多様性の欠如。この言い方が微妙に意識高い系の戯れ言に聞こえてしまうのだけど、まぁたしかに学者さんやコラムニストさんがいうのは正しい。日本人は破滅に向かうとわかっていてもやめられない。なにも変わってない、腹切り、カミカゼの時代から。
だらだら生きたっていい。あんたに理解されなくたっていい。私は私でいることになんら恥じることはない…たしかにそう思えれば幸せだ。
違うと思うんだな。私は私だから構わないでくれ、と細々と生きていくことも、マジョリティーの価値観にたいして一切目を向けず超然的になるのも違うと思うんだなぁ。
マジョリティーの世界に足を突っ込み卑屈になりながらも、こんな生き方は間違ってると、てめぇにも教えてやるよ、その価値観が絶対的な価値観でないことをって。その証明は川の向こう側でするのではなく、同じ土地で行うことに意味があると思うのよ。
だって、違う世界からあんたのいる世界はわしの住む世界とは違うんだなぁ!っていうのは多様性の必要性を訴えることはできても、それは多様な価値観が共存する世界ではなくて、排他的な区別された世界しか想像されないじゃない。
多少、自分に部が悪くてもマジョリティーの価値観に小便引っ掻けるのはやり逃げではなく、居続けてやり続けることに意味があるのだと思う。それが負け犬の遠吠え、負け犬の小便でもいいと思う。多様性を身をもって実現してやるのだよ。
だからですよ、まったく隔絶された、スタンドアローンな状況に身をおいて「ウェーイ!」しているのはなんか、違うと思うのよ。それはそれでいいとも思うけど、一人の人生としては。
だから。こうしてぎりぎり日本社会に接する状況に身をおいて意識高い系の「ウェーイ」をやっているわけで。
わからないけども、どこにいようとも何をしようとも、自分の生まれ育った国を捨てられるわけもなく、より良くあってほしいと思うのよね、うん。
ひとりの人間として生きることは恐いし、恥ずかしいし、後ろめたい。それにシャチクと揶揄されても、公僕である気持ちを持ちたいと思うし、社会の役に立ちたいと思う。
どんな自分の周囲がくそだ、だめだ、絶望的だって口でいったとしても、アムロがいう「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない」という気持ちを捨てられないし、諦められないのが自分の良さだと勘違いしたり、期待したりしてもいいのかなと思う。
逃げて逃げて逃げ切れればいいけど、そうじゃないのね、きっと。自分が正しいと思えたことにちょっと本気だして、誰かのために自分のために生きてみたっていい。そう生きてみることも間違いじゃないことを見せつけてやろうじゃない。そう思ったり、思わなかったり。ラジバンダリ。
ただ矮小たる私個人の精神は、結果の大小を意識してしまうので、どうしようもなく不安であり、どうしようもなく孤独であり、どうしようもなく惨めであると感じてしまう。ちっぽけな槍。ちっぽけな手榴弾。
なにも伝えられない無力感。なにも変えられない無情感。私もアイドルのファンみたいに自分の1票が世界を変えるぐらいの自信や気持ちを持ちたいと思うよ。
和をもって尊びとなす。この気持ちや精神は好きなんだけど、これを完全否定する人間もちょっとあれだと思うし、この考えが実際にはマジョリティーのウィンウィンの関係に属せない人間には死を!みないなことを状況的に要求している日本の息苦しさはあると思う。
たえずその闘争ではあるけども、マジョリティーの転覆を狙うわけでもなく、すべてのコミュニティの廃絶を目指すわけでもなく、マイノリティーの根絶やしを求めるのでもなく、たえず、血ヘドを吐きながらも中庸を求めよう。
学生が「なんで先生は自分一人でベトナム語を勉強するんですか?」と聞いてくると必ず「勉強っての教わることではなく、学ぶことをいうんだ」と答えるっての鬼畜。
なしくずし…とは思わないし、正しくないけど、結果的にお仕事をせざるを得ないわけで
ベトナム人からコーラとドリアンの組み合わせはがちで死ぬから気を付けろとかSNS経由できたが…そんなもん世の中に存在して良いんでしょうか?
海底ケーブルが再び切断・・・。復旧めど立たず
poste-vn.com/daily-info/5月26日aag-光ケーブルが再び切断-2716 fb.me/3gC9lWaV5
最近、職場にやって来た中年とも初老ともいえぬ男性の話し方が、日本人のその年代の話し方(無駄に倒置法、主語がない、ペロッとした言い方)のせいで、話が全然通じてなくて心配になる( ; ゜Д゜)
若干「なんでこんなみんな不親切なんだろう」ときっと感じているんじゃないかと心配するも、私自身もその話し方や、振舞いがまったく好めず戸惑うのである。
ベトナム人のスタッフを見ていてすごく気を遣って話している気がする。年配の男性にたいして意見やアドバイス、ときに指示しなければならないのは彼らにしてみるとやりづらいんだろうなぁ…と思う
ただ日本人のゆとり世代たる私にしてみれば、なにが気にかかるかって、まったく相づち・合いの手がない会話にうんざりする。話をしてて「そうなんですか」「すごいですね」とかまったくなく、ひとの会話を受けてすべて自分の意見を述べる・知識をいう感じが苦手。
職種・業界的に年功序列的なものや働き方に傾向がないのも、それはそれでつらいわけで。上にとっても下にとっても
私個人に立ち返ってみれば、スタイルも良くないし、低学歴、低所得でノンキャリなわけですから、リップサービスと貢ぎ物が生命線なんですよ(無能)。なんたって女性中心の職場ですから。
なんにしても、どこで働こうともいつも下でにというか、真摯に誠実に教えをこうのは大切だと最近は思います。←今日はこれが言いたい
この間のAIDS記事もあれだけど、ホーチミン市のコンビニだとこれでもか!ってくらい並んでんだけど…これ、なんか不思議な記事 RT @VIET_JO ハノイ:学生の25%が「コンドームの購入が恥ずかしい」と回答 viet-jo.com/news/social/15…
今週はずっと試験問題を作り続けて、8つつくる快挙。たぶん、教えることよりも、教材や試験問題を作るのが向いているのかもなぁ。
普段全く連絡とっていなかった日本へいった学生から連絡来て、彼女がビックリするぐらい日本語が下手になってた。こっちいたとき上手だったのに。
会社にベトナム人の先輩がたくさんいるから、あまり使わなくてすむせいらしい。あー、わかるわー。
そういえば、領事館の車。三菱のランサー(ギャランフォルティスかな)だった。なんか、この国に似つかわしくない。ものすごい異彩感。
四月は君の嘘見始める。なんていうかこういう子供や青年期の輝きに炙り出されるような闇みたいなテイストはつらいな。
ご旅行、出張、バックパッカーでインドを訪れる皆様、お待たせしました!!
来冬ついにベトナム-インド間の直行便が就航します!... fb.me/7tFbet7Z7
いいなぁ、ベトナム人はさくさく仕事やめられて(まぁ本心としてはあまり羨ましくない)
今精一杯生きざるを得ない世代30歳代が都構想賛成の割合が多い。地方自治や若者に政治は応えることができるんだろうか。
都構想という名前が悪かったのかなぁ。行政改革…いやむしろオバマのチェンジぐらい分かりやすい方がよかったのだろうか。
仙台大V王手、本田圭佑からサヨナラ打 仙台6大学 nikkansports.com/baseball/news/… @nikkansportsさんから
それが見出しになってしまう団体ってどうなん?そんなど根性アピールというか、いまどき流行らん心意気美談はいらない。
今月職場にやって来た日本人二人が「ホーチミン市にきたとたん喉が痛くて困ってます」と言っている。おかしい。来て10ヶ月、いまだそんな症状は出ていない。
最近、朝ごはんをめんどくさくて食べずにコーヒーだけ飲んで過ごしているんだけど、それをみたベトナム人に「どうしてくわないんだ」ど聞かれ、「金がない」と言ったら「うそこけ」と返され、「時間がない」と言ったら「うそこけ」と返され、「めんどくさい」と言ったら「意味わからん」と言われた。
これを牛丼っていうのは… (@ 牛めし屋) swarmapp.com/c/5Us0br2aFFC pic.twitter.com/SoKLd4gJxW
前へ進めば、昨日までの自分を置いていくことになる。
昨日まで自分を支えてくれたひとたちとの別れでもある。
昨日まで自分を支えてくれたものたちとの別れでもある。
前へ進めば新しい自分に出会える。
前へ進めば新しいひととの出会いもある。
前へ進めば新しいものとの出会いもある。
そういうものなんだって最近は思う。
すこし悲しいと思うこともあるけど、別れを寂しがる必要はないかな。
前を進むことを拒めば、反対に置いていかれる。
別れは必然で、それが生きるということ。
でもまた会える。
生きていさえすればまた会える。
地球のどこにいようとも生きていさえすればまた会える。
それに会いたいという気持ちがあれば会える。
互いに生きてさえいれば。
少し大人になったかね(老けた)。