誰でも知っているウイスキーのブランド「ニッカ」。
私は恥ずかしながらこの酒造メーカーのことをあまり知らなかったが、この夏北海道で「ニッカ」の歴史をはじめて詳しく知り、ニッカを創設した男、竹鶴政孝の生きざまに感動してしまった。
今回はそのことについて、ちょっとご紹介したい‥。
ニッカを創設した竹鶴は、もともとは広島の日本酒の酒蔵で生まれている。
彼はその後日本酒よりもウイスキーに興味を抱き、その製造を学ぶために単身スコットランドに渡る。
そこで懸命にウイスキー作りを学ぶが、この時、生涯の伴侶となる「リタ」に出会う。
どうやら竹鶴に最初に好意を抱いたのは、リタの姉の方であったらしく、彼女は竹鶴を家に招くための口実として、弟に柔道を教えてほしいと竹鶴に頼んだらしい。
礼儀正しい竹鶴に、リタの家族も彼に好感をもったが、竹鶴自身は姉よりもリタの方に次第に好意を寄せていった。
そして、竹鶴が日本に帰るときにリタも一大決心!竹鶴と結婚して日本に渡ることを決意。
そのころ、日本では寿屋(現サントリー)が、まだ日本ではなじみの薄いウイスキーに目をつけ、スコットランドの醸造会社に人材派遣の要請をしていたが、スコットランドからの回答は、「日本には竹鶴がいるではないか」であった。
寿屋は竹鶴を高給で雇い、大阪府の山崎にウイスキー工場を建て、竹鶴を初代工場長にした。
しかし竹鶴は、会社の経営と自分の理想とする本物のウイスキー製造の夢とのはざまで悩み、やがては寿屋を退社してしまった。
これを見た竹鶴の妻リタは、持ち前の社交性で竹鶴の夢をかなえてくれる力のある投資者を探しまわる。
そして、加賀証券社長の加賀政太郎が、竹鶴のウイスキー製造に投資することが決まった。
竹鶴はウイスキー製造の最適な場所として、北海道の余市を選んだ。
これには明確な理由がある。
まず、スコットランドの気候に近いこと。そして、酒樽の良質な原料となる「ミズナラ」が容易に手に入った(北海道のミズナラは世界的に酒樽の原料として評価が高いらしい)こと、更に、ウイスキーの蒸留に必要な泥炭(沼地などで腐らずに堆積した植物)も容易に手に入ったからだ。
加えて、文献には書かれていなかったが、ニッカ余市工場の所在地は、余市川のほとりあり、おそらく、ウイスキーの積み出しをするための「船着き場」の確保も容易だったことも考えられると思う。
こうして考えてみると、まさにニッカ余市工場は、日本の中ではウイスキー作りに最適な場所に作られたとみるべきだと思う。
竹鶴は、この余市の地にて、自分の理想とするウイスキー作りに没頭するが、ウイスキーが出来るまでは数年かかるため、それまでの収入源として、余市で取れたリンゴでリンゴジュースを作る「大日本果汁株式会社」を起こしたが、この社名が、のちに「ニッカ」に変わることとなる。
このニッカの社名の元、竹鶴は本領発揮!次々と自分の追い求めるウイスキーを作っていった。
しかし、時は過ぎ、投資者だった加賀も自分の死期を悟り、ニッカをどうするか悩んだあげく、その株を100パーセント朝日麦酒(あのアサヒビールの朝日です)に売り渡した。
これには理由があり、朝日麦酒の社長と竹鶴はもともと交友があり、朝日麦酒も竹鶴の良き理解者だったことなどがあったらしい。
実際、朝日麦酒が親会社になってからも、役員一人だけをニッカに派遣した他は、一切口出しはしなかったそうだ。
そうして、朝日の傘下には入ったものの、竹鶴の夢を追い求めた「ニッカ」のブランドは、今も続くこととなったのである。
ニッカの余市工場は、工場見学の他にも試飲もできます。
すぐ近くには道の駅や風呂、スーパーなどもあり、道の駅に車中泊すればニッカウヰスキーが飲み放題!(まあ、この辺が本音‥)も出来るため、皆さんも一度行ってみると面白いと思いますよ!