外科医 アンチエイジングに目覚める!?

目指そう サクセスフル・エイジング !

抗糖化 で 減らせAGEs 

炭水化物も要注意    

ヤバッ 今夜の情熱大陸・・・

2016-02-21 23:39:12 | ひとりごと
ヤバいものを観てしまった。

つい先ほど放送された情熱大陸。


まいったなぁ・・・。


なんで自分が医学を目指したんやったか

忘れはしてへんかったけど

実際、食べていかなアカン現実もあったし

そうこうしてるうちに、現実に絡め捕られてしもたり・・・


言い訳か・・・・・



全部は飲まないで残しておいたワイン

残りも飲んでしもたわ・・・。



収入は勤務医時代の5分の1・・55歳医師が“金”も“地位”も捨てて選んだものとはー。
http://www.mbs.jp/jounetsu/2016/02_21.shtml


覚書へのリアクション その7

2016-02-15 15:11:26 | ひとりごと
2/9のクロ現、良かったよね。

ゲストとして出演した樹木希林さんの“心構え”が唸らせる。



画像クリックで拡大します


細かい文字で書かれている台詞。

いいのよねぇ、これがまた。





“なんとまあ死ににくい時代になったものでしょう。”


いやぁ、まったくその通りです!

ずいぶん前に載せた記事「もしかしたら 悲鳴・・・・・」でも

Nさんという女性はその時点ですでに5年間もベッド上生活。

 “バタバタだけはできる両肘。

  動かない両肩。

  太ももで切断された右脚。

  鋭角に曲がったままの左膝。

  当然、ベッド上での身返りさえ自分ではできない。

  当然、自分では食べることも飲むこともできない。

  だから当然、胃ろうが作られている。”
  もしかしたら 悲鳴・・・・・ から引用


『胃ろう』など造られてしまったら、それこそお仕舞いだ!

大往生など とてもじゃないができっこない!!


思うに、クロ現はこのような問題にずいぶん取り組んできてたね。

2010年12月8日に放送されたのが

 『ある少女の選択 ~“延命”生と死のはざまで~』


その放送直後に書いた記事「延命 ある少女の選択」には

次のように記している。

“まだ元気なとき

 気管切開のために喋れない彼女は

 ボードに次のように書いてみせた。

 「命は 長さじゃないよ

  どう生きていくかだよ
」” 延命 ある少女の選択 から引用  


関心おありの方は以下の記事もお読みになって下さいね。

 延命 ある少女の選択 クローズアップ現代 を復習しました


誰かの為じゃなく ただ 自分の為に

最期の在り方を 自分でしっかりと 選べるということ。


これって とっても大切なことだと思いませんか?


「きっとこの人も それを望んでいるはず

というのは自己願望の投影ですよねぇ。


食べられなくなった時 いったいどうするのか?

さまざまな医療技術が“延命”を可能とする中で

どういう選択肢を選ぶかは なかなか悩ましい問題です。



 “「胃ろうという選択も、寿命のうちですよねぇ?」

  と、医師に問いかけるのは

  脳梗塞を起こした母親の息子さん。


  それでも、鈴木医師は積極的には勧めない。

  胃ろうを日本に広めた鈴木医師がである。” 
 食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪~ を観て より引用

ちなみに 医師は自分に“胃ろう”を望んでいるのだろうか?

その答えは

 胃ろうの番組を観直して 

に書いておきましたから、

ご覧になって医師の言いなりにならないようにご注意下さい。
  

   まだまだ続きます・・・。

覚書へのリアクション その6

2016-02-04 12:08:38 | ひとりごと
本の画像ばかり載せて、なんのつもりだ?


と、そろそろ言われそうな気配!? 

別に感じた訳じゃないけれど、言われる前に趣向を変えましょう。


最近のマイブーム、鼻笛のことは少し前に画像でも紹介しましたね。

で、そこそこ高音も出せたので「千の風になって」なんてのも

吹いてみたりした時のこと。


ふと思いついた・・・・・。


 わたしの~ お腹の前で 笑わないで下さい

 そこに 赤ちゃんはいません 便も溜まっていません

 メタボの腹に

 メタボの腹になって

 あの 大きなズボンも

 はけなくなりました


・・・・・ 別に 自虐的な替え歌という話ではありません。


さきほど 閃いたのも この際だから記録しておこう。

元歌は 沢田研二の 「危険なふたり」。


 今日まで医療は日進月歩

 寿命延ばしてると言えるあなたは

 若い医療者 知らなさすぎる

 アーアー 必ず死は訪れるのに



だからなに? という声が 響いてきました。空耳かしら?



ここで一旦終了します。

本題はここからなのですが、往診に出掛けねばならなくなったので。

覚書へのリアクション その5

2016-02-03 11:59:30 | ひとりごと
密室という

いかにも何事かが秘密裏に行われたことを予想させる

次の章を載せさせていただきます。


“ガンの告知”などの話題もそうですが、

なにかにつけて妙にノスタルジーを覚えつつ、

やはり憤りを感じずにはいられない「医療者しか知らない医療の実態」。


著者が あとがき のなかで
 
 “この本に不快を感じている医療者も・・・

と書いていたのもむべなるかなである。






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覚書へのリアクション その4

2016-02-02 13:40:40 | ひとりごと
その年の一月十二日未明、一人の男が死んだ。七十八才であった。


気管切開

という章から始まる、ある男の死 という話。


これは「病院で死ぬということ」の最初の物語だ。



 



ここに書かれた物語は決してまれな話ではないのです。

全国津々浦々で、似たような物語が体験されていたのでした。

そうだったからこそ、初めて読んだ時、驚くでもなく

なんの違和感も感じなかったのでした。

そしてわたし自身が著者の同類だと嬉しく思えたのでした。
































覚書へのリアクション その3

2016-02-01 16:06:38 | ひとりごと
わたくしごと、再び。

今朝も痛み耐えがたく、朝っぱらから豆乳を飲んだうえで

ロキソニン3錠、ミオナール2錠、リリカ2錠

葛根湯・芍薬甘草湯 各1包 を服用したのだけれど

日頃の心掛けの悪さが完璧に露呈したようです。


幸いなことに今朝は新皮質の抑制もなく、清澄な意識のままなので

病院で死ぬということ」もきちんと最初からページをめくり

はじめに”に書かれていた文言を引用したくなってしまいました。



・・・・・以下「病院で死ぬということ」 “はじめに”から引用・・・・・

 1頁 15行目~2頁

 “そして、これら末期ガン患者のほとんどが、

  一般病院の中で死亡しているのである。

  しかし、一般病院の医療システムは、

  これら多くの死にゆく患者のためではなく、

  治癒改善して社会復帰できる患者のために

  ととのえられている。

  そのために多くの末期ガン患者たちは、

  多忙な一般病院の医療システムの中で、

  しばしばとり残されることになる。

   どれだけ多くの患者たちがみじめな思いの中で

  死んでいったのだろうか。

   どれだけ多くの家族が傷ついてきたのだろうか。

  僕が、これから書いていく物語の前半は、

  これら多忙な医療システムの中で起きた

  悲惨な出来事が中心となる。

  そして後半は、そのようなシステムの中でも、

  少しでも患者の立場に立つことで、

  前半のような悲惨な出来事は避けられるのだと

  いうことを書いていきたい。

  なお、僕がこれから書いていく物語は、

  すべて事実をもとにした物語である。”
 


・・・・・ 引用 ここまで ・・・・・


そうですよ、わたしもたくさんの“物語”を背負ってきました。

自分自身が主治医ではないときでも、

さまざまな“物語”を垣間見つづけてきました。



そう、医者になりたての頃、あらまぁ・・・、もう丁度30年だねぇ(汗)

詰め所で担当患者のカルテを書いていた時だった。

突然、壁のナースコールが鳴り出した。

南側の並びで詰め所に一番近い個室からのものだった。

すぐさま数名のナースが飛び出して行った。


わたしといえば、自分の患者ではないものだから

(大学病院では“自分の受け持ち”が最優先という意識があったな)

なんとなく他人事のような気持ちで成り行きを眺めていたのでした。


すると、

さきほど個室に駆け込んで行ったナースの1人が飛び出してきて

 「板 持って来て!!」 と大声で叫んだのでした。


“板”というのは、心臓マッサージをする時

その対象者がベッドなど、下が柔らかいところに寝ている場合

その背中の下に敷きこんで、胸骨圧迫のロスを少なくするための

それこそ“板”なのであって、“背板”と言ったりもするらしい。


緊迫感を漂わせたそのナースの叫びから、事態は直ぐに理解された。

その個室に入院中の、確かガン末期の男性患者、70歳前半だったか。

心臓マッサージが必要な状態になったのだ。


付き添っていた奥さんと娘さんは

「今から処置をしますから、ちょっとロビーで待ってて下さい!」

というナースに促されて、

ベッドの上でグッタリとした体の下に

“板”を滑り込まされている夫・父親のほうを

何度も振り返りながらも、個室から追い出されたのだった。


当然のことながら、ナースからは「ほかのご家族にも連絡して下さいね」と

言われてたに違いない奥さんは、公衆電話のあるロビーへ足早に去って行った。

(なにせその頃はまだ携帯電話などのない時代の話、1986年でした。)

ちょうど入れ違うように、人手が要るからと呼ばれた

わたしの目に飛び込んできた光景は

「洗練さ」などという言葉からは程遠いものだった。


患者の上に馬乗りになって心臓マッサージをしている白衣の人物。


頬に伝う汗が、その行為をかなりの時間続けていたことを告げていた。

「代わります!」 と、控えていた研修医がその行為を引き継いだ。

何度目かの圧迫の時に 「ポキッ!」 と微妙な音が聞こえた。

次はわたしの番だと少し緊張して待っていたところに声が聞こえた。


 「もうそろそろ ええんと 違うかぁ」


緊張感のないトーンの声の主は、病棟医だった。

その理由は、蘇生行為を始めてからすでに45分近くとなっていたから。


主治医が言った。 「おうちの人、入れて。」


まだ医者になって日にちの浅いわたしは一連の行為を目撃して、

言いようのない虚しさに襲われたのだった。


あれはいったいなんなのか? 医療行為なのか?

その時を迎えるために付き添っていたであろう家族を

病室から追い出して、死に目にも合わせずに

行ったあの行為は いったいなに?

あの「野蛮な」行為は いったいなんのため?


なりたての医者には解らない、崇高な目的が隠されているのだろうか!?


研修医であるわたしは、直接指導してくれる修練医の先生に訊いてみた。

「先生、あんなことせんとアカンのですか?」


先輩である修練医の先生は、少しバツの悪そうにこう教えてくれた。


セレモニーやセレモニー、あれはセレモニー。」