俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

インド4日目(またいつかどこかで)

2012-05-17 20:18:28 | インド旅行2011
前回までのあらすじ。
リンク1 インド1日目(今日も元気だ お米がうまい)
リンク2 インド2日目(旅は道連れ余は馬鹿ね)
リンク3 インド3日目(振り向けば下痢がいた)

2011/11/04 20:00 ホテル

ガンジスの祭典から帰還した我々。
連れは体調不良マックスで夜飯いらない…
「簡単なものを部屋に持ってきてくれませんか?」と
ガイドに頼んでいる悲しい状態。

※旅行から帰ってきてその頃の話を聞くと、
午前中からの下痢に加えて発熱も合わさって、
すごい気分が悪かったらしい…

この日の夜はホテルの食堂でJAP一人でご飯。
まわりは…どこからわいたかわからない中国人だらけ(汗。
たまたま同じホテルに中国人の団体客が宿泊していたらしく、
それに気を遣ってかこの日のメニューにべたついたご飯があったり、
なんかインド風の春巻きがあったり、なんかインドっぽくないご飯。

ただなんていうかこの日になると別にホテルの食堂ぐらい、
僕一人でなんなく食べれちゃうもので、
飲み物よこせなんて朝飯前に言えてしまうわけで、
インド人はアメリカ人と違って大声で話してくれるから、
英語へたれな僕でもお茶の子さいさいである。

2011/11/05 04:30 ホテル

インド滞在最終日。

この日は朝からガンジス川のサンライズ・日の出を見に早起き。
連れの体調もなんとか盛り返し、眠い目こすってホテルを出発。
まずは、ツアー参加者が泊まっている別のホテルへ。



これ行ってみてびっくりしたんですけど、
たしかツアー料金1万円か2万程度アップでホテルのグレードを
あげることができたんですけど、その格差にびっくり。
初日のホテルに差はなかったのだけどバラナシはすげぇ。
僕らが泊まっていたホテルはなんていうか、
大学とかスポーツの合宿で行くようなしょぼいホテルなんだけど、
グレードの高い方にいってみたら全然違うのよ。

でもまぁ、僕の宿泊観からするとインド行って
ホテルのグレードなんか期待すんなっていう気はする。
どこもコンクリート・大理石むき出しの建物だし、
お湯がたとえ出ても湯量なんかたかが知れてるシャワー、
ベットだけしっかりしていれば正直どこも一緒である。
なぜならどこで飯食っても味に差がないし、
カレーを食わされるだけだしねぇ…。

2011/11/05 05:30 ガンジス川のほとり

日の出前。
真っ暗な中、相変わらず土産物を押し売りしてくる連中が跋扈。
とりあえず近くまで車でつけてしばらく歩くわけだ。
そしたらガイドの計らいでチャイを飲むことに。



なんか安っぽい陶器の茶碗で飲むんだけど、これ使い捨てなんですよ。
いたるところに残骸が転がっている状況なんですよ。
すげぇ文化レベルですよ。デカルチャー。
ただ朝からチャイ飲むと目が覚める。すげぇおいしい。
ぜひ日の出のガンジス行ったときは露店のチャイを。






さて、船に乗船、乗船と。
え。どの船だよ、ウッジャルさん(ガイド)。
まさか、現地調達かい?え、それでいいいのかい?
というわけでこのやり取りが日常となっているガンジス。
朝からめちゃめちゃ人が多いわけだが、
4人+ガイド1人でゆったりと木船に乗船。



それはそうと僕は興味がなくて内容も聞かなかったし、
ものも買わなかったんだけど、
なんかろうそくが立った花をガキンチョがたくさん売ってて、
お祈りと合わせて川に流す文化があるらしい。
その手の文化や背景に弱いミスタージャパニーズの連れが購入。
そして放流。時間がたつと勝手に沈んでいきました。



んで日の出。



たぶんだけど。これは賛否両論。
富士山の日の出のほうが日本人としては感動かもしれない。
たしかにだだっぴろい川の上で、お経が大音量で流れている空間、
川岸はインド独特な寺院が立ち並び、沐浴する人々、
川の向こうから徐々に昇る太陽。
心にしみる風景ではあるが、うーん…
いやまぁ僕個人としては何となくだけど、
ほんの少し宇宙との一体感を感じたくらいでした。
これが本命でインド行くのは厳しいような気がする…。
あくまでもインドの一部分なのである、ガンジスも。





んで、川岸に積んである木。
キャンプファイアーみたいに組んで積んであるわけですが、
これが例の噂の斎場です。ここで遺体を燃やすんですね。
現地では結構お金のかかるお葬式だって言ってました。



それから船を降りてウッジャルが「お祈りやりますか?」というので、
ここまできてやらないわけないだろってことで、
お祈りやりました。このインドイケメンがお坊さん。
いろいろ家族の名前を聞かれて、魔法少女みたいな呪文を繰り返す。





そしてガンジス川に素足を突っ込み、頭から水をかける。
なんの祈りだったのかはいまだ帰国してもわからない。

旅行四日目(9/10)


2011/11/05 08:00頃 ホテル

再びホテルに帰ってきて朝食。そして休憩。

2011/11/05 11:00頃 サルナート遺跡へ



いままで多くはヒンドゥー教関連のところが多かったわけだが、
ここでようやくブッダ、仏教ゆかりの地に。
ブッダが教えを説いたところでして、のびやかな公園になってます。
ただガイドのウッジャルが入ってすぐのところで、
ちょっとしたことを簡単に説明してあとはどうぞ状態。
感想としてはどうしたらいいんだこれ?みたいな感じでした。
とにかく暑かった印象です。ええ、ここでも土産物が鬱陶しいわけで。



ダメーク・ストゥーパ

2011/11/05 13:00頃 シルク工場へ




いったんホテルに戻って昼食を食べたあと、シルク工場へ。
うーん、あれだ。僕はシルクなんかに興味ないぞ(何。
ここぞとばかりに5つ買ったらもう1つおまけするよ!
とシルクのスカーフを進めてくる方々。
最後の最後まで買う気がなかったのですが、僕は気づいたのである。
ここでお金を使わなかったら使う機会はもうない。
インドルピーは日本で換金できない。ここで使うしかない。
そう思ってインド人の旦那にテキトーに見繕ってもらって、
会社の女性陣に配ったのはここだけの話。
そして工場の隣の建物にはちょっとした売店があって、
有り金ありったけのチャイの葉を買い込んで帰りました。

2011/11/05 15:50頃 バラナシ空港



さてこれでインドともおさらばである。
バラナシ空港からデリー空港にいって国際線に乗り換え、
成田に帰るだけ。そう帰るだけなのにここからがなかなかである。

お目当ての国内線がやってこない(汗。
僕の記憶では2時間くらいは待っていた気がします。
最初のうちは「インドで待つのはもう慣れっこですから」と思っていたが、
徐々に時間がたつにつれ「あれ、国際線に間に合わないんじゃね?」
「俺、次の日の飛行機になると仕事間に合わないんだけど(汗」という空気。

2011/11/05 18:30頃 滑走路

チケットには16:50とフライト時間が書いてある。
だがしかし、永遠と滑走路を歩いて遠くにある飛行機へ。
初めてです。滑走路を歩いてタラップをのぼるの。
でも時間押しているんだね。早く飛べよと思って席についても、
飛ばない飛ばない。なんで飛ばないんだこの野郎と思っていると、
中国人のじじぃばばぁの団体客がすわらねぇすわらねぇ。
挙句に席配置が納得いかないのか、いろんな人が立ち上がり移動。
たぶんまたこれで30分は食ったと思う。

旅行四日目(10/10)


ここから写真も動画もなくて、
いまチケット探すのも面倒でわかりませんが、
怒涛の移動です。そりゃぁ2時間も押したんだもん。
ガイドさんも苦笑いですよ。僕ら冷や汗ですよ。

んで、デリー空港に着いたら何が起きるか、答えは一つ。

ダッシュ。

ガイドさんは国際線には無縁なので、
乗り換え口と出口の分かれ道で、なんの感傷も浸る間もなくお別れ。
そこから僕ら日本人4人組はゲートへ急ぐわけである。
税関手前での用紙の記入がまた面倒なわけで、ドン引き。

ここで関西組であるツアーを共にした2人ともお別れ。
彼らの便にはまだ余裕がある。僕ら関東組はゲームセットの予感。
なんかたまたまツアーを共にした2人と、互いに
「またいつかどこかで」と自然にいえるのが気持ちよかった。
そんな風に思います。

ただ僕らはがぜんダッシュです。

そして現れる荷物検査。
馬鹿じゃないのかってくらい厳重なんですけど。
インドから持ち出したいものなんてなにもないっちゅうねん。
そして英語に心得がない連れが時間を食うわけで、
僕はその間、ライフル抱えた荷物検査のおっさんに
「どこ行ったんだ?」「」
「お前はヒンドゥー教徒か?(朝の祈りのとき書いた額のしるしを見て)」
「楽しかったか、インド?」
みたいなことを聞かれて時間をつぶしていたわけさ。

そして荷物検査を突破し、搭乗予定のゲートへもうダッシュ。
そしたらエアーインディアのスタッフが、
「あーゆージャパニーズ?」みたいなことで声かけてきて、
「○○番ゲートだ!」みたいなこと言うんだけど、
チケットには「○△番ゲート」と書いてあって、
ちがくありませんか?セニョールと聞き直したら、
「変更されたんだ」とか言われて、仕方なく信じて走った。

そしたらようやく搭乗が始まったところだった(汗。

ふつうに間に合った。国際線も遅れていた。
最後の最後までインドの洗礼を受けた。最悪だった。

2011/11/06 07:00頃 成田空港

無事…には成田につかなかった。
さすがに旅行疲れでうっかり薄着で寝てしまった。
どっぷり寝汗をかいて冷房がガンガン当たり、
見事に風邪をもらって帰国。

ここでもまだヒンドゥー教のおでこのマークがあるもんだから、
インドから帰ってきた愚か者感は出てたと思う(笑。

インド3日目(振り向けば下痢がいた)

2011-11-16 00:10:47 | インド旅行2011
2011/11/04 03:30 寝台電車

寒すぎて目が覚める(ぉ。

いや、寒いんだよ。インドの夜はすごく寒いんだよ…
んまぁ、正確に言えば寝台電車はすごく寒いんだ。
正直、今の日本ぐらいの気温です。



寝台電車の構造上、とくに個室になっているわけではないので、
カーテン1つで通路になっている形。

んで、車両間にはドアが付いているんだけども、
車両の乗降口にはドアなんてある訳じゃなく、
常に外気が車内へ入り込んでくるんですね。



この写真でも分かるとおり、一応シーツと枕、ブランケットがある。
ただ普段床に寝てる僕からすればシーツなんか敷くのもめんどくさいし、
枕さえあれば寝られるわけで、余裕ぶっこいて半袖で寝てたら、
ちょー寒いの!

同ツアー参加の女性のY本さんなんてダウン着て寝てたくらいですから、
かなり寒かったのは間違いないと思います。
僕も寒くて当然起きるわけです…ここでようやく長袖を着て、
ブランケットをかけて寝ました。

2011/11/04 06:00 寝台電車

当初、予定では確か6:30に到着するはずだった話で、
とりあえず皆この時間くらいに起き始めたんですが、
電車はなんでもない田園地帯に停まったまま。なんか着く雰囲気はなさげ。

そして現れるガイドのウッジャル氏。
「みなさん、おはようございます。電車おくれてまーす。
 インドではよくあることでーす。」

朝からありがたい感じです(笑。
皆起きてしまったので、仕様もなく話し出すわけで。
なんでインドにきたのかとか、普段何しているのかとか…
といっても気付けば8割方、会社の同僚の話で盛り上がる。
どうやらかなり僕と一緒に行った会社の同僚の話が面白かったらしく、
「東京の人、ほんまおもしろいわぁ」と喜んでもらえました。
「なんか修学旅行みたいやわぁ」って感じになってました。



2011/11/04 09:00 どっかの駅

予定の2時間半遅れでどっかの駅に到着しました。
ええ、バラナシではないみたいなんですね。

あ、そうそう僕も未だによく分かってないんですが、
ベナレスとバラナシ、ワーラーナシーとかいうんですけど、
コレ全部同じ都市名です。
なんかイギリス人とインド人で呼び方が違ったからだった気がします(ぇ。

えー、駅からだいたい1時間車に乗るとバラナシにあるホテルに到着。
僕らが泊まったのは「NEW Temples Town」。



僕はこのホテル大好きです(何。
英語は綺麗だし、ホテルは綺麗だし、飯はうまいし。
「ここインドなんですか?」って思うぐらい、良いホテルだった。
僕らのことをコリアンだと勘違いするベルボーイを除いては(何。

さて、午前中は休憩時間に予定は変わり、午後からバラナシ観光へ。



バラナシっていう街はインド各地から巡礼に訪れる人が多いらしく、
人の多さはすごいんですが、すんげぇ田舎臭いです。





街中は牛やらヤギやらが跋扈して、道は平らじゃないし、
そりゃぁまぁエキサイティングできる街です。
同僚もこの時より急激体調を崩し無口になってました(何。



ここでインドの水事情を。
皆さんご存じの通り、インドで水道水を飲むのはアウトです。
ですので煮沸をするか、ミネラルウォーターを買うわけで。
だいたい1リッター30ルピーくらいです。
自販機がないのでレストランとか露店で買います。
正直メーカーとかよくわかりませんが、普通の水です。



観光へ行く前に昼ご飯を食べに言ったんですが、
とうぜんここでもカレーなんですが、
体調の悪い連れはここで「パスタ」をたのんでました(笑。
その場にいた全員が「なぜインドでパスタ?」と思ったのはいうまでもなく、
僕は正直同僚の目を見ることができなくなりました(何。

でもインドのパスタってナポリタンなんですよ。
あれ日本発祥なんですけど、インドの大地にもナポリタンがありました。
きっと宗教的に肉とかが食えない彼らには、
ケチャップ味のパスタは受け入れやすいと思われます。ええ。



次ぎにいったのがバーラトマータ寺院。
あんっまりふざけた気持ちでこの寺院について書くのもあれなんですが、
ガンジーがインドの独立、一体化を願って建てたお寺だそうだ。
そのためにお寺の建物に入ってみると、図のようなインドの地図がある。
逆に言えばコレしかないんです。すべて大理石のプレートできてます。
ここは裸足で参拝しました。

さて、ここを出て同僚は日本から持ってきた薬が効かないということで、
(ちなみにストッパと正露丸を飲んでも回復しなかった)
場末のメディスンショップで薬を買うことに。
不思議とインドはどこにも薬局があって、でかい病院も結構目にします。
ウッジャル氏いわく「インド、医療大国でーす」だそうだ。
そこで10ルピー(6円)で2錠の薬を買ってました。
逆に大丈夫かって思うんですが、同僚に余裕はなく買ってました。
「インド人も日本人もおなじでーす」とウッジャル氏はいってました(汗。



次ぎにいったのがドゥルガー寺院。
真っ赤な建物でここも有名な観光地。
ただ建物内はヒンドゥー教徒しか入れないので、外からの見学。



そんで次ぎにいったのがバラナシヒンドゥー大学内にある、
ヴァシュワナート寺院へいきました。

この大学がまじでかい。筑波大学的な広さ。
グランドはめちゃくちゃ広くてクリケットやったりサッカーやったりしました。



寮がたくさん建ち並び、その中でも驚きの大きさの寺院。
寺院も大学内なので学生が至るところで遊んでるんですが、
なかではヒンドゥー教のしっかりしたモニュメントが立っていて(色んな意味で)
ちゃんとしたお祈りが行われているのです。



聖堂のとなりに牛の石像が座っています。
なんでもシヴァ神の遣いである牛はすぐ近くにいるものだそうで、
この牛の耳に願いを唱えるとシヴァ神に伝えてくれるといわれていて、



こんな感じでみんな言葉をかけていっていました。



そのあとバザールにどっぷり突っ込んでいって、
すんごい人混み、なにがしたくてこんな人混みなのか。
そう思うような所に連れて行かれました。
というか、このときどこに連れて行かれるのか分かっていなかった(何。



どうやらインドの伝統楽器・シタールの工房に連れてきてくれたみたいでした。
ちょう路地裏はいっていって、このままどっか売り飛ばされるんじゃないか、
不安に思うぐらいの場所でした(汗。ガイド無しでは不可能。



ここでシタールの演奏を40分くらい聴いてました。
NYのジャズより良かったです(何。

※ここらへんはyoutubeでみていただいた方が分かると思います。

さてシタールを聞いたら外は真っ暗。
このあとガンジス川のトコまで歩いていくと、
にぎやかな音が。



なんかお祈りらしいです。
これについてはよくわかりません。
まったく説明がないまま連れて行かれて特等席座らせられて、
15分くらい聞かされてました。
ええ、それ以上でもそれ以下でもないです、すんません。

そのあとインドの最弱タクシー、三輪のチャリンコでホテルへ帰還。



これ、乗ってみるとわかるんですけど、恐いです。
意外にスピードが出るのに不安定。車体の堅さといい、
周りを走る同種のチャリンコの多さ、車は来るし、
バイクもバンバンやってくるし、乗ってる奴はデブだし、
ドライバーはひょろいし、道は平らじゃないし。
しかもデブはリアクションめんどくさいし、
「このフェラーリはこの間のインドGPで使われた奴だから」
「アロンソだから運転があらい」とか叫んでるから、
それはそれで恐いと(何。

そしてこの日を終えたのです。

インド2日目(旅は道連れ余は馬鹿ね)

2011-11-11 18:01:09 | インド旅行2011
2011/11/03 05:30 ホテル

いつもどおりベッドでは寝られない僕は4時くらいに起きるわけで、
まぁそれはともかくこの日は朝5:30にホテルを出発しアグラへ向かいます。
ここでインドを地図で確認しましょう。



空港があったのはニューデリー(赤)。
この日に向かったのがアグラ(青)。
最終目的地はバラナシ(緑)。

んでデリーからアグラまでは約200キロ。
時間は…よく憶えていません。きっと2時間くらいです。
この旅行、日程というかスケジュールに関してよく把握してないんですね。
まず時計していくの忘れていったくらいですから(ぇ。



この写真。おそらくデリー駅らしい。
まず説明を受けていないので分からない。
そもそもこの日にいくアグラという場所がどの辺りにあるか分かってなかった。
でもきっとデリー駅だ(汗。



インドの特徴として大規模施設には必ず荷物検査がある。
大きな駅とか観光施設、ときどきホテルとか。
一応テロ対策らしい…だって、正直デリー駅のは意味がない。
写真見て分かるとおり、左側に荷物。右側に人用ゲート。
左側は機能しているが右側が完全スルー。
僕も携帯やビデカメなどそのまんま通過しています…。
ええ、そういうもんです。





乗ったのはきっとビジネスクラス級の席なんだと思います。
もっさりご飯とお菓子が出てきました。
ケチャップがかかってるのはオムレツです。
すごいでしょ、オムレツが真っ白。
ウッジャル氏曰く「ビタミンが少ないからインドの卵は黄身が白い」そうです。



ついたアグラ駅。人だらけです。
こっからいよいよインドの都市をはずれた感じになります。
もちろんアグラはまだ都市の方ではあります…ありますが、
牛とか猿とか街中で見かけるようになり、
どこにいっても基本的に臭いわけで(汗。



さてワゴンに揺られタージマハルへ。



さて、ここでとなりにいる人達誰だよ!
ということで、ご説明申しあげます。

僕の隣にいるのが一緒に行った同僚の3村さん。
他2人はこのツアーに参加したM山さんとY本さん。
なんとこのツアー、僕を含めて4人です!
しかも僕と3村さんは関東からの出発で、
彼ら2人は関西出発組のため飛行機が異なる。
さらに彼らの方がホテルのグレードを上げているため、
現地の滞在ホテルは一緒ではないという謎な状態。
まぁ仲良く旅行しましたとさ。



さて、これがかの有名なタージマハルです。
タージマハルって何か知りたい人はウィキで調べて下さい。



これがここのトレンドらしい。
タージマハルをつまんでいるように撮るのがいいらしい。
これ現地の素人カメラマンに依頼して写真撮ってます。
何枚か撮ってあとでプリントしてくれて渡してくれます。
その価格がなんと1500ルピー!(900円)
これ向こうのお金ではありえないぼったくりよう。



つぎにいったのがファティプールシクリ。



ぶっちゃけよく分からない(笑。
なんか昔の都らしいよ。うむ。



それから昼ご飯。ちょっとしたレストラン。
名前など失念してしまいましたが、日本人観光客だらけのお店。
ウェイターも日本語ぺらぺらでインドか、ここ?みたいな店。
食べたのはやっぱりカレーです。基本インドはカレーしか出ません(汗。



その後、いろいろ大人の事情が満載された大理石加工工場へ。
ここでいろいろインド大理石について話を聞かされます。
なんでもインド大理石は透過度が高いというのと硬いらしい。



インドの親方達は半端ないです。
見ているときしか仕事しないんです(何。



それから本日最後の訪問地、アグラ城。
僕はこの間問題になった「あぐら牧場と関係ないの?」ばっかいってましたが、
まったく関係ないそうです。ええ、馬鹿です。





王様の椅子だったところで記念に一枚撮ってます。

それからまた駅に戻ります。


2011/11/03 17:00 アグラ駅





こっから寝台列車にのってバラナシに行くわけですが、



こんな感じです。二段ベッドの扉無し。
この話はまた次回します。

インド1日目(今日も元気だ お米がうまい)

2011-11-10 17:57:37 | インド旅行2011
2011/11/02 11:30 成田発デリー行き エアーインディア

実際調べていないのであれなんですが、
噂に聞いたところでは東京からデリーへの直行便はこれだけとか。
まぁいいんですけど。



乗っていた時間はたしか10時間超だったような気がします。
さーせん、確かなこと憶えていません(汗。
機内ではずっとFF零式やってました。
機内食は期待してなかったんですが美味しかったです。
ちなみにカレーでした(ノーピクチャー)。



2011/11/02 18:00(以降現地時間) デリー空港



夕方デリーに到着です。
気温は思ったよりも暑くなく、カラッとして快適でした。


↑左から仏様の手が出てます

両替をすませ(細かく両替できず)、空港の外に。
旅行会社の案内では現地ガイドがいるというのを聞いていたので、
どこだどこだと探していたら、発見。



彼が今回のガイドを務めるウッジャル氏。
ヒンドゥー語、英語、日本語が話せるそうです。
正直、日本語は…ときどき土産物屋のほうが上手く感じる程度です(何。
でも仕事はどん欲です。上司の日本人は厳しいそうな。
きっとインドには彼みたいなガイドの代わりはたくさんいるんだと思います。
ましてや日本の企業は条件が良いと思われ、そのために必死。
あって早々「私コノ仕事やめたくないデス」というとんでもガイドである(何。


↑なんでかしらないがインドでは電飾が多用されている

ウッジャル氏の案内で車に乗ってホテルへ。
泊まったのは空港から30分くらいのところにある「VEDAS HERITAGE」。
できて数年のホテルとあってかなり綺麗でした。



水回りはもちろんのこと、空調も快適。
受付の人も英語ができるし、親切丁寧。
そうそうインドにはチップがないのですが、
良い場所になると求められる雰囲気があります。
ただ今回はウッジャル氏が負担してくれる旅でした。
(多分それも彼の営業努力)

本来ならホテルついてなにもなくて翌日またって予定でしたが、
思いの外お腹が空いていたのと飲み水が確保したいので、
その旨をウッジャル氏に伝えたら買い物に付き合ってくれることに。



街角のテイクアウトできるお店で買い物をしました。
縁もゆかりもない店のインドで初めて味わう食事。
不安ではあったものの、予想外のうまさ(僕だけ)。
買って帰ったのはチキンが入ったインド風の炒飯。
なんか大陸特有のお米をなんかの香辛料で一緒に炒めた炒飯に、
どかんとチキンが乗ってる代物。
それとチキンの煮物とガーリックナンを買ったわけですが、
一緒に行った連れ(会社の同僚3村さん)がぱさぱさの米がダメらしく、
まじめに苦しんでる前で、僕だけ馬鹿食いしてました。



そうして1日目は終わるのでした。

インドからの帰還

2011-11-09 16:06:54 | インド旅行2011
皆さんご無沙汰しております。
インドから無事に帰ってきました。ATOPです。

いってきた感想としては、全く予想外の旅行でした。
考えていたよりも思っていたよりも良い旅行になりました。
もともとそんな期待してなかったっていうのもあるんですが(何。


何が良かったか。
まず1つはツアー旅行だったこと。
初めてガイド付きの旅行に参加しました。めちゃめちゃ楽です。
何が楽かって言えば、移動が楽です。
チケットをこっちで必死にガイドを見て買わなくても、
すいすい移動できちゃうのが一番楽。

正直、英語を話さなくて良いとかじゃなくて、
日本語で説明してくれるから良いなんてどうでもいいです。
だって、簡単な会話はできるし、どうせ英語通じるところ少ないし、
現地ガイドの日本語が片言過ぎてどうせわからないし(笑。

あと良かったのは、インド人の背の低さ(何。
いやいいのかは分からないんだけど、そんな恐くない。
アメリカはね、なんかこっちが雑な態度とったら、
銃でばきゅーんと撃たれるんじゃないかって不安に思うくらい
背が高くて、近くに寄ってくるとびびるんですよね(個人的に)。

でもインド人が近寄ってきても、
彼ら170センチくらいだから、目線は一緒なくらいなんだよね。
しかも銃社会じゃないから(一般庶民が携帯してない点で)、
刺されることはあっても、打たれることはない(笑。
だから気楽に歩いていられるし、断れるし…
まぁ背の低さもあるんだけど、人なつっこさもあると思う。
彼らの親日的な面(ビジネス的な意味を多分に含む)も助かって、
あんま悪い気持ちはしなかったなぁ~。


あとは物価の安さかなぁ。
僕がいったときの現地レートは100ルピーが60円でした。
1000ルピー(600円)出すとどん引きされるわけで、
土産物はこちらの足元を見て高いんですけど、
良いレストランに入っても500ルピーあれば足りますね。
正直、旅券が高いだけで他は抜群な物価の安さです。
ヒッピーが行く理由が分かります。

さて、ちょっとした感想を述べたところで、
次回よりインドの話をお送りします。

※picasaに写真をアップしています。
※youtubeにも動画をアップしています。