外科医 アンチエイジングに目覚める!?

目指そう サクセスフル・エイジング !

抗糖化 で 減らせAGEs 

炭水化物も要注意    

眠れない夜もあるさ・・・

2020-09-05 04:44:38 | ひとりごと
アカン・・・今夜は・・・
寝られへん・・・

8/25
3時間有給とって早く帰ったのに
動悸が治まらず結滞もありで
病院戻りEKG RR144 不整なし
ワソランでSinusに
血圧は高めのため翌日から朝アジルバ(20)+アーチスト(2.5)朝・夕

9/3
未明(3時過ぎ) 呼吸困難の夢で覚醒・・・
息が吸えない感 半端なし・・・
深呼吸するも治まらず
検脈にて結滞および二段脈あり・・・

その日の勤務先の当直は脳外のDr.のため
循環器の当直居る救急病院へ急行・・・・・
すでに40分以上経過していたためか
EKG RR78 不整脈なし
投薬なしで息苦しさも軽減のため帰宅・・・

その夜はデパス服用して22時ごろ就寝

9/4
0時過ぎ 息苦しくて目覚め デパス服用
3時過ぎ 息苦しさで目覚め デパス服用
7時過ぎ 目覚めるも体調不良

7:40 病院へ有給で1日休むと連絡も
昼からOp.入っていたため 半休にして
13時より勤務

軽い息苦しさはあったが脈不整なし
帰宅後も特に胸部症状は認めずで
23時半過ぎに横になったが寝付かれず

9/5
で、1時過ぎから
「物語 イタリアの歴史」の第1話 を読み始める。

読み終えたのが2:53。
紀元450年11月27日に没した波瀾に満ちた皇女の物語。
時を越えた夢路に導いてくれるかなぁ・・・

と期待したのだけれど
残念ながら 古代ローマのSwimmer は現れず


3:55にPC画面にて
10号の具合やら NYの具合やら眺めながら
冷蔵庫から竹輪を出してきて1本食べ
赤ワインを出してきて更に残りの1本を食べ
今 ワインはちょうど半分くらい・・・

不整脈ありません
胸部不快感もありません

もう4:40やんか・・・
物語 イタリアの歴史 第2話 読みます。

もちろん今日も8:45には出勤します。

大学同窓会に参加 AGEs知らない医者たち

2019-08-05 15:46:00 | ひとりごと
8月3日土曜日に大学の同窓会に参加してきました。

南禅寺・八千代に、




北は北海道から南は宮古島まで、

日本各地より総勢50名が馳せ参じました。

(同級生総数121名中50名の参加 ♀13/20:♂37/101)


仕事で以前から顔を合わしている同級生は4名参加。

Facebook上で近況を把握していた同級生も1名参加。

しかしそれ以外の諸君とは実に34年ぶりの再会でありました。


受付の役目を仰せつかっていたため、次々到着する方々を名簿で確認。

ひと目で誰と分かる懐かしい顔から、

「はてさて・・・お名前は?」とお訊ねせねばならぬお顔まで。

34年間という歳月がそれぞれの顔貌に与えた変化のなんと多様なこと。

目を奪われるものと言えば、男性では毛髪の変化、量と色・・・。

女性では・・・化粧しているからなんとも言えないなぁ。


京懐石の品々が次々出され、飲み放題の酒量も増えるなか

スピーチの順番がやってきました。

「皆さん、AGEsってご存知ですかぁ~!」

 何の反応も認められない・・・・・

更に重ねて訊ねる。「Glycation、糖化はご存知ですかぁ?」

 またまた何の反応も認められない・・・・・


ホンマかいな・・・どないやねん・・・

とうとう嘆息交じりにつぶやいてしまう。

「こんだけお医者さんが居て、誰もAGEs知らんてどうよ!!」



もちろんいつも顔を合わすU先生は、

2008年2月から始めた抗糖化サプリの臨床試験に

奥様と一緒に参加して頂いた関係でよくご存じですが・・・。


U先生と小生を除く48名の先生方はご存知なし・・・。

いやはや、アラ還の医者がこれだけ集まっても、こんなものなのか。

母校の教授になった2名も、いったいどうよ?


抗加齢医学会などはやはり特殊な環境なのだと思い知ったのでした。

「とにかく抗糖化で私は127歳まで健康長寿でいきますので~~」

と最後に吠えておいたのでありました。


1年前のブログ記事で知る1年前の身体の具合

2017-02-01 19:50:40 | ひとりごと
gooブログから1年前の記事を知らせるメールが届いた。





覚書へのリアクション その3

というタイトルが付いているから幾つかシリーズで書いたらしい。


それにしても・・・

 “朝っぱらから豆乳を飲んだうえで

  ロキソニン3錠、ミオナール2錠、リリカ2錠

  葛根湯・芍薬甘草湯 各1包 を服用”

などとは、かなりの痛みに苛まれていた様子。


気になるので、つい、当該記事を読んでしまうことに。


ふんふん、なるほどねぇ~~。

最後に書かれていた
 
 「セレモニーやセレモニー、あれはセレモニー。

うん、あれは今でも覚えているなぁ・・・。


それにしても、なにがそんなに痛くなったのかな?

またまた気になるので その2 も読んだら またビックリ!


 “もう2年以上前に手術してもらったのに治らない

  頸椎症の指の痺れと随伴する痛みが加わって
 
  しばらく服用を止めていた“リリカ”と“リボトリール”を再開し

  加えて“ロキソニン”“ミオナール”も倍量服用しているのですが

  安静にしていても痛みは走り

  夜には疼痛で眼が醒めて“ロキソニン”を倍量頓用する状況です。”


なんともいやはや、薬なんて効かないのですよねぇ・・・。


1年後の今はと言えば、痛みはいつの間にか無くなっています。

けれど、左の薬指と小指の痺れは どうにもなりません。

でも、もうリリカもリボトリールも服用していません。

あと70年、この状態が続くと思うと辛いものがありますが・・・。


けれど、何かの拍子で痺れのない瞬間が時々訪れます。

そんな瞬間があるだけで、幸せだと思うようにしています。



お時間のある方は、以下をクリックして読んでみてくださいまし。
          ↓
覚書へのリアクション その3

覚書へのリアクション その2




世間は狭し 重なる縁(えにし)

2016-03-13 19:09:40 | ひとりごと
来週は“春分の日”だけれど

今日は別になんの名前も貰ってないただの日曜日。


13時からの半日日直も残りあと2時間を切ったところで

夕の検食が今、届けられた。(注:18:07でした)


なになに、青菜の炒め煮 = 小松菜とちくわ

     胡瓜ともやしのごま和え 

     うに焼き !

名前だけ見たら ビックリするじゃないよ・・・

何のことは無い 鰆に溶き卵を塗って焼いたやつ・・・。

残念ながら ウニの風味はしませんってば・・・。


で、いつものことながら 白ご飯 250g。

いやはや 病院の方々は 一体なにをお考えなのやら・・・。


ダメダメ 止めておこう。

さて、昨日は 市の医師会総会に出席したところ

偶然にも同級生3名が顔を揃えることに。


総会後の立食の懇親会では3名で四方山話に花が咲く。


しばらく前に公立病院の部長を辞め民間病院に下ったY君は

「5時ピタで帰れる事に感激している」と。


開業して8年からになるU君は

「午前診を終えて夜診までに

 スポーツジムに行けるのはありがたい」と。

しかし学生時代に一番痩せていたU君の現在のお腹を見ると

ジムの効果は出ていないと断ぜざるを得ないのです。

いや、行ってるからまだそれで済んでいるのか・・・(大汗)。


そうそうY君は、わたしが時折ラインにアップする

料理がそこそこ気に入ってくれているそうだ。


大人の落ち着きを見せる彼らからすると

わたしなどは まだまだ浮き足立っているなぁ・・・

と、嘆息。


が、そこで一首。


 有り難き

  宝となるべし

   逆境は

 万事不如意も

  塞翁が馬



大学卒業から はや30年。

こうして同じ町で仕事をすることになろうとは

なんとも世間は狭いものだと 感じ入る早春の1日ではございました。

予報ハズレの素敵な休日

2016-03-06 23:22:38 | ひとりごと
暖かい1日でしたね。

雨が降るとか予報があったけど、降らなかったね。


最近は天気予報が外れる方が少ないのに、今日はハズレ。


でも、“予報” だから ねぇ・・・。


なんて思いながら 今日を振り返ってみると

まさに 世の中 “予報” など 当てにならぬと思い知る。


久しぶりの 何も仕事が入っていない日曜日。

遅めに起きて 待たせた“ワンごはん” を与えたあと

もうひと寝入りしようか・・・

いやいや 賞味期限が昨日までの ササミを食べてしまわねば


録画しておいた「ミリオンダラー・ベイビー」を観ながら

朝餉を戴いていたら 電話が鳴る。


なんと! 診療所の事務長からじゃないか!!

こんな休日に そんな人物からの電話など

きっと いい話じゃ ないに決まってるよな・・・・・


と、覚悟しながら 取ってみると

案の定 ケアハウスで お亡くなりになった方が・・・との話。



休日モードが 一転して 現実に投げ込まれる。


なんと 今日の午後に 近くの病院に入院するはずの人だった。

明日 ペースメーカーを入れるために。


2週間前に 除脈で 紹介状を書いた 90歳の女性。

親族と警察官がすでに大勢いるその部屋のベッドで

眠ているままの状態で冷たく・硬くなった彼女に触れて

人の世の儚さを つくづく感じるひと時・・・。


親族によると

昨日は訪ねた妹に手を振って さようなら したそうな。 

今日の入院の準備万端 整えてとの話だった。


でもね その“死に顔”の穏やかなこと。

苦しんだ様子など 微塵もない。


本人も誰も 思ってもいなかった 突然の「死」。

まったく 眠ったままで 向こうの世界に赴いた彼女。


そりゃね、ペースメーカーを入れるのが早かったら

まだ生きられたのかも知れませんけどね

その時には どんな死に様が用意されていたのか

知ったもんじゃないでしょ・・・。


寝たままで 苦悶の表情もなく 向こうの世界に逝くなんて

考えようじゃ 最高の “逝き方” じゃない?


突然の呼び出しで ビックリした休日の始まりだったけれど

一仕事終えて戻ってからは 映画の続きを観ながら

赤ワインを開けて この世とあの世に 想いを巡らせながら過ごしました。


はてさて

雨も降らず 予報ハズレの 素敵な1日でした。
 

ヤバッ 今夜の情熱大陸・・・

2016-02-21 23:39:12 | ひとりごと
ヤバいものを観てしまった。

つい先ほど放送された情熱大陸。


まいったなぁ・・・。


なんで自分が医学を目指したんやったか

忘れはしてへんかったけど

実際、食べていかなアカン現実もあったし

そうこうしてるうちに、現実に絡め捕られてしもたり・・・


言い訳か・・・・・



全部は飲まないで残しておいたワイン

残りも飲んでしもたわ・・・。



収入は勤務医時代の5分の1・・55歳医師が“金”も“地位”も捨てて選んだものとはー。
http://www.mbs.jp/jounetsu/2016/02_21.shtml


覚書へのリアクション その7

2016-02-15 15:11:26 | ひとりごと
2/9のクロ現、良かったよね。

ゲストとして出演した樹木希林さんの“心構え”が唸らせる。



画像クリックで拡大します


細かい文字で書かれている台詞。

いいのよねぇ、これがまた。





“なんとまあ死ににくい時代になったものでしょう。”


いやぁ、まったくその通りです!

ずいぶん前に載せた記事「もしかしたら 悲鳴・・・・・」でも

Nさんという女性はその時点ですでに5年間もベッド上生活。

 “バタバタだけはできる両肘。

  動かない両肩。

  太ももで切断された右脚。

  鋭角に曲がったままの左膝。

  当然、ベッド上での身返りさえ自分ではできない。

  当然、自分では食べることも飲むこともできない。

  だから当然、胃ろうが作られている。”
  もしかしたら 悲鳴・・・・・ から引用


『胃ろう』など造られてしまったら、それこそお仕舞いだ!

大往生など とてもじゃないができっこない!!


思うに、クロ現はこのような問題にずいぶん取り組んできてたね。

2010年12月8日に放送されたのが

 『ある少女の選択 ~“延命”生と死のはざまで~』


その放送直後に書いた記事「延命 ある少女の選択」には

次のように記している。

“まだ元気なとき

 気管切開のために喋れない彼女は

 ボードに次のように書いてみせた。

 「命は 長さじゃないよ

  どう生きていくかだよ
」” 延命 ある少女の選択 から引用  


関心おありの方は以下の記事もお読みになって下さいね。

 延命 ある少女の選択 クローズアップ現代 を復習しました


誰かの為じゃなく ただ 自分の為に

最期の在り方を 自分でしっかりと 選べるということ。


これって とっても大切なことだと思いませんか?


「きっとこの人も それを望んでいるはず

というのは自己願望の投影ですよねぇ。


食べられなくなった時 いったいどうするのか?

さまざまな医療技術が“延命”を可能とする中で

どういう選択肢を選ぶかは なかなか悩ましい問題です。



 “「胃ろうという選択も、寿命のうちですよねぇ?」

  と、医師に問いかけるのは

  脳梗塞を起こした母親の息子さん。


  それでも、鈴木医師は積極的には勧めない。

  胃ろうを日本に広めた鈴木医師がである。” 
 食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪~ を観て より引用

ちなみに 医師は自分に“胃ろう”を望んでいるのだろうか?

その答えは

 胃ろうの番組を観直して 

に書いておきましたから、

ご覧になって医師の言いなりにならないようにご注意下さい。
  

   まだまだ続きます・・・。

覚書へのリアクション その6

2016-02-04 12:08:38 | ひとりごと
本の画像ばかり載せて、なんのつもりだ?


と、そろそろ言われそうな気配!? 

別に感じた訳じゃないけれど、言われる前に趣向を変えましょう。


最近のマイブーム、鼻笛のことは少し前に画像でも紹介しましたね。

で、そこそこ高音も出せたので「千の風になって」なんてのも

吹いてみたりした時のこと。


ふと思いついた・・・・・。


 わたしの~ お腹の前で 笑わないで下さい

 そこに 赤ちゃんはいません 便も溜まっていません

 メタボの腹に

 メタボの腹になって

 あの 大きなズボンも

 はけなくなりました


・・・・・ 別に 自虐的な替え歌という話ではありません。


さきほど 閃いたのも この際だから記録しておこう。

元歌は 沢田研二の 「危険なふたり」。


 今日まで医療は日進月歩

 寿命延ばしてると言えるあなたは

 若い医療者 知らなさすぎる

 アーアー 必ず死は訪れるのに



だからなに? という声が 響いてきました。空耳かしら?



ここで一旦終了します。

本題はここからなのですが、往診に出掛けねばならなくなったので。

覚書へのリアクション その5

2016-02-03 11:59:30 | ひとりごと
密室という

いかにも何事かが秘密裏に行われたことを予想させる

次の章を載せさせていただきます。


“ガンの告知”などの話題もそうですが、

なにかにつけて妙にノスタルジーを覚えつつ、

やはり憤りを感じずにはいられない「医療者しか知らない医療の実態」。


著者が あとがき のなかで
 
 “この本に不快を感じている医療者も・・・

と書いていたのもむべなるかなである。






画像クリックで別画面にて少し拡大します


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覚書へのリアクション その4

2016-02-02 13:40:40 | ひとりごと
その年の一月十二日未明、一人の男が死んだ。七十八才であった。


気管切開

という章から始まる、ある男の死 という話。


これは「病院で死ぬということ」の最初の物語だ。



 



ここに書かれた物語は決してまれな話ではないのです。

全国津々浦々で、似たような物語が体験されていたのでした。

そうだったからこそ、初めて読んだ時、驚くでもなく

なんの違和感も感じなかったのでした。

そしてわたし自身が著者の同類だと嬉しく思えたのでした。
































覚書へのリアクション その3

2016-02-01 16:06:38 | ひとりごと
わたくしごと、再び。

今朝も痛み耐えがたく、朝っぱらから豆乳を飲んだうえで

ロキソニン3錠、ミオナール2錠、リリカ2錠

葛根湯・芍薬甘草湯 各1包 を服用したのだけれど

日頃の心掛けの悪さが完璧に露呈したようです。


幸いなことに今朝は新皮質の抑制もなく、清澄な意識のままなので

病院で死ぬということ」もきちんと最初からページをめくり

はじめに”に書かれていた文言を引用したくなってしまいました。



・・・・・以下「病院で死ぬということ」 “はじめに”から引用・・・・・

 1頁 15行目~2頁

 “そして、これら末期ガン患者のほとんどが、

  一般病院の中で死亡しているのである。

  しかし、一般病院の医療システムは、

  これら多くの死にゆく患者のためではなく、

  治癒改善して社会復帰できる患者のために

  ととのえられている。

  そのために多くの末期ガン患者たちは、

  多忙な一般病院の医療システムの中で、

  しばしばとり残されることになる。

   どれだけ多くの患者たちがみじめな思いの中で

  死んでいったのだろうか。

   どれだけ多くの家族が傷ついてきたのだろうか。

  僕が、これから書いていく物語の前半は、

  これら多忙な医療システムの中で起きた

  悲惨な出来事が中心となる。

  そして後半は、そのようなシステムの中でも、

  少しでも患者の立場に立つことで、

  前半のような悲惨な出来事は避けられるのだと

  いうことを書いていきたい。

  なお、僕がこれから書いていく物語は、

  すべて事実をもとにした物語である。”
 


・・・・・ 引用 ここまで ・・・・・


そうですよ、わたしもたくさんの“物語”を背負ってきました。

自分自身が主治医ではないときでも、

さまざまな“物語”を垣間見つづけてきました。



そう、医者になりたての頃、あらまぁ・・・、もう丁度30年だねぇ(汗)

詰め所で担当患者のカルテを書いていた時だった。

突然、壁のナースコールが鳴り出した。

南側の並びで詰め所に一番近い個室からのものだった。

すぐさま数名のナースが飛び出して行った。


わたしといえば、自分の患者ではないものだから

(大学病院では“自分の受け持ち”が最優先という意識があったな)

なんとなく他人事のような気持ちで成り行きを眺めていたのでした。


すると、

さきほど個室に駆け込んで行ったナースの1人が飛び出してきて

 「板 持って来て!!」 と大声で叫んだのでした。


“板”というのは、心臓マッサージをする時

その対象者がベッドなど、下が柔らかいところに寝ている場合

その背中の下に敷きこんで、胸骨圧迫のロスを少なくするための

それこそ“板”なのであって、“背板”と言ったりもするらしい。


緊迫感を漂わせたそのナースの叫びから、事態は直ぐに理解された。

その個室に入院中の、確かガン末期の男性患者、70歳前半だったか。

心臓マッサージが必要な状態になったのだ。


付き添っていた奥さんと娘さんは

「今から処置をしますから、ちょっとロビーで待ってて下さい!」

というナースに促されて、

ベッドの上でグッタリとした体の下に

“板”を滑り込まされている夫・父親のほうを

何度も振り返りながらも、個室から追い出されたのだった。


当然のことながら、ナースからは「ほかのご家族にも連絡して下さいね」と

言われてたに違いない奥さんは、公衆電話のあるロビーへ足早に去って行った。

(なにせその頃はまだ携帯電話などのない時代の話、1986年でした。)

ちょうど入れ違うように、人手が要るからと呼ばれた

わたしの目に飛び込んできた光景は

「洗練さ」などという言葉からは程遠いものだった。


患者の上に馬乗りになって心臓マッサージをしている白衣の人物。


頬に伝う汗が、その行為をかなりの時間続けていたことを告げていた。

「代わります!」 と、控えていた研修医がその行為を引き継いだ。

何度目かの圧迫の時に 「ポキッ!」 と微妙な音が聞こえた。

次はわたしの番だと少し緊張して待っていたところに声が聞こえた。


 「もうそろそろ ええんと 違うかぁ」


緊張感のないトーンの声の主は、病棟医だった。

その理由は、蘇生行為を始めてからすでに45分近くとなっていたから。


主治医が言った。 「おうちの人、入れて。」


まだ医者になって日にちの浅いわたしは一連の行為を目撃して、

言いようのない虚しさに襲われたのだった。


あれはいったいなんなのか? 医療行為なのか?

その時を迎えるために付き添っていたであろう家族を

病室から追い出して、死に目にも合わせずに

行ったあの行為は いったいなに?

あの「野蛮な」行為は いったいなんのため?


なりたての医者には解らない、崇高な目的が隠されているのだろうか!?


研修医であるわたしは、直接指導してくれる修練医の先生に訊いてみた。

「先生、あんなことせんとアカンのですか?」


先輩である修練医の先生は、少しバツの悪そうにこう教えてくれた。


セレモニーやセレモニー、あれはセレモニー。」  


覚書へのリアクション その2

2016-01-31 16:54:28 | ひとりごと
なんとも時間が掛かってしまったその2。


理由は、前回紹介『病院で死ぬということ』という本が

あるはずの場所で見つからず、探し回っていたためです。


ブックオフにでも行って仕入れて来ようかとも考えたけれど・・・。


で、本日。 13時から20時まで半日直をする病院の医局の本棚を

あまり期待はしなかったけれど、隅から隅まで丹念に眺めて行ったら、

  なんと!!

机の陰になった奥まった一番下の棚に、おとなしく並んでいたのでした!







いやぁ! こんなところで出会えるなんてッ!! 感激ッ!!!







どなたの持ち物かは存じませんが

しばしお借りして、引用させて戴く事と致します。



ところで、私事で申し訳ないのですが

5日ほど前から急に左肩周辺が痛み出して

症状から、いわゆる「五十肩」=“肩関節周囲炎”に間違いなく

直ぐに火曜日の外来が終わったらナースに注射位置を指示して

2ヶ所もトリガー注射を行ったにも拘らず

もう2年以上前に手術してもらったのに治らない

頸椎症の指の痺れと随伴する痛みが加わって

しばらく服用を止めていた“リリカ”と“リボトリール”を再開し

加えて“ロキソニン”“ミオナール”も倍量服用しているのですが

安静にしていても痛みは走り

夜には疼痛で眼が醒めて“ロキソニン”を倍量頓用する状況です。

これだけ薬を飲んでいるとなんだか軽くお酒に酔っているようで

少々、大脳皮質の抑制が取れたような勢いが在り、

最近、あちこちで鼻笛を吹いてしまうような毎日です。

まぁ、特別養護老人施設の入所者の方々には喜ばれてますが・・・。






話が脱線してしまいました・・・・・。


といいますか、そんな具合で今また激痛なもので

痛み止めを倍量服用しましたところ、

やはり抑制が取れたのでしょうか、少し長くなりますが

本の引用を、なんと 『あとがき』 からしてしまいます


・・・以下 「病院で死ということ」 からの引用・・・

 221頁  あとがき 11行~


また、医療関係者からは、医療への不信を助長するようなものを書いてと、

 お叱りを受けるかもしれない。

 だが、僕は決して医療への不信をかき立てるために

 これらの物語を書いたのではないし、

 むしろ、信頼を回復する一つのきっかけになってほしい、

 という思いを持って書いたのだ。

 この本に不快を感じている医療者も、

 現在の医療体制の中では、この本の前半のような出来事が

 起きていることも、起こりうることも知っているはずである。
 
 だが、それらくさいものには蓋をしておいたほうがよいと考えているとしたら、

 結局、患者にとっては医療は少しも変わらないということになるだろう。

 そして、死にゆく患者が、病院の中での画一的で、

 自己のない死を余儀なくされるという事実もそのままとなる。



・・・以上 「病院で死ぬということ」 からの引用 終わり・・・


事実を淡々と伝えるこの本の物語のかずかず。

ほんとに、この “あとがき” に吐露されている20数年前の著者の文言は 

たった今現在の医療、特に“終末期医療”に対しての

熱い想いにあふれた「告発」であり、

少なくとも私の中ではこの本に出会った時からの

あるべき姿に向けた一筋の「道標」であり続けているのです。


 つづく・・・・・