あまり…というより、全く考えてもいなかったんですが、先日、会社の先輩から言われました。
「ATOPさんが口にすること、どこまで本気でどこまで冗談なのかわかりませんよ」
そうなんですかねぇ…いつも本音と建て前を無視して話しているんだけどなぁ←これが原因
心の中で目指すは「高田純次」と決めて生きてきたことが、裏目に出ていたとは(違
まぁ、それは冗談として、いつもへらへらと、ずけずけと物申す姿が、一個人になった時の信用のなさになっていたとは少しショックではあります。
ただまぁ、そうなんですよね、よく言われます。
「何を考えているかわからない」
いや、そこをいぶかしんだり、不安がったり、不思議に思ったり必要はないんですよ。
実際何も考えてないんですから(何。
コミュニケーション能力低いから普段黙っているだけですし、
話を聞いてくれそうな人がいたら手当たり次第に話し倒すだけですし、
またその話の中身が思いつきで話すもんで、くそまじめな話からどうしようもなくくだらない話まであって、
ときどき私自身が素に戻ってまじめな話や相談なんかすると
「ATOPさんもひとの子だったんですね」
みたいなことを言われたりします。
そうか、これがキャラ損ってやつか(何。
こんなにも人間らしい私が超人扱いされているのに絶望しました(違。
こんなにも矮小で稚拙な私が立派な大人扱いされていることに驚愕しました(違。
はぁ…生きるって難しい。
「ATOPさんが口にすること、どこまで本気でどこまで冗談なのかわかりませんよ」
そうなんですかねぇ…いつも本音と建て前を無視して話しているんだけどなぁ←これが原因
心の中で目指すは「高田純次」と決めて生きてきたことが、裏目に出ていたとは(違
まぁ、それは冗談として、いつもへらへらと、ずけずけと物申す姿が、一個人になった時の信用のなさになっていたとは少しショックではあります。
ただまぁ、そうなんですよね、よく言われます。
「何を考えているかわからない」
いや、そこをいぶかしんだり、不安がったり、不思議に思ったり必要はないんですよ。
実際何も考えてないんですから(何。
コミュニケーション能力低いから普段黙っているだけですし、
話を聞いてくれそうな人がいたら手当たり次第に話し倒すだけですし、
またその話の中身が思いつきで話すもんで、くそまじめな話からどうしようもなくくだらない話まであって、
ときどき私自身が素に戻ってまじめな話や相談なんかすると
「ATOPさんもひとの子だったんですね」
みたいなことを言われたりします。
そうか、これがキャラ損ってやつか(何。
こんなにも人間らしい私が超人扱いされているのに絶望しました(違。
こんなにも矮小で稚拙な私が立派な大人扱いされていることに驚愕しました(違。
はぁ…生きるって難しい。
日本にいたら絶対カレーうどんとかたのまないんだけどなぁ (@ Marukame Udon @ Aeon Mall in H? Chí Minh) swarmapp.com/c/bhfCh5GXPMh pic.twitter.com/2qA6Em3POJ
さすがにそろそろ夜ご飯を食べなければと思って昨晩久しぶりに食べたけども、どうも今朝はどっと疲れていて死にそうである
おそらく何回か既に書いていると思うのですが、私のなかで「誠実さ」は人間関係においてもっとも大切な精神だと思っています。
どんなに頭が良かったり、仕事ができたり、お金持ちだったり、美男美女だったりしても、「誠実さ」に欠ければ、信用できないし、ひととして安っぽく思えてしまいます。
それで、北の国からの「誠意ってなにかね」よろしく、「誠実さ」ってなんなんでしょうって話。
うそをつかないことでしょうか。
隠し事をしないことでしょうか。
誤魔化さないことでしょうか。
逃げ出さないことでしょうか。
裏切らないことでしょうか。
いずれも「誠実さ」に通ずることかもしれません。
私自身、非常に「誠実さ」に欠ける人間ですから、上に挙げたことをしてしまいがちです。
そんな自分の未熟さを棚にあげて、私は先日勝手に腹をたててました。
大切な友人だと私は思っていた人間に、すごく大切なことを嘘をつかれ、隠し事をされていることを知り、頭にきました。
「もう、わしゃおまえさんのことなんかしらん」
「勝手にしろ」
と幼稚にもメールを送りつけました。
そうしたら、先方から電話がかかってきて、「いまから会って話をしたい」と言われました。
私は正直驚きました。
え、いま、午後9時半っすよ。
真面目会うんすか…(汗。
そして、本当にその人はわざわざやってきて謝るんです。
私は恥ずかしくなりました。自分が大人げなく、なんも相手のこと考えてなかったなと。
(後日そのくだりを別のひとにはなしたら、それ「謝罪」じゃなくて「言い訳」じゃんといわれましたが…)
なんていうか、もし自分が同じ立場だったら、わざわざ会いにいかないと思ったんですよね(何。
メールでも電話でも、最悪時間をあけて翌日にとかもできたのに、すぐ会って直接話すという選択はかなり勇気が要ったはずだし、まさしく「誠実さ」を感じました。
だから、その人の「誠実さ」に比べて、自分の浅ましさに恥ずかしくなりました。
そして、身勝手にうれしくなりました。それから私も「誠実」に応えなければならないと思いました。
このことで私は思いました。
「誠実さ」とは、手間や時間を惜しまず、真摯に向き合うことではないかと。
私もできる限りそうありたいな、と思いました。
どんなに時間がかかっても、向き合うことを諦めてはいけないないと、互いに向き合えるまで歯がゆかったとしても待とうと、そして一回で伝わらなかったとしても何度でも向き合おうと、本当に思いました。
どんなに頭が良かったり、仕事ができたり、お金持ちだったり、美男美女だったりしても、「誠実さ」に欠ければ、信用できないし、ひととして安っぽく思えてしまいます。
それで、北の国からの「誠意ってなにかね」よろしく、「誠実さ」ってなんなんでしょうって話。
うそをつかないことでしょうか。
隠し事をしないことでしょうか。
誤魔化さないことでしょうか。
逃げ出さないことでしょうか。
裏切らないことでしょうか。
いずれも「誠実さ」に通ずることかもしれません。
私自身、非常に「誠実さ」に欠ける人間ですから、上に挙げたことをしてしまいがちです。
そんな自分の未熟さを棚にあげて、私は先日勝手に腹をたててました。
大切な友人だと私は思っていた人間に、すごく大切なことを嘘をつかれ、隠し事をされていることを知り、頭にきました。
「もう、わしゃおまえさんのことなんかしらん」
「勝手にしろ」
と幼稚にもメールを送りつけました。
そうしたら、先方から電話がかかってきて、「いまから会って話をしたい」と言われました。
私は正直驚きました。
え、いま、午後9時半っすよ。
真面目会うんすか…(汗。
そして、本当にその人はわざわざやってきて謝るんです。
私は恥ずかしくなりました。自分が大人げなく、なんも相手のこと考えてなかったなと。
(後日そのくだりを別のひとにはなしたら、それ「謝罪」じゃなくて「言い訳」じゃんといわれましたが…)
なんていうか、もし自分が同じ立場だったら、わざわざ会いにいかないと思ったんですよね(何。
メールでも電話でも、最悪時間をあけて翌日にとかもできたのに、すぐ会って直接話すという選択はかなり勇気が要ったはずだし、まさしく「誠実さ」を感じました。
だから、その人の「誠実さ」に比べて、自分の浅ましさに恥ずかしくなりました。
そして、身勝手にうれしくなりました。それから私も「誠実」に応えなければならないと思いました。
このことで私は思いました。
「誠実さ」とは、手間や時間を惜しまず、真摯に向き合うことではないかと。
私もできる限りそうありたいな、と思いました。
どんなに時間がかかっても、向き合うことを諦めてはいけないないと、互いに向き合えるまで歯がゆかったとしても待とうと、そして一回で伝わらなかったとしても何度でも向き合おうと、本当に思いました。
分からなさすぎて鼻血が出るどころか寝てしまっていたので、分からないなりにできることをやってみようと結論に至った。寝技有効。
後白河法王が、賀茂川の水、双六の賽、山法師の3つが従わないとかいってたけど、なんというか決定的に違う気がする。
いつまでも童心のままだと思っていたのですが、ふとしたことで精神的な老いを感じます。
他人の若い生命力や若い感性を目の当たりにすると、その眩しさに目をやられる気持ちになりますし、
他人の未熟さに腹が立つどころか、なぜかこちらが優しく諭してしまいたくなる気持ちになります。
年々、自分の延びしろをなくしていく分、自分より若手の他者の延びしろに期待してしまうからかもしれません。
それに、ちょっとまえまで自分の気持ちを表に出すのを躊躇っていたのに、いつの間にか屁でもなくなっていたりします。
いろんなことを考えたり、推測したり、ときに遠慮したり恥ずかしがって、素直に徹しきれずにいたのにね。
いまでは自分の思ったことや考えたことをどうしてか、さらっとできたり、いえてしまい、そのせいで感動や達成感が薄れてしまっている気がします。
昔だったら、自分の思いを外に出してそれが伝わったときの喜びや、感動って絶対的だったのに。
これがアラサーの呪いなのかもしれません(苦笑。
いっつも高△先輩と飲みにいくたびに話すんですが、
「25歳と26歳は全然違う」
「26歳と27歳は全然違う」
「27歳と28歳は全然違う」
って。そしていま「28歳と29歳は全然違う」って思います。
25歳を過ぎてから一年一年自分の感受性や価値観が変わっていることに気づきます。
身体は確実に老い、仕事は中堅に。
日々なんとなく過ごしているけども、着実に年老いているのでしょう。
それを「成長」とするなら、少し寂しいことかもしれませんね。
他人の若い生命力や若い感性を目の当たりにすると、その眩しさに目をやられる気持ちになりますし、
他人の未熟さに腹が立つどころか、なぜかこちらが優しく諭してしまいたくなる気持ちになります。
年々、自分の延びしろをなくしていく分、自分より若手の他者の延びしろに期待してしまうからかもしれません。
それに、ちょっとまえまで自分の気持ちを表に出すのを躊躇っていたのに、いつの間にか屁でもなくなっていたりします。
いろんなことを考えたり、推測したり、ときに遠慮したり恥ずかしがって、素直に徹しきれずにいたのにね。
いまでは自分の思ったことや考えたことをどうしてか、さらっとできたり、いえてしまい、そのせいで感動や達成感が薄れてしまっている気がします。
昔だったら、自分の思いを外に出してそれが伝わったときの喜びや、感動って絶対的だったのに。
これがアラサーの呪いなのかもしれません(苦笑。
いっつも高△先輩と飲みにいくたびに話すんですが、
「25歳と26歳は全然違う」
「26歳と27歳は全然違う」
「27歳と28歳は全然違う」
って。そしていま「28歳と29歳は全然違う」って思います。
25歳を過ぎてから一年一年自分の感受性や価値観が変わっていることに気づきます。
身体は確実に老い、仕事は中堅に。
日々なんとなく過ごしているけども、着実に年老いているのでしょう。
それを「成長」とするなら、少し寂しいことかもしれませんね。
本旨とは逸れるけど、わざわざ「スペイン在住」と情報を付け加えることに、見えない壁を感じている。「何も付けないよりはキャッチー」くらいに思ったのかなぁ。
【五輪】スペイン在住の日本人デザイナーが考案した扇モチーフのエンブレム好評らしい。 blog.livedoor.jp/nwknews/archiv…
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