本日、同じクラスを教えているベトナム人の先生がお休みした。「なにがあったんですか?」と訊いたら「携帯で電話していたら携帯のひったくりあって取り返そうとして怪我しました」
なんだそれ、すごいぜ、ベトナム
ベトナム。降る時は降るけど、ここ数日いて死にたいと思うほどは降らない。東京の方がひどい。
忘れてはいけない。たとえうまくいかず後ろ指さされようとも必死に一生懸命に熱意を持って取り組むことを。今一度、新卒の時の気持ちを取り戻す。
初日に会社のベトナム人の方と一緒に携帯ショップへいって入手しました。
といっても日本でドコモを解約し、SIMフリーにしておいたSO-05D、XperiaSXに現地SIMを差し込んだものです。
本当に使えるのか?と怪しんで持ち込んだものでしたが、簡単なものでした。
やはり日本で調べていた通り、ベトナムで一般的に流通しているのはノーマルSIM。
昔のFOMAとかで採用されていたサイズですかね(たぶん)。
んで、現在日本のスマホで採用されているのはマイクロサイズ。
(SIMを抜きとった元のカード。裏面に電話番号など書いてある)
これを合体させるために…切ります。店の人が切ってくれます。
穴あけのパンチみたいのがあって、四隅を落としてサイズダウン。
これを携帯に入れてあげるだけで、あら不思議。
電話が使えるようになる。(ショートメールが送られてくるのでそれに返事をする)
んで、そこに少しチャージをいれておいて、
加えてベトナムの通信業者(mobifone)はデータローミングの使い放題パックをやっているらしく、
SIM本体(8万ドンだったかな…しかも場末価格。正規価格は5万ドンくらいだったかなと)にチャージ(8万ドンだったかな)から毎月ローミング代7万ドンが勝手にひかれるそうです。
いまいち厳密なところが抜けていて申し訳ない限りですが、携帯ショップのお兄さんたちが勝手に設定してくれました。
こういうとき国際モデル(Xperiaとかギャラクシー、iphoneなど)は強いなぁと思いました。
ベトナム語に変えてひょいひょい設定変えて、日本語に戻して返してくれました。
たいてい海外へ行くと何か喋っているなという気がします。
わかりません?所々聞き取れる、ああ英語だな、フランス語だなという感覚。
でも僕の個人的な感想としてベトナムはそうではありません。
それは言葉なのか?という世界がそこにはあります。
なんだろうなぁ日本人がお経を読むような全く拍を感じさせない感じ言葉が飛び交います。
もうなんか…初日からあきらめました。
ベトナム8年目の上司(旦那さんはベトナム人だそう)に話を聞くと
「あー、伝わらないし、聞き取れないことなんて多いですね」
2年目の先輩に聞くと
「無理ですね」
という次元の代物。
それでも生きていけるのだから不思議なものです。
言うことは大切だとは思うのだけど、負けた原因を真剣に考えて次を選ぶべきだって…世の中そんなにテキトーに考えている組織の人間もいないし、考えてやったとしても成功することなんて稀ですよ、稀。あなたの会社でもそうでしょ、あなたの仕事ぶりもそうでしょ。
パソコン落として涙目。バッテリーのプラスチック留めが折れました…養生テープで補強しました、ゲキダサ。
結構寝たつもりでいたけれども案外眠いものである(昨日までニートだからあたりまえなんだが)
朝起きて、パソコン開いて、ニュースサイトまわって、2chまとめ見て…あれ、日本と変わらない\(^o^)/
ひとからもらった小説の内容がまた外国人特有のしょうもない恋の悩みが予想される内容で冒頭20ページでため息。これは若きウェルテルの悩みに通づるものがある。
日本最後の食事はナイススティック。中森明菜の北ウイングを聴きながら北ウイングにいます。 (@ 成田国際空港 第1ターミナル 北ウイング Alitalia) swarmapp.com/atop1986/check… pic.twitter.com/yCNEoJAj6b
たしかにもう若くない。若くないけども、年老いたわけでもない。自分等のなかに創造された思い。夢や憧れ。ひとを思う気持ち。親しみ、信頼や友情、愛情。これらが年を取って形を変えたとしても、衰えることはない。
だからかな。まわりの期待や思いに応えられる自分でいたい。互いにこんなもんじゃないところを示し続けたい。すべからくあなたもそうであってほしいと、私は切実に思う。
もし。志中場で立ち止まってしまうのなら、諦めてそこでやめてしまうのなら、私が教えてあげよう、前へ押し出してあげよう。そんなもんじゃないあなたを。我々は歳を重ねたからといって諦めてしまえる存在ではない。
そうでなければ、ここまでやれなかった。やってこられなかった。私はあなたほど強くもないし弱くもない。あなたも私ほど強くもないし弱くもない。愛すべき全ての人々が輝くならば、それに対して私も輝こう。もし彼らが曇ってしまうなら私が輝かせてあげよう。そういう生き方をしたいと思うのである。
だから、私も止まっていられない。長く生きれば生きるほど、選択を迫られるかもしれない。でも最後に思うのは、上でも下でもなく周りでもなく、あなたに、あなたちにとって恥ずかしくない、誇らしい私でいることを選びたい。誇らしい我々でいたいと思う。
そう。私を動かすのは矜持だ。義務感や連帯感からくる消極的なものであるかもしれないけど、肯定しよう。こんなところで終われない、がっかりさせられない。才能やタイミングではなく、意地の問題。やってやれないことなどない。
携帯を解約し、アプリの設定も終えた。さようなら、ドコモ関連アプリ(完全に消えないものもありますが)