快晴が続きますが、朝晩はぐんと冷え込みますね。今年の冬はなんだかとても寒く感じます。
てんぷら屋さんで「サワガニの唐揚げ」を前に、にんまり。でも食べなかった。
もう母乳はストップしたのに、寝る前とか起き抜けにはおっぱいが必要だった娘ですが、数日前、「歯が痛いから
おっぱいはやめる」という不思議な発言。よくよく聞いてみると、私がちょっと前に、歯を立てる娘に「いたいよ、
歯がいたいよ」と文句をいったことが理由らしい。まだ受動態と能動態など使い分けられないのですね。
翻訳すると「ママが私の歯があたっていたいというから、もうおっぱいもらうのはやめる」らしい。
お店のおかみさんが貸してくれた、お茶ミル。抹茶塩をつくるのに使うそう。
へえ、娘なりに気を使うんだあ、感心しちゃいました。ただ、完全にやめちゃうのは、ものさみしいらしく「手で触るだけにする」(笑)。
さらに、「ママは耳が痛いからお医者さんに行くね」と話したら、数日後、「ママ、耳はまだ痛い?私がうるさいから耳が痛くなったの?」
と心配そうな顔で聞きます。「ううん、ばい菌がはいって痛くなっただけだよ。うるさいからじゃないよ。お薬飲んでるから
だいぶ良くなってきたよ」と答えると、ほっとした様子。
本棚のネジを巻くお手伝い。
そうかあ、母親の耳痛を自分のせいにしちゃうんだ、と妙に神妙な気分になると同時に、昔読んだいくつかの本や、
受けた講義、実際に聞いた、児童虐待の被害者の人たちの話などを思い出しました。
子供は万能感があるゆえに、あらゆることを「自分のせい」にする傾向がある。
子供の頃のトラウマってよく話が出ますが、あることが起きると、万能感がある、つまり、すべてのことは自分の
力の範囲だと思っているから、私のせいだ、と自分を責めてしまい、それが傷となって残る、という説明が
されたりします。
また、子供は親に捨てられると生きていけないので、あらゆる手段を使って親から捨てられないように努力する。
例えば極端な例ですが、親から虐待されても、「自分が悪いから」とその自分の悪さを相殺するように、ものすごくいい子になったり
これ以上何かされないように、極端におとなしくなって、それがやる気のなさになっていったり。
真剣。けっこう上手です。
もしかしたら、私が耳の不快さで、不機嫌でいるのを見て、その理由は自分にある、つまり、耳の痛みの原因は自分のせいである、
自分がうるさかったからだ、という論法だったのかなあ、と想像しました。
ところで、私は自分がかっとすると、反射的に娘を叩いてしまうことがあります。
娘は泣き出し、私ははっとして、「ごめんね、ママは叩いちゃいけないね。でも、こういうことをしちゃいけないのに、
やり続けるからママは怒っちゃったんだよ。もうしないでね。危ないんだから」と抱きしめて、優しく説明するように
しています。「痛かったよ〜、もうしないでね」と訴える娘が泣き止むまで、「ごめんね、もうしない。でも、ああいうことは
しないでね」と言い聞かせます。
だいたい「大好き、I love you!」とお互いに抱きしめあって、終わるまで、続けるのです。仲直りってことがはっきりするまで(笑)。
私の両親の家族、弟の義理の家族も集まって、20人近くの新年会。
だいたいそういうことがあった夜は、いっしょにベッドに入ってから、娘は「ママね、今日、xxxした時、私、痛かったよ」
つまり、xxxした時、ママに叩かれて痛かった、などとその日、自分が叩かれて痛かったことを、もう一度訴えます。
「ごめんね。ママがやめてっていってるのに、何度もくりかえすから、ママは怒って叩いちゃったの。いけないね。
もうしないよ。でも、xxxしないでね。とっても危ないから」とまた何度か言い聞かせ、「うん、わかった」と
納得した声を出すまで続けます。
また「大好き, I love you!」とお互いに抱き合って、しっかり仲直りできたことをお互いに確認します。
最初はご馳走に取り組む、娘と双子のいとこ。
夜に同じ話を繰り返すということは、やっぱりショックだったんだろうなと思います。ある種の不条理感もあって、
納得できない。そして今のところ、それを口にしてくれるのがありがたいです。言葉にしてくれれば、私にも理解できて、
もう一度話ができるから。
子供を叩くのは、いけないと私も思っていますし、これからはしない、ととても反省しますし、自己嫌悪にも陥る。
もっと冷静にならなくちゃ、もっと大人にならなくちゃ、とも。でも、こういう考え方だけしていると、それができなかった
自分を責める一方になりがちです。
なので、自分に余裕がないと、感情的な行動をしがちなので、なるべく自分のケアをもっとしなくちゃ、とも考え直します。
すでに十分協力的な夫ですが、私の健康状態などから、もっと助けてほしい部分は、あらためて相談する。
私の場合、夫が家で仕事をしているので、彼がメインに育児をしているくらいと言ってもいいくらいです(笑)。
それでも、46歳で出産し、育児をしている私の体は、かなり体力が衰えており、すぐに疲れるし、体調を崩しがちです。
鍼をしたり、漢方を飲んだり、最近は気功を始めたり、と自分の体力、気力を少しでも回復させる努力をしています。
それができなかったら、倒れて、入院していたかもしれません。
でもすぐに遊んじゃう。今回は親戚がもっていたゲーム!
私と同じ年齢でも、比率的にもっと育児をしている人もいます。それをみて、私は駄目だなあと落ち込んだことも
度々ですが、体力、気力は人様々なので、私はこうなんだ、と諦めることにしました(笑)。
日本のお母さんたちは、お父さんたちが会社で超多忙だったりすることもあり、ひとりで育児に格闘している人が
多いと思います。近くに実家があったり、何かのヘルプが得られる状態にない人でも、「育児は母親がするもの」
という考えで、格闘してる人が多いように想像します。もちろんそれで、ちゃんとできる人もたくさんいるでしょう。
でも、辛くて辛くて仕方がない人もたくさんいるんだろうな、と想像します。
真剣にゲームしてる!
辛かったらヘルプを求めなくちゃ、と、シドニーにいた時に実感しました。
体調も悪く、経済的な不安もあり、親しい友達もなく、交流するのは夫の家族がメインで、という生活の中、なんだかもやもやした
くらい影が差し込んで、とてく苦しい日々がありました。夫ともたくさん口論をしました。それでもなんだか
すっきりしなくて、もやもやが消えず、むしろ色濃くなるばかり。
思い切って日本語のカウンセリングを受けてみたら、普段は意識していなかった不満が愚痴がたくさんでてきました!
一通り吐き出して、自分なりに整理がついたら、なんだかかなり楽になりました。
東京にいたなら、気の合う友達とおしゃべりして発散できたと思うのですが、そういう相手がそばにいないし、
意識的には「まあ、こんなもんだ。これくらい、大丈夫」と思っていたので、長々と愚痴を友達にメールする気持ちもなく、
もしかしたら、愚痴メールを書いたかもしれませんが、おそらく無意識に溜まっていた部分までは出てきてなかったかも
しれません。
そのあとで、シータヒーリングというヒーリングのセミナーで知り合った日本女性たちととても仲良くなり、
いっしょに食事にいっては、長々といろんな腹を割った話をし、さらに笑い話でお腹がいたくなるほど笑い、
ということができるようになってから、さらにもやもやが軽くなっていきました。
聞いてくれる相手がいてこそ、でてくる本音、というのがあるなあ、と改めて実感しました。
そして、私の場合、私だけの時間、また母である自分以外の自分を見てくれる友達との時間、というのがとても
大切なんだ、と痛感しました。
ふふ、たくさんあります〜とお料理をながめて。
人間関係の原型は親子関係にある、という人たちがたくさんいます。
それを真剣に考えると、恐ろしくて子供なんて育てらない、と若いときは思いました。
年をとったからか、もうちょっといい加減に考えるようになりました。
でも、初めての体験なので、いろんな育児本を読んでは、その通りにいかないことを反省し、自己嫌悪し、
ということを繰り返しました。そうしているうちに、子供はみんな違うし、親もいろいろだから、
本の通りにいかなくていい。娘と私の関係は独自のものなのだ、と思うに至りました。
私がいい気分でいると、それが娘に伝わる。私がいやな気分でいると、それも伝わってしまう。
だから私がいい気分でいることが、とても大切だ、とも思うようになりました。
娘がやりたいということは、だいたい私も面白そうだと思うので、可能な範囲でやらせてみたいと
思っています。
そして、「歯が痛いからおっぱいいらない」の一連から、何かのもやもやが娘の中に起こった時、
じっくり聴ける親でありたい、とも思うようになりました。
・・・・わあ、長い文章になってしまった!
なんとなく自分なりに整理することが必要だったようで、この文章を書きながら、自分なりに
腑に落ちたところもあります。
最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます!
てんぷら屋さんで「サワガニの唐揚げ」を前に、にんまり。でも食べなかった。
もう母乳はストップしたのに、寝る前とか起き抜けにはおっぱいが必要だった娘ですが、数日前、「歯が痛いから
おっぱいはやめる」という不思議な発言。よくよく聞いてみると、私がちょっと前に、歯を立てる娘に「いたいよ、
歯がいたいよ」と文句をいったことが理由らしい。まだ受動態と能動態など使い分けられないのですね。
翻訳すると「ママが私の歯があたっていたいというから、もうおっぱいもらうのはやめる」らしい。
お店のおかみさんが貸してくれた、お茶ミル。抹茶塩をつくるのに使うそう。
へえ、娘なりに気を使うんだあ、感心しちゃいました。ただ、完全にやめちゃうのは、ものさみしいらしく「手で触るだけにする」(笑)。
さらに、「ママは耳が痛いからお医者さんに行くね」と話したら、数日後、「ママ、耳はまだ痛い?私がうるさいから耳が痛くなったの?」
と心配そうな顔で聞きます。「ううん、ばい菌がはいって痛くなっただけだよ。うるさいからじゃないよ。お薬飲んでるから
だいぶ良くなってきたよ」と答えると、ほっとした様子。
本棚のネジを巻くお手伝い。
そうかあ、母親の耳痛を自分のせいにしちゃうんだ、と妙に神妙な気分になると同時に、昔読んだいくつかの本や、
受けた講義、実際に聞いた、児童虐待の被害者の人たちの話などを思い出しました。
子供は万能感があるゆえに、あらゆることを「自分のせい」にする傾向がある。
子供の頃のトラウマってよく話が出ますが、あることが起きると、万能感がある、つまり、すべてのことは自分の
力の範囲だと思っているから、私のせいだ、と自分を責めてしまい、それが傷となって残る、という説明が
されたりします。
また、子供は親に捨てられると生きていけないので、あらゆる手段を使って親から捨てられないように努力する。
例えば極端な例ですが、親から虐待されても、「自分が悪いから」とその自分の悪さを相殺するように、ものすごくいい子になったり
これ以上何かされないように、極端におとなしくなって、それがやる気のなさになっていったり。
真剣。けっこう上手です。
もしかしたら、私が耳の不快さで、不機嫌でいるのを見て、その理由は自分にある、つまり、耳の痛みの原因は自分のせいである、
自分がうるさかったからだ、という論法だったのかなあ、と想像しました。
ところで、私は自分がかっとすると、反射的に娘を叩いてしまうことがあります。
娘は泣き出し、私ははっとして、「ごめんね、ママは叩いちゃいけないね。でも、こういうことをしちゃいけないのに、
やり続けるからママは怒っちゃったんだよ。もうしないでね。危ないんだから」と抱きしめて、優しく説明するように
しています。「痛かったよ〜、もうしないでね」と訴える娘が泣き止むまで、「ごめんね、もうしない。でも、ああいうことは
しないでね」と言い聞かせます。
だいたい「大好き、I love you!」とお互いに抱きしめあって、終わるまで、続けるのです。仲直りってことがはっきりするまで(笑)。
私の両親の家族、弟の義理の家族も集まって、20人近くの新年会。
だいたいそういうことがあった夜は、いっしょにベッドに入ってから、娘は「ママね、今日、xxxした時、私、痛かったよ」
つまり、xxxした時、ママに叩かれて痛かった、などとその日、自分が叩かれて痛かったことを、もう一度訴えます。
「ごめんね。ママがやめてっていってるのに、何度もくりかえすから、ママは怒って叩いちゃったの。いけないね。
もうしないよ。でも、xxxしないでね。とっても危ないから」とまた何度か言い聞かせ、「うん、わかった」と
納得した声を出すまで続けます。
また「大好き, I love you!」とお互いに抱き合って、しっかり仲直りできたことをお互いに確認します。
最初はご馳走に取り組む、娘と双子のいとこ。
夜に同じ話を繰り返すということは、やっぱりショックだったんだろうなと思います。ある種の不条理感もあって、
納得できない。そして今のところ、それを口にしてくれるのがありがたいです。言葉にしてくれれば、私にも理解できて、
もう一度話ができるから。
子供を叩くのは、いけないと私も思っていますし、これからはしない、ととても反省しますし、自己嫌悪にも陥る。
もっと冷静にならなくちゃ、もっと大人にならなくちゃ、とも。でも、こういう考え方だけしていると、それができなかった
自分を責める一方になりがちです。
なので、自分に余裕がないと、感情的な行動をしがちなので、なるべく自分のケアをもっとしなくちゃ、とも考え直します。
すでに十分協力的な夫ですが、私の健康状態などから、もっと助けてほしい部分は、あらためて相談する。
私の場合、夫が家で仕事をしているので、彼がメインに育児をしているくらいと言ってもいいくらいです(笑)。
それでも、46歳で出産し、育児をしている私の体は、かなり体力が衰えており、すぐに疲れるし、体調を崩しがちです。
鍼をしたり、漢方を飲んだり、最近は気功を始めたり、と自分の体力、気力を少しでも回復させる努力をしています。
それができなかったら、倒れて、入院していたかもしれません。
でもすぐに遊んじゃう。今回は親戚がもっていたゲーム!
私と同じ年齢でも、比率的にもっと育児をしている人もいます。それをみて、私は駄目だなあと落ち込んだことも
度々ですが、体力、気力は人様々なので、私はこうなんだ、と諦めることにしました(笑)。
日本のお母さんたちは、お父さんたちが会社で超多忙だったりすることもあり、ひとりで育児に格闘している人が
多いと思います。近くに実家があったり、何かのヘルプが得られる状態にない人でも、「育児は母親がするもの」
という考えで、格闘してる人が多いように想像します。もちろんそれで、ちゃんとできる人もたくさんいるでしょう。
でも、辛くて辛くて仕方がない人もたくさんいるんだろうな、と想像します。
真剣にゲームしてる!
辛かったらヘルプを求めなくちゃ、と、シドニーにいた時に実感しました。
体調も悪く、経済的な不安もあり、親しい友達もなく、交流するのは夫の家族がメインで、という生活の中、なんだかもやもやした
くらい影が差し込んで、とてく苦しい日々がありました。夫ともたくさん口論をしました。それでもなんだか
すっきりしなくて、もやもやが消えず、むしろ色濃くなるばかり。
思い切って日本語のカウンセリングを受けてみたら、普段は意識していなかった不満が愚痴がたくさんでてきました!
一通り吐き出して、自分なりに整理がついたら、なんだかかなり楽になりました。
東京にいたなら、気の合う友達とおしゃべりして発散できたと思うのですが、そういう相手がそばにいないし、
意識的には「まあ、こんなもんだ。これくらい、大丈夫」と思っていたので、長々と愚痴を友達にメールする気持ちもなく、
もしかしたら、愚痴メールを書いたかもしれませんが、おそらく無意識に溜まっていた部分までは出てきてなかったかも
しれません。
そのあとで、シータヒーリングというヒーリングのセミナーで知り合った日本女性たちととても仲良くなり、
いっしょに食事にいっては、長々といろんな腹を割った話をし、さらに笑い話でお腹がいたくなるほど笑い、
ということができるようになってから、さらにもやもやが軽くなっていきました。
聞いてくれる相手がいてこそ、でてくる本音、というのがあるなあ、と改めて実感しました。
そして、私の場合、私だけの時間、また母である自分以外の自分を見てくれる友達との時間、というのがとても
大切なんだ、と痛感しました。
ふふ、たくさんあります〜とお料理をながめて。
人間関係の原型は親子関係にある、という人たちがたくさんいます。
それを真剣に考えると、恐ろしくて子供なんて育てらない、と若いときは思いました。
年をとったからか、もうちょっといい加減に考えるようになりました。
でも、初めての体験なので、いろんな育児本を読んでは、その通りにいかないことを反省し、自己嫌悪し、
ということを繰り返しました。そうしているうちに、子供はみんな違うし、親もいろいろだから、
本の通りにいかなくていい。娘と私の関係は独自のものなのだ、と思うに至りました。
私がいい気分でいると、それが娘に伝わる。私がいやな気分でいると、それも伝わってしまう。
だから私がいい気分でいることが、とても大切だ、とも思うようになりました。
娘がやりたいということは、だいたい私も面白そうだと思うので、可能な範囲でやらせてみたいと
思っています。
そして、「歯が痛いからおっぱいいらない」の一連から、何かのもやもやが娘の中に起こった時、
じっくり聴ける親でありたい、とも思うようになりました。
・・・・わあ、長い文章になってしまった!
なんとなく自分なりに整理することが必要だったようで、この文章を書きながら、自分なりに
腑に落ちたところもあります。
最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます!