なんとも時間が掛かってしまったその2。
理由は、前回紹介『病院で死ぬということ』という本が
あるはずの場所で見つからず、探し回っていたためです。
ブックオフにでも行って仕入れて来ようかとも考えたけれど・・・。
で、本日。 13時から20時まで半日直をする病院の医局の本棚を
あまり期待はしなかったけれど、隅から隅まで丹念に眺めて行ったら、
なんと!!
机の陰になった奥まった一番下の棚に、おとなしく並んでいたのでした!
いやぁ! こんなところで出会えるなんてッ!! 感激ッ!!!
どなたの持ち物かは存じませんが
しばしお借りして、引用させて戴く事と致します。
ところで、私事で申し訳ないのですが
5日ほど前から急に左肩周辺が痛み出して
症状から、いわゆる「五十肩」=“肩関節周囲炎”に間違いなく
直ぐに火曜日の外来が終わったらナースに注射位置を指示して
2ヶ所もトリガー注射を行ったにも拘らず
もう2年以上前に手術してもらったのに治らない
頸椎症の指の痺れと随伴する痛みが加わって
しばらく服用を止めていた“リリカ”と“リボトリール”を再開し
加えて“ロキソニン”“ミオナール”も倍量服用しているのですが
安静にしていても痛みは走り
夜には疼痛で眼が醒めて“ロキソニン”を倍量頓用する状況です。
これだけ薬を飲んでいるとなんだか軽くお酒に酔っているようで
少々、大脳皮質の抑制が取れたような勢いが在り、
最近、あちこちで鼻笛を吹いてしまうような毎日です。
まぁ、特別養護老人施設の入所者の方々には喜ばれてますが・・・。
話が脱線してしまいました・・・・・。
といいますか、そんな具合で今また激痛なもので
痛み止めを倍量服用しましたところ、
やはり抑制が取れたのでしょうか、少し長くなりますが
本の引用を、なんと 『あとがき』 からしてしまいます
・・・以下 「病院で死ということ」 からの引用・・・
221頁 あとがき 11行~
“また、医療関係者からは、医療への不信を助長するようなものを書いてと、
お叱りを受けるかもしれない。
だが、僕は決して医療への不信をかき立てるために
これらの物語を書いたのではないし、
むしろ、信頼を回復する一つのきっかけになってほしい、
という思いを持って書いたのだ。
この本に不快を感じている医療者も、
現在の医療体制の中では、この本の前半のような出来事が
起きていることも、起こりうることも知っているはずである。
だが、それらくさいものには蓋をしておいたほうがよいと考えているとしたら、
結局、患者にとっては医療は少しも変わらないということになるだろう。
そして、死にゆく患者が、病院の中での画一的で、
自己のない死を余儀なくされるという事実もそのままとなる。”
・・・以上 「病院で死ぬということ」 からの引用 終わり・・・
事実を淡々と伝えるこの本の物語のかずかず。
ほんとに、この “あとがき” に吐露されている20数年前の著者の文言は
たった今現在の医療、特に“終末期医療”に対しての
熱い想いにあふれた「告発」であり、
少なくとも私の中ではこの本に出会った時からの
あるべき姿に向けた一筋の「道標」であり続けているのです。
つづく・・・・・
理由は、前回紹介『病院で死ぬということ』という本が
あるはずの場所で見つからず、探し回っていたためです。
ブックオフにでも行って仕入れて来ようかとも考えたけれど・・・。
で、本日。 13時から20時まで半日直をする病院の医局の本棚を
あまり期待はしなかったけれど、隅から隅まで丹念に眺めて行ったら、
なんと!!
机の陰になった奥まった一番下の棚に、おとなしく並んでいたのでした!
いやぁ! こんなところで出会えるなんてッ!! 感激ッ!!!
どなたの持ち物かは存じませんが
しばしお借りして、引用させて戴く事と致します。
ところで、私事で申し訳ないのですが
5日ほど前から急に左肩周辺が痛み出して
症状から、いわゆる「五十肩」=“肩関節周囲炎”に間違いなく
直ぐに火曜日の外来が終わったらナースに注射位置を指示して
2ヶ所もトリガー注射を行ったにも拘らず
もう2年以上前に手術してもらったのに治らない
頸椎症の指の痺れと随伴する痛みが加わって
しばらく服用を止めていた“リリカ”と“リボトリール”を再開し
加えて“ロキソニン”“ミオナール”も倍量服用しているのですが
安静にしていても痛みは走り
夜には疼痛で眼が醒めて“ロキソニン”を倍量頓用する状況です。
これだけ薬を飲んでいるとなんだか軽くお酒に酔っているようで
少々、大脳皮質の抑制が取れたような勢いが在り、
最近、あちこちで鼻笛を吹いてしまうような毎日です。
まぁ、特別養護老人施設の入所者の方々には喜ばれてますが・・・。
話が脱線してしまいました・・・・・。
といいますか、そんな具合で今また激痛なもので
痛み止めを倍量服用しましたところ、
やはり抑制が取れたのでしょうか、少し長くなりますが
本の引用を、なんと 『あとがき』 からしてしまいます
・・・以下 「病院で死ということ」 からの引用・・・
221頁 あとがき 11行~
“また、医療関係者からは、医療への不信を助長するようなものを書いてと、
お叱りを受けるかもしれない。
だが、僕は決して医療への不信をかき立てるために
これらの物語を書いたのではないし、
むしろ、信頼を回復する一つのきっかけになってほしい、
という思いを持って書いたのだ。
この本に不快を感じている医療者も、
現在の医療体制の中では、この本の前半のような出来事が
起きていることも、起こりうることも知っているはずである。
だが、それらくさいものには蓋をしておいたほうがよいと考えているとしたら、
結局、患者にとっては医療は少しも変わらないということになるだろう。
そして、死にゆく患者が、病院の中での画一的で、
自己のない死を余儀なくされるという事実もそのままとなる。”
・・・以上 「病院で死ぬということ」 からの引用 終わり・・・
事実を淡々と伝えるこの本の物語のかずかず。
ほんとに、この “あとがき” に吐露されている20数年前の著者の文言は
たった今現在の医療、特に“終末期医療”に対しての
熱い想いにあふれた「告発」であり、
少なくとも私の中ではこの本に出会った時からの
あるべき姿に向けた一筋の「道標」であり続けているのです。
つづく・・・・・