俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

今さらですが

2008-10-12 23:04:23 | 社会問題
「はぁ?」と思うことがいくつかあったので少し…というか大分。

形は国が決める? こんにゃくゼリー 自民、議員立法へ 消費者行政迷走

これで2ちゃんねるのスレタイだと

【政治】「ゼリーのみ規制…モチはいいのか?」→野田聖子氏「モチは喉に詰まるものというのが常識」…消費者庁構想に暗い影

になっていてわかりやすい。先日生産停止が発表されて買った話はさらっとしましたが、食べてみると確かにあれは危険な感じがする。しかしながら、タバコ以上に危険な代物だという雰囲気はパッケージを見て思ったけどなぁ。あれで十分と違いますか?かなり企業としては努力したデザインだと思うけど。

消費者庁としてやるべきことがこんなこととはね…どっちかっていったら今の保険業界の詐欺まがいなサービスの方が人を殺すような気がするけどなぁ(何。こんなんじゃメーカー殺しだよ。まだこんにゃくゼリーだから良いかもわからんけど、証券会社や保険会社とか銀行も含め金融系の会社であったり、流通の会社にたいしては規制をしかないって差別やん。


それから、今日うちにきた某宗教の勧誘。インターフォン越しになんて下手くそな勧誘をしてるんだよ。

「私、○○と申しまして、休日を利用してエ○バの証人の布教と勧誘をしております。」

そんなん知らんがな。休日利用しようとしまいと私の知ったことじゃないです。ね、人様がF1を楽しく見てるのに、世界の異常気象がどうとか、戦争がどうのとか言われても困るわけ。ねぇ知ってます?キリスト教を信じている国家が戦争を一番やっているんですよ。


まぁそれは良いです。それは。前々から書こうかどうかで迷っていたことがあったんですけど、とあるニュースを読んだらやっぱり書こうと思いました。

金融危機、スポーツ界に影 F1、五輪、サッカーも

このニュース読んで、9月号のeyesを思い出したんですよ。スポーツってめちゃめちゃお金がかかるわけです。それって当たり前な話で、限られた資金を用いて一番有効な収益率が高い、還元率が高いものに投資する構図はどのスポーツも該当する。プロスポーツだけじゃなくて、オリンピックだってそうだし、アマチュアスポーツだってそう。かのオリンピックでさえ、企業の出資がなければ立ちゆかないわけです。

そこで学生スポーツは教育が第一目的だから、そういう利潤追求しないで分け隔てなくお金を振り分けるべきだっていうのはおかしいとまではいかないけど、必ずしもそうあるべきだとは思えない。間違ってないですよ、学生スポーツが教育第一だから分け隔てなくやりましょうっていうのは。むしろまとものまともを突っ走り過ぎてて、正論中の正論かもしれない。

でも、私は思うわけ。正論言うことがもっとも効果的で影響力をもつことか。別にどの新聞読んだってコラムが正しいことが書いてあるとは思っちゃいませんし、そう考えている私自身が正しいとも思っていませんけど、正論を真正面から言うのはいかがなものかと思う。だって本当にあなたそう思ってるの?感じてるの?って聞きたくなっちゃうもん。あなたってそんなに聖人でしたっけ?みたいに思えちゃうもん。こう言えるからには相当正しい行いを普段から行っているんだろうなぁ…なんて意地汚い私は思ってしまうわけ。誰が書いていたってさ。

それに何度も言うけどそういう正論って間違ってないよ。間違ってないけど、それってある意味現実から目を背けているだけじゃないの?って思ってしまうの。ねぇ、現実そうあるべきかもしれないけど、本当にそうなることが良いことなの?それってあり得るの?そんな「平和」という目的を掲げた社会主義みたいな状況は誰が喜ぶって言うの?

いや、言いたいことは分かる。分かるよ。マイナー部にも温かい手を差し伸べて欲しいってことでしょ。どっかの伝統があるんだか知らないけど、体たらくな部に数千万円ぶち込むのが良いこととは思えないし、成績を残しているマイナー部に援助をすべきだってことですね。

でもある種、これもせこい話かもしれないけど、体たらくな部だからこそ公的資金注入みたいなこともしないといけないわけじゃん。大学ができることってぶっちゃけお金をあげることぐらいじゃない。マイナー部で成績を残しているって、少ない資金でも優勝できちゃうんですよ。その時点で優勝できちゃってるんだから、それ以上そこにお金ぶち込んでも無駄ですねって。いや、もちろんこれは極端な話ですよ。結果に応じた報酬とかを設ければいいのかもしれないし、色々人それぞれに意見があるんだと思います。

さらに極端なことを言えば、一般学生という世論が体育会の部の援助を望んでるの?みんな知りませんよ、皆さんの授業料からこれだけのお金が体育会の部に使われていますよって。まぁね、学生はそもそも大学に何も期待していないから、どうだって良いことであると思うけど。税金と一緒でさ、みんなから巻き上げたお金が皇室のために使われてたりするけど、人によってはそんなことに使うぐらいだったら社会保障に使って欲しいと思う人だっているわけですから。

一番納得いかないのが、それを夕刊紙を扱っている人が「そうだ、これだ。もっとやれ」みたいな賞賛をすることに、びっくりする。まじですかと。こんなひねりも皮肉もない内容を誉めて良いのかと。別に誉めたって構わないけど、もっと考えさせないかんと思うわけです。

ここまで書いてきたことは私の勝手な意見ですし、多くある意見の内の1つでしかないことは私も分かってます。だからこうあるべきだなんて言いませんけど、私は少なくとももっと皮肉を込めるべきだったと思う。一番思うのはいい加減大学に期待する(批判する)ことの面白くないことに気付くべきなんじゃないかということ。いいよ、間違ってないからやりたいだけやっておけば良いと思う。体制批判がマスメディアの役割であることは違いないから。

でもね、私は思うのです。色々な企画をやってきたなかで、成功している組織や人の取材をして気付いたんです。結局、危機感抱いて自分自身動いた組織や人が成功しているんだと思う。きっと彼らにも社会に対する不満や所属する組織に不満があったはず。でも、そこで文句言うだけじゃなくて、自分たちでどうにかしようと思って手探りで進んできた人達が恵まれた環境を手にすることができたのではないかと。体制を批判するのは簡単だけれども、体制に甘じている人達に原因もあるはずではないか。そう思えるんですよ。そんな正論も必要な時代に思えます。

ただeyesを誉めるとするなら、私にこれだけの意見を考えブログに書かせたという功績はあると思う。物議をかますこともマスコミのあるべき姿だと思う。こんなひねくれた意見をねちねちと思ったり書いたりするのは私だけかもしれないけど、私は読んで考えさせられました。

だめだめだ

2008-10-12 03:08:33 | ATOP
またやっちゃったなぁ…。悪気がないところがまた悪質なんだろうね…。

最近気づいたよ、人間って秘密を抱えながら生きる生き物だって。業務的なことにおいては情報の共有を押し進めるけど、プライベートなことになればなるほど秘密にする。私はそこらへんが分かってないらしく、みんながみんな業務的なことからプライベートのことまで知っていたほうが面白いし、楽しいのだと思っていたけど、そういうのってデリカシーのないことなんだね。

ふだんブログで考えとか書いてる私ってやっぱりそこらへんの感覚がおかしいんだろうなぁ…。ただ私自身は、基本あまりプライベートのことを聞かれないので聞かれたときは真っ当に答えていると思う。まぁそもそも私にパブリックとプライベートの差があるのか怪しいところだけれども。そう思ってるから、パブリックとプライベートの違いを無視して話してしまうのだろうか。

でも、指摘されると罪悪感を感じるところからするとただの愉快犯なのかもしれない。おそらくそれって私が潜在的・顕在的に持った最低な部分なんだろうね…。

そんなこと考えてたらなんか泣けてきた。自分のみっともない部分を指摘されて、指摘した方も指摘された私も気まずいというか、嫌な気分になったことを考えて情けなくなった。あー死にてーって。

透明性の高い組織は喜ばれるけど、透明性の高い人はただうざいだけなんだろうね。もう少しまともな生き方をしたいと思いました。

それと話はかわるのだけど、最近久しぶり…いや初めてなのかな、人間の生まれもった慈悲の心に触れた。人ってこんなに優しいんだって、温かいんだって思った。映画や小説の遠い世界ではなくて、自分の目の前にあった。神様に会ったことなんてないけど、神様のような慈悲だった。時間が経ってそれが偽りのものと知ったとしても、私はたぶん決して忘れないし、後悔も否定もしないと思う。少なくとも今は本物だと思う。

逆に偽りだったとしてもかまわない。ただの同情だったとしてもかまわない。私の中の真実は、神々しく温かい言葉であったことには違いないから。死んでもいいと思えたんだ。冗談じゃなくて、本当に死んでもいいと思えた。これ以上の幸福を受けることはこの世界では無理で、至高の幸福を授かった私はもう現世の未練を失った様に思えた。

泣いた。自分の惨めで醜い生き方が情けなかった。醜態さらした自分をめんどくさがらずに接してくれる優しさが、私をより情けなく思わさせた。十分泣けたよ。

でも、思った。「ありがとう」って。心の底からそう思った。なんて言ったらいいのかわからなかったけど、「ありがとう」としか思いつかなかった。それなのに私がしてあげられることはなにもない。もらった慈悲に対して私が返して上げられるものはなにもないよ、たぶん。ごめん。

にも関わらず、情けない私はさらに聞いてしまう。「なんでそこまでしてくれるの?」。こんな私を相手してくれなくたっていいんだよ?めんどくさいならめんどくさいって言ってくれてかまわない。でも本心を言うと見捨てないで、見限らないでほしいとも思ってる。わがまま。ほんとわがままだよね。

読んでて何の話か分からないと思うけど、分からなくていいです。だって聞いたら「なんだ、そんだけのこと」ってみんな思うと思う。私だって大したことないって、当たり前なことだって思いますけど、やっぱり深く感じてみると大層すごいことのように思えたんですよ。それだけ今の私は弱いし、幼いんだと思う。