白夜の炎

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王立軍の寝返りと薄煕来-大紀元の記事

2012-02-14 18:52:30 | アジア

 以下「大紀元」から薄煕来関係の記事を2本載せます。大紀元は中国共産党政権にかなり批判的な立場なので、それを前提にお読みください。

 以下の2本の記事をみると現在の胡錦濤・温家宝政権は理性的かつ・穏健な性格の政権だという印象を受けます。これは私の個人的印象かもしれません。とくに温家宝は天安門事件のとき趙紫陽を支えましたし、現体制の幹部であるにもかかわらず、自らの文革体験を語ったり、政治改革の必要性を論じたりしていました。そのようなことから今書いたような印象を持っています。

 習近平政権ではどうでしょうか。以下の記事からは、薄煕来は温家宝によって政治的キャリアを断たれた。従ってもっとも問題ある人物が新体制に入るのは阻止された、という印象です。以下の記事では今回の事件が共産党分裂につながるという論調ですが、胡錦濤・温家宝体制が適切な判断に基づく処理をしたとするならば、新体制も安定したスタートを切れるのではないでしょうか。

 また記事の中で、現体制の中では胡錦濤の一票も「重みがある」だけで、一票にすぎない。常務委員会の決定は全員一致でなされる、ということが新しい情報であるかのように書かれていますが、これは旧知のことであり、中国のジャーナリストや官僚も公然と口にしている事実です。

 なお以下の大紀元の記事の前に「獨立評論」の関連記事を読まれた方がいいかもしれません。この記事にも温家宝と薄煕来ノ関係が出てきます。ちなみにこの記事にも出ますが、薄煕来は文革駐北京大学の学生で「連動」という組織に属していましたが、これは「血統主義」すなわち親が赤なら子供も赤(親が革命的なら、子供も革命的)、親が逆であれば子供も当然そうなる、という考え方に立脚したグループで、共産党のエリートの指定が中心でした。

 →「獨立評論」http://dupinglilun.blog134.fc2.com/blog-entry-37.html

 同時に彼らが残虐な弾圧を行ったことでも知られています(この点は他の組織も同様で、たがいにエスカレートした決すとも見られますが、連動の構成メンバーが他の学生を睥睨するようなところがあったのは事実でしょう。ちなみに血統主義に関しては、アジ研の加々美さんが著作を発表されていました→『資料中国文化大革命: 出身血統主義をめぐる論爭』、加々美光行著『歴史のなかの中国文化大革命』(岩波書店 2001))。

 血統主義についても見ておかれた方がいいかもしれません。

 では以下が大紀元の記事です。

①「【重慶亡命事件】派閥抗争が顕在化 中共分裂の予兆
 【大紀元日本2月14日】重慶市党委員会書記である薄煕来の腹心の王立軍(重慶市副市長、政治法律委員会書記、公安局長)が、政権内の敵対勢力に狙われて調査されたため、薄煕来は自分を守るために、やむを得ず王立軍を投げ出した。これによって王立軍は米国領事館に駆け込み、助けを求めるという事態を招いた。この事件は中国だけではなく、国際的にも強い関心をひいた。この数日、中国国内の検索エンジンの最大手「百度」と海外Googleでは、重慶事件に関する検索回数がずっと上位に並んでいる。

 重慶市副市長の王立軍が米国領事館に駆け込んだ事件は、国際社会の影響力が中共政権内部に介入するきっかけになり、中国共産党の閉鎖的内部権力の平衡を維持する連鎖の断裂が初めて公なものとなり、中共高層の権力闘争にアメリカが影響力を与える機会が生じた。これは歴史上、かつてなかったことだ。

 王立軍は今月2日、薄煕来に重慶市公安局長の職を免じられた。その6日後の8日に米国政府は彼が米国領事館に駆け込んだことを認めた。その後、王立軍は北京に移送されている。この何日間の中で繰り広げられた王立軍と薄煕来の「暗闘劇」は、小平以来の中共高層権力間の「暗黙の了解」を破り、全面的な抗争を触発することになった。

 高層権力の「暗黙の了解」

 中国共産党の高層権力体制は中央集権のピラミッド構造だった。1人の絶対的権威によって権力のバランスが保たれてきた。だが、「胡温政権」になってから、この構造が崩れ、高層権力者の間では暗黙の了解と相互けん制で均衡を維持するようになった。派閥間は抗争があっても、本質的な部分は外部に漏れることがあまりなかった。

 ウィキリークスに暴露された情報によれば、中国共産党政治局は決議を採択する場合、「全員一致で通過」の形式を採用している。つまり、長時間の討論を経て、与会の全政治局員の賛成を得てから始めて決議を決定する。胡錦濤の一票はただ「重みが大きい」だけだという。この構造は特定の人に権力が集中することを防止するためだと米国の外交官は指摘した。

 中国共産党中央政治局委員の中で、上海派閥(江沢民派)は多数の常務委員を占めており、呉邦国、賈慶林、李長春、周永康がそれに当たる。胡錦濤の青年団派は常務委員の李克強と、委員の汪洋と李源潮などがいる。太子党に属するのは常務委員の習近平と委員の薄煕来などがおり、薄煕来はまた、背景に江沢民派を持っている。

 王立軍は権力内部の抗争を公にした 

 今回の重慶事件で、王立軍は米国領事館に駆け込み、中国共産党高層権力間の「暗黙の了解」を徹底的に打ち破った。王立軍の亡命で明らかになったのは中共政権内の抗争の残酷さだけでなく、薄煕来に関する内幕情報も含まれているという。これによって中共高層幹部の黒幕が、国内よりも先に、外国政府に掌握された。

 米VOAによると、米国国務院スポークスマンは8日の定例記者会見で、王立軍が成都の米国領事館の高官と面会したことを認めた。

 導火線は、薄煕来の「権力闘争の敗北」

 2008年6月、温家宝首相の強い要求で、薄煕来は商務部長から重慶市党委員会の書記に降格された。この降格について海外の中国語メディアは、薄煕来が「まるで自分の政治生命の末路が見えた」と分析し、彼はこのままでは納得できず、権力の中央に復帰するために重慶での戦いを始めたという。

 薄煕来は自分の政敵を倒すために、かつて腹心であった遼寧省錦州市公安局長の王立軍を重慶市公安局副局長に任命した。その数カ月後、王立軍は重慶市の元司法局長・文強を死刑に処した。文強は青年団派の要員で、広東省の書記(前重慶市書記)汪洋の腹心でもあった。

 だが、昨年末、政治局常務委員の賀国強の管轄下の中央紀律検査委員会は密かに王立軍を召還し尋問した。自分の政治生命はもう終わりだと感じた王立軍は、処罰の軽減をねらい、薄煕来の数々の問題を摘発したという。これは政治局常務委員入りを目指す薄煕来にとって致命的な一撃となり、彼の「巻土重来」の目論みは実現から遠ざかった。今まで保たれて来た権力の平衡も薄煕来の敗北により崩れ、内部闘争が公なものとなった。

 中共分裂の始まり

 中国問題専門家の石臧山氏は、絶対的権威が不在の「胡温政権」で、暗黙のルールで維持してきた体制内権力バランスが崩れたきっかけは、薄煕来の「ルール違反」となる文強の死刑だと分析した。このことにより、敵もルールを無視し反撃を始めた。さらに薄煕来の腹心の「裏切り」により、中共の派閥闘争の真相が外部にさらされ、国際社会までも介入する事態となった。

 石臧山氏は次のように指摘した。「これは重大なシグナルである。つまり、中共政権内部の権力平衡を維持する連鎖が切れ、全体的な内部抗争に入った。誰もが以前の『暗黙の了解』を気にとめることなく、誰もが他の人を構わなくなる。共産党の分裂はもう遠くはない」

(翻訳編集・東山)」→http://www.epochtimes.jp/jp/2012/02/html/d72753.html


②「【大紀元日本2月13日】「マフィア組織取り締まりの英雄」とされていた重慶市副市長で、公安局長を兼ねていた王立軍が2月6日、四川省成都の米総領事館を訪れて政治亡命を求めたことにより、中国の政局が大きく乱れ、中共の天下大乱の始まりとして世界中から注目されている。

 以下は複数の情報に基づいてまとめた、事件に関するあらすじである。

 中共重慶市書記の薄煕来は、もともと総理や総書記、せめて副総理を目指していたが、ウィキリークスに公開された米国政府の機密電文によると、商業部部長の任期満了後、彼が法輪功迫害により世界数カ国で告訴されたため、副総理の人事として妥当ではないと、温家宝総理らに否決され、彼の副総理の夢は叶わなかった。

 薄煕来は将来、権力中枢に入り、胡錦濤の勢力と対抗する「上海組」の政治路線を継承してほしいと、江沢民から期待されていた。しかし、商業部部長の任期満了後、薄煕来は中共重慶市書記に回され、かつそのポストは彼の政治生命の終点とされていた。

 その恨みを晴らすため、薄煕来は重慶市トップについてから、可能な限り新奇をてらって、世論の注目を集めつつライバルで前任であった現広東トップの汪洋が在任中に抜擢した官員らを、いわゆる「マフィア組織一掃する」運動の中で、数多く逮捕、判決して、それをもってライバルを牽制しつつ己の勢力を伸ばそうとした。

 その重任を担ったのは、遼寧省から呼び寄せてきた腹心で後に副市長で重慶市公安局長を兼ねた王立軍であった。

 しかし、薄煕来の異動に対して、胡錦濤らは最初から警戒し密やかにそれに反撃する対策を練っていたようである。胡錦濤と温家宝が、薄煕来の「革命歌を歌い、マフィア組織取り締まり」運動に対し一言でも賛成の意を表したこともなければ、薄煕来の就任後に重慶をただの一度も視察したこともない。この異常な状況から胡錦濤と温家宝の態度は明らかだ。

 昨年末、中共中央規律検査委員会(賀国強書記が重慶市元トップでもあった)が秘密に王立軍を召喚し、彼の汚職問題と拷問など司法乱用の数々の問題を指摘した。確たる証拠の前で、王は弁ずることができず、自分の政治生命は終わりだと感じた。一方、中紀委は、もし薄煕来の問題を摘発し、中紀委の薄煕来への調査に協力してもらえば、寛大に処理することもできると示唆した。それで、王は実名で薄煕来の汚職など多くの問題を摘発したという。

 王の裏切りを中紀委にいる薄煕来の情報員から通報され、薄煕来は1月4日に王立軍と突っ込んで会談を行った。その詳細について知られていないが、2月2日に王立軍は重慶市公安局長の職を免じられる羽目になった。

 王の裏切りを知って、薄煕来は先手を取って運転手など彼と親密な関係をもつ19人を逮捕し、王の行動を24時間監視するように命じた。

 身の危険を感じ、途方に暮れた王立軍は、四川省成都の米領事館を秘密に訪れ、政治亡命を求めたのである。情報を知った薄煕来は命令を下し、重慶市黄奇帆市長が装甲車を含め70台のパートカーを率いて、四川省首都の所在地である成都にある米領事館を包囲し、王を出すように迫った。

 一方、胡錦濤は国家安全部副部長ら7人を派遣し、王を領事館から受け取り、北京に連れ帰ったのである。

 王は政治亡命を拒否され、米領事館から出る際に、国家安全局の官員らに、薄煕来は義理人情のないもので、おれは彼と徹底的に戦っていくと叫んだという。

 重慶市は、中国の中央直轄市の一つであり、その幹部は省・部クラスである。副市長の王立軍は副省級であり、すなわち日本の副大臣に相当する高級幹部である。中共の高官が海外で政治亡命を求めたケースはあったが、副省級の高官が国内で米国の領事館に逃げ込み、政治亡命を求めるのは、前例のない非常に異常なことである。

 それゆえ、中国問題専門家たちは、この事件で中共の内部闘争が米国をはじめとする国際社会に公開化されると共に、中共中枢部の権力闘争のバランスがすでに崩れ、もしかしてこの事件が中共を崩壊させるドミノの始まりであるかもしれないと見ている。」→http://www.epochtimes.jp/jp/2012/02/html/d36623.html


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