お寺のお庭の鯉、たくさ〜ん!
母方の祖父の三十三回忌、叔母の二十三回忌のため、4世代6歳から106歳までの直系の家族が、
東京から仙台からローカル線で小一時間の田舎にあるお寺まで行ってきました。
お庭が前より綺麗になっていました。
73歳で亡くなった祖父は数歳年下だったので、生きていたら103、4歳でしょうか?
叔母は53歳で亡くなったので、今年の私と同じ年齢。
42歳でプールの事故で全身麻痺の状態で11年生きていました。
お天気にも恵まれました。
喪主の祖母は、実はすでに戒名をいただいており、祖父の隣に赤字で刻まれていました。
ほどなくして後を追う予定(?)だったのかもしれませんが、30年以上の長い年月の間に、
だんだん赤字が薄くなり、今はただの戒名が彫ってあるだけ(笑)。
法要の後、バスに乗ってホテルに出発。
お坊さんが「・・・供養の供は、人が共に、と書きますが、これは「向こう側とこちら側の人と一緒に」と言う意味で、生きている人たちが故人を
思い、故人には今生きている人を見守ってもらうと言うこと。その思いを形にしたものが、お供えです。個人が好きだったものをお供えしますが、
故人が感じられるのはその香りだけ。だからお線香をお供えしますが、それと一緒に香り立つ新鮮なものをお供えします。そして生きている人たちは、故人の香り、つまりその人の言ってくれた言葉、してくれたこと、あるいは生きかたそのものなどの思いを味わうのです・・・」と言ったお話をしてくださいました。
ディズニー映画「リメンバ・ミー」をみていた娘に「ね、死んだ人を覚えていてあげるのは大切だんだよ」と話すと、「うん、知ってる。消えちゃうんだよね」と娘。ま、大きな意味ではそんな感じってことで(笑)。
温泉に入って、さっぱりして、さあ、ご飯です。
恥ずかしながら、香りだけが彼岸と此岸を繋ぐもの、と考えられているからお線香をお供えする、ということを知りませんでした。
隣にある実家の仏壇に、たまにお線香をお供えする時には、なんとなく故人とお話をするつもりでいたし、手を合わせて静かにした時に頭の上から何かがす
が立つ感じがして、それが起こると、すごく応援されている気がしたのです。逆に、その感じがないと、何か不穏が気がしたりして。
そうか、やっぱり通じていたのかもしれない、とお坊さんの話にちょっと嬉しくなりました(笑)。
夫も、温泉、浴衣、お膳にもだいぶ慣れてきました。
前回の祖父の二十三回忌、叔母の十三回忌の時には、私は独身で、津波の前だったので、駅から海は全く見えませんでした。
それから10年ちょっとたった今回は、前回出席した他の親戚たちは、ほぼみんな亡くなり、私と弟に子供ができて、(つまり祖父にとっては
ひ孫が突然3人登場したことになります)津波で流された駅と線路は高架になり、海までの眺めを遮っていた林や民家が全てなくなっていました。
お墓やお寺は無事だったのですが、新しいお墓がぐんと増えていました。
自分が歌えないから、つまんない顔している娘。
法要のあと、マクロバスを仕立てて秋保温泉にいき一泊しました。温泉に入って、お座敷でお清めをいただいて、そのあとホテルのカラオケルームに
行ってみたりして・・・祖母がみんなを東京から招待してくれて、4世代総勢11人の旅行になりました。
無事にホテルから仙台駅につきました。
100歳代一人、80代二人、70代二人、50代二人、40代一人、8歳が二人に6歳が一人の旅行なので、
電車の乗り換えやら、バスの集合時間やら、ヒヤヒヤする場面もありましたが、無事の終わりました。
喪主の祖母に大感謝、そして祖母の面倒を見ながら、チケットからお寺やホテルのことまで去年から全て手配してくれた叔母たちにも大感謝です!
無事に法事旅行が終わって東京についたら、雨。
あたりには母の日のカーネーションやらお花で賑やか。
すでに旅行前に母の日プレゼントを済ませていた(?)私は、気持ちも軽くなっておりました(笑)。
帰宅してしばらくしたら、娘が何やら作り出しました。
夕食後、「母の日おめでとう」と育てたお花とぬりえしたうさぎちゃんとアートワークをプレゼントしてくれました。
実は夕食直後につまらないことで娘と私でひともめしたのですが、それは娘が母の日プレゼント作りに熱中していたからだ、と
この時気がついて、私は「ごめんね」と「ありがとう」を連発。
「私はまだ小さいから知らないことがたくさんあるって、わかってね」と娘に諭されて、大いに反省した母の日でございました・・・。