俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

茨城の名所旧跡にいった話~小野小町の墓~

2014-05-12 19:55:31 | 国内旅行
前回まで

前回、茨城県にある小町ゆかりのお寺、北向観音堂に立ち寄った私。野ざらしにされ遺跡に近い状態にある観音堂を見て、どこかせつなくもよさを感じた私はいよいよ小野小町の墓へと向かうのでした。

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北向観音堂近くの国道138号線にいる私。



ここから「小野小町の墓」まではすぐ近く。北向観音堂があるちょっとした山(筑波山の端にある)の北向山のちょうど裏側にあります。

後日、こちらに帰ってきて知ったんですが、ここの北向観音堂の裏道(山道)を登っていくとちょうどたどり着けるらしい(個人的な見解として一人で入っていくにはそれなりに勇気がいいると思う…)。

それはともかくとして、ネットで調べた「小野小町の墓」がある「小町の里」という場所があるところを目指します。

北向観音があるのは石岡市で石岡市のHPにはものすごく不親切でどこにあるかさっぱりわからないくらい過去の遺物的な扱いを受けていましたが、小野小町の墓があるのは土浦市になります。

こちらはそれなりに観光地として有効活用しようとする気持ちがあるらしく、墓近くに資料館的なものが用意されています。

ただまぁ、所見のひとにはまたこれもわかりづらく、「小町の里」というエリアに「小町の館」という資料館があって、その近くに「小野小町の墓」があるんですが、それが超絶分かりにくい。カーナビでは「小町の館」で探すのが一番だと思います。

さて、ここまで文句しか言っていませんが、いよいよ向かうことにしました。



国道138号線から辻交差点まで戻り、国道199号線朝日トンネル方面に曲がります。トンネルを抜けた最初の交差点を左折するとあっという間に到着します。駐車場は無駄に広いです。



とにかく周辺地図やパンフレットなどがない私は『小野小町の墓はどこぞ!』と思って敷地内を歩くと看板が。



いや、見学できないことは知っていましたぜ(2014年5月現在)。

でもこういうのって「釣りロマンを求めて」ならぬ「歴史ロマンを求めて」な人間から言わせると近くまで行って、だいたいどんなものなのかだけでも見たくなるものです。



というわけで近くまで行って見ることにしました。

途中、「ちかん注意」の看板を見ましたが、どうみてもこのあたりに出るのはちかんではなくてモノノケの類なような…。



それとパラグライダー的な練習をしている人たちがいました。



道なりに看板がぽつんぽつんと立っています。



しばらくすると立派な看板が。



え、本当にこの奥にあるんですか…?でも進みます。



お、民家のわきに看板があって、どうやらこの奥にあるみたいです。





あ、ありました。これが小町の墓です。



わかるでしょ?ほら、塔みたいの立ってるじゃない。これです、これ。



いやぁ、遠目に見ても赴きあるお墓じゃないですか(汗。

なんか…あっさりしすぎているなぁ。(山の中から猟銃を打つ音がパンパンなってますが)

う、うん。次行こう。次に。腰掛石を見に行こう。



再び、看板が。



まじか。これがハイキングコース入り口にもなっていると考えるとすこしゾッとするレベルの道です。

薄暗い舗装された道を20メートルぐらい歩くと再び看板があります。



道を曲がってさらに進むと明らかにこれは農家の畑の中。

そして段々に切れている石が。



そうです、これが小町が山を越えるときに腰を掛けたといわれている腰掛石です。



いいなぁ、なんの確証もないのに石がたまたまそこにあれば観光名所が出来上がる構図。歴史ロマン(違。

ふたたび切なさに胸が締め付けられ来た道を引き返すのです。

ありがとう、小野小町伝説。もうこのまま風化していっても惜しくない。そんな風に思いました。

こうして小野小町の墓を訪ねる私のGWの一大イベントは終わりを告げたのでした。

感想としては、小野小町がこれならば、青森のキリストの墓はもっとすごいんじゃないかと期待が膨らみました(何。

茨城の名所旧跡にいった話~北向観音堂~

2014-05-09 12:19:02 | 国内旅行
さて、前回の続き。

小町の墓へいくことを決めた私でしたが、急に行くことを決めたものだからそもそもどのあたりにあるのか調べてもいませんでした(汗。

大洗水族館でマンボウを見ながら場所を調べたら、土浦にあるというのを知って『思っていたより近い!』と思いました。

時刻はおよそ14:00。

水族館にいるリア充ポジションの方々に肩身の狭い思いをしていた私は「チンアナゴ」を足早に見学し、車のアクセルを強く踏み込みました。



さきに目標としたのは「北向観音堂」。


2個あるうちの上のマーカーが北向観音堂

住所を調べてみると…

「石岡市小野越」

ん、小野越よりもあとの住所もない。連絡先電話番号は…ない。

おー、これは探すのに苦労するパターンと悟りました。

とりあえず常磐道千代田石岡ICを降り、筑波山方面、もといフラワーパーク方面へ向かいます。

びっくりしました。

茨城ってこんな田舎だったなんて(何。



もうね、四国でうどん屋を探していたとき以上に『こんなところにひとが住んでいるなんて』と思わずにはいられませんでした…。

さて、国道138号線を進み、”辻”という交差点を曲がります。

すると道が一変。それまでののどかさに危険が織り交ざった、両脇田んぼ、ノーガードレール、狭い道、交互通行、すれ違い不可能な田舎特有の道に入ります。

少しするとカーナビから「目的地付近に着きました」というアナウンスが流れ、『おお、ここが小野越かぁ』なんて思ったんですけど、なにもない。看板もない。

ただただ田んぼ。



困りましたなぁ…なんて思っていたんですが、そこで立ち往生しているわけにもいかず農道に車を停め、第一村人のおやっさんに聞き込みをしました。

私「道を伺いたいのですが、北向観音堂はどちらにありますか」

村人「そこを降りっててねぇ、奥入ってくとあっからぁ。車では入っていけんから、そこらへん停めていくしかねぇ。看板あっから、そごから森ん中入ってくとあっから」

完全にテキトーな方言を打ち込んでいますが、ここが茨城県の県南地域とは思えない訛り具合でびっくりしました。



そしてどうみても森の中に観音堂があるとは思えませんでした…。

お礼を言って、言われた通り行ってみるとすごい小汚い趣のある看板が!



いや、これ、看板といえば看板だけども、看板の先なにもないのに「北向観音堂」って。

しかしまぁ、おやっさんの言葉を信じて進んでみると、その先に明らかに放置された手を加えずに昔のまま保存されている石碑や建物が!





完全に時間がとまっている。

この観光地として生かそうとしない、飾らない姿勢に心が震えます。



小町といえば化粧水である。というわけでここにも化粧水。



そうですよ、小町がどこで顔を洗おうとも、その洗った水がありがたいのです(汗。



さて、そのわきに「小町いぼ神様」という岩があります。



なんでも皮膚病を患っていた小野小町がここの観音様とこの岩にお祈りをささげたところたちどころに治ったそうです。

ありがたいお話ですねぇ。ええ。



さて、崩れそうな石段を登っていくと観音堂があります。



とくにこれといってなにかというわけではない観音堂です。

とりあえずお参りをします。



そもそも小野小町が立ち寄ったという由縁ではありますが、きっとこれが観光地として整備されていたら少しありがたみがないかもしれません。

ただでさえ、その怪しい伝承にすがるのも少し後ろめたいものがあるのに、整備されてでもしたらありがたみなんか…。

京都の小町寺もそうでしたが、誰も知らない、誰も来ない、ひっそりとしていつか消えてなくってしまうであろう伝説が静かに息吹いていることに魅力があるのかもしれません。

あとで知りましたが、この観音堂のわき道を上がっていくと腰掛石があったり、少し離れたところに硯石とか姿見の池あるのそうですが、まったくそんなものには気づきませんでした。

とにかくわからなさすぎ。きっと私も第一村人がいなかったらたどり着けなかったかもしれません(何。

皆さんもぜひ消えゆく伝説を見に、「北向観音堂」へ行ってみてください。

そして私はいよいよ「小野小町の墓」へ向かうのでした。

つづく。

茨城の名所旧跡にいった話

2014-05-08 15:54:53 | 国内旅行
先日、ぼっちドライビングをしてきた私です。

思いのほか抱えていた作業がはかどって一日時間ができたので、レンタカー使って茨城に行ってきました。

Facebookで私が大洗水族館へ行っていることをご存知の方も多いと思いますが、私がわざわざひとりで水族館へいってお魚を見て帰ってくるようなおっさんだと思いますか?

そういうおっさんである可能性は否定できませんが、個人的な感想というか反省として水族館にひとりで行くのはお勧めしません。

癒されるどころか平常心を失い、居場所がないことに気づきます…。

閑話休題。

まぁ水族館のともかくとして、昨年から気になっていた茨城県にある「小野小町の墓」を見に行ってきました。

なんで茨城に小野小町の墓があるのか?みなさん疑問でしょう。

私も甚だ疑問です(何。

ウィキペディアに掲載されているだけでも11か所、小野小町の墓とされているものは全国各地に存在しています。

昨年、京都の小町寺にいってきましたが、その縁で茨城に小町の墓が存在すると知って今回いって参りました。

さて、場所なのですが筑波山のふもとです。



非常にざっくりとした地図で申し訳ないのですが、茨城に縁がないとはっきりいってイメージできないと思うのであまり気にしないでください。

茨城県南地域きっての観光名所(!?)フラワーパークの近くです。フルーツラインとかいう素敵な名前の道路が走っているところですね。

今回は小野小町の墓(土浦市)と、小野小町が立ち寄ったとされている北向観音堂(石岡市)に行ってきました。

つづく。(つづくのかい!)

ふるさとは遠い記憶に

2014-01-20 17:58:02 | 国内旅行


一昨日の土曜日。ふるさと祭りにいってきやした。

感想は…とくに(え。

これもう人生何度目の反省になるかわからないんですけど、たいてい誰かと出かける前って出かけた日に本来行わないといけない分の穴埋めをしようとするのと、それをやっていて寝るのが遅くなってきっと寝たら遅刻するという恐怖感で睡眠不足で参加するか、完徹で赴くことが多いです。それか体調を崩していることが圧倒的に多いという…。

しかも、たちが悪いことに出かける予定が事前にセッティングされればされるほどその傾向があって、予定が大まかに決まった時から当日までの憂鬱さといったら何にもたとえようもない。
もちろん、その予定がもともといやだとか面倒だということではなくて、一か月前から予定が立ってること自体に間が持たないだけですのでご気分害さぬように(ここ大事。

そんで土曜日も東京ドームにいったんですが、午前中は学校の授業があるのでその予習を朝方までやっていたら寝るタイミングを逸し、すごく眠かった。死にたかった。ハクナ・マタタ。

そんな状態の私を許してくれる(毎度のことなので諦めらえてるというか気にしてくれない)友人たちには感謝の言葉しかありません。

みんな「とても寝ていないとは思えないぐらい話倒している」というんですけど、それは睡眠不足と久々に人に似合った昂揚感でペースをつかめず突き進んでいるだけで、その副作用として翌日記憶に残っているのはただただ自分が話したことだけで、みんなで何をした、みんなで何をみた、何を食べて、どんな味だったか、みんながどんな顔をしていたかはさっぱり思い出せないんですよ(何。

つまり。要するに。最終的に。よって。

ふるさと祭りの感想はありません。(QED)

ただ漠然と楽しかった(これがふるさと祭りが楽しいのかみんなといるのが楽しいのかは曖昧)というのはのこっております。ひとがおおかったなぁ。なんていうか故郷というブランドがごり押しされて信じられない値段の食べ物があったり…もちろん本来東京からはるか遠方にある土地のものを大量にわざわざ今回のためだけに集めて、イベント参加料の回収とか人件費とかを考えると妥当というか、本来そういうこだわりを持った商品を食べるのは高くつきますというのを教えられた気がします…。

京都にいった話5(業平塩釜ラブレター)

2013-08-04 20:44:16 | 国内旅行
6月4日(火)

京都最終日。
当初3日に帰る予定だったのにずるずると連泊してしまいました。
だいたい京都の大寺は閉まるのが早いんですよ…。

この日は歩くと決めていたので(前日も鞍馬・貴船と小野を歩き倒しているわけですが)、
朝から覚悟を決めて朝9時ごろチェックアウトしました。
チェックアウトもしているので荷物も全部持って昨日より厳しい状況。

いま天気予報を振り返ってみると梅雨入り前だったというのに、この日の京都の最高気温は32℃までいっていたみたいです。

この日は京都の南西側、長岡のあたりを攻めることにしていました。
攻めるといっても攻めるだけの観光地があるわけではないのが問題で、歴史の中でも長岡京なんてほとんど出てこないし、正直「京都と大阪の通過地点」というイメージしかないですね。
そういう理由もあってか(!?)本日向かう寺社仏閣は交通の便は最悪です…。

まずは四条大宮から電車・嵐電に乗って「西院駅」までいき、そのあと阪急に乗り換え「長岡天神駅」で下車。
名前の通り、長岡天神に向かって歩き出します…この時、10時前だったですが駅降りた途端すごーく暑かったことを覚えています。
『なんでこんなところきてるんだろう』という思いしかありませんでした(汗。

なんで長岡天神・長岡天満宮か。

そもそもこの旅の目的は百人一首の歌人ゆかりの地を訪ねるということでしたので、「菅原道真」を祀っている天神様にいくことも百人一首に選ばれている彼を偲んでというのもありますが、ここ長岡の地が「菅原道真」と「在原業平」がともに歌を詠み楽器を奏でた地だというので訪ねてみました。



駅からまっすぐ歩いてくると大きな池が見えてきます。実に何も面白くない(何。本当にただの池です。
ここから池を渡り参道を少し歩いて階段を上がると御社にたどり着きます。



当日は幼稚園の遠足会場になっていました…30Lの登山リュック背負ってる無職は僕だけだったと思います。
とくに歌人の彼らがここでなにかやって、それが形として残っているわけではありませんが、イケメンと天才の共演というのは当時かなり華があったのだろうと思います。何の名残も残っていないわけですが、大宰府に飛ばされる前に菅原道真が詠んだ歌の石碑が1つ置いてありました(別にここで詠んだわけではないのだろうが)。



さくら花ぬしをわすれぬものならば吹き来む風に言伝てはせよ

(桜の花よ、主人を忘れないならば、配所まで吹いて来る風に言伝をしてくれよ)

歌としては「こちふかば」の方が圧倒的に有名ではありますが、どちらも春の花に訴えかけているのがじーんときますね。

長年過ごした京都を去る。そこで一生懸命仕事をしてきたのに、ひとの策謀によって去らないといけない。ひとに裏切られ自分の築いてきた実績や人間関係、それらもろもろの財産を失くし旅立つ。悔しかっただろうし寂しかっただろう。そんな気持ちを花に思いを寄せて詠む…うーん。

まぁそこまでナイーブにとらえるのではなくて強気に解釈すれば、私が遠くに行ってしまっても私が育てたひとや制度は私がやろうとした正義なり方向性を忘れてくれるな、とも思えますが。

さて。
次に向かうのが「十輪寺」。通称「業平寺」とも呼ばれていて在原業平終焉の地といわれてます。実際にお墓もあります。もちろん他の歌人と同じく彼の終焉の地はいくつかあります。

ここはさすがに観光マップに載っておらず、オフィシャルホームページもない(オフィシャルブログはあります)。
どうやらバスで行くらしいですが、なにせ土地勘もなければバスも来ねぇ…そうしたらタクシーしかありません。

長岡天神駅まで戻り、タクシー乗り場で「十輪寺までお願いします」といったら一発で伝わりました。途中、山道を走って、だいたい15分くらいすると到着しました。

その運ちゃんが「そこの茂みのとこ上がっていくとお寺ね」といわれ見てみると


※これは茂みを上がってきたところから下を見た写真

おいおい、寺なんか見えないですよ…と思い、タクシーを降りました。
でも茂みに入ってみるとすぐ先に門らしきものが見えました。血気盛んに登っていくとこじんまりとした門がたっていました。



門をくぐって受付へ…誰もいない。「ベルを鳴らしてください」とあるので鳴らしてみる…誰も来ない。『ああ、ついにへんなところに迷い込んだか』と思って、重いリュックをおろし定期的にベルを鳴らしていて5分以上たったころ庭の方から話し声が聞こえる。

『建物内に誰もおらんのかい!』

「すいませーん!拝観したいんですが!」と叫ぶ僕。庭の手入れをしていたお手伝いさんと思しき老婆が僕に気付き「今そちらに行きます」と誰かを呼びに行ってくれました。

ちょっとしたら建物内から歩く音が。受付に現れる別の老婆。なにごともなかったように拝観料をやり取りし、再び奥へ姿を消したと思ったらお堂内の電気をわざわざ僕のためだけにつけてくれたみたいでした。どうやら本日初めての拝観者が僕のようでした…。



庭は手入れが行き届いている…行き届いてはいるけどもなんていうか時が止まっているようでものすごく生命力を感じさせるお庭でした。この庭を通ってうら山を登っていくと業平のお墓があります。



すごいなぁ。行く先々で有名歌人のお墓を見てきたものの、大きいお墓なんてない。ああ、素敵じゃないですか。あんなに平安時代を第一線で謳歌してきた人間が晩年こじんまりと過ごし、誰も知られずに消えていく。それで1000年の時が経ち、歌だけが残る。何とも言えぬカッコよさ。

お墓の近くに塩釜があります。晩年の業平がここで塩釜たいて塩つくっていたそうです。わざわざこんな山奥に海水持ってきて炊くとかすごい難儀ではないかという気が…。





さてそのあと山をもう一度降りて本堂を見学して、このお寺の売りである中庭へ。



いいですか、次の写真の説明が大事です。これを読む・読まないではこの庭の味わい方が変わります。



この庭は2方を部屋(茶室と業平御殿)で、1方を廊下、あと1方を壁に囲まれた庭になっています。江戸時代、お金のなかった公家たちがこの庭を造るにあたって、いる場所によって見え方が変わるようにちょっとした喫煙所よりも小さい敷地に庭園を造ったんです。

まず廊下から庭を見下ろすと



これが天井から下界を見下ろしたような気分で見られるそうです…。

それで業平御殿の縁側からみた庭がこちら。



どうです?大宇宙を感じましたか?(何

これ、さっきの写真の解説にあった通り実際に縁側に横たわることができます。受付のおねーさんが「どうぞ横になってかまいませんので」といってました。いやぁいいですよ。誰も来ない。この日に限ってはお寺のひとすらまともにいない。お堂を通って庭を堂々と横断して野良猫以外はなにもいない、静かな庭。日本に生まれてよかった思える瞬間です。

さて、在原業平といえば百人一首でもかなり有名な

千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは) からくれなゐに 水くくるとは

(さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは)

この歌ですね。二条の后・藤原高子(たかいこ)の前で、そこに飾ってあった屏風に描かれていた絵を見て歌ったといわれていますね。

さきほどの塩釜のところでもありましたが、在原業平は藤原高子を誘拐する(もしくは駆け落ちともいいますが)ぐらいの仲でしたから、それ相応の思いもあっての歌だったんでしょう。

それに加え、この「十輪寺」のあとに向かう予定の「大原野神社」は藤原家の神社であり、この藤原高子が行幸するたびに塩を炊きまくってた業平のかまってちゃんぶり一途な思いがまた何とも言えぬ…。

そんな業平が高子が大原野神社に行幸する際に詠んだ歌

大原や小塩の山もけふこそは 神世のことも思出づらめ

(大原野において、この小塩山のふもとにある氏神様も、藤原氏出身の東宮の母の御息所が参拝になった今日のこの日には神代のことも思いだしているでしょう)

と一般的に通っていますが、多くの方が解釈されている通りこれは業平が高子を思って詠んだ歌とされてます。

大原野において、この小塩山(十輪寺付近)にいる私も、あなたが参拝された今日、昔のことを思い出しているでしょうという話ですな。いや筋金入りですね(何。

というわけで「十輪寺」をあとにし、「大原野神社」へ向かいます。通常は車などを用いて移動する距離らしいですが、当然そんなものがない僕は歩きます…山道(アップダウンはありますが幸い県道で舗装されてます)を2.5km30分です。当然ですが誰ともすれ違いませんでした。



さすがですね。ここも最寄駅から俄然距離があるためほとんど人がいません。こんな立派な神社なのに。



大伴家持(奈良時代の歌人)が詠んだ瀬和井(せがい)





まぁここはこんな感じですね。特筆すべきところはほかにありません。この神社と次に向かう「勝持寺(花の寺)」は脇道でつながっています。



この脇道(大原野神社からいくとずっと登り)を歩くこと10分。「勝持寺(花の寺)」に着きます。



「勝持寺(花の寺)」は西行が出家したお寺です。桜の名所としてかなり知られているそうです(僕は知りませんでした)。ここが今回の旅の最後の目的地で、やはり行きつく先は西行です(何。



ここの見所は「西行桜」。西行が植えたとされている桜です。西行が植えて何百年経ってるか知りませんが、これが西行桜です。



桜の寿命は…応仁の乱で燃えて…とか聞かないでください。これが西行桜なんです。春に来るとかなり綺麗みたいですね。

もちろんのこと西行の歌も百人一首に選ばれています。百人一首選者の藤原定家の生みの親が西行といっていかもしれませんから、当然といえば当然ですね。

なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな

(嘆きなさい、といって月はわたしにもの思いをさせるのだろうか。いやそうではないのです。わかっているのに、月のせいにしてしまうわたしの涙ですよ)



こうして僕の京都の旅は終えりを迎えたわけです…
当然このお寺から帰る手段もほとんどないわけですがバス停までかなり歩き(20分は歩いたと思う…)バス→電車→京都駅までいって、新幹線に乗って帰宅しました。

京都にいった話4(小野小町メインの日)

2013-07-29 22:01:01 | 国内旅行
6月3日(月)

そろそろ京都に飽きてきた現地滞在4日目。
今日は北を攻めます。同時に南に攻めます。
まぁ電車移動の日です。

東横インの朝食も3日目となり、さすがに飽きた朝9時ごろホテルを出発。

阪急・四条大宮駅→河原町駅まで電車に乗り、そこから京阪・祇園四条駅に移って北上。京阪・出町柳で叡山電鉄に乗り換えて鞍馬駅へ。



駅にはおじいさん・おばあさんの団体のほかに、遠足に来ていると思しき幼稚園児の集団。みな、山登りする気満々である。



鞍馬山。源義経が修業したことで有名ですね。僕はここにくるのはこれが初めてでしたが(汗。鎌倉時代の武人たちに興味がないので、ええ。



ただ。さすが修行をする山である。なかなかの上り坂です。個人的には山寺(立石寺)を登っているのと同じレベル…その何回も曲がり急な坂を登っていくことを清少納言は「枕草子」の中でこう書いています。


☆近くて遠いもの
近いくせに遠いもの。宮のべの祭り。愛情のない兄弟・親族の間柄。鞍馬の九十九折り(つづらおり)という、幾重にも折れ曲がった坂道。一二月の大晦日の日と正月の一日の間。

この皮肉を交えた一節。本来大晦日と元旦の話をしたいそうなんだけど、その近いはずなんだけど遠く感じてしまうもののなかにこの鞍馬の山道を上げています。距離としてはそんなにないとは思うのですが『ケーブルカーのっておけば…』と思わせる距離ではあります。

30分くらい登ると頂上?鞍馬寺に着きます。





こう、やっぱりパワースポットということでその手の方々がたくさん訪れています。僕はなにも感じませんでしたねぇ…パワースポットといいながら完全にパワー持ってかれてましたから(汗。

さて。
普通に下山してもいいのですが、次の目的地は南に少し行った貴船神社。鞍馬からまた電車に乗って貴船口に行くという手もありますが、ここは鞍馬寺の裏手から細い山道を通って貴船に出ることにしました。



これがまた長い。きっとこれも30分くらい歩いていたと思います。貴船神社周辺に着いた時には汗ダラダラ、クタクタでございます。





ええ。ここもカップルには大人気のスポット。縁結びの神様として貴船神社は有名ですね。男一人ではすごくいずらいです。何で来たかといえばその由来ともなっている和泉式部の歌が詠まれた地だから。



もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂たまかとぞみる
(恋しさに思い悩んでいると、沢に飛ぶ蛍も私の身体から抜け出してゆく魂ではないかと見えるよ)

平安時代のビッチ歌人である和泉式部が不仲になってしまった男を思って詠んだ歌。その結果、貴船神社から返し歌があって円満にいったというお話があるそうで。



いや。まぁ。和泉式部の歌。とくに恋のうたは秀逸なんですが、これを歌じゃなくて地でいってるから実際にいたらすげぇビッチ感漂うめんどくさいと思う…。

さて。気を取り直して貴船口駅まで歩きます。バスを待ってもよかったのですが、スイーツ感漂う元気いっぱいな女性陣とバスを待ち乗る勇気などないので(実際待つ時間と歩く時間はそんなに変わらなかったので)歩きました。



これで一気に南に行くつもりだったんですが、ひとつ寄るところを思い出したので「市原駅」で途中下車。

小町寺(補陀洛寺)と呼ばれる小野小町の墓があるとされるお寺に寄るのを忘れてて勢いよく降りたんですが、ここは無人駅。事前に調べておいたグーグルマップで特定していた場所に向かってみるとどう見ても民家\(^o^)/

ググってもどうしようもできないこともあるんですね。ということで住所から察して歩いていくと崖の上にお寺が。本当にここか?と思いながら階段を上がっていくとありました。



いやぁ。なにもない。なにもなくはないのですが、まぁ庶民的というか、地域の小寺というたたずまい。でも一応、小野小町終焉の地だそうです。





そこから再び駅に戻り電車に乗って京都の南に行きます。三条で東西線に乗り換えて「小野駅」に。ここは都会ですが誰も降りなかったですね…。

ここには小野小町が住んでいたといわれる「随心院」にいくのが目的でしたが、その前に蓮が綺麗という噂の「勧修寺」に向かいました。小野駅から西に向かうとちょうどつきああたりにあります。



んー、時期が早すぎてどうしようもない(汗。でも蓮の花が咲いたらすごいきれいなんだろうなぁと思う池ではありました。

そこからまた小野駅に向かって歩いて東の方に歩いていくとなんか門があって入り組んだ小道が現れます。そこを通っていくと「随心院」の門にたどり着きます。

まぁここもでありますが、ほとんどひとがいません…理由はきっと見るものが何もないからという気がしてなりません(汗。唯一といっていいのは石碑だけです…。



ただまぁ、歌舞伎などで有名な「若草少将」の話の舞台はこのお寺というか、この場所とされてます。地名が「小野」という通りこの辺りは小野一族が住んでいて、「随心院」があるこの地に小野小町が住んでいたとされています。その若草少将の伝説「百夜通い」とは以下の通り。

wikipediaを読むと「百夜通い」
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世阿弥などの能作者たちが創作した小野小町の伝説。
小野小町に熱心に求愛する深草少将。小町は彼の愛を鬱陶しく思っていたため、自分の事をあきらめさせようと「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになろう」と彼に告げる。それを真に受けた少将はそれから小町の邸宅へ毎晩通うが、思いを遂げられないまま最後の夜に息絶えた。
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と、ありますが調べてみると結末はそれに限らないみたいです。


京都通(京都観光・京都検定)百科事典より【百夜通い伝説】
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「百夜通い伝説」として、いくつかの具体的な話が残されている。
(伝説1)
小野小町は、深草少将が毎日運んできた榧の実で深草少将の通った日を数えていた
99日目の雪の日。深草少将は、99個目の榧の実を手にしたまま死んでしまう
小野小町は、深草少将の供養のため、99個の榧の実を小野の里にまいたという
(伝説2)
深草少将は、99日まで通い、100日目の最後の晩、大雪のため途中で凍死してしまう
(伝説3)
小野小町は、深草少将が毎日運んできた99本の芍薬(しゃくやく)を植え続けてきた。100日目の夜、秋雨が降り続く中、途中の森子川にかかった柴で編まれた橋で、100本目の芍薬を持った深草少将が橋ごと流されてしまう。小野小町は、月夜に船を漕ぎ出し、深草少将の遺骸を探し、岩屋堂の麓にあった向野寺に安置して、芍薬1本1本に99首の歌を詠じ、「法実経の花」と称した。その後、小野小町は、岩屋堂に住み、香をたきながら自像をきざみ、92才で亡くなった
(伝説4)
深草少将の死後、小野小町は、深草少将の怨霊に取り憑かれて物狂いになり、乞食の老女となった
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まぁひどい創作話ですわ!いくら美人でお高く留まっていたからといってここまで言うことないじゃないってクレイあの話です。

若草少将のモデルは僧正遍照といわれてますが、彼はもちろんのこと生きてますし、小野小町ともかなりいい仲だったといわれてます。


そのあと「随心院」のはずれにある小野小町の化粧井戸を見ました。



そこから今度は醍醐まで歩いて醍醐寺に生きました。世界遺産ではありますが、僕は初めて行きました。



でも広いだけでなんも面白くない(何。入り口にある超デカい庭(三宝院)しか見るところがない。



秀吉デザインのいかした庭園。僕が行ったときは閉園近かったので独り占めできました。ここは撮影禁止ですので写真はありませんが、素晴らしい庭なのでぜひ行ってみてください。

そのあと醍醐駅までいいって電車にとことこ乗って「烏丸駅」で下車。そこから四条通りを西に向かってちょっとあるくと「四条西洞院」交差点の角に小野小町が化粧の時に使っていた水を汲んだ場所「化粧水」の碑があります。交差点のビルに食い込んで立っているので、気付くのに5分以上かかりました。



そんでそのまま四条大宮まで歩いてホテルに帰りました。

京都にいった話3(ツンデレ女に恋して)

2013-07-22 21:16:40 | 国内旅行


6月2日(日)

昨日、無駄に歩きすぎてしまったので正直出歩きたくないと感じていて、ホテルで朝ご飯を食べた後だらだらとテレビを見ていたらすでに9:30でした。

四条大宮から北に向かって歩いていくと、二条城があり、その向かいに神泉苑という庭があります。もともと二条通りから三条通りまであったというのだから驚きである。



竜神を祀っている(または住んでいる)というので、むかしから雨乞いの祈りがここでささげられたそうです。その長い歴史の中で「小野小町」も歌を一つ奉納しているというので行ってみました。



ただまぁ、何かあるわけではありません(汗。池があって子供たちが遊んでいるちっちゃな庭園です。




さてそこから通りを渡って二条城。観光客でごった返しています。今回は二条城に用はありません。二条城駐車場にあるレンタサイクルで自転車を借りるのが目的です。本日は自転車移動でございます。

まずは二条城から北西にある石像寺(釘抜地蔵)。藤原定家宅跡です。一応ここに藤原定家のお墓もありますが、僕はどれがそれに該当するか見つけられませんでした(何。





なにもそ名残はないのですが、いまは釘抜地蔵として、つまり病気やけがが治るようにお参りするお寺としてゲキアツ。巣鴨の磨くお地蔵とはレベルが違って、かなり本気でお参りしている人がたくさんいました。





お堂一面に釘抜きが張り付けられていますね。ここのお堂をぐるぐる回って祈祷します。行っていただければわかりますが、みなさん本気でお祈りしていますので結構驚くと思います。

さて。
そこから京都の東を目指します。京都御所の北、今出川通りにある冷泉邸を門越しに見て(特別な日にしか解放されてません)、御所の東にある廬山寺へ向かいました。





こちらは紫式部邸跡です。もちろん応仁の乱で焼けてしまって確証はありませんが、文献によるとここであったとされているそうです。



ですのでとくにこれといってはないのですが、一応「源氏庭」というのがあって、京都のど真ん中とは思えない庭園があります(ただし外を走る救急車の音はバンバン聞こえます)。



僕が行ったときは先客が一人いただけで、そのあと誰も来なかったですね…しっぽりするにはお勧めかもしれません。

ここで思いのほか時間に余裕ができたので北上して下賀茂神社に寄り道。



ここも世界遺産というのと縁結びのご利益があるおかげでむさい男一人にはハードルの高い神社。まぁ由緒正しいのでしょうが、どうも好きにはなれない雰囲気です…。

そのあと一気に南下して崇徳天皇御廟へ。怨霊として名高い崇徳天皇(上皇と表記した方がピンと来るのかな)。保元の乱で敗れて流され亡くなった崇徳天皇は怨霊となって京都で大暴れというのは有名ではありますが、僕は百人一首に選ばれている崇徳天皇をしのんでお参りに上がりました。ちなみに場所はすごくわかりづらかったです。ウインズ京都の真裏にあります。



瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ
(滝の水は岩にぶつかると二つに割れるが、すぐにまた一つになるので、現世では障害があって結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれましょう)

いい歌ですね。
南無。

それからさらに南に行きます。自転車とはいえ、なかなかの距離です。

向かったのは泉涌寺。本来このお寺は天皇家と結びつきが強いお寺として有名らしいですが、僕は清少納言が暮らしたとされる月輪山荘(清原元輔旧邸)が目当てで行きました。





といっても石碑があるだけなんですけどね。定子なきあと宮中を離れここで過ごしたとされるわけですが…すげぇ山の中なんですけど(汗。僕は自転車で行っていますが、結構苦しい坂が永遠と続くので気を付けてください…。

百人一首において清少納言の歌は

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
(鶏の鳴き声をまねて函谷関の番人をだまし、関所を開けさせたという孟嘗君の故事があっても、逢坂の関の守りは堅いのでだまされて開けることはありませんよ)

というので有名というか、きっと誰もが高校の古文の授業でやったはず。ただまぁこれだけ読むと頭硬い高飛車な女だなぁという気がして清少納言に一切好感を持てない気がするのだけど、僕が思うに彼女は日本史上初ツンデレキャラなんではないかと睨んでいる(何。

人を恨みて更に物言はじとちかひて後につかはしける
(アタマにきてもうぜってぇ口をきいてやんねぇと誓った後に送った歌)

我ながら我が心をも知らずしてまた逢ひ見じとちかひけるかな
(私としたことが自分の気持ちをわからないでいたので、もう会ってたまるもんですかと誓ってしまったのですよ)

つまるところケンカしといて、「ごめんなさい。自分の気持ちに気付いてなくてつい怒ってしまいました。また逢いたいです」とか自分で歌ってるあたり、ゲキアツですね(何。

清少納言という人間の生まれとその経歴を読むとまぁそのツンデレぶりが発揮されていて実に面白い。枕草子とかこのツンデレが「いとをかし」といって書いたもんだからそれも実に面白い。知的で「これはいいものよ!」と声たかだかに書き連ねているなんて…オタク系ツンデレ女子か!とほほえましい…と僕は思っているのですが。


話は脱線しましたが、この後、自転車で二条城まで帰り、ホテルへ直行。
サイズの合わない自転車をこぐと異常に疲れます。ちゃんとしてレンタサイクル借りないと結構しんどいですね、京都。
どこの道こいでも坂なんですよね。道は平らでまっすぐなんだけど必ず下ってるか登っているかなんですよね、自転車こいでいるとそこに気付きます。
次行くときはちゃんとした自転車を借りようと誓うのでした。

京都にいった話2(嵐山・嵯峨)

2013-07-17 22:50:27 | 国内旅行


6月1日(土)

朝8:30。
嵐電に乗って嵐山へ向かいます。



このたび自体「和歌」にこだわって行ったものですが、とくに「古今和歌集」と「新古今和歌集」にこだわった旅行でしたので、藤原定家の別荘があった小倉山近辺が一番ディープなところです。
※今回の旅行はとかく世間であまり有名でないところを巡ります。



まずは渡月橋。有名ではないと言いながらど定番の渡月橋。ここで一人で歩いていると「写真撮ってもらえますか?」といわれまくるので気を付けてください(ぉ。
目的は正面に見えている小倉山。この後に行く藤原定家の別荘があったとされる山を川側から眺めてみたわけです。



んで、通り道ついでに天龍寺船貿易の名前でも有名な天龍寺を足早に通過。



スイーツなリア充な人たちの癒しのスポットの竹林も足早に通過。



そして「常寂光寺」にたどり着きます。えー、諸説ありますが一応藤原定家の別荘・時雨亭があったとされるお寺です。





おそらくお寺としてはあまり人気はないんじゃないかと…でも行ってみるとですね、新緑が気持ちよく、きっと秋にくれば尚のことよいお寺ではないかと思います。



しずかに京都を楽しむには比較的おすすめではないかと思います。嵐山の駅から少し歩きますけど(最北に位置)。

そんで次に向かったのがお隣にある「二尊院」。まさに真隣り。こちらもですね、藤原定家の別荘・時雨亭があったとされています。





門を入って道をちょこっと歩いて行って階段をぐんぐん登っていくと、左手にけもの道があります。



このけもの道(なんだっけな150メートルくらいだったかな。ハチとマムシに注意と看板がありました)をさらにぐんぐん進んでいくとちょっとした広場に出ます。看板が立っており「時雨亭跡」とあります…石の土台はありますが、こ、これは…。



なるほど定家はこの場所から京都を眺め、百人一首を選んだわけかぁと少し想像してみたものの、まじか?と思わずにはいられません…。



はるかかなたに見える京都の街並みをしっかりと心に刻み、次に向かったのは少し東にある「厭離庵」。ここもあの藤原定家の別荘・時雨亭があったとされる場所。この「厭離庵」の手前に「中院山荘」跡の看板が立っています。





百人一首はここで坊主をやっていた宇都宮頼綱が藤原定家に「(ここの)ふすまに貼る歌を百種選んでください」という依頼をしたことがはじまりとされてますね。その宇都宮頼綱が暮らしていたのが「中院山荘」で、今は看板があるだけで、写真の通りただの道です。

そこに幅数メートルの道が一本あります。



ここを30メートルぐらい入っていくと門が見えてきます。ここが「厭離庵」です。ここも藤原定家の時雨亭跡としていますが、ちょっと信憑性は低い気がします…こんな近くには住んでないんじゃね?という誰でも感じる疑問。



なかには入れません。ただ庭が見えるだけで何か説明があるわけでもないので、百人一首にこだわって京都を巡ってない限り誰も来ません。

時雨亭跡とするところが3つもあるわけですが、先生方の研究によれば、「常寂光寺」と「二尊院」の間くらいにあったんではないかとされています。この小倉山にある「常寂光寺」と「二尊院」の間に藤原定家を祀ったほこらがあったからで、ここらへんというのが有力だそうな。

さて、そこから僕の無計画の旅が始まります。「厭離庵」からさらに東に歩いて「清凉寺」へ向かいました。行くとやたら大きなお堂があってびっくりするんですがこれは江戸時代のもの(徳川綱吉時代)です。



ここに訪れた目的は「源氏物語」の「光源氏」のモデルとされた源融のお墓です。嵯峨天皇の息子であった源融がここで暮らし亡くなってからは祀られたわけです(もともとそういうお寺)。





どでかいお堂とは対照的にひっそりと彼のお墓はあります。





そんで南に一気に向かい駅周辺に戻ってきて、立ち寄ったのが「野宮神社」。あまり立ち寄る気はなかったのですが時間が余っていたのでよりました。きっとリア充の皆様ならいったことがあるかもしれません。ここは縁結びで有名な神社です。



立ち寄りたくはなかった理由はそこにあったのですが、源氏物語に登場する舞台でしたので立ち寄りました。源氏物語「賢木」六条御息所とその娘(のちの秋好中宮)が伊勢に向かう前にいた場所がこことされており、光源氏が歌を送って振られる舞台…ん、縁結び?なんで縁結びなのかいまいちわかりません。

そのあと渡月橋近くまで歩いていき「小倉百人一首殿堂時雨亭」にいきましたが、ここは…なにもないです。立派な建物でございますことよ(何。

それから電車に乗って少し京都寄りに戻って、竜安寺→仁和寺→法金剛寺へ、和歌とは縁もゆかりもなく景観を求め歩きさまよいましたが、とくに面白いことはありませんでした。









そこ(花園)から再び嵐山から戻り、祇王寺の庭をまったり見てました。新緑の季節には抜群のお寺です。





そんで時間はだいたい16:30くらい。
19時から大覚寺でホタルを2000匹放すというので、それを見るためにとりあえずだらだらと大覚寺まで歩き、1時間半ぐらいたちっぱなしで待ったわけです。ホタルが見たいがために。



境内の中央に舞台が用意されていて、巫女さんの前にある箱の中にホタルが入ってます。んで、読経がすぎてついにライトが消されホタルが放たれました。


※おそらく肉眼だとこういう感じです。

まぁこんな感じですよ(何。飛んでる写真がない?ああ、コンデジの手持ちじゃ無理ですよ、チーン。とぼとぼ嵐山の駅まで歩いてホテルに帰りました。

こうして嵐山を攻めに攻めまくった1日目は終わるのでした。

京都にいった話1

2013-07-17 17:45:38 | 国内旅行
もう1カ月くらい前になりますが京都へ行ってきました。
なんで今さら京都だったのかというと、当時の僕は和歌に没頭しており、もともと会社に勤めていた時から少々和歌をかじっていたもので、会社を辞めたこのタイミングで平安の世界を感じに京都へ行こうと思ったわけです。


5月31日(金)

10:30くらいの新幹線に乗り東京から京都へ。着いたのは13:30。
大阪に行くことはほとんどないのですが、京都へはなんだかんだでくるのは人生で4回目くらいで、毎度来るたびに京都駅でエスカレーターは「どっち側に乗るんだ?」と緊張します。京都駅は見事に混在していて戸惑うばかりです。



この時点で京都のガイドブックを持っていなかった僕は(おいおい)、さしあたって地図だけでも手に入れたいと駅内の観光案内所に行くと210円とあった…さすが関西人。いまどきどこでも地図を見られるという時代に210円とな。ここで買っては負けだと思ったのでヨドバシに行ってるるぶを買う。どうせかうならいいものを買った方がいいに決まってる…。

この日はもう午後に京都についているのでとりあえず拠点となる四条大宮の東横インに。

北山を観光するうえでここの立地は最高でした。それに隣にはコンビニがあって餃子の王将もある(何。ここから毎晩餃子の王将にいりびたることとなります…ご当地もの?いや、興味ないです。


縄文杉まで行ってきた話2

2013-04-29 00:28:52 | 国内旅行


歩き始めて20分。事件は起こります。

僕が旅行用で使っているオリンパスの一眼「OM-D EM-5」が壊れます。
防塵防滴仕様を気に入ってわざわざ旅行用として昨年買ったカメラ。
バックにしまわずたすき掛けで持っていたら、電源入りません\(^o^)/

タオルにくるんでカバンの中で乾かしてみましたが、
その後一度、「日時を設定してください」とお決まりの言葉が…
これが出た時点で「ああ、終わったな、このカメラ」と見切りをつけ、
カバンの奥底で眠ってもらいました…南無。


※OM-D最後の写真


さて、カメラを早々に諦め、歩き始めてから1時間くらい経って、
そろそろ休憩かなぁと思っていたんですが、どこで休憩を取っていいかわからない…。
(※雨宿りできてゆっくり座れる場所なんてほとんどありません)
もう少し行くかぁと思って登っていると、気づくと2時間くらい歩いているわけ(何。
なんだかんだ言って、大株歩道入口まで歩いてきちゃってました。
距離にして約8.1キロ。ノンストップで歩いて約2時間。

ちなみにガイドブックを読むと1時間歩いたら10分休憩だそうです。
ここで10分ほど休憩し、次へ。

さてここまでは緩やかな上り坂のトロッコ道を歩いてきたわけですが、
大株歩道入口からは完全な登山道です。歩くから登るに変わります。
手をつかずに登るのは無理なくらい急に上がっていきます。

…楽じゃないです。いや登山やってる人は普通なのかもしれない。
でも、最近仕事辞めたばかりの26歳のデブには想像を絶します。
まぁ性格上心が折れることはないのですが、なかなか登りがいのある山道。

あー山登り…あー山登り…どしゃぶりですよ…
足場は水たまりしかないから、ジャバジャバ足を突っ込み、
杉の根や岩場につかまりもくもくと登っていく。


んで、しばらくするとちょっと広い場所にでます。
目の前に大きな切り株が。ウィルソン杉です。
C・W・ニコルではなく、ウィルソンです。
昔ウィルソン博士が屋久杉の研究していて洞窟かと思って入って、
休憩してたら「やっべ、これ杉の切り株ジャン!ktkr」となったのがその名の由来。



中に入って上を見上げるとハートマークに見える。
ただそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
その手の女子だったらキャッキャするのだろうが、
無職のデブには「あ、そう…」という感じですぅ…。

さぁ、ここからが正念場。
残りの2キロで300メートル登ります。
永遠と岩場と階段が続き、いつ終わりなのかわからない。

途中、前日山小屋で過ごしてきた方とすれ違う。
「早いですね、何時のバスですか。1本目ですか?」
「いえ、2本目です。5時のやつです」
「お兄さんが二人目かなぁ、さっき一人若い人登って行ったから」

あれ、僕が2番目?
いつそんなに抜かしたんだ…どうやらかなりハイペースで登っているらしい。
その方に別れを告げ、再びひたすら登っていくと「縄文杉」の看板が…

登山開始からちょうど4時間。午前10時。やっと縄文杉につきました。
ワンストップで登り切りました(しっかり休憩を取りましょう)。



これが縄文杉かぁ…縄文杉なぁ…
というか疲れたなぁ…雨やまねぇなぁ…
寒いなぁ…足いたいなぁ…腹減ったなぁ…
縄文杉…なんか想像していたより小さいなぁ…

というのが当時の僕の精神状態。
小屋で飯を食いながら「早く帰りてぇ」としか考えてませんでした(汗。



10時30分いよいよ下山開始。
来た時よりも水たまりの深さもアップ、
滝のように雨水の流れる足場、
疲労度も足の痛みもアップ、
膝が笑っていつカクッと落ちてもおかしくない状況で、
来た道を永遠と降りていくわけです。

それでもウィルソン杉まで結構余裕で着いたんですが、
そのあとは憂鬱でしかなかった。
無口で10時間近く歩いていると気持ちが切れそうになる…
いやぁ、そりゃぁ一人で歌いだしますよ(何。
でなきゃ、僕は下山できなかったことでしょう。歌の力は偉大なり。



荒川登山口についたのは縄文杉から歩いて4時間。
14時30分…あれ、登ってきた時間と同じじゃん…。
ちなみに善前回書いた通り、一般的に往路は4時間30分+休憩。
復路は3時間50分+休憩。計約10時間くらいです。
うーん、帰りはきついですよ、きっと。
んでまぁ、15時のバスに乗って駐車場まで帰ってきました。



さぁ、ここまで書いといてあれですが、屋久島。もとい縄文杉。
先にも書いた通り、達成感はあれどそれ自体圧倒されるものでもない。
僕は少なくともそう思いました。ちょっと期待外れ。

でも往復約22キロ、つまらないわけじゃないんですよ。
登山口から縄文杉まで、杉の根を足場にしたり、手すりにしたり、
常に屋久杉に囲まれ導かれている感覚は悪くありません。
僕は若干ではありますが、山登りが好きだと思えました。
そういう点ではすごく貴重な体験だったなぁと思いました。
次は少なくとももっと天気のいい日に登りたいと思います。
カメラが壊れない程度の天気の日に。

縄文杉まで行ってきた話1

2013-04-28 12:12:43 | 国内旅行
先日、屋久島へ行って縄文杉を見てきた話。


いつもだと時間をおってかっちり書いていくんですが、
いまさらそんなこと書いたってガイドブックの二番煎じなので、
思うがままに書いておこうと思います。


単刀直入にいうと、縄文杉の素晴らしさというか、
圧倒的な神秘性みたいなものは正直ありませんでした(何。
たぶんあれは単純な達成感だと思います。



片道約11キロ、往復で約22キロ。高低差700メートル。
普段まったく運動をしていなかった無職のデブでも、
どうにか登山できるレベルのコース。
それでもやっぱり楽な道のりじゃないです。

僕が登った日はちょうど九州地方を前線が通過する日で、
前日の夜からかなりの風と雨が降り注ぐ状況。
無事下山して宿に戻った時に宿の管理人が、
「ATOPさん、今日天気大丈夫でした?
 こんな雨で登るのは相当苦労されませんでした?」
と心配してくれるくらいの雨が降っていましたので、
正直山登りっていうよりは沢登りに近い状況でした。

登っているときも下っているときも、戦場まで行軍する歩兵の気持ちでした。
『なにが楽しくてこんなことやってんだ、俺』って何回思ったことか。
ましてやガイドもつけず登ったもんだから、ずっと一人。
そりゃ、誰もいない山の中で松岡修造ばりに自分を鼓舞しつづけるしかないんですよ(汗。



一般的ガイドブックを読むと往路は4時間30分+休憩。
復路は3時間50分+休憩。計約10時間くらいです。

僕は朝3:30に起床し、4:15に宿を出発し、レンタカーを運転し、
屋久島自然館の駐車場に停め、そこで朝飯を食って、
5:00の登山バスに乗って、荒川登山口に5:40くらいに着いた記憶があります。
そこで登山届を書き、準備体操をして6:00に登山を開始しました。

大雨も手伝ってか、登る時期も良かったのか、幸いにも登山客は少なく、
天気も天気でガイドを付けて登っている人たちはゆっくり歩いている中、
僕は意味不明に一人で意気揚々と登り始めたわけです。



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正直な話、ガイドつけて登った方がいいと思います。
登るペースとか云々あると思うんですけど、
単純に10時間も会話せずいるのってスゲー苦痛。
それに「これが○○杉かぁ」とか思うんだけど、あまり感動しないし(何、
ただただ通り過ぎていくだけで、体力に余裕がないと気づきもしなくなるので…。

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屋久島までの経緯

2013-04-24 22:57:48 | 国内旅行
屋久島に来ております。

なぜに屋久島か。

いつもの通り理由はありません。
仕事を辞めるのが決まる前から福岡の高△先輩に九州に来るよう誘われていて、
『福岡行くついでに屋久島にでも行くかなぁ』と思ったわけで。それだけです。

さて、福岡ではいつも通りすっかり高△家にお世話になってしまい、
めしくったり、めしくったり、めしくったりしていました(何。
これが日曜日。

そんで高△に鹿児島まで送ってもらって、桜島行ったり、めしくったり、
そんでフェリーの旅客ターミナルに泊まろうと思ったら、閉まってやがんの。
こうして宿を亡くした無職のデブは東横インへ泊まるのでした。
これが月曜日。

そんで朝8:30の屋久島フェリーに乗って、12:30屋久島に到着。
着いてみるとこれがまた暖かくない…むしろ風がふいいて寒いくらい。
レンタカーに乗って宿に直行でチェックイン。
その後は島をぐるりと一周車で回って、その過程でいろいろ見て、
海のそばにある温泉(湯泊温泉)に一人つかり、これがまたぬるくて(39℃らしい)、
明らかに寒くて、僕の次に来た人は入るのやめてました…。
これが火曜日。

そんで今日ついに縄文杉へとアタックしたのです。

スカイツリーに行ってきました

2012-08-08 23:05:16 | 国内旅行
かれこれ2か月前にスカイツリーに行きました。

覚えている限り書いていきます。



(すでに行ったことを話題にすることを覚えていなかったりする今日この頃…)

僕がスカイツリーに行ったのは6・7。
このときはまだチケットが予約制で、当日券がまだ販売されていないときのことです。

どうやって入手したかというと、以前ブログで書いた通り、ネットの再販売で。
そのときさくっと買えたんですよ。
確かにつながりにくかったんですけど、希望の日と時間が結構選べて、僕も平日の夕暮れの時間をぽちれたわけです。

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んで、皆さんもうすでにご存じでしょうが、スカイツリータウンってソラマチとスカイツリー、あと水族館とかが一体になった施設のことですが、びっくりするぐらい人がいるんですよ(汗。
スカイツリーには入れないけどソラマチにきましたって輩が大半なわけですよ。
それだけ魅力的な施設なのかなって考えてみたんですが、正直微妙な気がしました。

どうも下町臭さが漂っている…正しくは漂わせているのだと思いますが、なんか洗練されたわけではなくて、つくりがこじゃれているわけでないので、どうも安っぽい。
とりあえずテナント入れてみました感がある…。
東京のあのあたりにああいう施設ないからいいのだろうけど、
正直下町版ショッピングモールそのもので、コンセプトはまさしく成功だがどうしたいかはわからない(汗。



まぁ大事なのはタワー。ツリーですね。
そうみなさん、いよいよツリーの話をします。

感想から言うと、何がすごいのかよくわかりません(え。
見たことのない景観なのは違いないですが、それがすごいのかはわからない。
怖いか?ってきかれるんですが、怖くないです。僕が行ったときは揺れなんか感じなかったです。
建物自体のつくりなのか浮遊感もない。なんていうか正しい距離感がつかめないっていう感じ。



でもね。昼間・日中は観光場所としてはすごくいいと思う。綺麗だし、涼しいし。
夜はすんごく雰囲気いいし、独特の高揚感が味わえます。
大事なのは一人で行っちゃいけないことです(苦笑。誰かと一緒に行ったらぜったい楽しいと思います。
僕も失敗したのはそこだなぁと思います。ええ、ひとりでいくのはもたいないです…。



あと、当時僕が使っているカメラがボロ30Dだったこともあって、スカイツリー撮るのって案外難しいことが分かりました。
LED電球って目では見えていてもカメラにはあまり映らないんですね。
でも、カメラ持っている人はぜひ夜のスカイツリー挑戦してみてください。
スカイツリー内は三脚使えないですが、ゴリラポッドとかもってくと綺麗に夜景とれると思います。



ああ、今度だれかスカイツリーに行きましょう。

館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技 に行ってきた

2012-08-08 21:20:20 | 国内旅行


※これは7・19(木)の話です

庵野監督監修のジオラマ展いってきました。
ええ、もう先月の話なんですがね(何。

なんとなくいってみようと思ってたんですよ。
カメラを買って試し撮りにちょうどいいと思って。
正直、庵野氏とかキョシンヘイとか興味なく、
ジオラマを撮影できると聞いたのでいってみました。

まぁ、僕エヴァもジブリも好きじゃないですからね…。

感想としては特撮をみて育った僕はすごい楽しかった。
ひさびさになんかワクワクしたなぁ。
円谷系やゴジラ、ガメラとかの怪獣特撮が
好きな人にはたまらない展示なのは間違いないです。

正直キョシンヘイの短編映画なんてどうでもいいから、
とりあえずもっと特撮資料を置いてほしかった気がする。
短編映画で印象に残ってるのは林原めぐみのナレーションだけですよ(何。

まぁ特撮がわからない人でもきっと楽しめるかなぁ。
駅から遠いのがあれですが、気楽に時間がつぶせるのは間違いないです。



山梨に行った話

2011-09-28 21:49:10 | 国内旅行
少し前の話になるのですが、
さる8/10、山梨に行ってきました。

なんで山梨に行ったかというと、
車で日帰りできるところという話になり、本屋でるるぶを見て決めました。

会社の同期といってきたんですが、
そもそも前日の9日に同期の一人とアキバで遊び兼仕事をしていて、
職場に寄ったら別の同期に「明日暇ならどっかいこう」という話になり、
車で出かけることになったわけ。

地元のレンタカーで車を借りて、
9日23時くらいに亀有まで行って同期一人を拾い、
24時くらいに上野でもう一人を拾って山梨方面へ。



余裕の車中泊。まぁ余裕ではなかったんだけど…(汗。
真夏の車中泊3人は意外と厳しい。すんごく暑いんだなぁ…。
1時間おきに目覚めてはエンジンかけてエアコンをつけるのを繰り返す。
ああ、なかなかのしんどさでした。



そんで取り敢えず最初の目的地、サントリー天然水白州工場へ。
小淵沢にあります。清里の近くです。



ついたのは良いんだが、世間は夏休みであることを忘れていて、
思いの外に見学者が多い。正直驚いた(何。









いやぁ白州も試飲できるんだけど、3人中2人がドライバー。
お酒が飲めるのは一人しかいないんですけど、
しかもその一人がお酒が嫌いときたもので、
一体ここに何しにきたのかっていう疑問だけが残った…。

いやまぁ、水がかなり美味しいですよ。
サントリーのペットボトルに入った水を飲むんですけど、
なんでだかいつもより美味しく感じるんだから不思議(笑。


そんで無事…ああ、無事以外のなにものでもないのですが、
見学を終えて、次ぎにどっかの沢にいきました。



連れの一人が夏っぽい所に行きたいというので思いつきでいったんですよ。
だからよく場所を憶えていないんですよね…。





それから昼ご飯。



相変わらず食べ終わってから写真におさめていないことに気付く愚かさ。
たしかなんかうどん見たいのを食べた気がするんですよね、たぶん(笑。



このあたりってなんかシチューが有名でしょ?
たしかね、ビーフシチューが美味しい店で紹介されていたんだけど、
どう考えても外の暑さに勝てる気がしなくてうどん注文してたんだよね(何。
すんごく美味しかった記憶だけは残っております。



そんで最後にいったのが温泉。
なんていったっけなぁ、甲府の方まで戻って行った所なんだけど、
すっかり失念してしもうた。見晴らしが良くてねぇ…
でも見晴らしだけで何もないんだよ(苦笑。

ああ、思い出した。ほったらかし温泉だ。
ぜったい冬には来たくない道だったなぁ(何。
道は急勾配・急カーブ、ちょう狭いし、街灯なし。
ただ男友達で行くとか大学のサークルで遊びに行くにはちょうど良いかもしれない。
そういう印象でした。

あとはずぅーと運転して東京に帰ってきました。