カロリー制限でサクセスフル・エイジングの著明な実例 に
畏友 初心者クライマーのおまつさんから、コメントを戴きました。
・・・・・・・・・・・・・・・
75歳からCRかぁ・・・ (初心者クライマーのおまつ) 2011-11-28 16:16:52
というと、アンチエイジングのための手段だから、
CRは老人のための健康法と言うことになるのでしょうか?
後期高齢者医療制度の対象の年令になったら、
運動よりCRで健康増進を考えた方が良いのでしょうね。
ただ、まだマラソンもし、下手するとウルトラマラソンまでやるような人達も、
CRによってサーチュイン酵素の活性化って騒いでいて、どーかなーと思うのです。
運動が十分できる世代、または余裕がある人は、
適切なカロリーを食べてホドホドに運動する方が良いのではと思うのですが・・・
このアタリは是非専門家に切り分けをして欲しいなと思います。
ワタシはフルマラソンを走れなくなったら、CRを検討するかもしれないですね、多分・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
おまつさん、いつもコメントありがとうございます。
さて、
仮にCRが老人のための健康法だとしても、
すでに不健康な状態になってしまった老人には
その効果は限定的であるように思われます。
すなわち、
糖尿病人にとっての「糖質制限食」が
起死回生の一発になるような効果を期待するのは
無理なような気がいたします。
往々にして「科学的評価」というものは
評価次第に関わらず、その本質自体は変化しない事象に対して
「そのメカニズムを明らかにする」
という程度のものなのかもしれません。
小林秀雄流に言うならば
解釈を拒絶して動じないものだけが美しい
とでも言いましょうか・・・。
たとえば・・・・・
「天動説」と「地動説」などはいかがでしょうか?
もっとも古い「地動説」は、
紀元前340年にアリストテレスが「天体論」の中で唱えたものでした。
その後、紀元2世紀にアレキサンドリアのプトレマイオスが
地球を中心として太陽や惑星が天球を回るという天球モデルを考案しました。
16世紀にポーランドの聖職者であったコペルニコスが
静止した太陽を中心として地球や惑星が円軌道を回っているという考えを
匿名で発表したのは1514年のことでした。
なんと1400年もの時が過ぎ去っていたのでした。
さらに望遠鏡の性能が向上して、ついに「地動説」が公にされたのは
1609年のこと、ガリレオ・ガリレイによってでした。
もちろん彼は宗教裁判に掛けられたりもしましたので
この新たな学説は、すんなり受け入れられたわけではありません。
が、21世紀の現在、「地動説」は当たり前のこととなっています。
では、どうでしょう?
「地動説」が正当と認められた瞬間を、考えてみて下さい。
その瞬間に、
いままでじっとしていた地球が
いきなり太陽の周りを回り始めたというのでしょうか?
貝原益軒の「養生訓 巻第三 飲食 上」には
『飲食は人間の大欲であって、口や腹が好むところである。
好みに任せて食べすぎると、度をこして脾胃を傷つけて諸病をひき起こし、
命を失うことになる。』
あるいはまた
『ひとは毎日飲食しないことはない。
たえず謹んで欲を自制しなければ、度をすごして病気になる。
古人はいう、「禍は口よりいで、病いは口より入」、と。
口から出し入れするものは、つねに注意しなければならない。』
そして
『珍美な食べ物にむかってもほどほどでやめるのがよい。
腹いっぱい食べると苦しく禍のもとになる。
すこしの我慢であとの憂いは生じないのである。
・・・中略・・・
万事は十分になると、かならず禍となるものだ。
とくに飲食は満腹することをさけなければならない。
また最初から慎しめば、あとの禍はないのである。』
というように書かれていることから、わが国では古くから
「腹八分に医者要らず」
と言い習わされてきたものです。
つい最近明らかとなってきたCRの仔細なメカニズムなどは
実は、単にこれらのことを裏づけするだけのことなのです。
当然のことながら、「養生訓」には「運動」の記載もあります。
巻第一 総論 上 に 身体と運動 について次のようにあります。
『毎日少しずつ身体を動かして運動するのがよい。
同じ場所に長く坐っていてはいけない。
食後の散歩はとくに必要で、庭の中を数百歩しずかに歩くだけでもよい。
雨の日には、室内を何度もゆっくり歩くがよい。
こうして毎朝毎晩運動すれば、鍼・灸を使わないでも、
飲食はすすみ血気の滞りなくて病気にかからない。
鍼・灸をして熱い思いや痛みにたえるよりも、
さきにいったような運動をすれば、
痛い思いをせずして楽にして健康をたもつことができる。』
近年、運動により細胞にGLUT4が発現して血糖値が下がる
これはインスリンが関係しない血糖低下のメカニズムだ
などということが明らかになってきましたが、
すでに「養生訓」には当たり前のこととして書かれてあったのです。
現代科学・・・チョット恥ずかしくないでしょうか?
運動する方々においては、
摂取カロリーが増加するのは当然ですよね。
ですから、たとえばおまつさんが1日2400kcal必要なら
それを1680kcalにすると70%のCRとなります。
日野原流ならば、1992~2160calなのでしょうね。
最後にもう一度「養生訓」を覗いてみましょう。
若いときからの養生 としては
巻第一 総論 上 に次のようにあります。
『庭に草木を植えて愛する人は、朝夕心にかけて、
水をやり土をかぶせ、肥料をあたえ、虫を取ってよく養い育て、
その成長を見て悦び、衰えるのを見て悲しむ。
軽い草木でさえそうであるから、
重い自分の身体を大事にするのは当然である。
どうして自分の身体を草木ほどにも愛さないのであろうか。
はなはだ無反省なことである。
さて養生法を知って実践することは、
天地・父母に仕えて孝行をすることであり、
そしてまた自分の長生きと安楽のためでもあるから、
急を要しないことはさしおいても、
若いときから養生法を学ばなければならない。
身を慎み、生命を養うのは、人間としてもっとも重要なことであろう。』
蛇足ながら、老人と楽しみ については
巻第八 養老 に以下のような記載があります。
『年をとったならば、
自分の心の楽しみのほかには気をつかってはいけない。
時流にしたがってみずから楽しむがよい。
自分で楽しむというのは、世俗の楽しみではない。
ただ心にある本来的な楽しみを楽しんで、胸中に何のわずらいもなく、
天地四季、山川のよい眺め、草木の繁るを欣びながら楽しむがよい。』
天地の間をフリークライミングというのは、
きっと十分素敵なことなのだと思います。
畏友 初心者クライマーのおまつさんから、コメントを戴きました。
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75歳からCRかぁ・・・ (初心者クライマーのおまつ) 2011-11-28 16:16:52
というと、アンチエイジングのための手段だから、
CRは老人のための健康法と言うことになるのでしょうか?
後期高齢者医療制度の対象の年令になったら、
運動よりCRで健康増進を考えた方が良いのでしょうね。
ただ、まだマラソンもし、下手するとウルトラマラソンまでやるような人達も、
CRによってサーチュイン酵素の活性化って騒いでいて、どーかなーと思うのです。
運動が十分できる世代、または余裕がある人は、
適切なカロリーを食べてホドホドに運動する方が良いのではと思うのですが・・・
このアタリは是非専門家に切り分けをして欲しいなと思います。
ワタシはフルマラソンを走れなくなったら、CRを検討するかもしれないですね、多分・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
おまつさん、いつもコメントありがとうございます。
さて、
仮にCRが老人のための健康法だとしても、
すでに不健康な状態になってしまった老人には
その効果は限定的であるように思われます。
すなわち、
糖尿病人にとっての「糖質制限食」が
起死回生の一発になるような効果を期待するのは
無理なような気がいたします。
往々にして「科学的評価」というものは
評価次第に関わらず、その本質自体は変化しない事象に対して
「そのメカニズムを明らかにする」
という程度のものなのかもしれません。
小林秀雄流に言うならば
解釈を拒絶して動じないものだけが美しい
とでも言いましょうか・・・。
たとえば・・・・・
「天動説」と「地動説」などはいかがでしょうか?
もっとも古い「地動説」は、
紀元前340年にアリストテレスが「天体論」の中で唱えたものでした。
その後、紀元2世紀にアレキサンドリアのプトレマイオスが
地球を中心として太陽や惑星が天球を回るという天球モデルを考案しました。
16世紀にポーランドの聖職者であったコペルニコスが
静止した太陽を中心として地球や惑星が円軌道を回っているという考えを
匿名で発表したのは1514年のことでした。
なんと1400年もの時が過ぎ去っていたのでした。
さらに望遠鏡の性能が向上して、ついに「地動説」が公にされたのは
1609年のこと、ガリレオ・ガリレイによってでした。
もちろん彼は宗教裁判に掛けられたりもしましたので
この新たな学説は、すんなり受け入れられたわけではありません。
が、21世紀の現在、「地動説」は当たり前のこととなっています。
では、どうでしょう?
「地動説」が正当と認められた瞬間を、考えてみて下さい。
その瞬間に、
いままでじっとしていた地球が
いきなり太陽の周りを回り始めたというのでしょうか?
貝原益軒の「養生訓 巻第三 飲食 上」には
『飲食は人間の大欲であって、口や腹が好むところである。
好みに任せて食べすぎると、度をこして脾胃を傷つけて諸病をひき起こし、
命を失うことになる。』
あるいはまた
『ひとは毎日飲食しないことはない。
たえず謹んで欲を自制しなければ、度をすごして病気になる。
古人はいう、「禍は口よりいで、病いは口より入」、と。
口から出し入れするものは、つねに注意しなければならない。』
そして
『珍美な食べ物にむかってもほどほどでやめるのがよい。
腹いっぱい食べると苦しく禍のもとになる。
すこしの我慢であとの憂いは生じないのである。
・・・中略・・・
万事は十分になると、かならず禍となるものだ。
とくに飲食は満腹することをさけなければならない。
また最初から慎しめば、あとの禍はないのである。』
というように書かれていることから、わが国では古くから
「腹八分に医者要らず」
と言い習わされてきたものです。
つい最近明らかとなってきたCRの仔細なメカニズムなどは
実は、単にこれらのことを裏づけするだけのことなのです。
当然のことながら、「養生訓」には「運動」の記載もあります。
巻第一 総論 上 に 身体と運動 について次のようにあります。
『毎日少しずつ身体を動かして運動するのがよい。
同じ場所に長く坐っていてはいけない。
食後の散歩はとくに必要で、庭の中を数百歩しずかに歩くだけでもよい。
雨の日には、室内を何度もゆっくり歩くがよい。
こうして毎朝毎晩運動すれば、鍼・灸を使わないでも、
飲食はすすみ血気の滞りなくて病気にかからない。
鍼・灸をして熱い思いや痛みにたえるよりも、
さきにいったような運動をすれば、
痛い思いをせずして楽にして健康をたもつことができる。』
近年、運動により細胞にGLUT4が発現して血糖値が下がる
これはインスリンが関係しない血糖低下のメカニズムだ
などということが明らかになってきましたが、
すでに「養生訓」には当たり前のこととして書かれてあったのです。
現代科学・・・チョット恥ずかしくないでしょうか?
運動する方々においては、
摂取カロリーが増加するのは当然ですよね。
ですから、たとえばおまつさんが1日2400kcal必要なら
それを1680kcalにすると70%のCRとなります。
日野原流ならば、1992~2160calなのでしょうね。
最後にもう一度「養生訓」を覗いてみましょう。
若いときからの養生 としては
巻第一 総論 上 に次のようにあります。
『庭に草木を植えて愛する人は、朝夕心にかけて、
水をやり土をかぶせ、肥料をあたえ、虫を取ってよく養い育て、
その成長を見て悦び、衰えるのを見て悲しむ。
軽い草木でさえそうであるから、
重い自分の身体を大事にするのは当然である。
どうして自分の身体を草木ほどにも愛さないのであろうか。
はなはだ無反省なことである。
さて養生法を知って実践することは、
天地・父母に仕えて孝行をすることであり、
そしてまた自分の長生きと安楽のためでもあるから、
急を要しないことはさしおいても、
若いときから養生法を学ばなければならない。
身を慎み、生命を養うのは、人間としてもっとも重要なことであろう。』
蛇足ながら、老人と楽しみ については
巻第八 養老 に以下のような記載があります。
『年をとったならば、
自分の心の楽しみのほかには気をつかってはいけない。
時流にしたがってみずから楽しむがよい。
自分で楽しむというのは、世俗の楽しみではない。
ただ心にある本来的な楽しみを楽しんで、胸中に何のわずらいもなく、
天地四季、山川のよい眺め、草木の繁るを欣びながら楽しむがよい。』
天地の間をフリークライミングというのは、
きっと十分素敵なことなのだと思います。