深まるのであり、また、シリーズが幕を閉じたあともわれわれ観者のこころのなかに主役の夫婦が棲み続けている印象をあたえるのだ。

 上原が愛人宅の縁側で二人の今後について語り合う場面。上原は未亡人である愛人の息子と玩具の自動車で遊んでいる。ふと自動車が縁側から“脱線”し、庭に転落する。ダグラス・サークの There's Always Tomorrow に似たエピソードがあったはずだが、愛人が事故死するなりして夫婦が元の鞘に収まるのかと予想するとまんまと肩透かしを食う。とはいえ曖昧なラストはそのような展開の可能性をけっして排除しない。