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薄煕来続報・事態の整理

2012-04-21 16:04:39 | アジア
 以下は、http://matome.naver.jp/odai/2133186265849279201 より。

「事件概要―中共最高幹部候補の薄煕来の右腕だった王立軍が、アメリカ大使館に亡命を求める。亡命は拒否され中国政府に拘束される。その時に国内外に薄煕来の陰謀に関する情報が流出する。

薄煕来と現最高幹部の一人の周永康は、次期最高指導者の習近平を失脚させる陰謀を計画していた。胡錦濤派、江沢民派などの派閥争いも影響し、チャイナナイン内の権力闘争に発展した。



事件の時系列 事件発生前

2007・10―薄煕来が重慶委書記長に就任する。

―就任後から事件発生までの流れ―

薄熙来は江沢民派で副首相を目指していたが、法輪功迫害で数カ国から告訴され、胡錦濤派の温家宝から副首相に不適任とされた。重慶委書記長が彼の最後のポストとなると思われていた。

しかし薄熙来は諦めていなかった。腹心の王立軍を公安局長に任命し、大体的なマフィア対策を行い多大な成果をあげ、民衆の人気を得る。また前任者で胡錦濤派の汪洋が選任した人間を数多く逮捕して、自らの勢力の拡大を図る。しかしその中で自らの派閥の上海組に与する人間も数多く逮捕し、自らの派閥の人間にも疎まれる事となる。

これに対し胡錦濤派は、中共中央規律検査委員会に王立軍を召喚し、王立軍の汚職・拷問・職権乱用などの容疑突きつけ、寛大な処置の代わりに薄熙来の告発を迫る。王立軍はこれに応じ薄熙来を告発する。薄熙来は王立軍の裏切りを中央規律検査委員会の協力者から知る。

2012・1・4―薄熙来は王立軍を呼び出し会談。内容は不明。

2012・2・2―王立軍が兼任していた公安局長のポストから外れると、中共重慶市委員会が発表した。薄熙来は王立軍の運転手をはじめとする19人を逮捕し、24時間の監視を開始する。逮捕された人間の内、2人が拷問で死亡・1人が自殺したとの情報もある。



事件発生後(2012年2月~)

2012・2・6―王立軍が四川省成都の米総領事館に政治亡命を求め駆け込む。その時、王立軍は女装していた。

事態を察知した薄熙来は装甲車を含む70台のパトカーを米総領事館に派遣した。しかし地元警察から報告を受けた中央政府が引き返しを薄熙来に命令し、結局パトカーは撤退した。

胡錦濤派は米総領事館に国家安全部副部長を派遣し王立軍の引渡しを米国に求めた。

2012・2・7―王立軍の亡命は拒否される。王立軍は国家安全部副部長に北京に連行される。

2012・2・8―薄熙来が第二回全体会議を欠席する。

2012・2・9―薄熙来が重慶市で記者会見、潔白を訴える。また翌日から全体会議に出席する。

2012・2・10―アメリカ下院・外交委員会・筆頭理事イリアナ・ロス・レイティネンはクリントン国務長官に王立軍事件に関する書簡を送付した。

2012・2・15―ネットで王立軍の診断書が出まわる。診断の結果は重度の鬱病。王立軍の行方が妻と弟でさえ知らされていないと報道される。

王立軍自身は北京で調査を受けており、薄煕来と周永康の”習近平・権力委譲阻止計画”の詳細な資料を提出した。

アメリカ下院・外交委員会・筆頭理事イリアナ・ロス・レイティネンが王立軍・事件に関する声明を発表した。『習近平の訪米期間中に、大使館に亡命を求めた王立軍が拒否されるという報道を目にした。非常に残念だったが、習近平の米国訪問を迎えて中国との摩擦を避ける為の決断だった』

2012・2・16―薄煕来と重慶市長・黄奇帆は重慶市政法平安会議を欠席。指導者が揃っての欠席は異例である。

2012・2・21―中国政府が米国政府に王立軍から譲渡された資料の返還を求めたと、米国ニュースサイト”WashintonFreeBeacon”が報道する。コピーされている資料の返還というこの要求は、王立軍事件の幕引きの為のパフォーマンスであるとの見方もある。

2月の間に2回、中共中央政治局常務委員・チャイナナインは会議を開催した。会議で温家宝は薄煕来を激しく糾弾した。賀国強と李克強は温家宝を支持、周永康は薄煕来を擁護する立場をとった。他のメンバーは意見を保留もしくは中立の立場をとった。



事件発生後(2012年3月~)

2012・3・2―全国政治協商会議のスポークスマン趙啓正が「王立軍は休暇をとっている」と記者会見で発表した。

2012・3・13―常務委員会議が開催される。中立だった習近平が温家宝を支持につく。これにより他のメンバーも温家宝を支持につき、周永康も渋々、薄煕来に対する調査団を組織する案に賛成する。薄煕来に対する調査はチャイナナインが全員一致での採択となった。

薄煕来の支持者だった北京大教授・孔慶東が大学を解雇される。孔慶東は数日前に薄煕来を指示する内容の動画を公開していた。また幾つかの左翼サイトが閉鎖される。薄煕来は左翼からの支持が厚かった。

2012・3・14―第11期全国人民代表大会で温家宝が、公に初めて事件に言及する。このような形で言及するのは異例で且つ内容は厳しい批判だった。(発言内容は次の項目)

2012・3・15―薄熙来と王立軍が解任される。薄熙来の後任は、薄熙来と同じ派閥の張徳江であった。これにより派閥同士のパワーバランスは一応保たれた。
薄熙来の次期最高首脳部入りの可能性はなくなり、完全に失脚した。薄熙来は参加予定の重慶市指導者幹部会議に欠席、北京で中央当局に取り調べを受けているとの情報があるが詳細は一切不明。
薄熙来と深いつながりがあった大連市の実業家・徐明が逮捕された。徐明は薄熙来に資金援助をしていた。

2012・3・16―薄熙来の妻・谷開来が逮捕された。

2012・3・21―江沢民派で薄熙来を擁護していた周永康が失脚したと、英紙フィナンシャルタイムズが報道した。自由を制限された状態にあるという。

2012・3・22―薄熙来の腹心で重慶市共産党委員会の徐鳴常務委員が失踪した。取り調べを受けているとの見方がある。徐鳴は重慶市長の黄奇帆・王立軍と並ぶ薄熙来の腹心だった。

2012・3・25―イギリス外務省が薄熙来一家と近い関係にあったイギリス人のニール・ヘイウッド死亡事件と、薄熙来家で働いていたイギリス国籍の家政婦・海伍死亡事件の調査を要請したと報道があった。

2012・3・27―中国軍の機関紙・解放軍報がいかなる状況においても最高指導部・中央軍事委員会・胡主席の指揮に従う主旨の論説を掲載した。

2012・4・1―政治局常務委員9人が全員一致で、薄煕来に対する調査団を組織することを決定したと香港版苹果日報が報道した。

2012・4・10―薄煕来が党の全ての役職から解任される。

妻・谷開来がイギリス人ニール・ヘイウッド殺人容疑で司法機関に送致された事が報道された。
薄煕来の後ろ盾だった周永康に関する不利な情報が、急にネット上に流れ出す。

2012・4・16―薄煕来と妻・谷開来の取り調べの様子が報道される。

 薄煕来は胡錦濤と周永康に面会を求めたが拒否され激高し、後ろ盾だった周永康を罵ったという。妻・谷開来は周永康が薄煕来と共に次期最高指導者・習近平を失脚させる陰謀を進行させていたと供述した。また陰謀の全貌と引き換えに死刑の免責の司法取引を持ちかけた。

第11期全国人民代表大会・温家宝の発言

第11期全国人民代表大会における温家宝の王立軍事件に対しての発言。

”王立军事件发生以后,引起社会的高度关注,国际社会也十分关注。我可以告诉大家,中央高度重视,立即责成有关部门进行专门调查。目前调查已经取得进展,我们将以事实为依据,以法律为准则,严格依法办理。调查和处理的结果一定会给人民以回答,并且经受住法律和历史的检验。

多年来,重庆市历届政府和广大人民群众,为改革建设事业付出了很大的努力,也取得了明显的成绩。但是现任重庆市委和市政府必须反思,并认真从王立军事件中吸取教训。”

王立軍事件の発生以降、事件は社会の高い関心をあつめている、それは国際社会においても同じで高い関心を持たれている。

この事件について皆さんに報告したい。中央政府も事件に高い関心を持っており、即刻専門の部署に事件の捜査を命じた。現在捜査は進んでおり、捜査から得られた事実を元に厳格な法律による処分を下すつもりである。その捜査と処分の結果は必ず人民に知らされる、この調査は法律と歴史による検証に耐えられるものになるだろう。

ここ数年、重慶市の歴代市政府と広範な民衆は、改革のために多大な努力を惜しまず、またはっきりとした成果を上げている。

しかし重慶市政府は、王立軍事件から真剣に教訓を学び、襟を正すことが必須である。



関連人物一覧

江沢民 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B2%A2%E6%B0%91

前国家主席。現在も中央政治局常務委員(チャイナ・ナイン)に自身の派閥の人間が多く、強い影響力を持っている。しかし健康状態が思わしくないと言われており、2011年には死亡報道がなされ騒ぎになった。

周永康 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%B0%B8%E5%BA%B7
江沢民派(上海幇)
中央政治局常務委員(チャイナ・ナイン)の一人で序列は9番目。薄熙来の後ろ盾で、警察、司法、諜報を司る機関・中共中央政法委のトップ。


薄熙来 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%84%E7%86%99%E6%9D%A5
江沢民派(上海幇)太子党(党有力者の息子)
周永康の後ろ盾に次期チャイナナイン入り及び次期最高指導者・習近平に取って代わる計画を立てていた。

王立軍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%AB%8B%E8%BB%8D
薄熙来の腹心の一人だった。
違法行為を対立派閥に知られ保身の為、薄熙来を裏切る。しかし裏切りが薄熙来に知られ、亡命を企てるが失敗する。その際に米国に流出した情報が今回の権力闘争表面化のきっかけとなった。

黄奇帆 - 维基百科,自由的百科全书
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%A5%87%E5%B8%86
薄熙来の腹心・重慶市長

徐鳴
出典
i9.hexunimg.cn
薄熙来の腹心・重慶市常任委員
王立軍・黄奇帆・徐鳴は薄熙来の部下の中で三羽烏的な存在だった。それぞれが武力・政治・経済の面で薄熙来を支えていた。

谷開來 - 维基百科,自由的百科全书
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E9%96%8B%E4%BE%86
薄熙来の妻の中国版Wikipedia 職業は弁護士

張徳江 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%BE%B3%E6%B1%9F
江沢民派(上海幇)
失脚した薄熙来の後釜になった。

胡錦濤 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E9%8C%A6%E6%BF%A4
団派(中国共産主義青年団出身者の派閥)
国家主席。

温家宝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E5%AE%B6%E5%AE%9D

汪洋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%AA%E6%B4%8B

団派(中国共産主義青年団出身者の派閥)
元重慶市委書記、薄熙来の前任者。薄熙来と対立した。

習近平 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3
太子党(中国共産党の有力者の息子)次期最高指導者。
太子党であるが、団派の胡錦濤・温家宝は父・習仲勲を師と仰ぐ関係にあった為、非常に近い関係にある。」


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