昭和南海地震があった日は、昭和21年12月21日とのことです。
記憶的によく似た数字並びだけ覚えていましたが、数字の2と1だけで戦後すぐであったと記憶できるよう覚えていました。
しかし、急に聞かれると出てきません。
昨日は東日本大震災が起きた日なので、再び記憶が呼び起こされました。
この碑は日和佐漁港にありますが、この水位だけでも車は水没し、人は歩くのが困難です。この碑を建てた方に聞いたことがあるのですが、自宅の倉庫には浸水跡が残っており、近くの路地には漁船が流れてきていたとのことでした。
ところで、昨日のテレビでAIを使用した津波の浸水域が瞬時で予測できるようです。
日和佐港は津波到達10分ですので考える暇もありません、出来るだけ早く近くの高台や避難場所に逃げておくのがベストと思われます。
私もよく覚えています。赤松坂の退避場所の殆どには車が避難してきていました。海辺の恵比須浜にも送迎で行くとゲートが閉まる寸前に通過できました。
日和佐川の厄除け橋100m上流は、川底が見るまで潮が引いたり満ちたりの繰り返しで、川石が擦れる音と焦げくさい臭いが漂っていたことを・・。