【訂正】長野県と岐阜県にまたがる御嶽山の噴火で、地元の消防は、登山者の女性1人が死亡したと発表した情報について、午後11時過ぎに「死亡は確認できていない」と訂正しました。
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能天気に過ごしていた主人公が語る、波乱万丈的な締めのコメント…。でもいいのは、自分の思いがけないところからの圧力で曲がらされただけで、本人が曲がろうと思って曲がり角を曲がったとは言わなかったこと。主人公はなにもしていない #花子とアン
あれだな、嫌なことあっても現実逃避してれば、まわりのひとがなんとかしてくれたりするので、不思議ちゃんでいましょう、ちゃんちゃん…ほんと迷惑やわ、それ #花子とアン
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あと安易にFacebookで政治的な記事にいいね!つけて、拡散に協力している方。自分はSNSのいいね!ボタン押しただけです、みたいなつもりかも知れないけど、その記事を検証せずしてるなら、自身の愚かさを証明してるだけだからやめた方がいい。
チーズ釜玉なるものをたのんでみました。69,000ドン。 (@ Marukame Udon @ Aeon Mall in H? Chí Minh) swarmapp.com/c/ioCzCtVM0gT pic.twitter.com/eFGpeiofWt
人材派遣の会社の方とお話しする機会なんかないので、まえまえから思っていたことを訊いてみました。
「海外市場において日本人って魅力あるんですか」
その方曰く、世界的な市場はともかく東南アジア市場においてサービス業においてはかなり魅力的であるそうです。
いわゆる日本のおもてなしの精神はやはり世界一であるそうで、かなりの需要というか、そのノウハウは魅力があるそうですね。
あー、それはそうかもなぁと私も納得。
たしかにベトナムひとつとってもサービスという概念そのものがないですし、そもそもサービスって心がけの問題であってマニュアルじゃないですから。
それから「一般の会社や商社なんかではどうなんですか?」と訊くと、
「まぁ魅力はないですね」。
ですよねー。
私も海外営業に日本人を雇うメリットを感じないし…うん。
「日本人のサービスのノウハウを導入して、それについてこれる現地スタッフはいるんですか?」
「いないですね」
ですよねー。
私も職場で日本人のイメージを聞くと「厳しいです」が大多数です。
すぐ怒るとか、怒ると恐いということではなくて、生活に対して厳しすぎるという意見。
時間には正確で、ウソや言い訳を許さず、無駄が嫌いで、綺麗好き、几帳面でまじめ。
逆に日本人がベトナム人を見るとその逆を感じる場面が多いと思います。
僕も前職の影響で床に落ちているゴミを無視することができない脳みそになってしまったおかげで、この国のごみを捨てる感覚に驚愕しております。
それはともかく、日本人の生活の規律に息苦しさを感じるので、ベトナム人はついていけません。
ですので、ベトナムではどんなに日本式のお店に行っても接客は日本の接客じゃありません。期待しないでください。
でもその人は言いました。
「ベトナム人がそれを求めているわけでもないし、そういうサービスを受け取って幸せになれるかはわからない」
細かいところまで行き届いたサービスが彼らにとって幸せかどうかはわからない。
これは結構大事なことです。
いわゆる日本式のサービスであったり、仕組みや技術を売り込むというのは難しいです。
日本にいると気づきませんが、日本でうまくいっている仕組みが必ずしも海外に適応するとは限りません。
というのも、日本で成功している仕組みで最も重要なのはその仕組みを運用しているのが日本人だということです。
たとえば、新幹線がどうして安全かといえばその技術力もさることながら、それを常に運用・維持している日本人の安全意識が事故を未然に防いでいます。
それを技術だけほいさっさと異国に持ち込んでも、うまく機能しない…はずです。
『運用するのになんでそんなに事細かに規則があるんですか?それだったら今のまんまでいいです。』
と、思うかははっきりと分かりませんが、普通のベトナム人はまぁそれに近いことを感じると思います。
それこそ、ほんとうにバカの壁みたいなものが(バカではなく、文化ですが)確実にあります。
これを乗り越えていくのにはやはり時間がかかるのと、ここベトナムにおいて日本式を100パーセント導入するよりも日本風からいかに日本式に近づけるかが大切なような気がします。
教師同士の職場に限らず、記者もそうなんだけど、他の行いをチェック・添削を業務としている職場って、スゲー気を使う。新米がベテランの仕事を評価するシステムは心臓に悪すぎる。
そういうときにベテランもとい先輩側が懐の深さを見せつけてほしい。「そうか、そうか。端からみるとそういう状況なんだな、参考にするわ」っていってくれないと仕事しづらい…。
ここのクラスはだれだれ先生のクラスだから、試験は配慮しようとか、たとえ思っていなかったとしても、終わったとき「なんでうちのクラスは悪いんですかね」みたいなこと言われれば「なにそれ、試験管の新米教師の私が悪いの?」みたいな空気になって、自分が感じたように評価できないじゃないか。
@Honen_da 落語家でもつまんないこというんですと、自身を犠牲にして世に証明し、文化的ハードルをさげて庶民に寄り添っている天才なんですよ。はい、国民栄誉賞\(^o^)/
で、だ。気を遣わないためにすることは2つ。1つはバカに徹すること。自分バカですからズケズケ言わせてもらいます。これは意外に有効。もう1つは無関心でいること。これはあくまでも業務であってたんたんとこなすだけで済ます。日本人に多いパターン。
最近どことなく不安なので、windowsのリカバリーディスクを作っておこう…と思っていて半年ぐらいたってる気がする
写真家ってみんな機材厨ですから安心してください。根拠はありませんが90パーセントの方がありきたりな写真を撮ります。それでも面白いんですよ。素人がプロに肉薄したりできる芸術なんて他はなかなかないですから。それが楽しいんですよ、たぶん。
そんなに機材じゃない!人間味で勝負だっていうなら、三流メーカーのスマホで挑戦してください(三流メーカーのスマホにもきっと利点があるだろうが…)。
比べる相手もいなければ、分かち合う相手もいない。ひとそれを孤独という…とぅ\(^o^)/
ベトナム人に限らずだけど、誰かに会えなくて寂しいといいますが、誰かに会えなくて寂しいのと、一人だから寂しいのはすこし違うと思うのですね。
行き場のない悲しみや焦燥、それらが自らに堆積して、つねにどこか物寂しいわけで、けして一時的なものではない。
自己主張の強くない、自意識よりも思いやりや配慮ができる人間を育てるのが良い教育だと思いがちだけれども、そんな人間がたくさん集まった世界が幸せかはわからない。革新は生まれない。まぁ革新に至ることが幸せかどうかも分からないけど。
批判するポイントが違うんでねぇの?ようするに危険ポイントで写真撮ってるバカが気に食わない気持ちに上乗せして機材厨オツ\(^o^)/みたいなこちいうから問題なんでしょ。
初級日本語(新日本語の基礎)において「一週間に何回Vますか」「電話をかけます」を組み合わせた「あなたは一週間に何回、家族に電話をかけますか」という質問があります。
これを学生(20歳前後)に聞いてみると「一週間に5回かけます」「2回かけます」と返ってきます。
「一回もかけません」は絶対にありません。
必ず一回は電話します。
これまでの私の実感として週に3回ぐらいが平均ではないでしょうか。
それでいて土日になると彼ら毎週土日は実家に帰ります。
え、週に5回電話して、土日実家に帰ったら毎日じゃないですか!って話です。
現代日本人の申子たる私なんかはベトナム人の彼らからドン引きされる対象にあります。
逆に学生からそれを質問されると「一週間に1回もかけません」と答えると、皆怪訝な顔。
「ベトナムに来て1回電話をしました」と言うと、苦笑い。
「日本にいたとき家族と住んでいましたか」と訊かれて「一人ですんでいました」と言うと、「どうして!?」と驚く。
「半年に1回ぐらい会います」と言うと、悲しい顔をします。
ええ、まぁ日本人の中でもかなり家族と連携をとらない私は、ベトナムでは「てめぇらの血は何色だ!」と言われんばかりの状況です。
ベトナム人男性は日本的感覚で言えば確実にマザコンの域に入ると思います。
それもかなり重度の。
「今いちばん誰に会いたいですか」ときくと「母に一番会いたいです」と言います。
「今いちばん何が食べたいですか」ときくと「母の料理が食べたいです」と自信を持って言います。
「先生は食べたいですか」と聞き返されますが「いいえ」と言うと悲しそうな顔になります。
この手の愛情というか想いというのは回数や頻度でもなく、形式でもないと個人的に思っているのでベトナム人の方々と相いれないです。
まぁ日本人からもわりと白い目で見られていますが…。
上司「みなさんご存知の通り、〇〇先生は今月いっぱいで退職されます」
私『なんだそれ、きいてねー』
先輩「たぶんですけど、○○先生のクラスの引き継ぎはATOP先生になりますから」
私『きいてねー(いわれてねーから当然ですが)』
先輩「来月のクラス、学生の人数多いですし、日本人教師へりますから、ATOP先生はたぶん2クラスもつはずです。合計で4つですね」
私『\(^o^)/』
「コスプレにやさしい街」PRポスターを松戸市八柱の商店会が制作 - ねとらぼ nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/14… @itm_nlabさんから
ベトナムでなぜか見られる大阪ダービー pic.twitter.com/Apw6fp6d1u
教師という職業はまぁまずサービス業である。ということはある程度、求められる教師像や教授法というのは存在するわけで、マニュアルというものがあってもいいのに、わりと詳細なマニュアルが存在しない。
しかしながら、教育というのは生き物であるし、どの教え方が正解というものがなく、かつ時代や学習者に合わせて変えていくものである…みたいなことをいって、自分で考えてくださいという結末が多くの場合存在する。
商売する業界からやってきた人間からすると、そんな理念で秘匿にしているとは思えない。単純に教育ノウハウ、授業のノウハウを流してしまうと商売あがったりだから秘密にしておくというサービス業の側面がありありと見える。
現場でも教えるのが面倒なのか、お互いの教育における考え方・信条に触れないようにするための配慮なのか知らないけども、不可侵領域みたいなのが教師ごとに存在し、教育ノウハウが伝授される機会はほとんどないように思う。ようは戦い方は実戦で学べというのだ。
そうして堂々巡りなのである。なにか良い教授法を勉強したいと思って、頼れる先輩もいないと書籍やインターネットを調べるけども、最終的には「自分で考えてね」みたいなパターン。なんだそれ。
要はすべてのサービス業において、明確なマニュアルがあるわけじゃないけども、こういうトラブルがあった際はこうして対応したとか、ケーススタディを知る機会はある。なんで教育界は意図的にそれを避けているように思う。
教師だって人間だから、汚い生き物であることは認めておきながら、教育というフィールドの理念「自由」「リベラル」であることを、教師育成の場にも押し付けるのはやめてほしい。
リベラルであることと、なにもないのは違うわけでしょ。いろいろ判断材料があって、選ぶ自由があることがあるのは自由であって、なにもないですから自由ですね、頑張ってというのは放棄ではないのだろうか…と教育書を読んで思った次第です。