前回までのあらすじ。
リンク1 インド1日目(今日も元気だ お米がうまい)
リンク2 インド2日目(旅は道連れ余は馬鹿ね)
リンク3 インド3日目(振り向けば下痢がいた)
2011/11/04 20:00 ホテル
ガンジスの祭典から帰還した我々。
連れは体調不良マックスで夜飯いらない…
「簡単なものを部屋に持ってきてくれませんか?」と
ガイドに頼んでいる悲しい状態。
※旅行から帰ってきてその頃の話を聞くと、
午前中からの下痢に加えて発熱も合わさって、
すごい気分が悪かったらしい…
この日の夜はホテルの食堂でJAP一人でご飯。
まわりは…どこからわいたかわからない中国人だらけ(汗。
たまたま同じホテルに中国人の団体客が宿泊していたらしく、
それに気を遣ってかこの日のメニューにべたついたご飯があったり、
なんかインド風の春巻きがあったり、なんかインドっぽくないご飯。
ただなんていうかこの日になると別にホテルの食堂ぐらい、
僕一人でなんなく食べれちゃうもので、
飲み物よこせなんて朝飯前に言えてしまうわけで、
インド人はアメリカ人と違って大声で話してくれるから、
英語へたれな僕でもお茶の子さいさいである。
2011/11/05 04:30 ホテル
インド滞在最終日。
この日は朝からガンジス川のサンライズ・日の出を見に早起き。
連れの体調もなんとか盛り返し、眠い目こすってホテルを出発。
まずは、ツアー参加者が泊まっている別のホテルへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f6/b632fb6f9690f3c793b9c6f6f274dbcb.jpg)
これ行ってみてびっくりしたんですけど、
たしかツアー料金1万円か2万程度アップでホテルのグレードを
あげることができたんですけど、その格差にびっくり。
初日のホテルに差はなかったのだけどバラナシはすげぇ。
僕らが泊まっていたホテルはなんていうか、
大学とかスポーツの合宿で行くようなしょぼいホテルなんだけど、
グレードの高い方にいってみたら全然違うのよ。
でもまぁ、僕の宿泊観からするとインド行って
ホテルのグレードなんか期待すんなっていう気はする。
どこもコンクリート・大理石むき出しの建物だし、
お湯がたとえ出ても湯量なんかたかが知れてるシャワー、
ベットだけしっかりしていれば正直どこも一緒である。
なぜならどこで飯食っても味に差がないし、
カレーを食わされるだけだしねぇ…。
2011/11/05 05:30 ガンジス川のほとり
日の出前。
真っ暗な中、相変わらず土産物を押し売りしてくる連中が跋扈。
とりあえず近くまで車でつけてしばらく歩くわけだ。
そしたらガイドの計らいでチャイを飲むことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ea/99d0710789ed14dbb4fbdec2d5f998f8.jpg)
なんか安っぽい陶器の茶碗で飲むんだけど、これ使い捨てなんですよ。
いたるところに残骸が転がっている状況なんですよ。
すげぇ文化レベルですよ。デカルチャー。
ただ朝からチャイ飲むと目が覚める。すげぇおいしい。
ぜひ日の出のガンジス行ったときは露店のチャイを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/bc/867bff0ff3ae67c59bda1e18a80e577b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/26/0ed5b8890d52740592433531a4390837.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/77/a96d8dcb7e0a1510ca057fd08a69f3f7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a7/a42fe0156273e0a7059b2b0ad2a3c3cc.jpg)
さて、船に乗船、乗船と。
え。どの船だよ、ウッジャルさん(ガイド)。
まさか、現地調達かい?え、それでいいいのかい?
というわけでこのやり取りが日常となっているガンジス。
朝からめちゃめちゃ人が多いわけだが、
4人+ガイド1人でゆったりと木船に乗船。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/6f/7cf027df36658e5a6ae2b493b89a4524.jpg)
それはそうと僕は興味がなくて内容も聞かなかったし、
ものも買わなかったんだけど、
なんかろうそくが立った花をガキンチョがたくさん売ってて、
お祈りと合わせて川に流す文化があるらしい。
その手の文化や背景に弱いミスタージャパニーズの連れが購入。
そして放流。時間がたつと勝手に沈んでいきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/7e/c54ca0bdf41c2c82f861ef0463fe43c5.jpg)
んで日の出。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/8f/646142d861bd97251b407696c919fcd9.jpg)
たぶんだけど。これは賛否両論。
富士山の日の出のほうが日本人としては感動かもしれない。
たしかにだだっぴろい川の上で、お経が大音量で流れている空間、
川岸はインド独特な寺院が立ち並び、沐浴する人々、
川の向こうから徐々に昇る太陽。
心にしみる風景ではあるが、うーん…
いやまぁ僕個人としては何となくだけど、
ほんの少し宇宙との一体感を感じたくらいでした。
これが本命でインド行くのは厳しいような気がする…。
あくまでもインドの一部分なのである、ガンジスも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/5b/05b709c571339bb67f6c4140a50d1207.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a4/acf75688681cd876c9c28e4529ebbda7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/ee/f76dc0d7826913562fdb1fa3a407ea81.jpg)
んで、川岸に積んである木。
キャンプファイアーみたいに組んで積んであるわけですが、
これが例の噂の斎場です。ここで遺体を燃やすんですね。
現地では結構お金のかかるお葬式だって言ってました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/62/9d6cb7305874f6d5a4c3b3b23f29ed59.jpg)
それから船を降りてウッジャルが「お祈りやりますか?」というので、
ここまできてやらないわけないだろってことで、
お祈りやりました。このインドイケメンがお坊さん。
いろいろ家族の名前を聞かれて、魔法少女みたいな呪文を繰り返す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ed/1c2a01655e5074a3825075ec4ed63e4a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/f7/70a49aa19769fd8a60afa2b67d2182b9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/92/43f496f9b8fb54e28348e253ac74a57d.jpg)
そしてガンジス川に素足を突っ込み、頭から水をかける。
なんの祈りだったのかはいまだ帰国してもわからない。
旅行四日目(9/10)
2011/11/05 08:00頃 ホテル
再びホテルに帰ってきて朝食。そして休憩。
2011/11/05 11:00頃 サルナート遺跡へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/1b/563a917864e2607f135b814a34f01dc1.jpg)
いままで多くはヒンドゥー教関連のところが多かったわけだが、
ここでようやくブッダ、仏教ゆかりの地に。
ブッダが教えを説いたところでして、のびやかな公園になってます。
ただガイドのウッジャルが入ってすぐのところで、
ちょっとしたことを簡単に説明してあとはどうぞ状態。
感想としてはどうしたらいいんだこれ?みたいな感じでした。
とにかく暑かった印象です。ええ、ここでも土産物が鬱陶しいわけで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ef/35c3b0db6c2a1e0dd8fe81d1410bd5a6.jpg)
ダメーク・ストゥーパ
2011/11/05 13:00頃 シルク工場へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e8/61667f04f5b0d76b42d37a8b514916db.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/5f/db5737c123499023b23576c951205672.jpg)
いったんホテルに戻って昼食を食べたあと、シルク工場へ。
うーん、あれだ。僕はシルクなんかに興味ないぞ(何。
ここぞとばかりに5つ買ったらもう1つおまけするよ!
とシルクのスカーフを進めてくる方々。
最後の最後まで買う気がなかったのですが、僕は気づいたのである。
ここでお金を使わなかったら使う機会はもうない。
インドルピーは日本で換金できない。ここで使うしかない。
そう思ってインド人の旦那にテキトーに見繕ってもらって、
会社の女性陣に配ったのはここだけの話。
そして工場の隣の建物にはちょっとした売店があって、
有り金ありったけのチャイの葉を買い込んで帰りました。
2011/11/05 15:50頃 バラナシ空港
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/5b/19a0fafe0285e53ebcce0c1408da7039.jpg)
さてこれでインドともおさらばである。
バラナシ空港からデリー空港にいって国際線に乗り換え、
成田に帰るだけ。そう帰るだけなのにここからがなかなかである。
お目当ての国内線がやってこない(汗。
僕の記憶では2時間くらいは待っていた気がします。
最初のうちは「インドで待つのはもう慣れっこですから」と思っていたが、
徐々に時間がたつにつれ「あれ、国際線に間に合わないんじゃね?」
「俺、次の日の飛行機になると仕事間に合わないんだけど(汗」という空気。
2011/11/05 18:30頃 滑走路
チケットには16:50とフライト時間が書いてある。
だがしかし、永遠と滑走路を歩いて遠くにある飛行機へ。
初めてです。滑走路を歩いてタラップをのぼるの。
でも時間押しているんだね。早く飛べよと思って席についても、
飛ばない飛ばない。なんで飛ばないんだこの野郎と思っていると、
中国人のじじぃばばぁの団体客がすわらねぇすわらねぇ。
挙句に席配置が納得いかないのか、いろんな人が立ち上がり移動。
たぶんまたこれで30分は食ったと思う。
旅行四日目(10/10)
ここから写真も動画もなくて、
いまチケット探すのも面倒でわかりませんが、
怒涛の移動です。そりゃぁ2時間も押したんだもん。
ガイドさんも苦笑いですよ。僕ら冷や汗ですよ。
んで、デリー空港に着いたら何が起きるか、答えは一つ。
ダッシュ。
ガイドさんは国際線には無縁なので、
乗り換え口と出口の分かれ道で、なんの感傷も浸る間もなくお別れ。
そこから僕ら日本人4人組はゲートへ急ぐわけである。
税関手前での用紙の記入がまた面倒なわけで、ドン引き。
ここで関西組であるツアーを共にした2人ともお別れ。
彼らの便にはまだ余裕がある。僕ら関東組はゲームセットの予感。
なんかたまたまツアーを共にした2人と、互いに
「またいつかどこかで」と自然にいえるのが気持ちよかった。
そんな風に思います。
ただ僕らはがぜんダッシュです。
そして現れる荷物検査。
馬鹿じゃないのかってくらい厳重なんですけど。
インドから持ち出したいものなんてなにもないっちゅうねん。
そして英語に心得がない連れが時間を食うわけで、
僕はその間、ライフル抱えた荷物検査のおっさんに
「どこ行ったんだ?」「」
「お前はヒンドゥー教徒か?(朝の祈りのとき書いた額のしるしを見て)」
「楽しかったか、インド?」
みたいなことを聞かれて時間をつぶしていたわけさ。
そして荷物検査を突破し、搭乗予定のゲートへもうダッシュ。
そしたらエアーインディアのスタッフが、
「あーゆージャパニーズ?」みたいなことで声かけてきて、
「○○番ゲートだ!」みたいなこと言うんだけど、
チケットには「○△番ゲート」と書いてあって、
ちがくありませんか?セニョールと聞き直したら、
「変更されたんだ」とか言われて、仕方なく信じて走った。
そしたらようやく搭乗が始まったところだった(汗。
ふつうに間に合った。国際線も遅れていた。
最後の最後までインドの洗礼を受けた。最悪だった。
2011/11/06 07:00頃 成田空港
無事…には成田につかなかった。
さすがに旅行疲れでうっかり薄着で寝てしまった。
どっぷり寝汗をかいて冷房がガンガン当たり、
見事に風邪をもらって帰国。
ここでもまだヒンドゥー教のおでこのマークがあるもんだから、
インドから帰ってきた愚か者感は出てたと思う(笑。
リンク1 インド1日目(今日も元気だ お米がうまい)
リンク2 インド2日目(旅は道連れ余は馬鹿ね)
リンク3 インド3日目(振り向けば下痢がいた)
2011/11/04 20:00 ホテル
ガンジスの祭典から帰還した我々。
連れは体調不良マックスで夜飯いらない…
「簡単なものを部屋に持ってきてくれませんか?」と
ガイドに頼んでいる悲しい状態。
※旅行から帰ってきてその頃の話を聞くと、
午前中からの下痢に加えて発熱も合わさって、
すごい気分が悪かったらしい…
この日の夜はホテルの食堂でJAP一人でご飯。
まわりは…どこからわいたかわからない中国人だらけ(汗。
たまたま同じホテルに中国人の団体客が宿泊していたらしく、
それに気を遣ってかこの日のメニューにべたついたご飯があったり、
なんかインド風の春巻きがあったり、なんかインドっぽくないご飯。
ただなんていうかこの日になると別にホテルの食堂ぐらい、
僕一人でなんなく食べれちゃうもので、
飲み物よこせなんて朝飯前に言えてしまうわけで、
インド人はアメリカ人と違って大声で話してくれるから、
英語へたれな僕でもお茶の子さいさいである。
2011/11/05 04:30 ホテル
インド滞在最終日。
この日は朝からガンジス川のサンライズ・日の出を見に早起き。
連れの体調もなんとか盛り返し、眠い目こすってホテルを出発。
まずは、ツアー参加者が泊まっている別のホテルへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f6/b632fb6f9690f3c793b9c6f6f274dbcb.jpg)
これ行ってみてびっくりしたんですけど、
たしかツアー料金1万円か2万程度アップでホテルのグレードを
あげることができたんですけど、その格差にびっくり。
初日のホテルに差はなかったのだけどバラナシはすげぇ。
僕らが泊まっていたホテルはなんていうか、
大学とかスポーツの合宿で行くようなしょぼいホテルなんだけど、
グレードの高い方にいってみたら全然違うのよ。
でもまぁ、僕の宿泊観からするとインド行って
ホテルのグレードなんか期待すんなっていう気はする。
どこもコンクリート・大理石むき出しの建物だし、
お湯がたとえ出ても湯量なんかたかが知れてるシャワー、
ベットだけしっかりしていれば正直どこも一緒である。
なぜならどこで飯食っても味に差がないし、
カレーを食わされるだけだしねぇ…。
2011/11/05 05:30 ガンジス川のほとり
日の出前。
真っ暗な中、相変わらず土産物を押し売りしてくる連中が跋扈。
とりあえず近くまで車でつけてしばらく歩くわけだ。
そしたらガイドの計らいでチャイを飲むことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ea/99d0710789ed14dbb4fbdec2d5f998f8.jpg)
なんか安っぽい陶器の茶碗で飲むんだけど、これ使い捨てなんですよ。
いたるところに残骸が転がっている状況なんですよ。
すげぇ文化レベルですよ。デカルチャー。
ただ朝からチャイ飲むと目が覚める。すげぇおいしい。
ぜひ日の出のガンジス行ったときは露店のチャイを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/bc/867bff0ff3ae67c59bda1e18a80e577b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/26/0ed5b8890d52740592433531a4390837.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/77/a96d8dcb7e0a1510ca057fd08a69f3f7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a7/a42fe0156273e0a7059b2b0ad2a3c3cc.jpg)
さて、船に乗船、乗船と。
え。どの船だよ、ウッジャルさん(ガイド)。
まさか、現地調達かい?え、それでいいいのかい?
というわけでこのやり取りが日常となっているガンジス。
朝からめちゃめちゃ人が多いわけだが、
4人+ガイド1人でゆったりと木船に乗船。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/6f/7cf027df36658e5a6ae2b493b89a4524.jpg)
それはそうと僕は興味がなくて内容も聞かなかったし、
ものも買わなかったんだけど、
なんかろうそくが立った花をガキンチョがたくさん売ってて、
お祈りと合わせて川に流す文化があるらしい。
その手の文化や背景に弱いミスタージャパニーズの連れが購入。
そして放流。時間がたつと勝手に沈んでいきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/7e/c54ca0bdf41c2c82f861ef0463fe43c5.jpg)
んで日の出。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/8f/646142d861bd97251b407696c919fcd9.jpg)
たぶんだけど。これは賛否両論。
富士山の日の出のほうが日本人としては感動かもしれない。
たしかにだだっぴろい川の上で、お経が大音量で流れている空間、
川岸はインド独特な寺院が立ち並び、沐浴する人々、
川の向こうから徐々に昇る太陽。
心にしみる風景ではあるが、うーん…
いやまぁ僕個人としては何となくだけど、
ほんの少し宇宙との一体感を感じたくらいでした。
これが本命でインド行くのは厳しいような気がする…。
あくまでもインドの一部分なのである、ガンジスも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/5b/05b709c571339bb67f6c4140a50d1207.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a4/acf75688681cd876c9c28e4529ebbda7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/ee/f76dc0d7826913562fdb1fa3a407ea81.jpg)
んで、川岸に積んである木。
キャンプファイアーみたいに組んで積んであるわけですが、
これが例の噂の斎場です。ここで遺体を燃やすんですね。
現地では結構お金のかかるお葬式だって言ってました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/62/9d6cb7305874f6d5a4c3b3b23f29ed59.jpg)
それから船を降りてウッジャルが「お祈りやりますか?」というので、
ここまできてやらないわけないだろってことで、
お祈りやりました。このインドイケメンがお坊さん。
いろいろ家族の名前を聞かれて、魔法少女みたいな呪文を繰り返す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ed/1c2a01655e5074a3825075ec4ed63e4a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/f7/70a49aa19769fd8a60afa2b67d2182b9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/92/43f496f9b8fb54e28348e253ac74a57d.jpg)
そしてガンジス川に素足を突っ込み、頭から水をかける。
なんの祈りだったのかはいまだ帰国してもわからない。
旅行四日目(9/10)
2011/11/05 08:00頃 ホテル
再びホテルに帰ってきて朝食。そして休憩。
2011/11/05 11:00頃 サルナート遺跡へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/1b/563a917864e2607f135b814a34f01dc1.jpg)
いままで多くはヒンドゥー教関連のところが多かったわけだが、
ここでようやくブッダ、仏教ゆかりの地に。
ブッダが教えを説いたところでして、のびやかな公園になってます。
ただガイドのウッジャルが入ってすぐのところで、
ちょっとしたことを簡単に説明してあとはどうぞ状態。
感想としてはどうしたらいいんだこれ?みたいな感じでした。
とにかく暑かった印象です。ええ、ここでも土産物が鬱陶しいわけで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ef/35c3b0db6c2a1e0dd8fe81d1410bd5a6.jpg)
ダメーク・ストゥーパ
2011/11/05 13:00頃 シルク工場へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e8/61667f04f5b0d76b42d37a8b514916db.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/5f/db5737c123499023b23576c951205672.jpg)
いったんホテルに戻って昼食を食べたあと、シルク工場へ。
うーん、あれだ。僕はシルクなんかに興味ないぞ(何。
ここぞとばかりに5つ買ったらもう1つおまけするよ!
とシルクのスカーフを進めてくる方々。
最後の最後まで買う気がなかったのですが、僕は気づいたのである。
ここでお金を使わなかったら使う機会はもうない。
インドルピーは日本で換金できない。ここで使うしかない。
そう思ってインド人の旦那にテキトーに見繕ってもらって、
会社の女性陣に配ったのはここだけの話。
そして工場の隣の建物にはちょっとした売店があって、
有り金ありったけのチャイの葉を買い込んで帰りました。
2011/11/05 15:50頃 バラナシ空港
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/5b/19a0fafe0285e53ebcce0c1408da7039.jpg)
さてこれでインドともおさらばである。
バラナシ空港からデリー空港にいって国際線に乗り換え、
成田に帰るだけ。そう帰るだけなのにここからがなかなかである。
お目当ての国内線がやってこない(汗。
僕の記憶では2時間くらいは待っていた気がします。
最初のうちは「インドで待つのはもう慣れっこですから」と思っていたが、
徐々に時間がたつにつれ「あれ、国際線に間に合わないんじゃね?」
「俺、次の日の飛行機になると仕事間に合わないんだけど(汗」という空気。
2011/11/05 18:30頃 滑走路
チケットには16:50とフライト時間が書いてある。
だがしかし、永遠と滑走路を歩いて遠くにある飛行機へ。
初めてです。滑走路を歩いてタラップをのぼるの。
でも時間押しているんだね。早く飛べよと思って席についても、
飛ばない飛ばない。なんで飛ばないんだこの野郎と思っていると、
中国人のじじぃばばぁの団体客がすわらねぇすわらねぇ。
挙句に席配置が納得いかないのか、いろんな人が立ち上がり移動。
たぶんまたこれで30分は食ったと思う。
旅行四日目(10/10)
ここから写真も動画もなくて、
いまチケット探すのも面倒でわかりませんが、
怒涛の移動です。そりゃぁ2時間も押したんだもん。
ガイドさんも苦笑いですよ。僕ら冷や汗ですよ。
んで、デリー空港に着いたら何が起きるか、答えは一つ。
ダッシュ。
ガイドさんは国際線には無縁なので、
乗り換え口と出口の分かれ道で、なんの感傷も浸る間もなくお別れ。
そこから僕ら日本人4人組はゲートへ急ぐわけである。
税関手前での用紙の記入がまた面倒なわけで、ドン引き。
ここで関西組であるツアーを共にした2人ともお別れ。
彼らの便にはまだ余裕がある。僕ら関東組はゲームセットの予感。
なんかたまたまツアーを共にした2人と、互いに
「またいつかどこかで」と自然にいえるのが気持ちよかった。
そんな風に思います。
ただ僕らはがぜんダッシュです。
そして現れる荷物検査。
馬鹿じゃないのかってくらい厳重なんですけど。
インドから持ち出したいものなんてなにもないっちゅうねん。
そして英語に心得がない連れが時間を食うわけで、
僕はその間、ライフル抱えた荷物検査のおっさんに
「どこ行ったんだ?」「」
「お前はヒンドゥー教徒か?(朝の祈りのとき書いた額のしるしを見て)」
「楽しかったか、インド?」
みたいなことを聞かれて時間をつぶしていたわけさ。
そして荷物検査を突破し、搭乗予定のゲートへもうダッシュ。
そしたらエアーインディアのスタッフが、
「あーゆージャパニーズ?」みたいなことで声かけてきて、
「○○番ゲートだ!」みたいなこと言うんだけど、
チケットには「○△番ゲート」と書いてあって、
ちがくありませんか?セニョールと聞き直したら、
「変更されたんだ」とか言われて、仕方なく信じて走った。
そしたらようやく搭乗が始まったところだった(汗。
ふつうに間に合った。国際線も遅れていた。
最後の最後までインドの洗礼を受けた。最悪だった。
2011/11/06 07:00頃 成田空港
無事…には成田につかなかった。
さすがに旅行疲れでうっかり薄着で寝てしまった。
どっぷり寝汗をかいて冷房がガンガン当たり、
見事に風邪をもらって帰国。
ここでもまだヒンドゥー教のおでこのマークがあるもんだから、
インドから帰ってきた愚か者感は出てたと思う(笑。