昨今、みなさんもご存じのとおり「少子高齢化社会」に拍車がかかっていることと、人材移動の「グローバル化」もともなって外国人が日本へ来て仕事をするというケースが増えてきています。
以前にも増して日本社会の要請と外国人の希望がマッチングし始めていることですね。
ただやはり、その割にそれを受け入れる日本側のシステムがほとんど改善されていいないというところに問題があるというのが抗議の肝でした。
一番の問題はお金と気持ちの問題。
日本語を話せない外国人を含め、海外から人を呼んで彼ら自身のみではなく彼らの家族を含めて、税金を負担して枠組みを作る覚悟があるかどうか。
それにつきます。
まぁほかにも既存の日本人の雇用はどうなる?とかいろいろあるんですが、それも含めて受け入れる覚悟をしたときに日本社会に必要なものは何か。
外国人に受け入れるにあたって色々なものを多言語化しないといけないという発想がまず第一にきます。
とあるところの調査によると現在日本にいる外国人をすべてを網羅する言語の数って約190も必要らしいです。
そんなに言葉の違う人たちがすでに日本にいるということ自体衝撃だけども、正直190用意するなんて無理ですなぁ。
じゃ、英語と中国語とスペイン語、フランス語あたりで考えますか?という意見が次に出てきます。
ただここで問題なのは言語話者の人数が多い少ないで社会から突き放していいのかというのが問題になります。
本来は人数が少ないから用意しなくていいという話は本来多言語化社会の構築に相反するとは言わないまでも、関係のないことです。
ちなみにですが、広島市での調査で定住外国人に「一番知っている言葉は何語ですか」という調査をしたら、3割が日本語と答え一番多かったそうです。
正直英語を用いましょうといったところで日本人がまず英語に対応できないので、まぁ現実的に多言語化社会の実現は無理そうですなぁ。
根本的に今まで、今でもかもしれませんが日本社会に入るためには日本語ができないと話になりません。
そんでもって日本人が暗黙で感じていいるのは「日本語を話せる外国人だけ仲間に入れよう」という感触は確実にある。
現実、日本語ができようができまいが本人の能力とは全く関係ないけど、我々日本人は外国人が日本語を話せることを強く要求していたり、評価しているわけで、多文化共生とは逆行した暗黙のナショナリストといっても過言ではないかもしれません…。
まぁそこまでいわなくても、基本的に日本人は日本語が通じないとわかった瞬間の諦め方は尋常じゃないですね。
マンションの隣の部屋にラテン系の家族が引っ越してきた時なんてたぶんヒステリー起こす可能性が高いです。
…そう考えると移民とか無理じゃないですか。
そもそも今現在の日本の地方公共施設はどうしのいでいるのか不思議ですらあります。
市役所に日本語話せないひときたら、小学校に日本語を話せない子供がきたら…ああ、恐い(何がというのはこの際伏せます)。
ちなみに僕今回初めて知ったんですけど、外国人のこどもって小学校中学校に退学届って提出できるそうですね。
そうやって放置すると全く学歴のない定住外国人が生まれるという構造が日本にはあるそうです。