鹿児島県知覧町にある「平和祈念館」で保管されている「疾風」が…。
先日、重要航空遺産に指定されました!→こちら
この出来事、個人的にはかなりうれしいことです。
こんな素晴らしい設計がされた飛行機なんて、今では作れないのでは?と、思えるほど、疾風は素晴らしい飛行機
だからです!
そんなスゴイ設計がなされた疾風って、どんな飛行機だったのか…。
今夜はそんなお話です。
疾風は、第二次大戦時、日本の旧陸軍で使用された戦闘機です。
中島飛行機という会社が作り出しました。
旧日本軍が作った飛行機の中では「最強」と言われるほど、優れた性能をもっていました。(諸説あり…。)
2,000馬力級の「ハー45」エンジンを搭載し、充実した過給機を持っており…。
それなのに、当時の世界中の同クラスの、どの戦闘機よりも小型に出来ており、高い運動性を持っていました。
コレ、どのくらい凄かったかというと…。
このころ、アメリカで使用されていた、同じ2000馬力級の空冷エンジン搭載機に、「F6Fヘルキャット」という飛
行機がありましたが…。
単純に、この飛行機と疾風を比較すると…。
F6Fヘルキャット
重量 4.2トン 翼面積 31㎡
疾風
重量 2.7トン 翼面積 21㎡
これ、ほぼ同じ馬力のエンジンを搭載した飛行機のスペックなんです!
いかに疾風が小型軽量を追求した飛行機だったかが分かると思います。
更に…。
疾風には過給機、つまり、スーパーチャージャーが搭載されていましたが、これも、二段方式になっており、更
に、高高度になると、ギアチェンジして更に加給を強める、二速式構造になっていました。
ライバルのF6Fも、大型でありながら、ここまで加給を強める工夫はなされていませんでした。
小型ながらも、戦闘機に要求されるあらゆる要素を、バランスよく高次元でまとめ上げた戦闘機…。
それが、「疾風」だったんですね!
なのですが…。
なのですが…。
そんな高性能を持った疾風も、実は、実戦では大きな活躍を見ることはありませんでした…。
その理由は…。
高度なメカを持つ疾風を、当時、物資が不足していた日本軍が、維持しきれなかったこと…。
更に…。
この飛行機の高性能の要となる、ハー45エンジンが、本来の性能を出し切ることが出来なかったから…。
などが原因と言われています。
戦後、アメリカ軍が調査のために、引き揚げていった量産型疾風を、良質な燃料と点火栓に交換してテストしてみ
たら、大変な高性能を持っていたことが分かり、アメリカ人を驚嘆させた!なんて、逸話も残っています。
そのくらい、微妙な管理の差で、疾風はその高性能を出し切ることが出来なかった飛行機なんです…。
知覧の平和祈念館に行くと、この飛行機をいつでも見ることが出来ますが…。
とにかく、この疾風はきれいなんです!
2000馬力という高出力エンジンが搭載されているとは思えないくらい、スッキリした形状。
零戦より一回り程度大きな機体ではありますが、エンジン出力が倍もあること…。
中島飛行機が、苦心の末に完成させた戦闘機の形式…。
前縁が直線であること。
水平尾翼が前に、その後ろに垂直尾翼を配置していること…。
などの特徴があります。
これらは、一式戦闘機「隼」で確立した技術であり、その後同社で出来た「鍾馗」に受け継がれ…。
この疾風でも採用されました。
疾風は、あらゆる意味で、レシプロエンジン機としては完成された飛行機だったんですね!
…。
おそらくですが…。
これだけ美しく、完成された飛行機って、今の日本の航空技術者では作ることが出来ないのではないでしょうか?
だからこそ、この飛行機は後世まで残す必要があり、そのためにも、今回の重要航空遺産の指定は喜ばしいことだ
と私は思うのです!
ちなみに…。
この疾風を作った中島飛行機は、戦後、現在の富士重工「スバル」になったことは有名ですが…。
正確にいうと…。
中島飛行機の機体設計部門が、「スバル」になっています。
では、同じ中島飛行機で、疾風に搭載された高性能エンジン「ハー45」を作ったスタッフはどうなったのか…。
実は、このスタッフは、プリンス自動車を設立し、そこで、あのスカイラインやフェアレディを作ることになるん
です。
そして、これらの自動車は、ご存じのように現在でも、第一線を走ることになるんですね!
そういった意味でも、今回ご紹介した疾風は、忘れてはならない飛行機だと思います…。