昨日、仕事から帰ってみると新聞が届いてました。
まぁだからなんだってことじゃないんですけどね。
あんま野暮なこというのもあれなんで感想はないですけど、
やたら発色良くないですか?日刊は機械変えたんじゃないかって思うほどです。
まぁそれはおいといて、と。
空気を読むことと空間感覚っていうのは微妙に違うのですが、
でも私はどこかその2つは似ているような気がします。
似ているっていうか、得てして空間感覚ない人は空気が読めない(何。
なんだろうね、バランスがっていうか、理論的でも感覚的なもんでもいいんだけど、
順序づけしたり、筋道つけたり、緩急つけたり…そういうのが芸術なんだと思います。
いや、芸術っていうか、「美」なんだろうなぁ、バランスっていう「美」。
美は追求していかなければ、実態というかコツ?真髄?
そういう類いのものに、たどり着けないんだろうと私は思います。
しかも、追求している当事者とすればそれは理論として身に付くものじゃなくて、
やっているうちに勝手にできてしまえるようになっていて、
それがあとあと周りからみた誰かによって理論付けられて美の素晴らしさが語られるんでしょう。
んで、そうはいっても私の場合はその美ってルールで作られるものだと考えます。
私は単純に形式的なことを繰り返すところに美があるように思います。
例えるなら黄金比。あるじゃない、たてと横の比率で一番美しく感じる比率。
あれを繰り返しやっていくところ、それに則って表現をしていけば、
なにも崩れることなく究極な形が表現されると思うわけです。
逆にそれがもし一部だけに比率を取り入れて、あとはバラバラに図ってしまうと、
一部の黄金比の美しさも失われてしまうのだと思います。
最後まで貫き通す、一貫性の美しさがもともとの美の比率(黄金比)をより引き立たせる…
そんな気がします。
美というのにはルールがあるように私は考えるわけです。
だから、数学的な美っていうのはとても美しく感じられるんじゃないかな。