俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

モロッコから帰ってきた話

2013-11-29 22:11:02 | モロッコ旅行2013
前回までのブログでモロッコにいって帰ってきた話がひと段落しました。

特段振り返ってあーだこーだというのも今さらないといえばないのですが、少し薄れてきた感覚をほじくりかえしながら少し話したいと思います。



再三言ってきたつもりですが、斜に構えた書き方しかしてこないので「あれ、このひと何しにモロッコいってんだよ?」と思われることもあるでしょうが、僕は今回の旅行はかなり楽しかったんですよ。トルコに比べればもう圧倒的ですよ(何。というわけでですね、数日前に友人から聞かれた質問に答える形で話を進めていきます。


モロッコの何がよかったの?

僕個人の感覚でいうと、選択肢がないのが良いと思うんですよ。
なにをするにもどこにいくにも逃げ場がないというか、それが良いのか悪いのかの尺度が自分自身にしかなくて、インターネットで調べて「歴史があるからすごい」とか「何を食うか?」となったときに比べられる指標がない(メニューが英語であっても、ガイドが説明してくれても雑)とか、最終的に出たとこ勝負・当たって砕けろ的なシチュエーションに囲まれているところが僕はいいと思うんですよ。

建築物にしたって、大自然にしたって「なんで?」とかないんですよ。もう「ありのままこれです」って言われてしまっているようで、考えるのが無駄な旅行ができるのがお勧めだと個人的には思いました。

ネットもホテルに行かなければつながらないし、つながっていたとしてもモロッコのものについて調べようとしたって何も載ってないんだから意味ないんですよ(何。結局自分で当たって砕けてみるしか体感できないんですよね。



そういう抽象的なことじゃなくて、具体的に何がいいの?

え、そう言われると普遍的な良さは伝えられないんだよなぁ(汗。
一番はですよ、もちろんのことガイドについてくれた人が良かった。ハサンに感謝です。ただまぁこれは運ですからね。



じゃぁ、よかった場所は?

あーそうですねー。やっぱり砂漠が一番楽しいんじゃないでしょうか。僕みたいに買い物に興味がない(スイーツ女子が好きそうな小物や雑貨に興味のない)人間にとっては、砂漠が一番楽しいんじゃないでしょうか。「じゃぁ砂漠の何が楽しいの?」と思うでしょ?そう聞かれるとわからないんだよなぁ。僕は砂漠を見てるだけで十分楽しいと思うんだけど、それをいうとたいてい「ふーん」といわれ話が終わります…。

まぁ終わらせないためにじっくり書くと砂漠という地形がなにかいいということではなくて、砂漠をとりまく環境が実に心地よいのだと思います。砂漠(近辺)で生活をする人々の人柄、日中基本無音、現地音楽、ラクダのドヤ顔、砂漠という辺境の地に理由もなく集まる異国の人々、葉っぱ吸ってるフランス人、プールで陽気に泳いでいるスペイン人、日本人をdisって盛り上がる日本人(僕)、砂漠なのに食べられるおいしい料理
…それを逃げ場のない砂漠という土地で濃縮還元されている感じが面白いんだと思います。



モロッコ人ってどんなひとたちよ?

んー、日本から見た外国人すべてに当てはまるけど遠慮はしないひとたち。たまたま宿に泊まった日本人を口説くことに恥ずかしげもなく猪突猛進するくらい遠慮しないし(何、ドライブ中に暇さえあれば誰かに電話かけるし…結構とんでもな人たちだけど、これはこれで憎めないのである(ときどき憎むべきところもあるのだけど)。

ただですよ、実際行ってみるとわかりますが都市部の人たちと砂漠周辺の人たちはちょっと違います。ガイドのハサンも「砂漠の人たちはいいやつばっかだろ?」みたいなことを自分で言ってましたが、たしかに良い意味でも悪い意味で砂漠周辺の方がフレンドリーです。というか「お前ら仕事いつしてるんだよ!」と思うぐらい仕事とか商売でなく接してくれる気がします。



料理はどうなの?具合悪くなったりしないの?

僕が「インドで体調を崩してなかった」という情報をここにぶっこむと信憑性が落ちるそうですが、基本的に何食べてもおいしいですよ(個人的にはクスクスが食べられないですけど)。以前のブログでも書きましたけど、鶏かヤギか羊の肉を使った料理が圧倒的に多く、かといってまんま肉みたいな料理が多いかといえばそうでもないと個人的には思う…まぁ店のクオリティによりますね、それ。

水は…あんまり飲む機会がなかったですね。水道水はもちろん飲まないですが、ミネラルウォーターもトルコほど飲まなかったなぁ。飯を食べるたびに基本的に飲み物も頼むから(別に頼む必要はないのだけど)それほど必要性がない…わけではないのだけど、個人的な好みを申し上げるとモロッコ料理を水で食べるのがあっている気がしない…。※余談ですが僕は水でご飯(何料理か問わずして)を食べるのに違和感がある


まぁ多くの質問はここらあたりなんですけど、僕はモロッコに行ったからということではないのかもしれませんが、色々と彼らから学ぶことがありました。彼らの生きる世界では当たり前のことが僕の世界では当たり前ではなくて、彼らの思う正しさではないけども誠実さとかそういう心意気みたいなのをすごく感じられる旅行だった気がします。たしかにね、それを日本でやられたら「迷惑だよ!」とか「いい加減にしろ」という気持ちが湧くことも多いですが、それは別として、日本の美徳感を抜け出して彼らの感じていることを受け取ってみるとその自由な感覚に驚きと感動を覚えるものです。彼らの気持ちは常に開かれているのだなぁと感心しました。全部が全部そうであるべきではないけども、そういう風に暇さえあれば用もなく電話してみたり、友達の友達は友達だ的な発想だったり、深い意味もなく前向きに生きている姿というのは見習うものがあるなぁと思いました。

また時間とお金を貯めてモロッコにいきたいです。

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話20(帰国へ・モロッコ9日目)

2013-11-22 19:52:47 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

「フェズ」の街をあとにし「ラバト」を見学し「カサブランカ」に帰ってきました。いよいよ今日は帰国の日となります。


9月25日 現地時間07:00

朝食。



あー日本に帰るんだなぁ。なんか気づくとモロッコにはまっていた僕は本当に帰りたくない気持ちがどこかありました。

ハサンと合流し、空港へ。
いやハサンさぁ、朝渋滞するの知っているんだったらもっと早くホテル出ようよ!(汗
ハサンが「モロッコどうだった?」みたいな話をしているときはまだよかったけど、フライトの時間に近づけば近づくほど皆無口になるって…。僕もね『あ、これ間に合わない可能性もあるんじゃね?』と思ってました。

でもさすがハサン。余裕はないけどちゃんと空港に着きました。これ僕初めてだった(と思う)んですけど、出国カードを書きました。出国するときも入国するときみたいなカードを書かされていたんですが、これを確認する審査官がマジ手抜き。僕の方は宿泊先を記入せずスルーするのに、Mさんが並んだ審査官は「宿泊先は?」とか聞いていてそれに「ホテル・アブドゥール」とかテキトーに答えて通過してしまいます。だったら聞くなよ、書かせるなよ!

ハサンとは出国の審査の入り口で別れたんだけど、僕の人生であまり見送られることってなかったのだけど、こういう形の別れっていうのは寂しいんですなぁ。あー、ハサンありがとう。またいつかモロッコに来るよと本当に思いました。こうしてモロッコの大地を飛び立ちました。




9月26日 現地時間03:00頃

カタール国際空港で日本行の飛行機を待つ。ただ待つ。



成田行きの飛行機では座席のダブルブッキング的な現象が起きて某大手旅行代理店の添乗員の英語や段取りに度胆を抜かれました。CAにここは我々の席なんだけどもと言ってチケットを見せたら、日本人の裕福そうな年配の女性たちが「そーりーそーりー」といって同じ日本人の僕に席を替わってくれました。

9月26日 日本時間18:00頃



無事成田に到着。クロックスで国際線に乗っていたのは僕しかいませんでした(何。

次回モロッコ旅行の総括をしたいと思います。

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話19(フェズからのラバトのカサブランカ・モロッコ8日目後半)

2013-11-19 23:29:16 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

午前中「フェズ」の街を自由散策をし、ガイドのハサンと合流して陶器工場まで来ました。書いていないので当たり前ですが、僕はどこへ連れて行かれても基本的にお土産を買わないので紹介が淡白になってしまってます…。さて迎えた午後、モロッコ旅行もこの日がほぼ最終日となります。

9月24日 現地時間13:30頃

「よぉし、次はお待ちかねのなめし皮工房へいきまっせ」とハサン。お待ちかね?なのかはさておき、革工場の現場を見たことがなかったので興味津々。



そういえばと思い出していたんですが、たしか今年やっていたアンドレアス・グルスキー展にもこんな作品があったような。革工場ってにおいがきついとよく言われていますが、ここはそんなにもにおいがしませんでした。工場長的な人が説明してくれたのですが、今となっては何も思い出せません。「赤色は〇〇が原料で~」とか言ってたんですけど思い出せない…。あ、このおやっさんもいい人です。




「じゃあ、実際の製品をみましょう」とお店へ。

製品には全く興味がない小生はMさん待ち。モロッコ土産としては定番の「バブーシュ」(革でできたスリッパ的な履物)もこれでもか!ってくらいカラーバリエーションがありました。



僕が座っているとおやっさんが「お前が履いているそれはなんだ?」と聞いてきました。僕は2日目以降ずっとクロックスを履いていたんですがモロッコだとすごい目立ちます…おやっさんにこれは「クロックスって履物なんだけど…どこのブランド化はよくわからないんだけど、科学樹脂でできてる」といったら「いくらぐらいするんだ?」と聞かれれて「デザインにもよるけど日本で3000円くらい」といったらおやっさんが「くはっ!」って驚いてました。ちなみにここで売られているバブーシュも3000円くらいする高級品でした。

それからフェズに別れを告げ、首都「ラバト」へ。「首都なんだけど観光的には何もないんだよね」という烙印を押された街。実際ほとんどないわけですが。

僕はラバトに着く間の記憶がごっそり抜けおちているんですがなにをしていたんでしょうか…。唯一覚えているのがMさんがスーパーマーケットいったときに「英語を話せないからってイエスとメイビーしか言わないのはよくない」とハサンにマジ説教されてたことしかないですなぁ~(笑。いやそれ以外は何をしてたんだろうか…寝ていたという気もしないんだけど、突然ラバトについてます。



ハッサン塔です。未完成だそうです。完成する予定もあるのかもわかりません。



そのあと近くにある崖沿いの観光スポットへ。が、しかし、無念のタイムアップでそのビューポイントへ行くことはかなわず。




とりあえず海は見ることに。久々の大西洋に落ちる夕陽。すばらしいなぁ。



ただここラバトでは、説教され凹んでるMさんがうーだあーだ言っているのを知ってか知らずかハサンは「ガイドブック持ってるならしっかり説明読んでくれ、持ってた方がいい」といって送り出してくれました(笑。僕もなんでハサンがこんなに鼻息荒いのかわかっていなかったんですが、考えてみれば昼飯食ってないんですなぁ(現在18:30)。僕は体調があまりよろしくなかったこともあって飯なんかまったく気にしてなかったのですが、きっとハサンは「このジャパニーズ二人はいつ休憩をするつもりなんだ?」という気持ちに駆られていたんではないかと思う…。



個人的に思うことですが、日本人は基本的に休憩という概念があまりないのではないかと思います。とくに旅行のときなんかトイレ休憩以外はほぼ全力投球(全力のわりにリアクションは薄い)しているから、外国のひとからすると『え、行動や感情に起伏ないけど、それは修行なのか?怒ってるのか?我慢しているのか?』という疑問が湧いているに違いない。違うんだよ、我々日本人は「休め」といわれない限り「休めない」生き物なんだよ。別にそれは我慢じゃなくて「なければないで仕方がない」という心境なわけ…まぁそんなことが分かってもらえるわけもなく、ハサンに悪いことしたなぁと反省。

とりあえずご飯(昼ごはんなのか夜ご飯なのかは不明)へ。今日は「海沿いにいるからシーフードにするか」ということでシーフード。



またすごい量ですなぁ。すべてフライにしてくれてありがたい。もうギトギトだけどうまい。魚大好き!日本人に生まれてよかった\(^o^)/と魚の頭まで食ってたら「日本人は魚の頭食べるのか?」とハサンがびっくりしてました。昔はマジョリティーだったけど今はマイノリティーって言っておきましたがハサンに言わせると「頭なんか食ってないで他もたくさん食えよ」とのことでした。

あー、おいしかったなぁと夕陽を見ながら余韻に浸る。これでモロッコ観光も終わり、翌日飛行機に乗って帰るだけだ(1日かかるけど)。なんかしんみりしちゃうなぁと思っていました。



それからカサブランカのホテルまで行きます。もう僕ここらへんほとんど記憶に残っていないんですけど、夜真っ暗な高速道路をハサンが音楽爆音ならせてカサブランカに向かってた気がします。ハンドル持たずノリノリでした。でも周りの景色は「四国自動車道か?」ってくらい真っ暗なんですね(何。ちなみに後ろの席に座ってたMさんはスーパーで買ったビールを飲んでノリノリでした。なんか車中でお酒を飲む人類を初めて見た気がします。

そんなこんなでカサブランカに着いたはいいけど「ホテルが見つからね」と焦るハサン。みんなさすがに疲れていてハサンもうんざり感たっぷりでホテルを探していました。それぐらい場末感あるホテルだったんですよ(何。おかげでホテル名も覚えてないぜ!どうにかしてホテルについてクタクタ感あふれる我々はハサンへのお礼の手紙を書いて寝るのでした。

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話18(フェズブルーであって日刊ブルーではない・モロッコ8日目前半)

2013-11-18 18:14:16 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

山を越え「フェズ」という街までやってきた我々。アブドゥールがぶつぶつつぶやくように英語を話せば話すほど僕の具合が悪くなっていくフェズの夜。前日はひたすら移動を繰り返していましたが、本日もどどーんと移動をしていきます。

9月24日 現地時間06:30頃

朝、目を覚ますとそんなに具合は悪くない。
というよりここ数日一人になる時間がなかったなぁとなんとなく思ってました。この旅始まって以来何もしない時間っていうのがあまりになく(車の中ではほぼほぼ何もしていないのですが)久々に一人でいられる晴れ晴れしい気持ち…。

完全なカッコつけだと自覚もないわけではありませんが、僕はひとりでぼーっと街並みを見ていたり、空を見ていたり散歩している時間が絶対的かつ定期的に必要で、ひとといすぎると一人でいたくなる天邪鬼な無職です(何。それでいて一人でいすぎると誰かと話したくなるという痛い無職でもあります。

というわけでひとりで屋上に上がってぼーっとしてました。



フェズの街はどの街とも同様に朝出歩いている人間はほとんどいません。朝一のアザーンが鳴って礼拝に行った彼らモロッコ人は一体何をしているんだろうか。日本人が夏休みにラジオ体操からの二度寝決め込むのと同じなんだろうか…ひとの行き交いなんかよりもツバメの飛び交う数が半端じゃない。ん?ツバメってモロッコだと季節関係ないのだろうか…。



~08:00~



前日アブドゥールから「朝ごはん何時にする?」と聞かれ「8時」と約束していたわけだが、当然8時に朝ごはんなんか出てくるわけもなく「今から作るからw」とか(知ってた)。さて一時間遅れの朝食をいただき(写真も残っていないのでうる覚えですがこの日もひたすらパンを食べた気が…逆にパン以外なにかあるのかって話ですね)、しばらくフェズの街を出歩くことに。



前回もご紹介した通り、フェズの道は細かったり狭かったり広かったり入り組んだりしています。この後、革製品の工場にもいくのですが、革製品を取り扱うお店がすごく多く、その手が好きな人はすごく楽しい場所なのかなと思います。








モロッコ滞在中多くのこどもを見かけたのですが、この子たちの学校はいったい何時から始まって何時に終わるのかよくわからない。ハサンに聞いとけよ!って話なんですけど上手に聞ける自信がなくて聞きませんでした…でもまぁ海外ではおなじみのランチタイムは家に帰って飯を食うという文化みたいでした。察するにこども一人一人のバックグラウンド(家業や立地など)が違いすぎて定時に全員絶対集合ということではないんだろうなぁ。




とのんきなことを思ってフェズ探索している間にも圧倒的に僕の体力はなくなり嫌な汗をかきまくった挙句「ごめん、リアド帰るわ」と一人リタイア。ひさしぶりに熱がある時に無理して仕事したみたいな感覚を9月のモロッコで味わうことになるとは…。

~12:00~

ハサンと合流。ハサンに「具合はどうだい?」と訊いたら「昨日よりいいよ」とか言っててなぜか頭に来る(何。

さてリアドをあとにした我々はハサンの車に乗り「王宮をみにいくぜよ」というので行くことに。



立派な門がここにありますなぁ。いまでも王族がフェズに来たときには利用しているそうです。ハサンに「あれはいつ建てられたんだ?」と訊いたら「いつだったかなぁ…17世紀だったかな?」的な話が帰ってきました(涙。え、わざわざ連れてきたのに詳しくないのか!



そんな軽快なガイドを受けながら周辺に広がるユダヤ人街を通り抜け、次に「フェズが見下ろせるいい場所があるぜよ。この世を洗濯し申す」と彼が言うので行くことに。(※ハサンと龍馬は全く関係ないです。ハサンは日本に来たこともありません)このとき気付いたのですが僕はハサンと会ったらそれでも快調に話をしていました…どこにいった俺の体調不良。

とにかくこのときはハサンの言う「ジューウィッシュ」とか「ジュー」が聞き取りづらくて…というより恥ずかしいことにその単語を日本人が耳にする機会があまりなさ過ぎて意味がぽんと出てこない。僕らが「?」な表情をすると「アブラハム」と言い換えてくれるところはたいへんありがたいところであります。(ちなみにこれと全く関係ないですが『アブラハムの子』(アブラハムは7人の子♪)という歌はアメリカ民謡を日本人が歌詞をつけただけで直接ユダヤには関係がないです※諸説あり)



さて、ちょっとした丘に到着。ほほー。たしかに起伏がある場所に街があるのぉ。

よぉし「次は陶器の工場にいくぜよ」といって陶器工場へ。



フェズは陶器の街としても有名で前回も少し触れましたが「マラケシュ」が赤色の壁(そっちの地方の土が赤いから)でできているのに対して「フェズ」の街は白い壁(こっちの土は白いからといってました)でできていて、かつこちらではフェズブルーと呼ばれる青い模様を入れた陶器が有名だそうだ。王宮の門でもそうでしたが、イスラム圏の豪華な建物ではタイル細工がつきものですが、モロッコのそれらはこの街でつくられていたとか。ただなんでこの街なのかはさっぱりわかりませんでした(何。





トルコにいった時も同様の工場を覗いているわけですが、まぁどこも一緒で職人が一生懸命作っている体です(ぉ。いや一生懸命作っているんですけど、うん、もうこういうのを海外行くたびに見せられると驚きがなくなってしまうのも残念なことです(汗。






<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話17(アブドゥール無双inフェズ・モロッコ7日目後半)

2013-11-13 18:49:18 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

砂漠の街「メルズーガ」をあとにした我々は古都「フェズ」に向かっていました。途中いろいろな寄り道をして山を越えようやく「フェズ」に至るのでした。


9月23日 現地時間18:00頃




朝の10時くらいから車に乗り続けてアッという間に夜18時。そして「フェズ」に到着。



もうこのときには僕とハサンの体調不良はなかなかなもので、会話が雑なんですよ。雑な発言をするか無言になるか。これは疲れと風邪のダブルパンチですね。まぁただお互い『もう宿だ』と思っていたに違いなく、フェズの道端に車を停め、スーツケースを持って小道を永遠と進んでいく…小道というか袋小路です。来た道なんぞ思い出せないぐらい細い道です。


※左側の建物。写真はもっと夜のもの。

人込みをかき分けたどり着いたのがこちら「Dar Lmallouki」。本日はこちらのリアドに宿泊します。袋小路を歩いてくるとただの壁にしか見えないのですが、この看板が唯一の案内でここの下にある扉をくぐると立派な家になってます。



正直、立派すぎて最初意味が分からなかったです。どこまでが自分たちが使える領域なのか。中央の広間を挟んで左右にベッドが一つずつ。シャワーは片方の部屋の奥に一つ。2階がキッチンになっているらしく、3階、4階が従業員の部屋で5階が屋上。「5階には洗濯機があるよ」とスタッフのアブドゥール氏がいってました。…で一部屋なのか二部屋なのかどっちなのか…他に宿泊客がいるのかわからないまま、ここでハサンとお別れ。去り際のハサンのぐったりした感じを僕は忘れません。水をシェアするのはやめましょうw



さて夕食まで時間がかかるとアブドゥール氏(基本清掃担当といってました)とシェフの…某さん(名前を失念)。「今からマーケットいって買ってくるから楽しみにしてな」。いやまぁそりゃぁ頼もしいけど、いまもう18時過ぎなのだけど今から買いに行って作るってか。それ『夜ご飯が21時とかのパターンじゃないのか、これ』と思いながらも、ここで間抜けなジャパニーズ2人は「夜ご飯は何時になる?」としっかり聞くわけだ。

「夜ご飯は何時になるんだい?」
「何時がいいんだ?」
「え…19時とか」
「いやそれ無理だよw」
「(ですよねー)じゃぁ、20時半は?」
「よぉぉし、そうしよう\(^o^)/」

さてさしあたって2時間の猶予ができた我々は夜の「フェズ」を出歩くことにしました。



おー、なんかマラケシュとは違った雑多感。あっちが赤い壁なのに対して、こちらは白い壁。しかも狭い。壁に囲まれまくっている。メインの通りで幅3メートルくらいで狭い道は1メートル(それを道と呼ぶかも怪しい)くらい。なにかしら売ってます。一応、革製品で有名な街なので革製品のバッグやバブーシュ(スリッパ)などがたくさん売られてます。



もちろん衣料品や



食料品までなんでも売られている。

ただ問題はメイン通りから外れると自分がどこにいるかさっぱり分からなくなる。マラケシュのスークなんか目じゃないくらい迷子。そしてこの街、不思議なことにちょっとした崖というか丘の上にあるから異様にアップダウンが多い。歩くのはそこそこ疲れます…。

それとハサンにも言われましたが「夜(21時以降とか言ってたかな)のフェズは危ないから出歩かない方がいい」そうです。ああ、物騒とは感じましたね。メイン通りは絶えず人が行き来していますが、一本入った路地は灯りもなく人もおらず、マンハッタンの路地と同様の不気味さを醸し出してました。そして日本人は目立ちます。マラケシュと違って日本人をあまり見かけなかったですね。



そんで最終的に回っている間に約束の20時半が近づき、調子のって道をショートカットしたら迷子をこじらせ路地を永遠とさまようことに…。まぁでも何とかなるんですよ。五体満足で無事にリアドに帰ってきました。


帰ってきたらもちろんのこと食事の準備が整っているわけもなく(汗、待ちぼうけ。「アブドゥール!部屋は両方使っていいのか?」と2階にいる彼に訊いたら「明日の昼に他のお客さんくるからそれまでに片づけてくれるなら…」と窓越しにつぶやく。

『アブドゥール、しっかり答えなさいよ!なんで怪訝そうな感じで答えるんだ!』と思ったんですが、考えてみれば彼は我々をカップルだと思ってる可能性(実際は野郎が二人と見立ててほしい)とお前ら以外客いないんだから当たり前だろ?的な意味があったんではないかと今さら思う。

そう、結果的にわかったことであるが、このリアドにいるのは我々2人とスタッフ2人だけなのである。すげー、豪華なのかなんなのかわからない\(^o^)/

料理ができるまでwifiでネットをしているとそこに男性が一人現れる。Lmalloukiさん(ルマロォキでいいんだっけか)。このリヤドの持ち主兼経営者である。わざわざ挨拶に来てくれたらしい。「いや本当は一緒にご飯でも食べたいんだけど、あいにくこれから外せない用事があってそっちにいかないといけなくて挨拶だけでもと」といって去っていきました…ほんとこの国は人が現れては消えていく。

さて我々が予想していた通り料理が出来上がったのは21:15。知ってた(何。



中央の広間にあるテーブルでいただくわけだが、僕らは全く想像していなかったのだがどうやら僕らはスタッフ二人と一緒に食事をするみたいだ。なんかすんごく意外というか不思議なんですけど…。

メインディッシュはヤギの肉団子のタジンです。ちょっとしつこいというか苦みがあるヤギ肉にトマトとオリーブで味付けされたタジン(だったと思う)。ここでもモロッコ流体育会ルールが適用され「おい、アキ(僕のこと)、食わないのか?」→食べます!→「おいしいか?」「おいしいです」「じゃぁもっと食えってw」。なにここ\(^o^)/

風邪に体力を奪われている僕にとっては痛恨の一撃でした。軽い葉っぱを吸い始めたアブドゥールに興味を示した僕の連れのMさんが「私も吸ってみたい」とか言い出して吸っているのを見て、なかなかどうしてこうこの人は能天気なんだろうかと疑問に思うとともに「俺を寝かせてくれ!」と心底思っていました。アブドゥールが「夜景が見られるいい場所がある!」とかいって外に行こうとか言っているんだけど、僕はリアルにもうそれどこじゃないから「ごめん、僕は具合悪いので寝ます」と辞退。そしてMさんとアブドゥールとシェフは夜の街に消えていきました。昨日の今日であの人は『懲りないんだなぁ』と本当に思いました。

さて誰もいなくなったリアドで僕はとりあえずシャワーだけは浴びたいと思ってました。気づけば前日はどっかの誰かさんのせいで夜の1時まで砂漠で取り残されてそのまま布団に入ってしまったからシャワーを浴びたいのである。シャワー浴びようとして気付く。シャンプーも石鹸もなにもないじゃん(笑。そしてここには誰もいないじゃん。でももう浴びるしかないじゃない。ああ、温度調整が抜群に難しいシャワーだって僕にとってはもうどうでもいいことでした…。

部屋の鍵も閉めず爆睡。しばらくしたらMさんが帰ってきたのには気づいたんですが、余裕なし。おやすみなさい。
※Mさんは夜景を見に行ったとアブドゥールがDJやってるクラブにいったそうです
※これでアブドゥール本人の写真がないのだからもうネタでしかない(何

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話16(どんな門じゃい!・モロッコ7日目前半)

2013-11-11 16:20:09 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

砂漠の街「メルズーガ」。ラクダに乗り、車に乗り、砂漠を駆け抜け、現地の音楽グナワに酔いしれ、悪酔いした連中にお見舞いされ砂まみれで眠りについた前夜。世の中は駄目な大人で回っています。


9月23日 現地時間07:00頃

シーツが砂だらけで目が覚める(何。
あいかわらずのうんざり感が僕を支配していますが、とりあえず同部屋の連れにかける言葉もないし、きっと一緒にいたら口論になる(僕の精一杯の嫌味がさく裂する)だろうから部屋を出ました。もちろん、連れに対してもそういう点で気まずいのだからホテルスタッフに対してだって同じである。…するとだ。居場所はもう一つしかありません。砂漠です。



砂漠におかれた椅子にすわり朝日を見ながら『あーいいなぁ、大自然って』と堪能。そう。ここに何しに来たかって大自然を堪能するために来たんだって思い出しました。”静寂と自然”に勝る演出はこの世の中にないです。

現地時間 09:00頃

朝ごはん。たしかこの日もパンケーキとかパンを食べていた気がします。なにを食べていたかはさっぱり思い出せないけど、どこの席でどういう感じで食べて、何を話したかとかは全部思い出せるんですけど、食べたものだけがすっぽり抜け落ちてます。それだけ僕も食事なんかそっちのけで生きていたんでしょう(何。

~約1時間後~

ハサンと合流。「昨晩はどうだった?」と聞かれたんだけど「どうもこうも…うーん、最高だったよ」としか言いようがないですよ。



ただ誤解のないように言っておきたいのは、僕は彼らホテルスタッフは好きですよ。面倒といえば面倒ですけど基本的にはやはりいい人というか親切だと思うし、いい意味でホテルスタッフとしての自覚がない感じが素敵だと思う。『わたしモテないわ』と思っている女性の方がいらしたらぜひとも行ってほしいです。モテ期を自覚するかどうかは別として(僕の連れはこれでなぜか自覚なし)モテると思います。もちろん野郎でも十分楽しいです。普通砂漠で相撲レスリングはやらないです…というかやれないですから。

今日はここから砂漠に別れを告げて北へ向かいます。山を越えて「フェズ」という昔に都が置かれていた街に行きます。ひたすらドライブです。ただこのとき僕は自分の体調が悪いことに気付いていませんでした(汗。

原因はいくつかあると思うんですがまぁプールでしょうね。それと前夜、部屋に入れなかったのもあるんでしょうなぁ~(何。若干風邪っぽいなぁと思いつつも、ガイドのハサンと水のボトルをシェアするということをしていたためハサンにも風邪をお見舞いしました(汗。事実、この日、前列にいる2人は自然と口数が減っていくのでした…。



さてそれはもともかくまずは「リッサニ」の街に一度寄ります。前日砂漠を走るためにタイヤから空気を抜いていたので「空気を戻すべ」といってハサンがガソリンスタンドへ。「空気入れている間にあの門見ててよ」と言われたものの…『どんなもんだ』と思わなかったけども普通に門です。砂漠に比べて感動が薄すぎて駄目ですな(汗。



さて準備万端。いよいよ山へ向かいます…が「ちょっと一昨日のとこもう一回いく」と言い出すハサン。



なんでまたここにきているのかさっぱりわからなかったけども、ここでもやはりハサンの友達と話して10分くらい待っていた気がします…。

さて数日前に越えた山とは場所が異なりまして、比較的緩やかな山ですが緩やかな分だけ眠くなります。僕は寝てました。そして途中でとあるホテルに立ち寄り、昼食。立派なホテルなのでバイキング形式でおいしかったです。ここで日本人女性とエジプト人男性の夫婦と話す機会があって、そちらの方も砂漠からフェズに向かっている途中だといっていました。たしかにこのホテルでご飯を食べている日本人が多かったです。




気を取り直してドライブ。車内に流れる音楽が何巡したかわからないぐらいのときに雲行きが怪しい。



どんよりした空気に突風。軽いダウンバーストが発生していますな。



そして土砂降り。



簡単に道なんかなくなっちゃいますよ(汗。初日にお見舞いされた雨を彷彿とさせます。ハサンも「いやぁ季節の変わり目だからねw」とまた同じことを説明してくれました。



それから少しすると雨はやみました。気づかないうちにかなり標高の高いところまで来ていたらしく、出発した時とは景色が一変。山間に草原が広がりヒツジやヤギが闊歩する。なんかアルプスみたいでした。

「YOU達、野生のモンキー見たことあるか?」と突然ハサンが話し出します。『え、日本だとたくさんいるんだけど…』と喉まで出かかったセリフを飲み込んで「サル?」と聞き返すと「この先で野生のサルがいるから見せてあげるよ!」とご機嫌なハサン。そしてこれがサルです。



ニホンザルとあまり変わらないなぁ。ハサンが「エサあげろ、エサ」というので与える…なんだろうなぁ、この罪悪感。この野生動物に餌付けする罪悪感。現地人がいいといっているからいいんだろうけどちょっと気が引ける。



一通りサルを見て楽しんだ後に「日本では餌付けが禁止されていて、サルが人間を襲ったり、自分たちで餌を取れなくなったりしている」とハサンにわかりづらい英語で言ったら「あ、そうなんだぁ」で終わりました…。

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話15(千夜一夜物語しんどBad編・モロッコ6日後半)

2013-11-03 21:20:24 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

旅行6日目。プールに入って休憩しようと思っていたのにホテルで異文化コミュニケーション(モロッコ人、スペイン人、フランス人、イタリア人、日本人の酔っ払い会談)を堪能してしまった僕は、エンジンかかってきたモロッコ人に連れられ再び砂漠へと出かけるのでした。


9月22日 現地時間 17:30

なんだよー、全然、昼間のとは違うじゃないか。昼間は硬い地面だったのに完全に砂丘走ってるよ。





砂丘の途中に車を停め酒を片手に夕陽を楽しむ面々。なに、砂漠ってこんなアウトローなの(汗。



でも出かけてよかったなぁ、この人たちが酔っぱらってなかったらここ来られなかったと考えるとお酒に感謝したくなった。ありがとう、赤ワインのコーラ割り(「カリムーチョ」…スペインでは一般的な飲み方らしい)。





そしてホテルへ帰還。(なぜ酒が尽きないかといえば毎回ホテルに帰るたびに酒を買い足している同行者がいます。砂漠の街「メルズーガ」でもお酒を売っているところはしっかりあるみたいだ)



ようやくホテルへ帰ってきて日も隠れ始めたときに僕は当初の目的であったプールへ。気を付けないといけないのはこのプールは異様に冷たく、陽の出ていない砂漠は肌寒いことで陽が隠れてから入るのはお勧めしないけども、シャワーがわりに入るには一番手っ取り早いと思う。


現地時間 19:30

その後、夕食の時間のまえにホテル前でグナワの演奏会。





僕はこの時間を迎えるまでホテルのロビー・レセプションのところにいたのだけど、やたらスタッフが話しかけてくるんだね。旅行して6日目を迎えればモロッコ人は話好きだとしっかり理解していたが、ここの人たちは異常に話しかけてくる。『え。なになに、どうしたどうした』って思ってしまうぐらい取り囲まれる。最初はこの人たちはほんと話好きだなぁと思っていたのですが、これがのちのち理由が判明することになります。





さてグナワの演奏を聴いていたんですが、途中から「みなさん一緒に踊ろう」という下りになって僕は遠くに座って写真を撮っていたら、僕の腕を強引につかんで引っ張るやつが現れる。従業員Aさん、お前か。僕を強制的に踊りの輪の中に放り込み「一緒に踊れ」といわれ、もう逃げ道を失った僕はアメリカ人、フランス人、日本人が輪になって踊っている中心で踊らされる羽目に…(残念ながら僕自身が踊っているので映像・写真はありません)。なんだこの羞恥プレイ。最後まで輪の中心にいさせられた僕の気持ちは…。



そして宴も終了し、夜ご飯。簡単なビュッフェ形式。



あー、おいしゅうございました。本当に料理はおいしいです。ここはホテルですが、ホテルで大量に作ったご飯じゃなくてしっかり作ったなぁと思う料理が並びます。個人的にはホテルではここが一番おいしいと思いました。

そんでまたご飯を食べ終わってレセプション(ここしかwifiができないので)にいたらみんな集まって僕に話しかけてくる。一瞬『まさか「アッ―!」ってやつが俺の身に降りかかろうとしているのか、これ。異国にてモテ期きたのか』とかなり深刻に思ったのだけど、話しているうちに次第に気付く。どうやら僕からMさんの情報を仕入れたいだけなんだと(汗。なんだよぉ、モロッコまで来て僕は勘違い男になっていたのかよ「アッ―!」(違。モロッコで必ず「カップルか?」ときかれるのでその度に"Just friend"を答え返していて、ここでもそれを言っていたので彼らは彼女を狙っていいと心得たようだ。愚かしくも…。

それはともかく、どうやら日本人の女性はかなりモテるらしい。Mさんがどうこうではなくて。このあとぬらりくらりとスタッフたちと話していて「日本人の女のどこがいいの?」と訊いたら、まず「ベールをしてない」のがいいらしい。僕からするとベールしてた方が神秘的でエロく魅力的に見える気もするんだけど、彼らからするとオープンな感じでイケイケな感じに見えるらしい。
つぎに「コンピューターを使える女」だかららしい。よくわからなかったんだけども、パソコンや携帯を颯爽と使う女性はすごいクールらしい。すごい知的に見えるらしく、モロッコには存在しない女性像で魅力的らしい。僕はそれに「でもパソコン使えても”料理できない”とか日本の女性は一緒に生きていきにくい条件もあるのを見落としてるぞ」といったんですが、彼らにとってはそこは今この状況においてあんまり関係ないそうです…。

そんなこんなで僕はモロッコ人と連れの間の板挟み。みんなはお酒を飲んで楽しいのかもしれないけど僕にとって何もうまみがない…しいて言えば英会話を楽しむ程度の話で、ここには野郎しかいないし(モロッコ人女性は夜中にいません…というかホテルスタッフにいない。完全な男社会ですわ!)。『あーひとりでスマホいじりてぇな』とか思っても逃がしてくれない。
僕はもうこのときばかりはうんざりしていた。初日のクスクス以上にうんざりしていた。お前ら自分で何とかしろよ!と思っても肝心のMさんが英語が不自由という残念な状況に僕も絶句。まだ途中、向こうのスタッフと相撲やってた時が楽しかった(何。そして夜の砂漠にあるモロッコ人と消えていった彼女。『良い大人なんだから自分で何とかしろ』(これが僕が他人に対する気持ちの根底にあるのだけど僕自身もまたそれができないわけで、結果的に人類皆そういう点はだらしない)と思って、それについていかなかったものの一つ問題が起きていた。

俺、部屋の鍵もってねーじゃん…

うんざり。時刻はすでに深夜零時をまわり、部屋に帰らずバカみたいに話し続けているのは僕らしかおらず「お前は部屋戻んないのか?」と聞かれて「いや、俺もってないんだよね…彼女が持ってるから僕はもうホームレスです…」と答えたら「バカだなぁ」と笑われました。笑いたいのはこっちだよ、良い大人が部屋の鍵なくて待ちぼうけとか(涙。
途中、正直いろいろいやな場面に出くわしたくもないので探しに行きたくなかったんですが、「いや、スペアキーもこっちで探しておくけど、探しに行けって」周りに言われ、しぶしぶ夜の砂漠に出かけて行ったんですが一緒に探してくれてるスタッフが「あー、彼女は帰りたがってるから帰ってくるよ」というのでホテルに戻ってしばらく5分くらい待っていたら、すげぇご立腹した日本人が帰ってきた(笑。なにかよからぬことが起きていたようだ(察し)。

そしてその後は30分以上僕は残念な日本人と残念なモロッコ人の間で板挟みになり、さらにうんざり。あー、砂漠の砂になりたい…心底そう思ってました。このひとたちは僕がどんな気持ちで間に立って話しているか、考える余裕なんかこれっぽっちもないわけ。ね、途中僕は廊下ですれ違ったアメリカ人女性に「うるせーよ」と怒られ、うんざり度急上昇ですよ。いいかい、誰に言いたかったわけでもないけど「誰とも今は話したくないのは俺の方だ」いうセリフを心の隅でぐつぐつ煮込んで、あと少しで柄杓でぶちまけてやろうと思ったけども『それをやったらきっと明日からこれは旅行として成立しなくなる』という現実を考え飲み込みましたよ。そんで僕は視点の定まらぬ双方のことの顛末というか言い訳を聞かされ「しょーもな」と思い、布団に入ったのが深夜1時過ぎって…なんだよ(涙。

こうして僕は節操もって人づきあいをしたいと思ったし、やっぱり外国でお酒を飲んで調子に乗るなんて命知らずだなと一人モロッコの地で思ったわけです。いやぁもう5歳若ければそれはありだけど、27にもなってそんな橋渡ってどうするんだと人様の生き様を見て思う。ああ、絶対あーにはならない。これを千夜一夜物語<アラビアンナイト>の一つとして寄贈したいと今では思うが、当時はただただうんざりしながら砂まみれでベッドに入り眠りについたのでした。

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話14(すごぉ~いどうでもいい話・モロッコ6日目中盤)

2013-11-02 06:54:01 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

砂漠の街「メルズーガ」。前日はラクダに乗って砂漠の中で一泊し、明くる日ホテルへ帰ってきた我々を待ち受けていたのはハサンの豪快な運転でした。砂漠を存分に味あわされた我々は昼食を食べるためにホテルへ帰ってきたのであった。


9月22日 現地時間 14:30頃

ホテルに帰ってきて昼食をいただきました。これでもかっていうトマトのサラダとおいしいケバブを食べた気がします。
旅行の最終日までハサンには黙っていたんですが、僕はトマトがダメです…がモロッコのサラダにはもれなくトマトががっつり使われているので人生始まって以来トマトを食べました。まさに苦い思い出(何。



とくに夜まですることがこの日はなかったのでホテルのプールで休むかぁと思っていたら、ホテルスタッフに話かけられ、そのあとハサンとハサンのガイド仲間とホテルの宿泊客のスペイン人(だったと思う)とイタリア人と一緒に話に加わり、時折たまたまドイツから来てる日本人客を交えて2時間くらいいろいろ話してました。

ここで僕とハサンとハサンのガイド仲間がずっと悪乗りで盛り上がっていて、誰かが何かの話しすると「え~~~」「すごいねぇぇ~」「なにぃ~~?」という日本人的な相槌をうって爆笑するということをずっと繰り返していました…僕はしらふですけど全員飲んでます。

ハサンは日本語をほとんど話せないのですが日本人を相手していると必ず日本人が口にする言葉があるといってました。

それがまず「え~」。たぶんですけど日本人が何か説明を受けたときに「へぇ~」といっている言葉が彼には「え~~」と聞こえるらしく、日本人は何かとこれを言うなぁといっていました。もちろん日本人的には意味のない言葉というか発音ですが、きっと彼には意味のあるリアクションだと思っているんだろう…ごめん、ハサン、それには本当に意味がないんですわ。

つぎに「すごぉい」という言葉をよく聞くらしい。ハサンはこの形容詞の本当の意味を知らないはずだが、この言葉も日本人にと手はすでに形骸化した言葉でもう正確な意味をなしてない。「アメージング」とか「グレート」みたいなもんだといったんだけど、なんでも使えてしまうからこれに該当する意味合いをうまく伝えられない…でも面白いみたい現地のひとからすると。

あと「なにぃ?」も良く言うらしい。僕はあまりガイドに質問しない人間なので(なんのためにガイドを雇っているのかさっぱりわからないけど)「なに?」と言わないのでわからないけども、「なに?」といって質問している日本人なんか本当にいるんだろうか…。What is this?とかWhat is that?で完結するような気もするが…でも日本人のおばちゃんたちは言ってるかぁ。飯とか指差して「これなに?」って。

日本人のおばちゃんたちの素晴らしいと思うところは最初から英語を話すことを放棄して日本語で悪びれず攻め続けるところだよなぁ。ああいう流されない姿勢は若者世代も少しは見習わないといけない…とくに海外に行くとそんなもんだし。帰りのカタールからの飛行機でもクラブツーリズムのおばちゃんたちと席がブッキングした(これはおばちゃんにミスがあるのではなく添乗員が終わってた)ときも僕はCAに「ここは僕の席です」と英語でいっただけなのに、それを聞いたおばちゃんたちが「ごめんなさい、そ~り~、そ~り~」って僕に言ってましたが、僕がたとえナニジンであっても意思を伝えることは大事だなぁと思う…ドイツの電車では中国人に無言で八つ当たりしている僕がいましたが…。

あと日本人の「大丈夫」という言葉の意味はすごい理解してました。ハサンが最初「ダイジョウブ?ダイジョウブジャナイ?」「ダイジョウブ ハ ダイジョウブジャナイ」とか、なにわけわかんないこと言ってるんだと思っていたんですが、日本人がいう「大丈夫」は「大丈夫じゃない」の意味だということを言ってて、僕らは本心で「大丈夫」といっているんだけど「それ無理して大丈夫っていってるだろ?」ということを面白がってました。

たしかになぁ、言われてみればそうなんだろう。僕もこんなにネットでは一人で発言するのに普段寡黙に暮らしている方の人間だから(時と場合にもよるけども基本的には根暗)ハサンは最初僕があまりにも黙っているから怒っているんだとずっと思っていた…はず。『いや怒ってなくて、なにも我慢してないし、絶好調なんですけど』と思ってても「おい、大丈夫か?」と聞いてきてそのたびに僕は「何も問題ない」という会話をずっと続けるものだから不可解だったんだろうなぁ…あれですよ、僕はあまり変えるつもりないですけど外国いったら日本にいる時以上に愛想よくおしゃべりじゃないといけないですよ(汗。

そもそも何を話していいかというよりも、話すことも大してできないわけだから(僕が持ってる形容詞なんてスズメの涙程度だし)、僕の性格からしても旅行中にあまり話をしない。わざわざ現地の空気を全身で味わおうとしているのに僕にとっては黙って外を眺めて物思いにふける(むしろ物事を忘れる)ことが最大のご褒美なのだから、怒っているじゃなくて、黙っているわけでもなくて、空気になっているんですよ(何。

でも、それ日本人でも伝わらないですね…。やたら自分の写真を「撮れ」「撮れ」いったりしてるひとがいますが一体どこでその写真を使うのかという疑問よりも、その行為の意味や動機がいまいちわからなくて、自分がそこにいたことの証明なのか、それでここにきた経験としてそこで一つ区切りをつけているのかわからない…たぶん僕があちらさんを理解できないように向こうもこれを理解できないのだろうけど、そこでなにかを感じて自身のなかで消化してなにか答えなり真理なりを還元したいというような精神思考の尊さが僕にとっては旅行の中ですごい重要だと思っていて、カメラを持っているわりに写真を撮らないことで外国人をしばしば驚かせます。「なんでこんな雄大な自然の中にいるのに写真なんか撮ってるの?撮ってる場合か!」って思ってる節があり、またそれは会話も一緒で「ここで話している場合か!」って思っている部分もあり黙ってる時間を大事にしている痛い大人です、僕は。

さてそれはともかく、ここでも相変わらずかたくなにお酒を飲まない僕にバカウケしているガイド2人があとで姿を現したフランス人女性を誘って「よぉし、ハサンの車でラリー行こうぜw」と調子のって、再び砂漠に出かけることとなりました。え、お酒は!?

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話13(サンライズ・ラリー・ノマド・グナワ・モロッコ6日目前半)

2013-11-01 21:40:02 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

ラクダにのってキャンプに一泊した『東京砂漠』しか砂漠を見たことなかった僕。星を見るのを楽しみに来たのに、特別サービスですといわんばかりの月明りをいただいてしまい悔し涙を流し迎えた旅行6日目。




9月22日 06:00

ハエ。

ハエ。

ハエ。

「トラ、トラ、トラ」ならぬ「ハエ、ハエ、ハエ」。砂漠の朝はハエの襲来とともに始まります。モテ期襲来です。こんなに多くのものから詰め寄られるのは生まれて初めてですってくらいハエが飛んでます。おそらく気温の低い時間帯に彼らは活動し、陽射しと気温の厳しい日中はどこかに隠れていると思われる。

そんなハエからの熱烈なラブコールをかいくぐり朝日を見に行きます。



砂丘を登り始めましたが、挫折。無理です。そんなことで必死になって砂山登っているよりも、じっと座ってハエたちと朝日を迎えた方が幸せです。こうやって自然の中に溶け込んでどうかしているときが一番幸せです。聞こえるのは「ぶーん」「ぶーん」というハエの羽音と、ときどき響くラクダたちのうめき声。だまってそこに溶け込む。「生きてるんだなぁ」と性懲りもなく思う。こんな上質も朝もない。



そして朝食「パンのフルコース」(写真はありません)をいただきホテルへ、ラクダに乗って帰ります(笑。


現地時間 12:00 「Auberge du Sud」

ホテルに帰ってきた我々…疲れた。
でもまだまだ一日は始まったばかり。約1日ぶりに再会したハサンは今日もパソコン片手に元気そうだ(笑。
(ハサンはここが地元なのでラクダツアーなんかについてくるわけもなく、昨晩はご両親・家族に会っていたそうです)

「よぉし、車に乗ってラリーしようぜ!」

と砂漠を走りに行くことに。そのパワプロで野球しようぜ!みたいなノリでラリーに出かけるあたりがさすが砂漠の民である。
もはやおなじみとなったハサン選曲のBGMを乗せて車は道なき道をひたすら走るのです→。




途中、岩場のところで停車。岩場に立ち「この岩の中に化石が入っているんだ」と説明してくれました。





そしていよいよ砂漠を「アドベンチャー!」(ハサン曰く)。



またしばらくいくと「ノマドのベルベル人(友達)がいるから、見に行こう」ということでお邪魔することに。



ノマド(遊牧)生活をしているベルベル人親子の家に上がらせてもらった。なんだろう…生きるってなんなのか考えさせられる。そもそも遊牧生活って捨てようと思えば捨てられて、ある意味資本主義に頼って街に出て働いた方が楽な部分も多分にあるだろうに遊牧生活を続ける意味。家と言えば聞こえはいいけども、移動ができるように木を重ね合わせて立てている小屋と呼べるかもわからない程度のものである。そこで一日何があるわけでもなく生きるために生きている…僕には想像ができないです。



彼らの生活に欠かせないのは水である。世界史だったか地理だったか覚えていませんが、砂漠の地域には優秀な井戸システムがあるのは皆さんご存知でしょう(何。僕もついつい何て名前だったか忘れてしまう(日本史・政経専門ですし)のですが「カナート」ですね。モロッコでは「レッタラ」と呼ぶそうですが。



ひたすら井戸を掘りまくってさらに井戸同士を横穴つないで地下水の水路を作る。そうすると地上には一切草も生えない砂漠地帯であっても、一定の間隔で井戸の穴が並んでいくことで水を確保できると。もともとは中央アジア(ペルシャ)の技術らしいですな。モロッコでも砂漠地帯の舗装されている道の横にはぼこぼこ井戸があるのを見かけます。

さてそれからまたしばらく突っ走り、黒人たちが住む地区があるというので見に行くことにしました。




彼らは奴隷で連れてこられてきた黒人たちの子孫だそうだ。彼らが演奏するのがグナワ。ただここら辺の説明をちゃんと聞いていなくて、僕は今でも理解していないのだけど、このグナワというものが彼ら自身を指すのか、その音楽自体を指しているのか、はたまたどちらも指しているのかいまいちわかっていない…もちろん、彼らが継承している文化そのものがグナワである可能性もあります。

少し調べてみるともともと宗教的儀式から端を発しているのはわかったんですが、どうやら歴史が定かでないそうです。ある情報によるとグナワは口承文化だったために記録がないらしい。加えて彼らの先祖がもっていた宗教観は多神道信仰らしく、その土着的な神への信仰に外からイスラム文化とくにスーフィズム(神秘主義)が上手に加わり、神への信仰方法に踊り、音楽をもって挑むという手法が導入されたことが今のグナワにつながっているらしい(個人的解釈でありますが)。

しかもこのグナワ音楽はもともと精神的なトランスを導くものであり、スーフィズムは一心不乱に回転してふわぁっと浮いてくる感じを体験することで神との対話というか一体化とまでいわないまでも高みにいたろうとする行為だけども、グナワ音楽は憂鬱な気分を吹き飛ばすためにあるそうだ。




実際それを見てみると観光用の演奏とはいえ楽ではない。なかなかのしんどさだ(汗。一心不乱に歌い、楽器を慣らし、踊る。それに圧倒されるのである。



そして昼ご飯を食べにホテルに帰るのでした。



<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話12(砂漠の旅ここはサハラ・モロッコ5日目後半)

2013-10-30 16:09:19 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

旅行5日目。朝「ブーマルン・ダデス」を出発した我々はダデス渓谷を見て「リッサニ」の街で体育会的な昼食のもてなしを受け、ようやく「メルズーガ」にある砂漠の真ん前にあるホテル「Auberge du Sud」に到着しました。



9月21日 17:30

陽も傾き始めた頃、ラクダツアーが始まります。
陽気なフランス人たちとともに砂漠へGOです。



ラクダに乗ったことがあるひともまれにいると思いますが、すげぇ疲れます。いやまぁ歩くよりかは楽なんだけど、これはこれでつらい。かなり揺れるし、高いし、砂丘を登るときはなんてことないですが砂丘を下るときはラクダもすべるのでスリリングです。



しかもですよ、僕は少しなめてました。てっきり30分体験的なものを想像してたら2時間くらい乗るんですよ(30分サンセット休憩がありますが)。途中から「ゴールどこですか?」「ゴールまだですか?」みたいな気持ちになっていました…。2時間ラクダから振り落とされないようにまたがった脚を内側にきゅっと締めつづけていると、地面降りたときのプルプル感っていったらありゃしないです。すごい魅力的でしょ。2時間も乗れちゃうんです。





途中ただただ揺られてもあれだからこういうときに流す音楽ってなにかなぁと考えていたんですが「日本に砂漠ってないから砂漠をうたった歌ってないよなぁ」という答えが…。それでも考え唯一思いついた曲が『東京砂漠』。内山田洋とクールファイブ。「あ~あなたがいればぁ~日はまた昇るぅ~この東京砂漠ぅ~♪」とラクダに乗りながら歌うジャップが一人いました…。





(ラクダツアー始まって2時間半後 現地時間20:00)

まっくら。こんなに真っ暗な世界があるのかってくらい真っ暗ななかキャンプ地に到着。ラクダから降りるわけですが、どこにラクダの糞があるかわからず自動的に糞に着地します。(砂漠にはバクテリアがいないので糞がそれだけで分解されて土や砂に戻ることがほとんどできず、ラクダ行くところに糞とフンコロガシありです)

さっそく夕食。タジンとパンです。注意点はキャンプに住み着いている猫です。追い払うのがめんどくさいです。



夕食を食べ終え、楽しい音楽の時間。



個人的にはこうやって深い意味もなく焚火の近くで音楽を聴くという、それこそアウトドアスイーツ女子憧れの風景にどっぷりつかるのは初めてでしたが、悪いものじゃないんですなぁ。となりに一人でビール飲みまくって酔っぱらって台湾人の女の子たちをやじったりテキトーなこと言って一人盛り上がってる日本人がいなかったらもっといいのにと思っていたのはさておき、一緒に来ていた陽気なフランス人たちが葉っぱを吸っていてその煙を近くで受けることで僕は激しい頭痛にさいなまれていたのもさておきですよ、こういうのはいいと思う。



そういう神聖さというはすごい貴重で、火が持っている神秘性、音楽が持っている神秘性、夜が持っている神秘性、砂漠に簡単な絨毯を敷いて地べたに座りそれらを全身で受けとる。ありのままのそのもの自身を受け取っている貴重さに幸せを感じるものです(がっつりスイーツ的な発言をしている僕です)。



まぁ砂漠といえば満点の星空というのがつきものですが、前々回言った通り満月ですから星は見えません(苦笑。これでもか、これでもか、という月の自己主張の強さにお見舞いされます…。また満月でないときに砂漠に来たいと思いました。



そして夜は更けていくのでした。

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話11(砂漠へいざいかん・モロッコ5日目前半)

2013-10-29 00:22:57 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

前日アトラス山脈を越え、世界遺産「アイト・ベン・ハッドゥ」、「ワルザザード」を通って「ブーマルン・ダデス」という街までやってきました。


9月21日 08:30

本日はいよいよサハラ砂漠を目指します。



ただ、その前にカスバ街道にある「トドラ渓谷」に向かいます。
カスバ街道を東に向かって走っていると右手にダデス川が流れていて、その向こう側にも山がありハサンがいうには「あそこで銀が採れるんだ」っていました。

いったいモロッコってなにで飯食っている国なんだ?という疑問もあるでしょうから、その話を。

資源としてはアトラス山脈近辺で採れる鉱石、とくにリンが有名だそうで採掘量としては世界第3位内に入るそうな。ただまぁリン鉱石自体安い(ただの肥料ですから)ので貿易上はあまりもうかっている分野でなく、衣類と魚介類の輸出を中心にしているみたいです。僕も気になっていたんですが、石油はほとんど採れないそうです。



日本においてモロッコが性転換の国というイメージを抜かせば、モロッコに対するイメージとしてモロッコの南にあるモーリタニア同様、タコを輸入しているのをスーパーに行く人は気付きます。彼らはタコを取りますが食べないそうです。アジア人だけらしいですな、あんなの食べるの。



さてそうこうしているとオアシスが突然現れます。
谷と谷の間に絶えず川が流れていて、それを水源として植物(ヤシなど)が育つ。またその川が大地を侵食しできたのが「トドラ渓谷」です。グランドキャニオンと仕組みは一緒ですな。



なんでもこの絶壁をヨーロッパからくるロッククライマーは登っていくそうです。上から見たらそれは壮観であろう…でも登りたくはないぁ(汗。

再び車に乗って砂漠へ向けて走り出します。途中「エルフード」「リッサニ」の街を通過しました。このあたりは化石が採掘されていて産業としてかなり盛んみたいだそうです。

ハサンが「どうだ、化石工場みるか?」と提案してくれていましたが古代ロマン皆無のジャパニーズはむげに断ってしまうのである。ひとりは「フォッシル(fossil)」という単語をずっとわからないままの方がいましたが…。

ガイドのハサンはもともと砂漠の街の入り口にあたる「メルズーガ」という街の出身で、そのため砂漠に近づけば近づくほど友達が増えます。よってハサンの友人がどんどん出てくるのである\(^o^)/
ここ「リッサニ」の街でも例外ではなく最初はハサンの兄貴を紹介され、つぎに昼食をいただいたレストランもハサンの友達が開いたレストラン。



(現地時間 13:00頃)



この日いただいた昼食はモロッコ風なのかベルベル風なのか忘れてしまったんですが現地のピザ。



外はパリッと生地が焼けていて中身はドロッとしたものが。ヤギの肉が入っていて適度な臭みと脂がアクセントのすごくおいしいピザでした!…量を除けば。

ハサンが「どうした。どんどん食え。うまくないか?」っていうんだけど「うまいよ、うまい」と伝えるも3人でこれは…しかも「食え」と言った張本人は2切れか3切れで食べるのやめてしまうとかどんな体育会的な昼食だよ!

実際おいしいんだけど、個人的には御茶ノ水の「アミ」でやっていることと何も変わらないじゃないかと日本が懐かしくなりました。

さて昼食のピザをすべていただき、そこから再び砂漠を目指します。砂漠による前にターバンを買おう!ということになり街角の反物問屋的なお店へ。もちろんハサンの友達がやっているお店です。



僕も買いましたが、長さがいろいろあって短いので2mちょっとのやつで、次に4mで、ガイドのハサンがしている8mくらいのやつ。僕は4mの買いましたけど4mで十分ですよ、これ以上長いと収拾つかなくなります(汗。


さて、ターバンを購入し、またしばらく走ると道路には蜃気楼が現れ、遠くに砂丘が見えてきます。ハサンが「SABAKU」「SABAKU」と連発して教えてくれます(本人には聞かなかったんだけどきっと敢えて「SABAKU」といっているのは日本人が「デザート」と聞いてきっと「砂漠」のデザートではなく、「食べ物」のデザートを思い浮かべるからなんだと思う)。



なんていうかなぁ、変なんですよ。あのいわゆる日本人がイメージする砂漠(サラサラのオレンジ色の砂の山)が突然ぽっかり地面の上にのっかてるみたいで、遠くの方にあるオブジェみたいに見えるんです。



ハサンが言うには「ああいうサラサラの砂のところじゃなくて石や岩が転がっている状態のここも砂漠なんだけどね」。そうなんだぁ…うーん、なんかリアリティがなくて不思議。

(現地時間 15:30)

本日、翌日とお世話になるホテル「Auberge du Sud」に到着。





このホテルで僕はいろいろとお見舞いされることとなりますが、それはまた次回以降に。しばらく休憩してラクダツアーに向かうのでした。

<モロッコ旅行はHikali Safariで>

モロッコにいった話10(ジェダイの国・モロッコ4日目後半)

2013-10-28 05:40:05 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

マラケシュから車に乗ってアトラス山脈を越え、世界遺産「アイト・ベン・ハッドゥ」までやってきた旅行4日目。



9月20日 現地時間 15:30

「アイト・ベン・ハッドゥ」の観光を終えハサンと合流。
いつもどおり「どうだった?」というので「階段多すぎだよ!」といったら「ハッハッハ、いい運動になったろ?」と返ってきました。

いやまぁ、そりゃそうなんだけど。そろそろですね、旅行疲れが起き始めているんですね…旅行も4日目を迎え人生のピークを少し過ぎたジャパニーズ2人は長距離移動をしてきたこの日、明らかにお疲れムードです…。



そこで次に行くのがシネマ・ミュージアム。
「アイト・ベン・ハッドゥ」もそうなのだけども次に向かう街「ワルザザード」は映画の撮影地として有名…だそうです。ウィキペディアを見てみても『。アラビアのロレンス、スター・ウォーズ、007 リビング・デイライツ、ハムナプトラ/失われた砂漠の都、グラディエーター、クンドゥン…』と多くの映画タイトルが挙げられています。まぁ今の日本人、特に若い人はそれらのほとんど見たことないですけど(汗。

たしかに『スターウォーズ』の惑星タトゥーインを思わせるところ雰囲気なのだが、あれのロケ地はチェニジアである。ネットを巡ってみると「アイト・ベン・ハッドゥ」がロケ地だ!みたいなことが時々書かれているのですが、どの作品のどの場面で使われていたのかはわかりません。ルーク・スカイウォーカーとかの住居はチェニジアの砂漠で撮影している出典がありますけど、「アイト・ベン・ハッドゥ」近辺にあるキャニオンの上に突然建物があったりするのはジャバザハットの宮殿を思わせるといえばそんな気もする。

そしてスターウォーズのなかでジェダイの騎士が着ているローブがありますが、あ
れに似た「ジェラバ」というローブをモロッコの方は着ています。


 

街中ではしばしばみかけ、そのたびに「なんだ魔法使いか?」とか思ってしまうのだけど、日本人にとっては「ねずみ男」といった方がピンとくる(笑。素材も木綿や麻のものがあり色もかなり種類がある。今回は買う機会がなかったんですが、また行くことがあればぜひとも買いたいと思う。


さて話を戻します。
映画に興味があるかといえば…「まぁないですね」と簡単に答えてしまうような僕が「ワルザザード」のシネマミュージアムに当然興味を持つことはなく(何、こといくら『グラディエーター』を見たことがあるからといって『このセットすげぇよ!』とはならない…。そういう点では「ワープステーション江戸」「日光江戸村」や京都の「映画村」もできれば行きたくない口なんです。

でもまぁ郷に入っては郷に従えという言葉もあるので行ってみました。以上です(何。



さてそこからまた車に乗り「ワルザザード」をあとにし、カスバ街道をひたすら東に向かって走ります。
ここカスバ街道の名産はバラ。よってローズオイルも名産品であり観光客にはとっておきのお土産であるそうな。まぁ僕はそこにうといので(化粧品も苦手なうえにバラも嫌いときてる)よくわかりませんが世の女性は植物性油ぬきには生きていけないようです(ぉ。個人的にここら辺走っててバラ園を見かけた記憶がなく『ローズマリーってこんな背が高くてたくさん生えるもんなのか?』とバラそのものではなくて、シソ科の植物を見ていました。





そんでぐんぐん車で走ってやってきた街が「ブーマルン・ダデス」。


現地時間 19:00 ブーマルン・ダデス Hotel Xaluca



今日泊まるのは前日まで泊まっていたリヤドと違いホテルです。街の中でも高台に位置し、欧米の観光客と中国からの観光客でにぎわっています。かなり綺麗なホテルで出発前に窺っていた通り現地ではかなり値の張るホテルらしい。




夜は欧米的ホテルの代表的形式ビュッフェです。



夜はハサンに誘われて月を見に行きました。前日、日本ではスーパームーンでにぎわっていましたが、モロッコでも綺麗な月が見えてました。


モロッコにいった話9(「アイト・ベン・ハッドゥ」・モロッコ4日目中盤)

2013-10-27 15:38:07 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

旅も4日目。これまですごしたマラケシュという街をあとにしアトラス山脈を越える我々一行。ようやくのことで山道を登り切りその後、道なき道を走って世界遺産「アイト・ベン・ハッドゥ」のわきにあるレストランで昼食にありつきました。


9月20日 現地時間 14:00



昼食を食べ終え、いつも通りハサンが「『アイト・ベン・ハッドゥ』専門のガイドがいるから彼に話を聞いてくれーな。最後に○○ディルハム渡してくれ」(いくらだったか失念)と脈絡なく言い出す。「彼、英語うまいから大丈夫だ」と言われて紹介された…名前を忘れたが異様に物静かな長身男性。彼とともに我々はハサンと別れレストランから歩き出します。(※ハサンはレストランに残ってガイド仲間とパソコン囲んで音楽流したりフェイスブックやっています)



なんど聞いても正しく発音できない「アイト・ベン・ハッドゥ」。↓写真を見てもらえばわかるとおり山の上に立った要塞(カスバ)都市(クサル)である。



どことなく日本のお城に似ているのは川のわきの小高い土地を利用して集落を形成しているからなのかもしれない。違うのは城ではなくて集落であること。もともと外部からの敵から身を守るために建設した要塞都市だというからすごい。ただここで疑問が湧く。



『誰が住んでて、誰から身を守ってたんだ?』

これを日本に帰ってきてから調べてみたんですが、ここについて一切書かれてないです。地球の歩き方ですら書いてないのだから、よっぽどである…地球の歩き方は「アイト・ベン・ハッドゥ」に限らず、モロッコの建造物・街について歴史的な意味合いについて全く触れられていない。逆に言えば、日本人の旅行雑誌編集者ですらモロッコについては謎なところが多いということなのかもしれません。

がしかし。これ、腐っても世界遺産なんだから、そんな歴史的に謎なわけないだろ!と思うので、それは単純に英語文献をひっぱり出してきてまで書く気がない、めんどくさくて書いてないと僕は勝手に思う。

んで、自力で検討してみた結果を推察で書いていきます。(参照元はユネスコHPと現地ガイドの解説とガイドブックなど)

●もともと「アイト・ベン・ハッドゥ」があるこの土地は交易ルートだった
●モロッコの海岸の方からは塩を、砂漠の方からは金銀、奴隷を運ぶキャラバン隊の中継拠点だった
●築いたのはベルベル人のハッドゥ一族、おそらく11世紀か12世紀ごろに造られた
●当然交易ルートであるがために盗賊が盛んでそれから身を守るために建設

これが今のところはっきりした話みたいですな。ユネスコのHP見ると

The community areas of the ksar include a mosque, a public square, grain threshing areas outside the ramparts, a fortification and a loft at the top of the village, an caravanserai, two cemeteries (Muslim and Jewish) and the Sanctuary of the Saint Sidi Ali or Amer.

と言っているから、ここにはイスラム教徒とユダヤ教徒が住んでいたと。ということは単にベルベル人たちは彼ら自身が何教であったから、アラブ人・イスラム教徒と戦っていたとかというわけでないわけだ。
僕は「南からやってくる黒人たちから身を守るためだ」とガイドが言っていたのを記憶しているので、ここで中世のサハラ交易について少し考えてみました。



「アイト・ベン・ハッドゥ」が造られた11、12世紀のこの地域の情勢はモーリタニア近辺を領土としていた「ガーナ王国」がのさばっていたそうな。ガーナ王国は黒人国家でもともと独自の宗教を信じていたけども、のちにイスラム教を取り入れていったそうな(歴史的根拠はないそうです)。その後13世紀、同じ地域を支配したマリ王国も同様イスラム教国家だそうな。でもまぁそれぞれ完全に黒人だけの国家ではなくてベルベル人もいたそうです。

おそらくサハラ交易の中継地点であるこの土地は絶えず北の勢力(モロッコ・ムワヒッド朝)と南の勢力の境界に位置して、どっちつかずだったために自衛した拠点と考えられる…

うむ。考察はこの辺にして、見所を紹介しよう。
基本的に斜面をずっと登っていく。高台を移用した集落なので当然なんですが、これが要塞都市と呼ばれるのはどの民家も3階建てぐらいになっていて、1階は窓がなくて2階、3階に防衛用の窓がついていたりする。そして大通りは存在せず、基本的に袋小路。すべて防衛的仕組みになっている…日本の城下町と一緒ですな。




途中あぶり出しのお土産屋さんに寄りました(※寄らされている)。



それからさらに上まで登ってみる。




不思議である。こんな何の頼りにするない(川はあるけども)場所に誰かが襲ってきて自分を守らないといけないって。別にここに宮殿を築くとか都にするとかではなくて、ただの村だっていうんだから。守るってなんなんだろう…。



そして下ります。
行きは乾いた川を横断していきましたが、帰りは鉄筋コンクリートの橋を渡ります。なんか数年前にできたんだとか。ここの川もいまはからっからですけど雨季は2メーター超だって言ってました。すごし!

こうして世界遺産「アイト・ベン・ハッドゥ」の観光をなにが世界遺産たらしめているのかがわからないまま、レストランに戻ってきたのである…。「アイト・ベン・ハッドゥ」。「アイト・ベン・ハッドゥ」。ヒロシです…。

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モロッコにいった話8(アトラスぅぅぅ越ぉえぇぇ・モロッコ4日目前半)

2013-10-26 00:29:07 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

モロッコに到着し3日が経過し、その間、マラケシュという街とエッサウィラという街を観光しました。この間、僕は書いていませんが簡易ベッドを一部壊する暴挙を犯していますが、そんなことには気を留めずに4日目を迎えます。


9月20日 現地時間 09:00

本日はいよいよアトラス山脈を越えます。アフリカ大陸の屋根にあたるアトラスの山々をうねうね登っていきます。基本車のなかでハサンの流す音楽に酔いしれることになります。



モロッコ国内を移動していると、いわゆるワジという奴をよく見かけます。全く水が流れていないのに橋が架かっていて溝だけがある。郊外だけではなくて砂漠も同様で「雨季の時、流れているときは深さ1メーター以上あるから」と言ってました。



さてマラケシュから少し走って山を登り始めたころに休憩。お店の前にサボテン屋さんがあったのでハサンが「食ったことあるか?」というので「ない」というとおごってくれました。



初めてサボテンを食べてみたんですが、日本のなしの味に似ていますね。ラ・フランスとかではなくて、豊水とか幸水とか日本のなし。すごいみずみずしくてほのかに甘い。実は…ぶつぶつです。食べてみるとそんなぶつぶつ感ないんですけど、かじった実を見てみるとなかがぶつぶつした奴が集まってできていることがわかります。僕はおいしいと思ったんですけど、Mさんは駄目みたいでした。彼女は砂漠で死にますね(何。




それから再び山登り戻り、間が差した僕はハサンに「男梅キャンディー」を渡し「ベリーサワー、リトルスイート。ジャパニーズ・プラム・ピクルス・テイスト」といって食わせたら途中でギブアップしてました(何。しばらくするとアルガンオイルのお店に着きました。



そもそもアルガンオイルってなんだ?という次元の僕。出発前の説明で「アルガンオイル」「アルガンオイル」と盛んに出ていたワードですが、これがどれほど世間で認知されているものなのかがさっぱりわからない。日本に帰ってきていろんな人の話をきくと有名らしいですね…とくに女性では。




んで、いつも通り作り方を聞いて「さぁ買っておくれ」と。僕は買う相手がいないので(事実そういう側面もあるが、いないことにしている側面もある)買いませんでしたが、見ているとこの油は非常に不思議である。石鹸にもなるし、食用の油にもなるし、美容のオイルにもなるんだから。ただ高い…と思いました。ちょっとしたやつで150ディルハムとかして…これで得られる効果はこの金額を越せるのかという疑問が僕の脳を支配していました。まぁ化粧品全般に対して僕はそう思っているわけですけど。



そんでしばらくすると道路でいける最高到達地点に到着。2260mもあるらしいですよ。



それから少しずつ下っていくと開けたところに出ると「そろそろ飯にしますか」と言い出したハサンは急にアスファルトで舗装された道を捨て、道なき道を走り出しました。



揺れに揺れまくる車内。手痛い洗礼。「うは、楽しいだろ?」とノリノリのハサン。悪くないけど、悪くないけど、良くもないぞ(汗。



どうやらこの道なき道を通った方が次の目的地に着くのが早いみたいで、きっと近道だったのだろうと僕は思っていますが、真実は謎です。



現地時間 13:30

ホテルを出発してからおよそ4時間半。次の目的地・世界遺産の「アイト・ベン・ハッドゥ」(Ait Benhaddou)のすぐわきにあるレストランで昼食。スープとタジンを注文し大満足。




ここら辺からですかね、ハエとの戦いが始まるのは。僕はハエと共存できる性格なのでご飯にとまろうがコップにとまろうが関係ありませんが、ハエが気になるひとはきっとストレスに感じるレベルのハエが飛んでます。

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モロッコにいった話7(フナ・スリ・ヘナ…そんなアホナ・モロッコ3日目後半)

2013-10-25 00:05:28 | モロッコ旅行2013
前回までのあらすじ

前回、世界遺産に登録されている「エッサウィラ」という港町で観光をした一行。行きと同様、同じ道をただただ引き返しマラケシュまで帰ってきたのでした。

9月19日 現地時間 19:00

帰り道、ハサンが「明日から山を越えて砂漠にいくから買い物していくぞ」というので色々と寄り道。ハサンが友人から頼まれたものを買ったり、相も変わらず「酒だ」「酒だ」とのたまうMさんがビール6缶とワイン1本を買ってました。ハサンが「お前は飲まないのか?」というので「いや、僕はいいです」といったら「なんでだよ!?」というので「昔は毎日飲んでいたけど、仕事初めて飲む時間が無くなったのと仕事辞めてからは健康のためにやめた」と言ったら「お前は敬謙なムスリムだなぁ(笑」と言われました。

いや、僕の健康のためというのは別として外国でお酒飲むのってリスキーじゃないですか?
知らない土地で知らない酒をよく知らない人たちと飲むのはもう僕からすると命知らずの境地じゃないかって思うんですけど(汗。日本だったらどんなに飲もうと知った酒でどれぐらいいけるかっていうのと、知った道だからよほどでない限りは帰ることできるじゃないですか。異国の地で自分の身を守れるのは自分だけという考えがあるので、なかなか飲む気にはならない…。
(※ドイツでは散々飲んでいるわけですけど、あれはビールのためにドイツにいったから)

さて、ホテルに戻りハサンは「今晩、野暮用があるのでレストランに言っておくから自分たちで食べに行ってくれ」という突然の提案にびっくりしたものの、初日行ったレストランに自分たちだけで出かけることになりました。



20:30頃

夕食も食べ終え、前日ストライキで休みだったフナ広場の屋台を覗いてみることにしました。



すごいにぎやか。ザ・屋台。



まぁだいたいどの屋台も食べているものは一緒ですな。ケバブだったりタジンだったりエスカルゴだったり。
ただ客引きがもれなくめんどくさい…どうでもいい日本語で話しかけてくるだけでなくしつこい。これでもかこれでもかと小島よしおのネタをやってきたりするのでいい加減にしてほしい気持ちになる(現地人に対しても小島よしおに対しても)。



そういう客引きに「勘弁してくれ」とのけぞっているうちに、ひとさまのケツを触ってくる輩がいる。自分の意思とは関係なく自分の体に触られるのが非常に苦手(他人にマッサージされるとか肩もみされるとか全くダメ)な僕はもちろんのことお尻にも敏感である。「アッ―!」(違。

いやまぁ、普通にスリなんですけど、僕がうざい客引きにからまれている間にすろうとしていたんですが無理っすよ。僕、お尻敏感だし(違。だいたいデブの尻から物を取り出すって物理的に窮屈なんですよ。しかも、僕のケツポケットに入っている財布はもう財布じゃない(ご存知の方はご存じの緑色のぼろぼろの財布)ので、持ち主の自分ですら取り出しにくくて困る代物を持っていけるわけないじゃないですか。

そんでまぁケツ触られてるなぁと思って僕も手を後ろに回して誰かの手を握ったんですよ。「アッー!」(違。そしたら急に手がシュッと抜けて僕のわきをジャンパーを腕に巻いている中学生くらいの男子が走って消えていきました。でも走っていった子をずっと見ていたら阿呆みたいにこっち見返してくるからてっきり「アッー!」な展開なのかと思ったんですが、やっぱりスリ以外ありえないですね。

さてそんなくだらない話はさておき、広場ではいろんな大道芸が行われてます。写真を撮るともれなくチップをよこせとねだられます。ねだられてる写真1枚ありありますね。だいたいは音楽の演奏とかなんですけど、コブラ遣いとかもいます。





それと、なんかよくわからないけど小学生の男の子2人(6年生くらい4年生くらい)にボクシンググローブつけさせて、ただ殴り合いをするという芸もありました。それは芸なのか、パフォーマンスなのか、ショーなのか、そもそもエンターテイメント性があるのかという疑問が湧くのですが大の大人が20人くらいが見ているんですよ。取り仕切っている大人の男が一人いて「どうですか、お客さーーーん!」的なことを言っているんです…。試合と呼べるかどうかはさておき、内容もひどい。二人の体格差が圧倒的で6年生くらいの子が一方的なアウトボクシングを展開するのに対して、小さいほうが泣きながら特攻パンチをするという…すげぇよ、モロッコ!

ついでヘナ。僕は「ヘナ」を知りませんでした。なんかヘナ(ヘンナ)という植物を原料にした染料をつかって体にペイントを書くみたいですな。これ、僕は北インドの文化だと思っていたんですけど、アフリカでやるんですね。勉強になります。



いくらだったかなぁ、Mさんがいくらか聞く前にこのばっちゃんに強制的に書かれていたからあれなんですけど、なぜか僕がこのヘナ代を払ってんですけど、しっかり覚えていないんですが100ディルハムだった気がします…ちなみにレストランのサラダとメインディッシュとデザートで60~70ディルハムくらいですから、法外な値段だった記憶があります。

モロッコ マラケシュ・フナ広場でのヘナ


下書きもなくバンバン書いていくわけです。なんか小学校の給食の時間で出てきたミルメークみたいなチューブから黒いボンドみたいなやつが出てきてそれで書いているんですが、洗ってもそう簡単に落ちません。表面のボンドみたいなやつは落ちますが、模様がシミみたいに3日は確実に残ると思われます。



最後にフナ広場名物のオレンジジュースを飲んで帰りました。

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