アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

「ナラタージュ」「アデル、ブルーは熱い色」「わたしはロランス」

2014-06-11 02:37:42 | 日記
娘が小麦粘土やらシャボン玉で遊んでいる最近、母親の私は、何やら小説やら映画やらで、恋愛ものを楽しんでおります(笑)。


に~っ!

たまたま古本屋で見つけた、島本理生の小説「ナラタージュ」。
2005年に出たのかな、高校教師とその生徒の恋愛とそのあと、と書いてしまえばそれだけの話です。
でもこの帯に引かれて買ってみたら、鳥肌がたつくらいに、恋愛のきりきりした痛み、くらくらする甘さを、
思えば30年ぶりくらいに(?)小説で味わいました。


ピース!

大人になると、なんというか、恋愛といっても駆け引きを楽しむ、ゲーム感覚だったり、あるいは心理学的にみると、単にコンプレックスとか
何かの投影とかだったり、などとちょっとつまんない見方をしてしまうことが多いように思います。というか、私はそうでした。
好き、という気持ちそのもののこと、ちょっと軽んじているっていうか、恥ずかしいっていうか、ね。



高校の演劇部の顧問の先生に頼まれて、大学生になったもと演劇部の仲間たちが再会し、舞台を演じる。その間の
できごとで、なんかありがちな設定だなあ、なんて思う余地もないくらいの筆力というか展開なのです。

こんな恋を、私はしたことがあったんだろうか? したことがなくても、この小説を読んだことで、もうそういう恋をした
ことになるから、いいや、って思ってしまう(笑)。



新聞評でレズビアンシーンがものすごいとあり、面白半分見に行ったら、たしかにものすごかったけれど、なんだか
とっても感激してしまったのが、「アデル、ブルーは熱い色」という映画です。3時間近いのに、その長さが全然苦にならない、
というか、もっとこの主人公のアデルを見ていたいと思わせる映画。大クローズアップがたくさんあって、泣いてるときは
鼻水がたれるところまでしっかり見える(笑)。なんだか自分のいろんな感情をアデルのクローズアップが見せてくれてるみたい。

高校生のアデルと美大生のエマが恋に落ちて、幸せに暮らす日々を経て、別れに至り、アデルは幼稚園の先生、エマは画家の道を進む。
アデルは他の人とは恋に落ちず、適当に男性と遊びつつもエマが忘れられない。エマは他の女性と家庭を築き、画家としてもまあ成功をおさめ
ているけれど、アデルと再会した日には、やっぱり心や体の奥底ではアデルを求めている。でも、アデルとはいっしょになれない。

こうやってかくと、まあ、しょうもない話なんですが(笑)、エマ役の女優さん、他の映画ではフェミニンな役をやってるのに、この映画
ではやたらに男前で、ほれたくなっちゃう魅力むんむん。アデルもそういうわけで、土臭いくらいの純粋さで、欲望と愛情が一体になってる。
ふたりの出身階級の違いとかも出ていて、それも面白いんだけど、それよりも何よりも、どろどろした情欲とか執着みたいなものでさえ
生きるエネルギーなんだ、それこそ生きる情熱なんだって、妙に感動してしまいました。いや感激、かな?

ふだんは目に見えない、生命力とか情熱みたいな、私たちを動かしている力を目の前にした、みたいな感激、とでもいったらいいでしょうか?


むむむ~~!!

「わたしはロレンス」は劇場で見たいと思いつつ、見逃してしまい、DVDでやっと見たのです。これも3時間近い映画だけど、
もっと見たいって思わせられました。

つきあっていたカップルの男性が性同一障害で、途中から女性になっていく、そのプロセスの10年を描いたものです。
どうなっていくんだろう、というふたりの展開の先が見えない面白いさ、80、90年代のファッションとか音楽が出てくる懐かしさ(笑)、
映像としてもとても美しいところがけっこうあり、忘れられないシーンもいくつかあります。



これも顔のクローズアップが多いし、演技の力で吸い寄せられちゃうのかもしれませんが、なんかね、感情移入しちゃうのですよ、
やがて女性になっていく男性、その相手を見て苦しむ女性、両方ともに。
だからいっしょに苦しくなっちゃう。そして、だから最後の方のシーンがよけいに切なく感じられる。


うふふ、ぶりっ子(これってもう使われていない言葉??)

ここ1、2ヶ月の間にみた映画(DVD)、本、他にも面白いのがありますが、魂消た、というか魂にズーンときたのがこの3つだったので
備忘録で書いておきまする。

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