外科医 アンチエイジングに目覚める!?

目指そう サクセスフル・エイジング !

抗糖化 で 減らせAGEs 

炭水化物も要注意    

紅梅 白梅

2013-03-13 16:08:15 | ひとりごと 通勤中に
行くとき目についたので帰りに撮ってみたけれど

お日様が隠れてしまって、なんだかな~ の露出。

フラッシュたいてみたけれど、全然 あきまへん。


足元に群れ咲くオオイヌノフグリの青さが空に欲しかったな。


でも、記念にアップしておこう。

風も強くて、香りも分らなかったけれど。


紅白に

 揃い咲けども

  曇り空











今日も 雪道 チャレンジ

2012-02-27 11:18:51 | ひとりごと 通勤中に
今朝、カーテンを開けると、

家々の屋根は白く化粧し、粉雪が舞っていた。


さてさて、どちらを選ぶべきか?

頭を悩ますのは綾部へ向かう道路、R173 or R27 ?


去年暮れには、初めて本格的な積雪の日に

R173をチャレンジして、少々冷や汗をかいた・・・。


下の写真は、その時(2011.12.26)の一つ目の峠の下り坂。



2011.12.26     京丹波町戸津川



たぶん今日はこれほど酷くはないだろう^^ と、

勝手に決めて R173を走る。



上の写真と同じ一つ目の峠の下り坂。

今日は路面が見えている。



2012.2.27     京丹波町戸津川



“産屋”で有名な大原の里の辺りも、大丈夫。



2012.2.27     三和町大原



ここからしばらくで、前回は少々焦った2つ目の峠となる。



2012.2.27     三和町台頭



やはり少しタイヤが滑っている感じだね。


こんな雪なのに、ご老人がお出かけだ。



2012.2.27     三和町台頭



さぁ、峠のてっぺん、須知山トンネルまであと少し。

さすがにエンジン音の割りに、進行速度が上がらない。


年末の時は、「引き返そうかな・・・^^;」と弱気になったが、

今日はそんな気は起こらなかったのは、やはり春近しということか。




2012.2.27     三和町台頭



質山峠を無事上りきりトンネルを抜け、今度は下り坂。



2012.2.27     綾部市寺町



前方に、5台ほどノロノロと下っている。

路側の気温計には、-2℃ の表示が読み取れる。

でも、路面は凍結していなかった。


きっと、これがこの冬、最後の雪道となる予感。

奈良、東大寺のお水取り、大松明まであと2週間。

春は、すぐそこまで来ている気がする。



霧のな~かに浮かび来る~♪

2011-12-28 10:35:33 | ひとりごと 通勤中に
60代後半の男性は胃癌の局所再発から、癌性腹膜炎となって終末期。

「家族に今夜かも知れないと、さっき話しをした」と主治医の申し送り。


夜診の合間に病棟に上がってみると、

もうひとり60代後半の女性も誤嚥性肺炎から終末状態とのこと。


60代とは、まだ若いのに・・・。

やはり「昭和世代」は、長生きではないのかも・・・。



しかし、呼び出しを受けることなく朝になり、当直が明けた。

早出の先生が10分早く到着してくれたので、

気持ち穏やかに7時21分に走り始める。


道にはもう雪はないけれど、路面は湿った色をしている。

こんなときは、北部の道路はツルツルに凍てていることが多い。

さぁ、やはり今朝は27号線を走行するとしよう。


国道9号線から27号線へは須知交差点から。

亀岡が霧の底でも、こちらは晴れていることが普通なのだが今朝は逆。




2011.12.28       京丹波町才原




2011.12.28       京丹波町才原




電信柱で一休みのカラスも、この霧では視界が悪かろう。



2011.12.28       京丹波町才原




敦賀から117kmということは、

高速増殖炉「もんじゅ」からの距離ってなわけだね。



2011.12.28       綾部市戸奈瀬町



「にっぽん縦断 こころ旅」で、高所恐怖症の俳優・火野正平さんが

途中までは行ったもののしゃがんでしまった山家のつり橋も霧の中。



2011.12.28       綾部市山家



最後は、霧の中に浮かび来る、堂々とした影 新綾部大橋。



2011.12.28       綾部市味方町



8時46分、無事到着でした。



到来 雪道の季節

2011-12-26 15:31:05 | ひとりごと 通勤中に
今日、午前中は綾部市で外来、午後からは京丹波町和知で外来。


昨晩は、そのどちらにも大雪警報が出されていた。

冬場は雪が多いことで知られるところではある。


綾部市に至るには2つのルートがある。

 1つは国道173号線。

 もう1つは国道27号線。


いつもは173号線で通っているのだが、

みずほトンネルとそのさきの須知山トンネルという2地点は

峠になっているため、雪の時は避けたほうがいいなと思っていた。


今朝は亀岡でも、家々の屋根はほどほどに雪化粧であった。

京都縦貫道も、南丹市辺りは難なく走れた。


2011.12.26     南丹市八木


新観音トンネルを抜け京丹波町に入っても、さしたる積雪ではなかったため

なんの迷いもなく173号線へ向かうことにした。


みずほトンネル手前の周辺は、そこそこの積雪あるも道路は問題なし。



2011.12.26     京丹波町質志



しかし、みずほトンネルを抜けると、路面状況は一変した・・・。

下り坂となった峠道は、除雪されていないまま。



2011.12.26     京丹波町戸津川


エンジンブレーキを効かせて「産屋」で有名な大原まで下ると

あとは須知山トンネルのある質山峠までは無事に走れた。


そして、問題の峠。

立ち往生している大型トラック1台をかわして上っていく。

しかし、エンジン音の割にはスピードが上がらない。

後輪がけっこう滑っている感じだ・・・(汗)。


後ろから来る乗用車との車間距離が狭まってきたため

轍のない登坂車線に進路変更を余儀なくされた。


ふたたび走行車線に戻ったものの、路面のグリップ感が乏しい。

まだ峠の坂道を半分くらいしか登れていないだろう・・・。

引き返したほうがいいのかな・・・。

チラッと弱気な想いが頭をよぎるも、なんとか登りきる。


峠道を下って狭い裏道に入ると、雪を被った名残の秋。



2011.12.26      綾部市寺町



外来を済ませて次の仕事場へは、27号線で。

由良川沿いの旧道は、もうすっかり溶けていたが

ひっきりなしに舞い降りてくる雪たち。



2011.12.26     京丹波町和知



水曜日の綾部行きは、最初から27号線にしよう。

だって、ノーマルしか持ってないから・・・・・。



冬至の夜に

2011-12-22 23:11:13 | ひとりごと 通勤中に
小学6年の夏休み。

和歌山から南海電車・大阪市営地下鉄と乗り継ぎ千里中央へ。

独りで2回、同級生とふたりで1回。

輝かしい未来が具現化した会場へ。


アメリカ館では「月の石」をパチリっ。

電電公社館では無線電話で、和歌山の母に電話をかけた。


すべてのパビリオンなど、とても廻り切れはしない。

あぁ、でも、ここも観たい、あそこにも行きたい!


太陽の塔の輝かしい黄金の顔は、

そんな想いを余計にたぎらせる魔力を持っていた。



まさか、木曜日の午後と土曜の朝に

毎週、太陽の塔を眺めるひとときを持つようになるとは、

41年前の自分なら、小躍りしたことに違いない。


名神高速から近畿自動車道へ乗り継ぐ吹田インターチェンジ。

あの頃と同じように、黄金の顔が視界に現れる。



2011.12.22    吹田市



見るたびに、なんとも不思議な感覚が呼び覚まされる。


そして今日、あの夏の日に一緒に出掛けた同級生のことを思った。

彼はN村君、クリッと大きな目と鼻筋の通ったハンサムボーイだった。


何年生の時だったか、公園で草野球をしていた時。

キャッチャーをしていたN村君の頭に、

F田君の振ったバットが当った。


みるみる内にN村君の顔面が鮮血に染まっていった。


なにをどうしたのか顛末は覚えていないが、

体が凍りつく想いをしたことだけは覚えている。



それからしばらくしてのことだったか、

N村君のお母さんが、自宅で刺殺されるという事件が起こった。

お葬式に参列したかどうかも忘れてしまったが、

彼とよく似た端整な顔立ちの妹さんの泣いた顔が浮かぶ。

確か彼は泣いていなかった・・・。



タイ館の前で、写真を撮ったよなぁ・・・、と思い出す。

N村君・・・。

中学校は違う学校に行ったっけ・・・。


そして、二十歳を過ぎた頃、彼は自殺してしまったのだった。

N村君・・・。


あれ・・・。 下の名前、なんだったかな・・・。

思い出せない・・・・・。


N村 あ・・・ い・・・ う・・・ え・・・。

あ行から始めて、

N村はじめ N村はるお N村ひろし N村ひろむ N村ひ・・・。


そして、ちょうど や行を唱え始めたところで

突然、バーーンッ!!! と大きな音。


右のサイドミラーに、岸和田料金所の

上がりかかったばかりのETCのバーが衝突。


あぁ・・・。

いつもなら60kmに下げるスピードが下がってなかった。

こんなミスをするなんて・・・・・。


あぁ・・・、それにしても思い出せないN村君の名前・・・。


最後のトンネルを抜け、上り坂を上り、あとは下り坂。

紀ノ川SAに差し掛かる頃には、雲間から冬至の夕日。


道の先に拡がる市街地の、小高いところに小さく見える和歌山城。




2011.12.22    和歌山市


週に2日の故郷での仕事は昨年の3月下旬から。

毎回、平和な夜を願うが、最初の頃は死亡診断書をよく書いた。


今宵はといえば、今、お見送りをしてきたところ。

一礼する間も、冷たい風が吹き抜けていく。

それでも、なんだか清々しいのは

亡くなった90歳の女性の間際までしっかりした最期と、

主治医とのDNR(蘇生処置不要)の話もまだだったのに

まことに潔く往生を見送る決断をした長女さんのおかげ。

見事な死に様、見事な看取り様だった。


90歳か。しっかりしてたなぁ。


N村君、君はなんて早くに逝っちゃったんだい。



ヒトも自然の一部というけれど

2010-12-04 01:24:40 | ひとりごと 通勤中に

大晦日まで、あと27日。


風の強い1日でした、というか

日付が変わっても、

南向きの医局の窓はピューピュー鳴っています。



昨日の午後には西から吹き付ける強風で

ダイコンの葉っぱは皆んな「東向けぇ、東!」



   
   2010年12月3日  和歌山市   クリックで拡大します



この辺りは砂地の畑。


少し前まではニンジンだったが、今はダイコン。

お辞儀した葉っぱの先には、名草山と紀三井寺。


今でこそ、なんの変哲も無い普通の山に見える名草山だが、

以前は、こうではなかった。



半世紀近くも昔のこと。

もう少しで紀三井寺も焼失するかという大きな山火事があった。

空を染めて燃え上がる炎をかすかに記憶している。


山の上三分の二は黒焦げの状態が永らく続いた。


それでも、時が経つにつれ薄っすらと緑に覆われだし

まばらだった木々も立派に成長して今日の姿となった。


自然とは大したものだね。

40年、50年と月日が流れれば

昔の姿を取り戻すのだから。



そんなことを思い巡らしていると、病棟からコール。


重症者ありとは聞いていなかったのに?



一昨日くらいから状態が悪化し始めていたらしい。

付き添っていた家族は、夕方に帰宅したと。


ナースステーションの心電図は規則正しい波形60回/分だが、

これは埋め込まれたペースメーカーのもの。


なんと8月に一度心肺停止状態になって蘇生したのだという。


「あれ?どこかで聞いたような話・・・」


名前にも聞き覚えあり、カルテを見て納得。

2ヵ月半前、リハビリを受けたいと夜診を受診した方だった。


そのとき書いたのはリハビリ指示書。

2ヵ月半後の今夜は死亡診断書を書くめぐり合わせ。



時が経てば、昔の姿を取り戻す自然の生命力を眺めた日。


時が経てば、取り戻せない「生」のあることを思った夜。



いつのまにか風の音は止み、ガラス越しに冷えがしみ込んでくる。




朝日が好きです。でも夕日の方がもっと好きです。

2010-11-26 22:48:38 | ひとりごと 通勤中に

冬至まで、あと26日。


日の暮れがどんどん早くなってきました。



いつか撮ってやろうと思っていたのが


ここからの夕日。


   
   2010年11月26日  和歌山市   クリックで拡大します



画面左奥にかすかに見える松並木は、片男波海岸。


右に見える山は、高津子山。


昔はその山頂に回転展望台があり、ロープウェイで登ったものです。



そう、これは紀三井寺側から新和歌浦方面を眺めたもの。





京都に暮らし始めた当初は、

山に沈んでいく夕日になかなか馴染めなかったな。


夕日は海に沈んでいくのが当たり前だったから。



シャッターを押しながら、平和な夜診と当直の一夜を願う。