飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

特攻機「桜花」

2018-07-14 15:25:58 | 自作飛行機(homebuild airplane )
先日、久々に茨城県は鹿嶋市にある「桜花公園」に足を運びました。

そこにあるものは…。



特攻機「桜花」です。

残念ながら、この桜花公園に置かれている桜花は、精巧にできたレプリカです。

しかし、細かいところがよくできており、桜花の詳細を知ることができます。



桜花とは…。

太平洋戦争末期、帝国海軍が作った特攻機で、当時は開発者の名前を入れて「〇大」と呼ばれていました。(桜花の名はは戦後に使われ始めた)

約1トンもの爆薬を機首に積み、一式陸攻という大型機の腹に積まれ、敵船のすぐ近くまで接近後に操縦者を乗せて離脱。




固体燃料のロケットエンジンに火を入れて敵船に突っ込むという非人道的兵器です。

この桜花の特攻のやり方なのですが…。

非人道的なのはもちろんなのですが、この特攻のやり方そのものも非効率的と言わざるを得ないものがあります。

まず、桜花のロケットエンジンは数秒しか持ちません。

そのため航続距離がきわめて短く、この特攻機を抱える一式陸攻は、敵船のすぐ近くまで近づく必要があったのです。

このために、桜花を運ぶ一式陸攻にも危険があったのです。

まず、桜花の重量はトータルで2トンほどになります。

これだけ重いものを抱えて、母機の一式陸攻は敵船の近くまで行くわけですが、もともと一式陸攻は450Km/hくらいしか速度が出ない飛行機…。

これに2トンもおもりを積んでいては速度が出ません。

重いので高高度を飛行することも無理…。

当時のアメリカ海軍の戦闘機の飛行速度が600Km/hくらいですから、戦闘機に攻撃されたらまず駄目です。

更に、一式陸攻は敵船のすぐ近くまで行く必要があったため、敵船からの攻撃の危険もあったわけです。

結果的に、桜花による特攻の成果は、あまり芳しいものでは無かったのです。

また、これはあまり表には出ていないことですが…。

桜花の機体そのものにも問題があったとしか思えないのです…。

桜花の重量は約2トン。翼面積は6平米…。

つまり、翼面荷重は300kg/㎡を超えます。

加えて主翼の厚みが薄く、揚力はあまり発生しそうにありません。

詳しく計算していませんが、ざっくり見て失速速度は300km/h近かったのではないでしょうか?

こんなに早いと、一式陸攻から切り離した後は、滑空というよりは落下に近い状態だったと思います。

そのため、普通の飛行機と同じようには操縦ができなかったのです。

従って、桜花に乗る操縦者は、桜花の操縦訓練を特別に行わないといけないのですが…。

もともと着陸を考えてない飛行機の操縦訓練は極めて危険だったのです。

そりゃそうです。失速速度が300km/h近かったんですから…。

そのため、訓練中の事故も多く発生していたということです。

言い換えれば…。

パイロットは死ぬための練習を命がけでしていたということになります。



このように、桜花は非人道的極まりない兵器だったのですが、そのことを後世に残していくため、「桜花公園」は作られました。

しかし…。

この公園を管理されている皆さんもご高齢となり、残念ながら多く方がお亡くなりになりました。

現在この桜花公園も忘れ去られようとしています。

これほどまでに貴重な戦争遺産は、何とか後世に伝えていきたいものです。
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2 コメント

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桜花 (Mもと)
2018-07-21 21:21:44
貢さんの記事に私も同感です。桜花の連合軍のコードネーム BAKA Bombですね。本当に愚かで無意味な作戦だったと思います。特攻作戦そのものがきわめて不合理で非科学的です。戦争の是非はともかく、闘う以上は負けない為の合理的で計画的な作戦が必要です。(闘わないのが一番良策です。)ほとんど成功の見込みのない作戦を計画し強制する当時の司令部はほんとにひどいですね。でも現在もこの桜花のレプリカを飾って崇拝している神社もあるんです。困ったもんです。
Unknown (みっちゃん)
2018-07-23 20:20:48
特攻について、その無利益性を一番認識していたのは、特攻を実際行う若者たちだったはずです。彼らは特攻を命じられた後、なぜ自分が特攻に向かわなければいけないか、考え抜いたはずです。
まさに沈もうとしていた大和に乗っていたある指揮官の名言があります。
「俺たちは、日本が選んだ選択が間違っていたことを証明するために死ぬ。本望じゃないか…。」
特攻でなくなっていった方々も、同じように時代の流れがおかしかったこと。その中で、日本が選んだ選択が間違っていたことには気づいていたと思います。

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