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薄煕来続報-重慶市の土地政策

2012-07-14 17:51:37 | アジア
「中国重慶市で政府主導の改革を進めようとしたとみられている薄熙来氏だが、その政策を精査すると、より複雑な面が垣間見える。


 重慶市共産党委員会書記の地位を追われた薄氏は2000年代中ごろに中央政府の商務相を務め、輸出増値税の還付率引き下げに取り組んだが、還付金の減少は輸出業者にとって大打撃となった。中国南部の米商工会議所によると、香港に次ぐ輸出基地である広東省では、2007~08年に5000社に及ぶ製造業者が倒産したとみられる。だが、これらの企業倒産は、単純な組立工程より複雑なプロセスに特化する新たな企業の誕生に道を開く格好になり、深センや広州の一段の近代化に貢献した。

 また、英国人ビジネスマンの殺害に関与したとされて失脚するまで、薄氏は重慶市の共産党トップとして、市場原理に基づいた土地公売の方法を取り入れた。また農民が都市部での居住権と引き換えに土地を手放すことを可能にするプログラムも導入した。中国の都市部住民は、より良い教育と社会保障制度が受けられるのだ。

 これらのプログラムの目的は、外国資本に魅力的な労働力を安定的に供給することにあった。薄氏の失脚は、こうした動きに反発する勢力を勇気づけることになった。

 薄氏は「中国経済季報」のトム・ミラー編集長に「改革派とみられた誰かの悪行のために、改革のスピードが緩められるなら皮肉なことだ」と語った。

 土地公売プログラムでは、農民は家屋と敷地の登記簿のような「地票」を受け取ることが選択でき、この地票を重慶市の中心地にあるインターコンチネンタルホテルの隣の土地交易所で売ることができる。

 土地の開発業者らはこの地票を欲しがった。地票があれば、都市部に近い同じ区画サイズの土地を開発する権利を得られるからだ。農民は6分の1エーカー(1エーカー=4047平方メートル)ごとに最低約9万6000元(約120万円)が約束されていた。農民の土地は1エーカー未満がほとんどだった。耕した土地すべてではなく、家屋とその周辺の敷地しか処分することができないからだ。

 土地と引き換えに得られた金額は、農村地域よりは賃金が高い都市で新生活を始めるには十分な額であるはずだ。そして農民の家は取り壊され、敷地は農地に戻る。

 このプログラムのポイントは、農民は不当に安く土地を売らされるのではなく、正当な価値評価が得られることだ。農民が都市部の住民になれば、重慶市の労働力の一部となり、沿海部から安い労働力を求めて内陸部へ移転する企業に対して、大きなセールスポイントとなる。

 しかしこのプログラムが広く受け入れられることはなく、システムは頓挫した。農民は約束された金額が本当に得られるかどうか確信できなかったうえ、薄氏のいない未来がどんなものかについても確信が持てなかった。一部共産党幹部は、土地の私有化につながるステップだとしてこのシステムに反対した。土地の私有化はまだ公には共産党の中国では認められていない。

 中央政府は成都市の似たようなプログラムを2010年に停止した。しかし重慶市のプログラムは実験的運用であることを理由に続けることが許可された――おそらく、薄氏の当時の影響力を示すものと言えるだろう。

 最後に大きな地票の公売が行われたのは2010年4月30日とみられる。しかし個人的な取引はまだ可能だ。個人的な取引が最後に行われたのは、土地交易所のウェブサイトによると、2011年12月6日のようだ。今後の取引についての情報はない。重慶市当局は地票に関する問い合わせに応じていない。

 薄氏の人気は重慶市の隅々に及んでいる。重慶市はいまだ薄氏の失脚をどのように受け入れようかと模索している最中だ。「重慶市の人々はレースに出ているような気分だった。そしてゴールまであと200メートルのところで突然リーダーが倒れ、残された人は何をしていいかわからない」と、重慶市の共産党幹部に近い学者は話す。

 重慶市から50マイル(約80キロ)離れた空拇という村は、中国のメディアで、地票公売システムの初期のモデルといわれている。だが今、空拇の住民は自分たちの土地を取引したいかどうか確信がない。

 生まれたばかりの息子を抱いたリー・イーさんは、小さな自宅から水田とトウモロコシ畑を眺めながら、「ほんの少数の意欲的な人が地票で運だめしをしたいと思うだろうが、私は意欲的ではない。試したくはない」と語った。

記者: Bob Davis 」

(http://jp.wsj.com/World/China/node_477110?mod=WSJFeatures)


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