素直な気持ちを伝えることは、はかない上に神々しい。表面は恐怖や不安で覆い、内部は自信という感情で構成される行動。実に尊い。尊いとはそういうことだ。たぶん。
私はおそらく22年間、人と向き合うことをしてこなかった人間だと思う。ひたすら人の意志や気持ちから逃げてきた。計算高く、そしてもっともらしく。
見方によってはそれを自由と呼ぶかもしれないが、でも今の私はそうは思わない。計算によって導かれた現実逃避、そこから生まれる身軽さは決して自由なんかじゃない。作られた自由なんて、自由とは呼べない。
あまりにも私は臆病すぎる。勝者になることも敗者になることも拒んだ。成功も失敗も手にしなかった。過去も今も未来も期待しないし、失望もしない。私に主体性などないのだ。スタートとゴールがはっきりしたレースではなく、ただただ漂うだけの始まりも終わりもない世界に生きているにすぎない。
そんな22年間を考えると私はなにを手にしただろう。現状、満足も不満もない世界になにをみただろう。
やっぱり不満なんだよ。今こうなっていることの疑問を通りこし、「きっとこれはベストじゃないよ」と悔やみ、憤り、ため息をつく。本当の私はここにいない。自分で作り上げた別の私がここにいる。悪くはない、決して悪くはない。でも良くもない。
なんでこんなに正反対なんだろう。私ともう一人の私。本当は悲しいのに笑えちゃうんだろう。本当は楽しいのにつまらない顔しちゃうんだろう。本当は好きなのに嫌っちゃうんだろう。思ってることとやってることが真逆だ。
突き詰めれば自分と向き合わなかった。人と向き合わなかったんじゃない。尊い気持ちから目を背け、現状を甘んじているだけだった。あまりに弱すぎる私がいた。
今さらなんなんだと一蹴できないのも、私の弱さだと思う。私は強くなければいけない、私は弱くあってはいけない、私は常に都合の良い立場にいないといけない、私は圧倒的な人でないといけない、私は勝ち負けを超越していないといけない…そういう誰からの期待でもプレッシャーでもない、自分で作った型によって今の私にたどり着いてしまった。尊いものをないがしろにした代償は大きい。今から本当に弱い私が表にでていいのか。本当に臆病だ。
私はおそらく22年間、人と向き合うことをしてこなかった人間だと思う。ひたすら人の意志や気持ちから逃げてきた。計算高く、そしてもっともらしく。
見方によってはそれを自由と呼ぶかもしれないが、でも今の私はそうは思わない。計算によって導かれた現実逃避、そこから生まれる身軽さは決して自由なんかじゃない。作られた自由なんて、自由とは呼べない。
あまりにも私は臆病すぎる。勝者になることも敗者になることも拒んだ。成功も失敗も手にしなかった。過去も今も未来も期待しないし、失望もしない。私に主体性などないのだ。スタートとゴールがはっきりしたレースではなく、ただただ漂うだけの始まりも終わりもない世界に生きているにすぎない。
そんな22年間を考えると私はなにを手にしただろう。現状、満足も不満もない世界になにをみただろう。
やっぱり不満なんだよ。今こうなっていることの疑問を通りこし、「きっとこれはベストじゃないよ」と悔やみ、憤り、ため息をつく。本当の私はここにいない。自分で作り上げた別の私がここにいる。悪くはない、決して悪くはない。でも良くもない。
なんでこんなに正反対なんだろう。私ともう一人の私。本当は悲しいのに笑えちゃうんだろう。本当は楽しいのにつまらない顔しちゃうんだろう。本当は好きなのに嫌っちゃうんだろう。思ってることとやってることが真逆だ。
突き詰めれば自分と向き合わなかった。人と向き合わなかったんじゃない。尊い気持ちから目を背け、現状を甘んじているだけだった。あまりに弱すぎる私がいた。
今さらなんなんだと一蹴できないのも、私の弱さだと思う。私は強くなければいけない、私は弱くあってはいけない、私は常に都合の良い立場にいないといけない、私は圧倒的な人でないといけない、私は勝ち負けを超越していないといけない…そういう誰からの期待でもプレッシャーでもない、自分で作った型によって今の私にたどり着いてしまった。尊いものをないがしろにした代償は大きい。今から本当に弱い私が表にでていいのか。本当に臆病だ。