俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

スペクタクル

2008-05-31 22:10:01 | 勉強
先日、国際日本学部設立記念講演会を聞いてきて興味深い話があったのでメモを。

当日、講演されたのは漫画家のかわぐちかいじ氏と国際日本学部教授2人。そのなかで一番興味深い講演をされていたのが、国際日本学部の高山宏教授。昨年まで首都大学東京にいらっしゃったそうで、いろいろあって明治にきたそうです。専門は文化史学、視覚文化論。講演テーマは「メディアの近代史-イグナチウス・デ・ロヨラとマーシャル・マクルーハン」でした。

話はまず高山教授が上智大学の教授に知り合いがいて、その方の名刺になにかアルファベットの省略語があったことから始まります。高山教授は聞いたそうです。「これはなんの名前の略なんですか?」。するとその方は言いました。「先生、これは名前の略ではなくて、イエズス会の組織名の略なんでよ」。イエズス会…日本人からするとイエズス会がいまだにあるという風に感じる(高山教授曰く日本史だとザビエルが日本にきて終わってその後について教育していないから。正直、私もこのときまで上智がイエズス会だとしらなかった)。

次に高山教授はなんでこのイエズス会がこんな極東にある日本にまできたのかを考えてほしいと話を進めました。そもそもイエズス会の発足・発端はなんだったか。ヨーロッパにおける宗教戦争の結果…もといカソリックとプロテスタントのバランスが問題で、カソリックの信者獲得の巻き返しだった。イエズス会は今までの布教活動の形を一変させ、キリストの一生を劇・芝居仕立てにして行った。この結果、聖書という言語的な障害を乗り越え、世界中に広まった。そしてそれが日本にきたというわけだ、と教授は説明していました。

イエズス会はこの型破りな方法によって世界中にキリスト教を伝えた。教授は語りませんでしたが、私はこれがメディアというものなんだなと思いました。

それから教授は出雲の阿国について話をしました。なぜ田舎の巫女が社会問題になるほど人気を博したのか。それはかぶきものだったから。まーこれが今の歌舞伎になるのだから当たり前か。じゃなぜ、かぶいていたか、かぶいているからといって全国に伝播するわけではない、どうして全国へと伝わったか。ここから教授の推論が始まります。

出雲の阿国の絵には金の十字架を下げているものがある。彼女がキリシタンかどうかは別として、出雲の阿国がイエズス会の布教活動、劇を見ていたんではないだろうか。それをヒントに派手な装飾に身を包み、芝居を思いついたと考えられないだろうか。そしてそれがキリスト教のごとく広く伝わっていったんではないか、と仮説を立てていました。

確かにいわれてみるとなんとなくそんな気がしてきます。歌舞伎の発祥がイエズス会…うーん、興味深い。

まーそんなことを中心に語っていた高山教授ですが、余談として以下のことを話していました。

・スピーシーズとスペクタクルは語源が同じ
・シアターとセオリーは語源が同じ
・スペクタクルは日本語に訳せない
・ビジョンとピクチャーの意味の違いは日本語・日本人において説明は困難
・辞書はオックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリーを使え

まーとにかく不思議な先生でした。

ならず者

2008-05-28 23:33:18 | ATOP
世の中、成功の秘訣は努力や運、才能・センスなどあげようと思えばいくらでもあげられる。それだけ多種多様にわたって人間が存在しており、成功というものに明確な形は存在しない。

なにをもって成功とするか。それも人それぞれだが、私は成功はないように思う。約20年生きてきた中で成功ってなんだったか、思い当たるものはない。というのも、ただ失敗しなかっただけの話だ。このニュアンスの違いは決定的だと思う。

それと私はひねくれているので、A級なできより、C級なできなほうが好きなんだ。だからこそいつまでも私はならず者なんだろうね。

アルジャーノンに花束を

2008-05-23 07:20:06 | レビュー
『アルジャーノンに花束を』を読みました。海外文学としてはめずらしく面白い・興味深い作品でした。

読もうと思ったきっかけは、攻殻機動隊SACのタチコマが読んでいたから。大したきっかけじゃないですが、なぜタチコマが読んでいたのかが気になりました。もともと攻殻機動隊SACは文学作品が取り入れられていますが、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は以前読んでいるので、今回は暇つぶしとあわせて『アルジャーノンに花束を』を読みました。

ウィキペディアを読むと賢くなることが幸せなことか?賢くなること、知りすぎることは不幸を招くのではないか?を問うてるとあります。まーたしかに間違いではないと思います。

ただ私が感じたのは人間の負の部分を上手に伝えていると思いました。仲間意識、差別、欲、本能、思考、思惑…また正の部分と表裏一体として伝わってきました。なんて幸せで不幸せな社会なんだろうって思いました。読んでみる価値は間違いなくあると思います…『老人と海』よりね。

次は偉大なるギャツビー『グレート・ギャツビー』に挑戦します。

春まだ遠し

2008-05-22 23:06:37 | ATOP
なにをこんなに不機嫌になってんだろう。怒ったってなにも解決しないことを自覚しているのに。まだまだ私は人間として未成熟だと思う。

まー、それが先輩としての務めなのか、私個人の保身なり自己中心的な自尊心によるところから発生しているのかは判断しかねるところ。いずれにせよ、怒らなければいけないと感じて怒ったわけだ。それが一番良い解決策であったかは、わからない。

万物、創造と破壊の繰り返しだが、人間関係とて例外ではない。初めはなにもないところに信頼を築く。しかし、時間が経つにつれ、すれ違ったり離れてしまったりしてしまう。そのときに再生するか破壊するにとどまるかはケース次第なわけで、つまりは人間関係も創造と破壊の連鎖だ。

そういう点で考えれば、私は創造へのきっかけを投じたとも言えるし、破壊したとも言える。ただ私が思うのは、寂しいのだ。悲しいのだ。なんでこんなことになったのだろうと後悔しているんだ、たぶん。

さらに同時に諦めている気持ちもあるんだ。仕方ないさって。もう手遅れなんだって。そう感じて身を引いてしまうのだ。きっと分かりあえることはないと諦めて、「もう好きにしろ」とかいって関係を手放してしまうんだろうね。

それと怒ることの優越感を感じたいことなどなければ、先輩として威厳に固執したいんじゃない。もう手の掛からないようになってほしい、一人立ちしてほしいという願いだけだ。ほかにあるとすれば私の存在を凌駕するというアンチテーゼを期待しているぐらいだ。ただそれだけ…期待しすぎなのかもしれないけどさ。

紫紺の日2

2008-05-20 02:29:07 | イベント・企画
黒船ブームがいつの間にか去っていたことに気づいたATOPです。

紫紺の日は無事終了しました。学生もたくさん集まりました。試合のほうも昨日は負けた明治でしたが、今日は勝ちをおさめ勝ち点を奪取しました。まー試合もプロジェクトも成功だったのかなと思います。

ただ、私は考えなくてはいけないと思う。手放しに喜んでいられないんではないかと思うわけだ。なぜか?理由はアンチテーゼをもって考え直すことが成功へと導くから。

紫紺の日

2008-05-17 22:31:11 | イベント・企画
今日は神宮に行きました。六大学野球明早戦、もとい紫紺の日です。

まさか斎藤佑樹が先発とは思わなかった。ただ調子悪いように見えた。ニュースだと好投ってあるけど、あれは好投じゃない。被安打こそ少ないものの、安定感はなかった。降板させられたわけだし。

まー斎藤はおいといて、今日は応援が盛り上がったね。神風もできたし。最後は九回サヨナラ2ランとか奇跡としか言いようがない。明日も見に行きたい!…と思ったけど、明日は朝の八時から戸田です。うぼあー。

倒れているんで

2008-05-17 03:32:40 | ATOP
駅から歩いて帰ろうかなと思ってたら、男の人が倒れてた。ごく自然に倒れてた。新しく駅前にできたオブジェみたいに。

そのせいかしらないが、みんな無視していく。またいでいく人もいれば、横目に見て怪訝そうな顔をしていく人もいる。まー私もそれと例外ではない…はずだった。見過ごして通って思った。『やっぱ良くないよな』。

消え入りそうな正義心を頼りに倒れている彼のもとへ…行くわけもなく、駅前交番に直行。「人が倒れているんでみてやってください」。そういってしまうとすぐに、できるだけ早くその場から立ち去りたくなった。「僕はしがないただの学生です。なにもしてません」とは言わないまでも、とっくに消えてなくなった正義心はいつのまにか臆病な気持ちに入れ替わっていた。一目散に立ち去った私。その後、彼がどうなったかはしらない。

やはり私は弱い人間だわ。

多様化

2008-05-16 02:19:15 | ATOP
多様化っていうのは言い訳になるのかな?私は言い訳にしたくないなぁ。たしかに時代は変わっていってるけど、ここに生きる人はそれほど変わってないと思う。ただ少し頭が悪いのと臆病なだけなんじゃないかな。

無駄話

2008-05-12 23:28:04 | ATOP
ほら、もうこんな時期だから部活について一年間振り返ることがあるわけです。

一年経っても納得しないこともあれば満足することもある。ただ、役職についてはどっちでもない。それは企画っていう役職が興味の外側にあるからかな。今考えてみてもしたかったことか、もしくはしたいことか、はたまたやりたくなかったことか、やりたくないことか、なんともいえない。

たびたび申し上げてるけど、やはりできるのとやる気があるのは違う。なにを期待されて私は今のポジションにいるかしらないし、今となってはしっても仕方がない。近年まれにみるやる気のない企画だったのは皆の知るところ、かつ私自身が感じるところだ。私がある種の怒りや失望、疑念をもって受けた人事だったのは確かにある。先輩方には申し訳ないですけど…。

まーそれでもやったわけです。一年間。そんな私が一体この一年間でなにを成し得たのか。周囲の賛否両論はともかく、私は場つなぎだったと思う。つまりはただ悪化させただけだ。先輩方の期待に応えられなかっただろうし、越えもしなかっただろう。申し訳ないと思うけれども、無責任だがこうなることは私も何となく感じていたし、少なからずそう感じた人もいただろう。まー阿呆な言い訳ですな。

ただ一年前の自分を考える機会がこの間ありました。当時私はなにもしたいことがなかったという状況だと自覚していたが、一、二年生のときのレポートと一年前の状況を照らしあわすと、それは絶望的にやる気がなかったんじゃなくて、もうすでに満たされていたんではと思う。補佐を経験したことでこの部の本分を勝手に悟ったんだと思う。実際のところ一般的にこの部の本分を悟ることができるかわからないが、私はやることをやってしまったという状況だったことに違いはないと思った。

考えてみれば新歓隊長をやって部内を見る役を経験し、営業と渉外もやった。Webにしても当時の補佐よりも知識はあったし、自分一人で企画立てして記事を書いた。新聞だって普段から取材して記事書いて、写真撮ることは下手ではなかったし、レイアウトだってできる方だったと思うし、ほんの少しなら方正も使えた。そんな私になにがあと残っているかって、今の私は思う。当時の私もなんだってできると思っていたしね…。これは言い訳だけど、まだ自分にはこれしかないと思えたらよかったかもしれない。

もはや自分自身に残っていたのは無意味な自信だった。きっとどの役職についていたとしても失敗していたと思う。本当に自分自身を優先するなら、希望を出す前にでも見切るべきだったかもしれない。ただそこまでわがままになれなかった弱い自分がいただけ。

ここまでさんざん無責任なこと言ってきましたが、今この状況に後悔はしてません。私は私なりのベストを尽くしました。満足いかないとこがあっても。運命と諦めるなり納得したりするだけです。その運命を決めたのは誰でもなく私なのだから。

いらんこと

2008-05-10 12:59:15 | 社会問題
IC内蔵の新免許証に変更により憤りを覚えた。

財布のなかにSuicaと免許証を一緒に入れてる私は、かならず自動改札でひっかかる。ICの同時読み込みで通れない…。

個人情報とか問題あるらしいけど、本籍をカードに記載できないがためにICにするとは…まったくいらんことを。