俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

電車

2006-09-30 03:20:26 | 今日この頃
 千代田線の終電間際、綺麗なお姉さんが爆睡していた。そりゃぁもう座席に横たわるぐらいに(汗。こんばんは、ATOPです。そのお姉さんはサラリーマンに起こされ『ここはどこ?』みたいな感じでまだ寝ぼけてました。そして閉まるドア。「え、ここ北千住なの?」と声に出し、落胆。結局綾瀬で降りていきました…。

 あー世の中、綺麗な人があんなに頑張って生きているに、一体私は何やってるんだろうかと思った今日この頃です(何。一体どこの職場ですか、あんな人を酷使させている人は。でも私が上司であってもあーいう人を酷使するだろうな、とサディスティックな思想を抱いたのはここだけの話(何。
 それから千代田線の最終間際。しかも金曜日となれば酔っぱらいが多いわけですが、松戸駅からノリノリの兄ちゃんが乗ってました。その兄ちゃん、女性を連れていたんですけど雰囲気的に彼女というわけではなさそう。そんでそこに全く関係ないギャルっぽい人が電車に駆け込み乗車してきました。んで毎度のごとく閉まるドア。大事なことに気付いたギャル。携帯で電話をし始めた。「まじあり得ない~!逆方向に乗っちゃったよ~。ど~しよう」それに対して

兄ちゃん「どうしようもねぇって言ってやれよw」

と連れの女にツッコミを入れて、私も思わず笑ってしまった。そのツッコミに連れの女は「声でかいよ!…でも降りるしかなくない?」と声でかく発言。そしてギャルの電話は続く。「次の駅って柏?あーでも各駅停車だから南柏?」とちんぷんかんぷんなことを言うギャル。それに対して

兄ちゃん「天王台じゃね?w」

と嘘をどでかい声で言っていて、再び笑いそうになってしまった。いや次の駅は明らかに北松戸だろ。天王台のわけねぇじゃん!と突っ込みたくなったわ。そして北松戸に着きそうになったとき、満員電車で降り口が反対側のため降りるのが困難な状況にギャルは「どうしよう~降りれるかなぁ~」と電話相手に報告。そして開かれたドア。

兄ちゃん「デ・デン・デン・デデン♪デ・デン・デン・デデン♪タララー♪w」

となぜかターミネーターの音楽を歌い出す。それ意味が分からなくてとうとう笑ってしまった。普通ミッションインポッシブルのテーマじゃないか、こういう時って(汗。そうして降りていったギャル…。その後もこの兄ちゃんの勢いはとどまることを知らず「タラッタッタッター♪あーぶないね(I've love it)♪」と意味の分からないことを連発してました(汗。千代田線は不思議な人ばっかりです。

 話は変わります。最近はオフ…実際のところは役職でやることがあったり、取材は継続的に続いてるわけですが、こういう編集期間と編集期間の間って結構することがない。いや、していることはしているはずなんですけどね。こういう期間だからゆっくり新聞読めたり、ネット巡回できたり、大学の授業聞いてまじめに知的好奇心をくすぐってみるとか。でもまぁなんとなくしっくりこない最近です。
 私的には9月号記事の書き手でもレイアウターでもなかったため、なんとなく取材だけの生活っていうのが長く、今もなおそういった感じで時間が流れている気がします。単純に言えば手持ちぶさたです。でもこの手持ちぶさたがまた厄介なもので、単純になんかやりたいという思考に結びつけばいいのですが、そんなことがあるわけがない(何。この手持ちぶさたが私自身のやる気を損なわせ、一体ここで何やっているんだろうかと疑問を抱かせ、最終的には「部活やめようかな」というとんでもない間の差し方を引き起こす…。でも最近はなんとなく感じるんです。「部活やめようかな」って。べつにめんどくさくなったとか、嫌になったとかではなく。ポッと思いつくんですね。悪意はありません。ただやめようと思えば、やめる理由なんて腐るほど上げられる気がします。それだけ今の状況が良くないのかもしれないが、別に本気でやめるわけではないので敢えて無視しよう(何。
 でもまぁ意識の差というか、良くも悪くも平和ボケしているなという気がする。

アサヒ

2006-09-29 06:57:33 | 社会問題
 今日、営業で電話かけた某プロテインメーカーの人が妙に食いつきが良かったのに驚いたATOPです、こんばんは。ようやく名刺もできたことだし、まったくもって来週は営業日和です…たぶん。誰か広告だしませんか?

 それから報道ステーション見た人いますか?なんか朝日新聞の倉庫を整理したら戦争の時に軍の検閲で不許可になった写真とか見つかったという話。別に見つかったのは良いんですけど、若干報道の仕方に偏りがあったような気がしないでもないのは私だけなのだろうか。見ていて「朝日新聞は戦争を止めたかったんだけど、軍の検閲でそれができなかった」というのを言いたいようにしか見えてこなかった。たぶんそれが言いたいことなんだろうけど。結局反省と言うよりは言い訳みたいなものかな。当時あった事実を見極めるとか、そういうことがあまりやらないで軍の検閲と朝日新聞の攻防みたいに描いて。んで、当時従軍カメラマンをしていたひとを出して「当時は正義だと信じていましたが、今考えると複雑」みたいなこと言わせて、何がしたいんだかさっぱりでした。
 それから先輩のブログにあった「自虐的な」歴史教科書ですが、私が思うにあれは自虐的というか当たり障りのない、むしろ歴史的にあったことすら載せない「痛い」教科書な気がします。少なくとも大学受験の多くの人が使用する詳説日本史でさえ、不十分すぎるくらいの教科書。正直、江戸時代にあったことあんなに載せるなら、15年戦争における日本の歴史に教科書の3分の1使えばいいのにと思うくらい、その時代のことについて触れていない全く使えない教科書だと思う(汗。あれが自虐的かというと、ある意味では自虐的なのかもしれない。当たり障りないって部分においては。ただ書いてある歴史的事項が自虐的だとは思わないです。あった事実を現代に置いて考えようとして、変に感情移入している左右の翼にとっては自虐的なのかもしれないですがね。良い意味であれは良くも悪くもうまくできてはいると思います。山川出版の詳説日本史は。ただ他の教科書は文科省の方針だかなんだかわかりませんが、あまりにも頭の悪い本にしか思えません。一体なんで高校生にまでなってあんな小学生みたいな教科書使わないといけないのか、さっぱりわかりません。

書くことないわ

2006-09-27 12:02:25 | 今日この頃
 昨日は初めてプラザの2階に行ってきました。いやまぁ想像していたよりは普通でした。こんにちは、ATOPです。行ったいきさつはあまり気にしないことにして、5人でウィスキー1本あけて帰ろうとしたら、ものすごい大雨に当たり偉い目に遭いました。

 今日も特に書くことはないのですが、ウェブでアメフト部の企画始まりました。そんぐらいです。
 大学もぼちぼちです。

待つ勇気

2006-09-25 03:39:01 | ATOP
 3と6と9とiモードボタンが動かなーい♪とっても大事にしてたのに~♪壊れて反応しないボタンがある♪どーしよ!どーしよ!…ということで機種変しました。5年間使ったSO504iともおさらばです。ようやくカメラ付き携帯になりました。最近の携帯のカメラの凄いところはAF。むだに高機能(汗。あ、挨拶遅れました、こんばんはATOPです。気のせいか、右ほほがすごく痛いです。

 別に更新さぼってるわけじゃないです。変に忙しかったり、疲れていたりするので更新できないだけです。やりたいことあるのにやることを誰も許してくれません。黙っていたいのに、黙らせてくれません。自由でいたいのに自由にさせてくれません。そんな私は人気者(何。
 いやまぁそれは冗談ですけど、実際に何をするにも順調にいかない。なぜか想定外なことが起きる。それに対応できない自分が悪いんですけど、正直勘弁して欲しい。簡単な話、自分の面倒は自分でみやがれってことです。でもまぁ世の中そんなことができるのはほんの一握りなんだろうなぁ…なんて思います。結局、誰かに頼り、誰かに縋る(すがる)ことでどうにか過ごして、傷の舐めあいです。
 うーん、まぁなんていうんですかね、私も私で自由であり続けたいとは思いますが、いつも状況はそうさせてくれません。この発想って偉そうに思われるのかな?
 私の言う「私の自由」って説明したことはないので意味分からないと思いますが、要するに普通に戻りたいんです。正直、これまで特別な立場だったし(もちろん継続中ではありますが)、その立場を考えればいつも周囲の状況を把握してまとめたりだとか指示を出したりとかしなければならなかったと思います。でも今状況が少し変わり、ほんの少しの自由(ある意味ではゆとり)を得た私は、私自身のことに専念してもいーんじゃないかなって思うわけです。そうすることが自分のためでもあると思うし、周りのためになると思うから。
 これまである種の使命感的なものもあって言わざるを得ないとか、やらざるを得ないってことがあって周囲を待てませんでした。言い訳ではありませんが、状況とは刻々と変化しているにもかかわらず、対応が遅くなり状況が悪化するぐらいなら強制的に有無を言わさずやらせたり、一方的な方向に持って行った方が簡単だったし、ある程度の結果のめどは立ちました。正直、周りなんて待ってる余裕なんてどこにもなかった。もちろん、時期によっては最大待てる時間まで待とうとしましたが、割とその行為を存分に無と化してくれました(汗。でも今この状況において、私は待てる状況にいます。だから待つんです。黙るんです。それが結果的には自分のためでもありますし、周りのためになると思うから。それ自体が副務を希望しなかった理由だと改めて思います。面接でも言ったとおり「周りが可哀想だから」でもありますし、今思うのは「自分が可哀想」に思えたんじゃないですかね。
 そうして自由を満喫しようと思っていますが、でも正直それは無理なんですよね。自由を満喫できるほど状況は良くないと言うことを感覚的に分かるから。実際のところ自分自身のできることが他人のできることに一致してこないことが問題(私が優れているとかってことが言いたいわけではない)。良く他人に言われます。「お前ができることが誰にでもできると思うな」って。その言葉自体の意味は考えるだけ無駄なので考えませんが、そう言われてしまうとこちらからは何も言うことができなくなる。要はできるようになってくれるまで待つしかないじゃないですか。しかし、時間は有限であり物事には締め切りがつきものであるため、最終的に発言せざるを得なくなる…これが一番つらいことではあります。そして具体的に助言なりアクションを起こせば「わかってるならさっさと言えよ」と言われ、なぜか怒られる(汗。待ったら待ったで怒られ、せかしたらせかしたで怒られる…最悪です。でもそれは当然のことで、待つということもせかすことも共に忍耐であるから。そういう決意や勇気がなければ待つこともせかすこともできない。人に干渉すると言うことはそういうことなのかもしれない。
 私は1つ信じているものがあって、反省しない人間は成長しないということ。言い換えれば失敗から成功を導けないやつはクズだということ。私自身頭良い人間なんて思わないし、私より頭いい人なんてごまんといる。だからいつも反省するし、次への対策を考え、必ず成功へ導くことを自分自身に約束する。もとからセンスが良いわけでもない、頭が良いわけでもない、オールマイティーでもない。それがわかっていたから…むしろそう考えることを忘れないでいたから今の自分がいるし、今後ももっと変わっていけるんじゃないかと思える。それが自信に繋がる。だから最終的には誰にも負けたくはないし、最後には勝つことを前提にことを始める。それらをひっくるめて「自分自身に向き合う」と私は考えます。
 だから言い訳なんて通用しないし、ごまかしなんて通用しない。とことんやるなら・勝つことを前提にするなら、物事をごまかしてはいけない。例えば、チームが負けたのはチームワークが足りなかっただからという風にごまかしては、次に勝てない。負けた原因は必ずどこかにある。負けた原因をチームワークと言って片づけてしまうことだけは私にはできない。しかし、結果的に全体を見回して、客観的に見て「チームワークの欠如」と呼べる側面はある。ただそれは木を見て森を見ずではなく、森を見て木を見ていない。それでは正直勝てないのではないか、私はそう思います。だって原因と向き合うことをめんどくさがって・恐がってしないことには全く成長しない。
 さらに言えば、チーム全員がチームの直接的な原因と向き合えたときにチームワークが生まれるんじゃないだろうか。正直チームワークなんて本当に存在するのか分からないが、それを生むために集団を形成しているわけではない。集団を円滑に回転させるためにチームワークが必要で、割と二次的要素ではある。攻殻機動隊のアラマキが言ってますが、「我々の間にはチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在しない。あるとすれば、スタンドプレーから生じるチームワークだけだ」。そうチームとは割とそういう傾向がある。同じ目標を持った人が集まった集団で、何も全員が同じ事をしなければならないわけではない。ただその目標達成のためにチームに属する個人が「何ができるか」が肝心。それを実行し、個人と個人が繋がっていくことで「チームワーク」と呼ばれるものが生まれる。だからチームワークを失敗の理由に出すのは、都合の言い訳なのではないかと私も思う。しかし、チームワークとは成功の最大の理由にはなりうるのは言うまでもないが、ここで肝心なのはその集団に属する個人個人が同じ目標を持っていることです。同じ目標をもっていなければ当然繋がっていくこともないだろうし、チームワークが生まれる土壌になり得ない。当然、部活動においても「チームワーク」は都合の良い言い訳にはなるし、結果的にチームワークがないということは目標の達成もないということだ。だから組織構成員の目標の並列化は重要かつ最難関なことである。
 まずは目標の並列化、共有化。でなければ一緒に活動する意味なぞどこにもない。だから私は勇気を持って待つことに決めた。

基本待ち

2006-09-22 16:46:01 | ATOP
 お久しぶりです。最近は賢くない人間に対して嫌気が差しているATOPです。いや別に自分が賢いということがいいたいわけじゃないです。もちろん私が賢くないわけじゃないですけど(何。

 最近面白いことないです。きっとそういうことを考えることがなくなったんじゃないかなと思う。しばしばこのブログでも書いたが、日々精神的に老化している気がしてならない。ブログで書く内容でさえ固くなってきているしね。でも面白くない割には鬱ではない。理由は簡単です。現実逃避です。でも一言言っておきます。私が現実逃避しているんじゃなくて、全体的に現実逃避している空気を出しているから私もそれに流されているだけです(何。そう、ある意味では空気読んでるんだよ。
 …とは言え、本当にこのままでいいのだろうか?という不安を抱えているのは私だけなのだろうか。そんなことはないのだと思うが、皆『私は別に…』みたいなこと考えて避けているだけだもんなぁ。もちろん私もそうですけど。正直な話、私はもう少しの間、自由でいたいですし。存分に待ちたいと思います、時期を。

 あ、そうそう報告するわけじゃないんですけど、大学始まりました。久しぶりの語学はきついです…まぁ久しぶりじゃなくてもきついけど(汗。

PS 携帯の3と6と9のボタンがまったく反応しなくてメール打てません。とうとうお釈迦の予感

浅はかな自分

2006-09-20 03:03:05 | ATOP
 お久しぶりです。NANAの最新巻を買うお金すらないATOPです。最近家にも帰らず、ネットもテレビも新聞も読んでいなかったらすっかり世の中から取り残されています。でもまぁその方がある意味では救われていることなのかもしれない。

 とりあえず新聞できました。今回は1つも記事はなく、レイアウターでもなく、役職が紙面関係でもないため、なにもすることなく編集期間が終わりました。おそらく入部してから作った新聞で一番何もしなかった号です。ただ何もしなかったわりに『編集期間短いなぁ』とは思いました。
 新聞のことはまぁいいとして、部全体の話を少しします。以前ブログで部活動の本質は「自主性」という風に言いました。もちろん今も変わりません。ようするにやる気がなきゃやらなくていいのよ。めんどくさいならやらなくて構わないのよ。無理して我慢してやってるならいっそやらなければいいのにって最近思うことがある。なんでそこまでして部活やる意味がるんだろうかって単純に不思議に思う。好きだからする。嫌いだからしない。こんな単純なことなのに。ただいるだけなんて阿呆だと思う。
 そうした時に、好きだから部活やるってことは自分からやる(自主的行動)が当然存在するはず。自分から知ろうとしなければ何事も上達しない。それは運動部であろうと文化部だろうと変わらない。うちの部活で言えば記事がうまくなりたいなら新聞を読むとか記事を多く書くとか、良い写真撮りたいならカメラの使い方や機能を覚えるとか自ずとするはず…でも最近はそうでもないらしい。結局は部活というものがどういうポジションにあるかって言うのと関係しているのかもしれないけどね。
 正直な話、私に迷惑をかけるのは全然構わない。でも迷惑は引き受けるけど、やる気なき迷惑とか失敗とかは頭にくる。言われたこともできないとか、責任感を微塵も感じていないとか、約束を守れないとか、平気でやられると頭にくる。正直、人間としてどうかと思うことが多々ある。多分まだ先輩後輩、同期の関係だから口で注意する程度で収まっているけど、そうじゃなかったら確実に殴ってる…というより相手しないだろうと思う。なんか現実が見えていないというか、見ようとも気付こうともしない脳天気な判断能力が存在している気がする。可哀想なぐらいに自分自身の浅はかさに気付いていない。
 まぁここでこんな事書いていたってなんの解決にもなりませんが、最近はもう注意するのも馬鹿馬鹿しく思えるときがあります。何度も何度も同じ事で注意するなんて阿呆らしい。つまりは相手側にやる気がないのかもしれない。こっちばかりが必死になっていて向こうはテキトーに流しているのかもしれない。もしそうだったらまじめに時間とエネルギーの無駄だし、一生懸命やってる私が可哀想だし、一生懸命にやってる他の部員も可哀想だ。実際そうでないことを願うばかりだが、正直やる気がないのなら中途半端にいるよりかはいないで欲しい…。それは先輩後輩とか同期とかって問題ではなくて、部に関わる…というよりも組織に属するものにとっての問題だと思う。
 最近確実に思うことは、本当に江戸取に通えて良かったということ。なによりも人の話を聞く姿勢だとか、挨拶だとか、返事とか人として当たり前のことを教えてくれたから。本当に外出てみてそれに気付かされる。世の中多くの人が浅はかな自分自身に気付いていない。救われない。

あり得ない

2006-09-14 14:13:37 | ATOP
 「人生は不同な、不規則な多様な運動である。絶えず自分に従い、自分の傾向にとらわれて、そこから逃れることもそれをねじ曲げることもできないようなのは、自己の友たることでもなく、自己の主人たることでもなく、自己の奴隷たることである」とモンテーニュは言ったらしい。つまりは美しい心とは、多様性と柔軟性をもった心と言いたいらしい…ニッカンによれば。こんにちは、ATOPです。

 書くことありません。強いて上げるとするならば夏休みが終わります。有無を言わさず終わります、はい。この2ヶ月間何もしなかったに等しい夏です。別になんかしたかったわけでもないので当たり前といえば当たり前ですけど…。

 それから早稲田のトップアスリート入学試験はあり得ないなぁ。共同通信の記事だけど  早大は13日、スポーツ科学部のトップアスリート入学試験(第1期)に卓球アテネ五輪女子代表の福原愛(青森・青森山田高)のほか、昨年のプロ野球ドラフト会議で巨人に指名されながら入団しなかった福井優也(愛媛・済美高出)ら6人が合格したと発表した。 この試験は国際水準の競技大会の経験や能力を持つことが応募条件。ノルディックスキー複合のトリノ五輪代表の渡部暁斗(長野・白馬高)、フィギュアスケート世界ジュニア選手権女子4位の武田奈也(東京・日本橋女学館高)、新体操の世界選手権代表の高橋麻理子(千葉・柏高)、テニスの全豪オープン・ジュニアの男子シングルスに出場した杉田祐一(神奈川・湘南工大付高)も合格した。

あり得ない…。

PS そうそう、ぶなぴぃのバトンはやりませんよ。私はSじゃなくてMですし(ぉ。

無能が救い

2006-09-13 06:29:56 | ATOP
 『スーパーロボット大戦OG』(PS2)はやばい。これは買ってしまう…ていうかアドバンスのOGって少し難易度が高いために、けっこうめんどくさい。頑張ってサブ兵器(アーマーブレイカー等)使って、地味な攻撃の連続。もっと爽快感が欲しいですね。挨拶遅れました。おはようございます、ATOPです。

 最近は色々考えます。そう編集期間だから(何。編集期間なのに記事もなーい、レイアウターでもなーい。自動的にウェブやその他の活動にいそしむ毎日。そして基本的に待つということをしているので考えることたっぷりです。簡単に上げてみます。

・部活動におけるソフトとハード
・部活動のビジネスライク化・合理化
・ウェブで何か企画やろうか
・最近の睡眠の取りすぎについて
・考える頭とはどういう頭か
・いかにして怒るか・ケツに火をつけるか
・いつになったらオホサーバーに再帰できるか
・アカハナに借りたビデオをいつ見ようか

などなどまじめなことからどうでもいいことまで色々考えています。しかし、答えはありません(汗。全部テキトーです(笑。

 そういえば先日O澤と『「この人あり得ない」って思う人間って、どんなことする奴?』っていうのを話してました。O澤は箸の持ち方がなってない人を見ると、『えっ…』って思うらしい。たしかにそれはあるかもしれない…言ってる私も持ち方は正しくないが(汗。
 んで私の場合はまず1つに時間の守れない奴。何時までと決まっているものを平気で無視する奴は死んでください。例えば白浦君とか(何。それは冗談として、時間守れない人って本当に信じられません。人生、時間は余裕を持ち、時間に支配されるのではなく、時間を支配しましょう。
 そして次に挨拶できない奴。べつにいつも「おはようございます」とか「こんんにちは」とか言うのではなく、ちゃんとした場所で挨拶できない奴いるじゃないですか。そういうの駄目ですね。見てられません。
 まぁ個人的にはそんなところですかね。見てて腹が立つ人間のタイプなんて腐るほどありますが、本当に『こいつあり得ねぇ』と思うのは上記の2つですかね。あと最近思うのは20近い大人が「報告・連絡・相談」できないってどういうことなんだ?って思いますけど…まぁそういう風に育ってきたんだから仕方ないのかもしれない。本当に育ちの悪い人間が増えたものだ。

 最近の風潮としてあるのかもしれないけど、知らなければ許されるってのが蔓延している気がする。ルールを知らなければ何をやっても良いのかといえば良いわけがないし、悪いことをしているという自覚がなければ許されるかと言えば、当然そんなわけがない。まぁだからこそ知っている人が無知な愚人に英知を授けなければならないのだろう。ただ「私は知らないのでできません」や「その事実を知らないので私は関係ありません」みたいなことを言って言い逃れができないことを、人間知っておくべきだ。知らないままで過ごしていた己の愚かさを呪うしかあるまい。知らないままにせず、知る努力をしなければならないはず。それがやる気であり、姿勢なのだと思う。できないで世の中通ると思うな。やる気があるならできないじゃなくてやるんだよ。そうするために今ここにいるはずだから。
 いやまぁ1つ思うのは、ぬか喜びをぬか喜びとして感じられなくなったら終わりなんだろう。一体どこで満足するか。自分自身の無能さを感じ取ったとき満足なんてとうていできない。自分の弱さを知っている人間が一番強い。自分の無能さに気づけない奴はクズだ。

やる側のやる気

2006-09-12 23:59:28 | ATOP
 朝日新聞のPR版でJリーグ…というかサッカーについてのコラムが書かれていた。日本代表の選手の多くは若くしてサッカーを始めたと書いてあって、努力しつづければ形となって表れるとある。さらに結局何を取り組むにしてもやる側の「やる気」次第。ここまでは普通だ。問題はここから。
 それでサッカーをやっている子どもに対して真顔で怒っているコーチや親を見てどうかと思う的なことが書いてあった。最終的には「やる気」を失わせるな的なことが言いたかったのだろうが、見事に言い切れておらず、最初から通して読んでみると実に生ぬるいコラムだった。

 指導云々は別としてやる側のやる気が大切なのはもっとも。結局、それがなければ何もなせないだろうし、やらされているだけならやっていても意味はない。要するに私が大学に通っているいるという事実はあまり意味を持たないと言うことだ(何。
 それはともかくとして物事の重要性が「やる側のやる気」と分かっているなら、それを導くものとしては真顔で怒ることがどうして悪いのかさっぱり分からない。それで怒らせて「やる気」が失われるなら、結局やる気がなかったということではないのだろうか。そうして気持ちが沈んでいるときこそ「やる側のやる気」が重要なわけで、そこで奮い立てないなら正直それまでなのだろう。もちろん導くものとしてはフォローしてあげることも必要だが、どんな場合であっても「やる側のやる気」なしではそのフォローする意味もしくは必要性はないのかもしれない。やる気あるものに対して真顔で指摘できないのなら、導く資格なんてないはずだ…。
 やる気のないものに対してやる気を持たせるように周りは躍起になることが多い。しかし残念なことに私としてはそれに同意できない。やる気ない奴にいくら語りかけても、何を施してもやる気っていうものは出てこないんじゃないかと思う。事実私もそうだし。いくら勉強しろっていわれたって、私自身が必要性なり危機感なりを感じなければやる気はわかないから。だからやる気のないものに無理してやれとは言わないし、変にやる気を引き出そうなんてことはしない。ただその場から立ち去ることを徹底的に言うはず。一生懸命やっている奴が可哀想だ。むしろ一生懸命やってる奴が馬鹿馬鹿しいとさえ思える。やる気のない奴がやる気ある奴のエネルギーを奪うし、正直ウザい。
 やる側のやる気。これ以上の人間らしさは存在しない。ある意味ではそれがないなら人間でないと言えるかもしれない。

NO勘違い

2006-09-10 02:20:01 | ATOP
 Hey!Hey!ブヒーな腹回り♪こんばんは、ATOPです。とくに書くことありません。最近部活のホームページがリニューアルされ、フォトギャラリーというページが作られました。そこに私の写真とか載ってたりするのでごらんあれ。http://muspo.or.tv/newsite/album/sh1_album/

 にしても前も書きましたが取材が楽しい今日この頃。なんと言っても写真撮るのおもしろい…んーハンドボールとアメフトで良い写真とれるようになってきてるから。こうカメラの設定というか仕組みを理解していればいるだけ、多少腕が悪くても良い写真ってとれるものだと思った。キスデジタル様々です。最近はマニュアルで設定して取っています。Tv・Avだと自由がきかないというか、性能を出し切れないのでマニュアル設定が一番便利。気付けば理想の画質を手に入れています…びっくりです。でもキスデジタルより、通常のEOS10D、20D、30Dの方がかなり使いやすい…。まぁ今後もフォトギャラリーにアップしていきますのでお楽しみに。上がるって言っても端艇とアメフトとハンドと拳法ですが。

 さて話を変えます。基本私は他人を大事にしませんが、だからと言って私自身が大事なわけでもない。外へ10の力で出て行ったものは、たいていの場合10で自分に返ってきますし。だから他人を大事にしている人は自分を大事にしているというか周囲からは大事にされているはず。ということは私は他人を大事にしていないから、私は周囲から大事にされていないはず…なんだが案外そうでもない(汗。
 それで何が言いたいというわけではない。最近思ったことは相手の理解できないならいっそのこと思いこもうぜ!ってことです。上の話とこの結論がどう関係あると、要するに人間関係理屈じゃないってこと。つまり理屈じゃないならいっそのこと勘違いしてしまえばいいじゃないかってことに気付いた。そう、まず相手を理解しようとするから難しいのだ。だったら相手に私を理解してもらえばいいだけの話じゃないかって思うわけです。
 簡単に言えば相手を考えて何かするぐらいだったら、相手を無視して好き勝手にやればいいじゃないかってこと。それで文句言われたならやめればいいだけの話だしね。勘違いを指摘されるまではそれは勘違いにはならない。なんて素敵な発想。ある意味ではそれを恋って言うのかもしれないね。

姿勢

2006-09-09 01:48:20 | ATOP
 『ルパン三世 セブンデイズ・ラプソディ』見ました。なんていうか笑いを取りすぎて格好いいルパンがありませんでした。ハッキリ言ってルパンというよりクリカンが普通にしゃべってるみたいで少し寒かった(汗。あ、挨拶遅れました。こんばんは、ATOPです。本部でバットの素振りしたせいで腕が痛いです…。

 今日は特別書くことがないのですが、愚痴ではないですけどぼやきを少々。
 私は私でバカであるのは自分自身で知っているし、どっちかっていうともう少しバカになって良いくらいのバカですが、決して賢くないわけではない。だが、だからといって賢いわけでもない。世の中私より賢い人間はたくさんいるしね。そこらへん周りがどう考えているか知りませんが。
 いやしかし、自分が賢いかどうかは別として、バカな人は好きになれますが賢くない人を見てると腹が立ちますね。…これ前も腐るほど書いたような気がします(汗。いやまぁ、とにかく結論から言ってしまうと形式もできない、内容も理解できない、言われたこともできない、失敗から学ばない奴は死んでくれってことです。もうそういう人達、本当に賢くない。生きていて本当に楽しいんだろうかって見ていて思う。表面上楽しく過ごせているのかもしれないけど、人間的な真理には永遠に縁のない人達なんだろうなって。生きてるんだか死んでるんだかさ。なんていうのかなぁ、薄いんだよ、そういう人達って。さっき言った人間的な真理のようなものを考える脳みそを持ち合わせていないんじゃないかとさえ思えて、心配になる。今後絶対どこかでつまづくんだろうなとも思うし…そうじゃなきゃそのまま死ぬまでノー天気なんだろう。
 やはり考える脳を持ってる人って減ったのかもしれない。さらにその考えたことを表現することのできる人は減ったのかもしれない。結局言ってることとか、やってることが軽い人が増えた気がする…。いつも心ここにあらずみたいで、一体彼らは何に一生懸命になっているんだろうか。姿勢が見えない。
 それになんなんだろう、全体的にある他人に対する興味のなさ。他人に対して興味がないわけじゃないんだろうけど、本当に興味のある部分しか見ないというか、そんな感じ。興味がなければ見ることをやめればいいんじゃないかなって私は思うんですけどね…あー、もしかしたらすでに形骸化されて半ば強制的にそこにいるだけなのかもしれない。でも私はハッキリ言う。そんな人間嫌いだ。腐ってる。姿勢を見せろ。姿勢なき者は立ち去れ。そんなことを思います。

Save your fears take your place save them for the judgement day
fast and free follow me time to make the sacrifice we rise or fall

I'm a soldier, born to stand in this waking hell I am
witnessing more than I can compute

pray myself we don't forget lies, betrayed and the oppressed
please give me the strength to be the truth

PS 単位前期で17を確保しました。週2回だけ大学行くのに17取ったのなら満足。

相手任せ

2006-09-08 01:48:57 | ATOP
 『ハチミツとクローバー』の10巻買いました。フラゲです。こんばんは、ATOPです。いやまぁ一応この巻で最後を迎えるハチクロ。単行本の半分しか占めていない本編。果たしてこの終わり方で良いのか?でも竹本は1巻から通して最高だった気がします…。

 2ch、ブログやmixi、最近はOhmyNewsなどネット上で多くの情報が行き交っている。とくに最後に上げたOhmyNewsはここ何週間か話題になっている。いわゆる「釣り」って奴ですね。まぁ鳥越さんがいいたいことも分からないでもないんですけど、ネット上にある情報って信頼度というか信憑性っていうのは低いんじゃないかと思う。改ざんしようとしたらいくらでもできるし、そもそもの情報がネット上の文章という媒体を通してでは明らかに嘘っぽい。だから私はあまりネット上の情報を信用していないし、逆にそれはそれでその情報に納得してしまう。「釣り」と分かってつられたいジャン。そっちのほうが笑えるから。なんか最近はネットの上のソースにちょっとマジになりすぎている気がしないでもない。
 
 まぁそんなことはどうでもいいわけで、話を変えます。唐突ではありますが、他人のために何かすることがどういうことかを最近考えています。他人のためになんかやると自分のためにはなるんですよ。でもその人のためになってるかはまた別。それって下手すれば自分のためにもなっていないんじゃないかって思う。最終的に自分自身も困るし、その人も困るだろうに。そういうのって結構その場しのぎ的なもので長期的に考えてみれば誰のためにもなっていない時っていうのは確かに存在するはず。もちろんだからといって他人のためになんかするなってことがいいたいのでない。肝心なのは線引きは難しいが、そこには自分のすべき事・他人のすべき事というものがあって、何かするにもそれを決めなければ長期的にはきついということ。そんなことを最近思います。
 でももっと初歩的なところを考えてみると他人をどう・こうすることって結構ずうずうしい。恋愛の場合はそういうことを考えますが、普段の人間関係においてそこら辺はあまり考えないことが多い。自分が他人に対してどういう理由を持って影響を及ぼせるのだろうか。もちろんこちらがどんなに望んでも、向こうが拒めばそれで終わりだし。ちっぽけな自分自身の力で周りに与えられる影響なんてたかがしれてもいるが、もし与えられる立場にいたとき・与えられる力を持っていたときに自分はどうすればいいのか。果たして自分の持っている意見や意志は周囲とマッチングしているのか。むしろ正しいのか。自信を持って自分の意見を進めることができるのだろうか…。まぁそんなことを今日考えてました。本当にここで自分の意見・考えを言って良いのだろうか、という場面。「俺はこう思う」という意見を向こうが本当に求めていたのか。もっと向こうの意見に合わせて同意した方が良かったのか。はたまたもっとしゃしゃり出た方が良かったのか。それは未だに分からない。ただめんどくさがって当たり障りのない理由をいって相手任せにしただけだったんじゃないかって思ったりもする…。