Negative Space

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双子の絹代:『銀座化粧』と『おかあさん』

2018-04-11 | 成瀬巳喜男





 成瀬巳喜男「おかあさん」(1952年、新東宝)


 田中絹代=三島雅夫=香川京子の配し方において、クライマックスを欠きエピソードを淡々と積み重ねていく語りくちにおいて、前年の『銀座化粧』の双子の作品といえよう。

 田中は「裏銀座」のバアの女給から下町の洗濯屋の女房に変わっている。『銀座化粧』の女給はシングルマザーであり、『おかあさん』の田中は未亡人となる。いずれの作品においても田中は金の心配に追われ、田中の息子(甥)がペーソスゆたかにコメディーリリーフを引き受ける。『銀座化粧』の田中の若い男へのおもいも、『おかあさん』における加東との再婚の可能性も、暗示されるにとどまる(加東が田中にアイロンの要領を伝授する場面は素晴らしい)。

 長男と夫の死の場面は大胆な省略にゆだねられ、それぞれ味わい深い諸エピソードの軽やかな繋ぎ方(いわば物語の一家のごときモザイク)によって貧乏生活を悲惨にみせない。

 戦前から戦中にかけての成瀬をおもわせるとぼけたタッチ。1)後ろ姿の子供が路地を駆けていくロングショットにつづきとつぜん「終」との文字が画面に出るが、作中でこどもらが伯母につれられて出かける映画のエンドマークであることがわかる。そろそろ映画の終わりが見えかけてきた時点でのことなのでサプライズの効果は満点である(岡本喜八は『大学の山賊たち』の冒頭でこれをやっている)。2)夫婦が昔語りする場面では予期せぬ(余計な)フラッシュバックが挿入される。3)遊園地の場面では田中の具合がわるくなるが、彼女が病に倒れるというとうぜん予想される展開にはならない。いっしゅのフェイクのエピソードとみなすこともできる。4)フェイクといえば、長男の死の描写の省略が鮮やかすぎて、そのあとある時点ですでに夫が死んだ、もしくは田中が加東と再婚したと錯覚させる瞬間がある。寝込んだあと、夫の出番はしばらくなくなるし、くだんのアイロンの場面では加東が田中にタメ口をきいている。

 川本三郎によれば次女(そのたたずまいの素晴らしさ)が養子先で母の肖像を壁に飾ろうとしてそのまま引き出しにしまうのは新しい親への配慮であり、加東が店を去るのは香川への配慮が大きい。わたしはそこまで読み込めなかったが、言われてみればそのとおりだ。成瀬の演出がいかに説明的ならざるかの好例といえよう。いっけんわかりやすいが、じつにきめこまかに織り成された傑作である。

 このあと田中は師・溝口の『山椒大夫』でも香川と榎並啓子(次女)の母親役を演じることになる。